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管理人が興味を持った伝承(民話、伝説、神話)について纏めています。
外国のものは、主に英語版Wikipediaから興味を持った項目を翻訳しています。
始めに
管理人は子供の頃から民話や神話を好んで読み、親しんできました。
そして、民話・神話に親しむ者はいずれ気がつくことと思いますが、各地の民話・神話は内容が似ていたり、似ているようで少しずつ違っていたり、不思議な関係にあるのです。何故「全く同じ」でないのか、何故「全く違うもの」でないのか、それが不思議でした。内容が類似している民話や神話は、例えば近い地域のものであったり、氏族・部族の先祖が共通している人々のものであったりする、ということが漠然と分かってきました。
それから、これも民話・神話の傾向として誰もが気がつくことと思いますが、伝承譚には「怪物退治」と「人身御供」に関する話が多く、これらが組み合わされている物語もあります。例えばギリシャ神話の「テーセウスのミーノータウロス退治」の物語です。ミーノータウロスは少年少女の生け贄を求める牛の姿をした怪物でしたが、英雄テーセウスに倒されました。伝承の中の「怪物」は、それを語っていた人々の敵対者を指すものと思われることもありますが、広く似たパターンの物語が分布していて、良く知られているけれども、どこに起源があり、物語の原因となった最初の「英雄と敵対者」がどこに住んでいた誰だったのか、いずれも不明である、ということも多いように思います。
また人間の物語ですから、技術、職人、知恵というものを尊ぶ話も多いです。こういう話の主人公はいわば「文化英雄」と呼ばれる存在です。当然、知力と武力を兼ね備えた主人公の話もあります。
縄文社会は「国家」といえるような大規模な共同体の形成はなく、母系社会でした。尖石遺跡の「縄文のビーナス」像や同時代の「出産土器」のように女性に何らかの霊性を見いだす信仰があったことが窺えますし、「名草戸部」のように女性の首長が存在した、という伝承もあります。また、平安時代頃までは上流貴族の間でも結婚は「通い婚」とされ、夫が妻の家に通う、という形で、男性は妻の実家で生活の面倒を見て貰うのがほぼ当然でしたし、その結果、家の中では妻の母親の発言権が絶対でした。「我が世は望月(満月)のよう」だと詠った藤原道長には主な妻が二人いましたが、どちらの妻のお母さん(お姑さん)にもとても気に入られていましたし、そのことも彼の成功に繋がったのではないか、と管理人は考えます。
文献に残るいわゆる日本の「記紀神話」は道長が生きた時代よりも300年以上も昔の天武天皇の時代に編纂が開始され、朝廷に仕える各氏族の由来や系譜も載せられています。各氏族の「祖神」とされる神々は大抵が男神であって、妻神の名前が明らかになっている神もいますが、そうでないものもあります。飛鳥時代は平安時代よりも更に母系の習慣が強く、推古天皇を始めとして何人もの女帝も存在し、男性でも母親が皇族でないと天皇になれないといった母系を重んじる風潮も強かったので、記紀神話の系図が、いかにも現代的に男性・父親中心で語られることに強い違和感を感じるのです。古代中国では、紀元前3000年頃には家族単位が母系から父系に移り、身分や階級といったものも誕生していますので、記紀神話における神々の身分・秩序や父系の系図は古代中国に倣った部分もあるでしょうし、そもそも水稲耕作が古代中国からもたらされたものなのですから、水稲耕作を大陸から持ちこんだ人々が父系の文化をも持ち込んだ、といえると思います。ということは、私達は「日本の神話」と考えているものは、弥生時代以降、先進の技術と共に中国大陸からやってきた渡来人たちがこの国で作った神話であって、縄文古来の神話とはいえないのではないでしょうか。だからこそ、神々の系図は父系中心なのです。「縄文のビーナス」や「出産土器」の神々にも彼らの神話があったと思うのです。
弥生の人々が縄文の人々と共存していくためには、縄文の人々の宗教や信仰を知り少しずつその性質を共存可能に変えながら習合的に弥生の神々や宗教の中に取り込んでいった、と思います。そして、縄文の女神信仰は弥生人の女神信仰の中に取り込まれたり、あるいは神としての性質を失って民話や伝説の中へと存在場所を変えていったのではないでしょうか。管理人はそのような観点から民話や神話といった伝承を読み解いてみたいのです。
ちなみに、うちの母親によると、農家であった祖父母は遠くの山で雨が降って雷が光ることを「稲に乳をやる」と言っていたとのことです。ほんの10文字にも満たない言葉の中にも、「稲作文化」の古くからの信仰の形の神髄が現されていることもあるのではないか、と思う。そのような思想を考証するのが民俗学なのではないか、と思います。