娑蘇夫人

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娑蘇夫人(しゃそふじん、さそふじん、사소부인)は、新羅の始祖である赫居世居西干とその妃である閼英夫人の生母である[1]。娑蘇夫人は、中国の王室の娘であり[2][3][4][5]、中国から辰韓に移住して暮らしていた[2][1]。『三国遺事』巻一「新羅始祖赫居世王」条と『三国遺事』巻五「感通第七」条と『三国史記』「新羅本紀敬順王条」に具体的な記述がある[6]娑蘇神母仙桃聖母仙桃山聖母西述山聖母とも呼ばれる[私注 1]

概要

『三国史記』新羅本紀によれば、辰韓の今の慶州一帯には古朝鮮[7] の遺民が山合に住んでおり、楊山村(後の梁部もしくは及梁部)・高墟村(後の沙梁部)・珍支村(後の本彼部)・大樹村(後の漸梁部もしくは牟梁部)・加利村(後の漢祇部)・高耶村(後の習比部)という6つの村を作っていた。この六つの村を新羅六部と呼ぶ。

楊山の麓の蘿井(慶州市塔里に比定される)の林で、が跪いて嘶いていることに気がついた高墟村の長の蘇伐都利(ソボルトリ)がその場所に行くと、馬が消えてあとには大きい卵があった。その卵を割ると中から男の子が出てきた[8] ので、村長たちはこれを育てた。10歳を過ぎるころには人となりが優れていたので、出生が神がかりでもあったために6村の長は彼を推戴して王とした。このとき赫居世は13歳であり、前漢の五鳳元年(前57年)のことという。即位するとともに居西干と名乗り、国号を徐那伐(ソナボル)といった。王となって5年、閼英井の傍に現れた龍(娑蘇夫人)の左脇(『三国史記』では右脇)から幼女が生まれた。娑蘇夫人がこれを神異に感じて、育て上げて井戸の名にちなんで閼英と名づけた。成長して人徳を備え、容姿も優れていたので、赫居世は彼女を王妃に迎え入れた。閼英夫人は行いが正しく、よく内助の功に努めたので、人々は赫居世と閼英夫人とを二聖と称した。

朝鮮の正史である『三国史記』を著した金富軾が中国・宋に使臣として行った時、祐神館に参拝すると女仙の像が安置してあり、館伴学士が「これは貴国の神だがご存知か」と言い、「昔中国の帝室の娘が辰韓に辿り着き、子を生んで海東の始祖となった。娘は地仙となり長らく仙桃山にいた。これがその像だ」と説明した[9]。正史における辰韓、海東の始祖、つまり新羅(の前身)ということは、海東の始祖とは赫居世居西干である[9]

また、中国・宋の使臣である王襄が高麗に来た時に作った「東神聖母を祭る文」の中に、賢女が国を初めて建てたという句があり、つまり、娑蘇が国をはじめて建てたという句を残している[10]

慶州国立公園内に「聖母祠遺墟碑」という遺跡があり、「娑蘇が辰韓に来て赫居世居西干と閼英を生み、東国初の王となった」と記録されている[11]

史書における娑蘇

『三国遺事』巻五「感通第七」条には以下の記述がある[12]

神母本中國帝室之女。名娑蘇。早得神仙之術。歸止海東。久而不還。父皇寄書繫足云。隨鳶所止為家。蘇得書放鳶。飛到此山而止。遂來宅為地仙。故名西鳶山。神母久據茲山。鎮祐邦國。靈異甚多。

神母の名は娑蘇とよばれ、彼女は中国の帝室の娘である。神仙の術を得て、海東(朝鮮)に来て住みついて長く帰らなかった。父の皇帝がの足に手紙をむすびつけて「鳶が止まるところに家を作って住みなさい」と伝えた[私注 2]。娑蘇が手紙を読んでから鳶を放ったところ、仙桃山(慶州の西岳)に飛んでいってそこに止まったので、娑蘇はそこに住み地仙となった。その山は西鳶山と名づけられ、娑蘇神母は久しくこの山を根拠地として国を鎮護し、霊異が非常に多かった。(三国遺事、巻五、感通第七条)[私注 3]

三国遺事』巻五「感通第七」条には以下の記述がある[13]テンプレート:Quotationテンプレート:Wikisourcelang

家系

系図

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参考文献

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関連項目

私的注釈

  1. 名前からすると、娑蘇夫人は西王母に類する女神のように思える。
  2. この鳶は日本で言うところの「金鵄」と関連するのではなかろうか。
  3. 娑蘇夫人が鳥に導かれて地上に降り立ち住まった点は、岩見の伝承である乙子狭姫と類似しているように思える。

脚注

  1. 1.0 1.1 国語国文学資料辞書
  2. 2.0 2.1 野村伸一, 2001, p3
  3. 延恩株, 2011, p94
  4. 韓国民族文化大百科事典
  5. 이상희
  6. 延恩株, 2011, p92
  7. 古朝鮮(檀君朝鮮、箕子朝鮮、衛氏朝鮮)のどれを指すかは未詳であるが、自国を朝鮮と呼称するのは13世紀からと見られ、箕子朝鮮を指すものと考えられている。(→井上訳注1980、p.31.)
  8. このため閼智(あっち)とよばれた。
  9. 9.0 9.1 北島由紀子, 2016, 朝鮮神話に見る女神の原像, 九州大学, https://doi.org/10.15017/1807134, page104
  10. 延恩株, 2011, p93
  11. 김성호, 2000-03-16, 씨성으로 본 한일민족의 기원, 푸른숲, ISBN:8971842709, page239
  12. 金思燁, 1997-11-15, 完訳 三国遺事, 明石書店, ISBN:978-4750309927, page386
  13. テンプレート:Cite book