城背渓文化
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B7000?~B6000?。揚子江中流域の古代文化。大渓文化の前身。
当初は遺物の類似性から彭頭山文化に包括されていた。 土器胎土中からイネの籾殻が検出された。 湖北省襄樊市宜城県で1983年に発見された標式遺跡の城背渓遺跡は前期に属し、宜昌市枝江県の枝城北遺跡は後期の遺跡とされる[1]。
太陽神石刻
Raijin3.png 1999年湖北省秭帰県東門頭遺跡出土 石 高さ105cm、幅20cm,厚さ12cm 湖北文物考古研究所 城背渓文化は、長江中流域で栄えた新石器時代早期の文化である。この細長い板状の石には特異な姿をした人物像が刻まれ、その頭上には光り輝く太陽が象徴的に彫られている。また、人物の腰のあたりには、左右二つずつ円が彫られ、天体活動を表すものと思われる。ここに刻まれた人物は「太陽神」であると考えられ、城背渓文化の人々はこの石刻を使って、天に祈りをささげていたのであろう。中国における太陽崇拝の起源を探る上でも興味ふかい。出所:「世界四大文明・中国文明展」
参考文献
- 風篁堂、中国、先史時代、長江(最終閲覧日:22-08-18)