「后土」の版間の差分
(ページの作成:「'''后土'''(こうど)は、四御の唯一の女神であり、中国道教の最高位の全ての土地を主宰する地母神。大地山川・陰陽と生育…」) |
|||
2行目: | 2行目: | ||
== 概要 == | == 概要 == | ||
− | 大地を司る女性神で、古代の土地崇拝と関係があり、民間では俗に「'''后土娘娘'''」と呼ばれる<ref>瀧本弘之『中国歴史人物大図典 神話・伝説編』遊子館、2005年、第156頁。</ref> | + | 大地を司る女性神で、古代の土地崇拝と関係があり、民間では俗に「'''后土娘娘'''」と呼ばれる<ref>瀧本弘之『中国歴史人物大図典 神話・伝説編』遊子館、2005年、第156頁。</ref>。宋の真宗大中祥符5年(1012年)7月23日には后土が「'''后土皇地祇'''」に<ref>福井康順、山崎宏、木村英一、酒井忠夫『道教1 道教とはなにか』平河出版社、1983年。</ref>、その後の仁宗には「'''承天効法厚徳光大后土皇地祇'''」に封じられた<ref name="澤田瑞穂">澤田瑞穂『中国の民間信仰』工作舎、1982年、第44頁。</ref>。三清(玉清元始天尊、上清霊宝天尊、太清道徳天尊)を補佐する四御の一柱で[[玉皇大帝]]、[[紫微大帝]]、[[天皇大帝]]に次ぐ四番目の[[天帝]]として位付けられている<ref>福井文雅、山田利明、前田繁樹『【講座 道教】第四巻 道教と中国思想』雄山閣出版、2000年、第249頁。</ref>。「天神地祇」や「皇天后土」という言葉があり<ref>沖野岩三郎『日本神社考:日本宗教史の読み方』恒星社、1937年、第179頁。</ref>、天界は玉皇大天尊、地界は后土皇地祇が主である<ref>内田吟風『東洋史論集:内田吟風博士頌寿記念』同朋舎、1978年。</ref>。土地の神の中では唯一、女神とされているが、これは中国の自然哲学「陰陽五行説」の考えに基づき、男女と生死はそれぞれ陽と陰に分けられるとされている。五行思想それぞれに神を配し五行を司る神(五佐)であり、木の神は[[句芒]]・火の神は[[祝融]]・土の神は后土・金の神は[[蓐収]]・水の神は[[玄冥]]。方位を東西南北中央に分けるが、中央は土に通じるので、土の神でもあり、その帝は[[黄帝]]、その佐は后土、その獣は[[黄竜]]<ref>『岩波講座・東洋思想 第十三巻 - 中国宗教思想 1』岩波書店、1990年、第19頁。</ref>。遥か昔に[[炎帝神農|神農]]の後裔・[[黄帝]]を補佐したとされる。『玉匣記』によると后土娘娘の誕辰は陰暦三月十八日と記載されている<ref name="澤田瑞穂"/><ref>窪徳忠『中国文化と南島〔新訂版〕』第一書房、1981年、第311頁。</ref>。 |
本来は男神であったが、後に[[地母神]]のイメージと混同されて女神と思われるようになった<ref>『中国の神さま 神仙人気者列伝』(2002年3月発行、二階堂善弘/著、[[平凡社]]発行)ISBN 4-582-85130-4</ref>。なお、「后」の字には[[王妃]]の他に男性の君主・帝王<ref name="澤田瑞穂"/>という意味もある。また道教では天を陽、地を陰、男性を陽、女性を陰とみる陰陽説的な見方から、天神を男神、地祇を女神と考えるようになった<ref>窪徳忠『道教の神々』[[平河出版社]]、1986年。</ref>。 | 本来は男神であったが、後に[[地母神]]のイメージと混同されて女神と思われるようになった<ref>『中国の神さま 神仙人気者列伝』(2002年3月発行、二階堂善弘/著、[[平凡社]]発行)ISBN 4-582-85130-4</ref>。なお、「后」の字には[[王妃]]の他に男性の君主・帝王<ref name="澤田瑞穂"/>という意味もある。また道教では天を陽、地を陰、男性を陽、女性を陰とみる陰陽説的な見方から、天神を男神、地祇を女神と考えるようになった<ref>窪徳忠『道教の神々』[[平河出版社]]、1986年。</ref>。 |
2022年11月14日 (月) 14:40時点における版
后土(こうど)は、四御の唯一の女神であり、中国道教の最高位の全ての土地を主宰する地母神。大地山川・陰陽と生育を司る墓所の守り神であり、主に女性や死は陰と位置づけられる事から、墓所の神は女神となった。城隍神や土地爺と共に土地の守護神の一種に位置づけられていた。
概要
大地を司る女性神で、古代の土地崇拝と関係があり、民間では俗に「后土娘娘」と呼ばれる[1]。宋の真宗大中祥符5年(1012年)7月23日には后土が「后土皇地祇」に[2]、その後の仁宗には「承天効法厚徳光大后土皇地祇」に封じられた[3]。三清(玉清元始天尊、上清霊宝天尊、太清道徳天尊)を補佐する四御の一柱で玉皇大帝、紫微大帝、天皇大帝に次ぐ四番目の天帝として位付けられている[4]。「天神地祇」や「皇天后土」という言葉があり[5]、天界は玉皇大天尊、地界は后土皇地祇が主である[6]。土地の神の中では唯一、女神とされているが、これは中国の自然哲学「陰陽五行説」の考えに基づき、男女と生死はそれぞれ陽と陰に分けられるとされている。五行思想それぞれに神を配し五行を司る神(五佐)であり、木の神は句芒・火の神は祝融・土の神は后土・金の神は蓐収・水の神は玄冥。方位を東西南北中央に分けるが、中央は土に通じるので、土の神でもあり、その帝は黄帝、その佐は后土、その獣は黄竜[7]。遥か昔に神農の後裔・黄帝を補佐したとされる。『玉匣記』によると后土娘娘の誕辰は陰暦三月十八日と記載されている[3][8]。
本来は男神であったが、後に地母神のイメージと混同されて女神と思われるようになった[9]。なお、「后」の字には王妃の他に男性の君主・帝王[3]という意味もある。また道教では天を陽、地を陰、男性を陽、女性を陰とみる陰陽説的な見方から、天神を男神、地祇を女神と考えるようになった[10]。
参考資料
- 『タオの神々』(1991年初版発行、真野隆也/著、新紀元社発行)ISBN 4-88317-202-3
関連項目
参照
- ↑ 瀧本弘之『中国歴史人物大図典 神話・伝説編』遊子館、2005年、第156頁。
- ↑ 福井康順、山崎宏、木村英一、酒井忠夫『道教1 道教とはなにか』平河出版社、1983年。
- ↑ 3.0 3.1 3.2 澤田瑞穂『中国の民間信仰』工作舎、1982年、第44頁。
- ↑ 福井文雅、山田利明、前田繁樹『【講座 道教】第四巻 道教と中国思想』雄山閣出版、2000年、第249頁。
- ↑ 沖野岩三郎『日本神社考:日本宗教史の読み方』恒星社、1937年、第179頁。
- ↑ 内田吟風『東洋史論集:内田吟風博士頌寿記念』同朋舎、1978年。
- ↑ 『岩波講座・東洋思想 第十三巻 - 中国宗教思想 1』岩波書店、1990年、第19頁。
- ↑ 窪徳忠『中国文化と南島〔新訂版〕』第一書房、1981年、第311頁。
- ↑ 『中国の神さま 神仙人気者列伝』(2002年3月発行、二階堂善弘/著、平凡社発行)ISBN 4-582-85130-4
- ↑ 窪徳忠『道教の神々』平河出版社、1986年。