「アリアドネー」の版間の差分

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=== 迷宮とアリアドネーの糸 ===
 
=== 迷宮とアリアドネーの糸 ===
アリアドネーはテーセウスに恋をし、彼女をアテーナイへと共に連れ帰り妻とすることを条件に援助を申し出た。テーセウスはこれに同意した。アリアドネーは工人[[ダイダロス]]の助言を受けて、[[迷宮#神話・伝説と迷宮|迷宮]](ラビュリントス)に入った後、無事に脱出するための方法として糸玉を彼にわたし、迷宮の入り口扉に糸を結び、糸玉を繰りつつ迷宮へと入って行くことを教えた。テーセウスは迷宮の一番端にミーノータウロスを見つけ、これを殺した。糸玉からの糸を伝って彼は無事、迷宮から脱出することができた。アリアドネーは彼とともにクレータを脱出した<ref name=apol>アポロドーロス、摘要 I, 8-9。</ref>。
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アリアドネーはテーセウスに恋をし、彼女をアテーナイへと共に連れ帰り妻とすることを条件に援助を申し出た。テーセウスはこれに同意した。アリアドネーは工人[[ダイダロス]]の助言を受けて、迷宮(ラビュリントス)に入った後、無事に脱出するための方法として糸玉を彼にわたし、迷宮の入り口扉に糸を結び、糸玉を繰りつつ迷宮へと入って行くことを教えた。テーセウスは迷宮の一番端にミーノータウロスを見つけ、これを殺した。糸玉からの糸を伝って彼は無事、迷宮から脱出することができた。アリアドネーは彼とともにクレータを脱出した<ref name=apol>アポロドーロス、摘要 I, 8-9。</ref>。
  
異説として、[[エラトステネース]]の名で伝わる『[[カタステリスモイ]]』によると、アリアドネーの冠は[[ヘーパイストス]]の作品であり、燃えるように輝く黄金と[[インド]]産の宝石をふんだんに用いて制作されていたため、非常に光り輝き、その光でテーセウスは迷宮から出ることができたという<ref name=PE5>{{Cite web |url=https://palladi.blogspot.com/2022/08/katasterismoi-2.html |title=伝エラトステネス『星座論』(2) りゅう座・ヘルクレス座・かんむり座 |accessdate=2022-08-31}}</ref>。
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異説として、エラトステネースの名で伝わる『カタステリスモイ』によると、アリアドネーの冠は[[ヘーパイストス]]の作品であり、'''燃えるように輝く黄金とインド産の宝石'''をふんだんに用いて制作されていたため、非常に光り輝き、その光でテーセウスは迷宮から出ることができたという<ref name=PE5>https://palladi.blogspot.com/2022/08/katasterismoi-2.html, 伝エラトステネス『星座論』(2) りゅう座・ヘルクレス座・かんむり座 , 2022-08-31</ref><ref group="私注">これは[[ヴイーヴル]]の宝玉を彷彿とさせう。</ref>。
  
 
=== クレータよりの脱出後 ===
 
=== クレータよりの脱出後 ===
[[File:Borghese Vase Louvre Ma86 n5.jpg|thumb|150px|ディオニューソスと[[キタラ]]を持つアリアドネー]]
 
 
クレータより脱出後、[[アポロドーロス|プセウド・アポロドーロス]]は、二人は子供もつれて[[ナクソス島]]へと至ったと記すが、これ以降のアリアドネーの運命については諸説がある。プセウド・アポロドーロスは、ナクソス島で[[ディオニューソス]]が彼女に恋し、奪って[[リムノス島|レームノス島]]へと連れて行きそこでアリアドネーと交わり子をなしたとする。この交わりによって、[[トアース]]、[[スタピュオス]]、[[オイノピオーン]]、[[ペパレートス]]が生まれたとされる<ref name=apol />(オイノピオーン、エウアンテース、スタピュロスの三人ともいわれる<ref>フェリックス・ギラン『ギリシア神話』p.217,220。</ref>)。
 
クレータより脱出後、[[アポロドーロス|プセウド・アポロドーロス]]は、二人は子供もつれて[[ナクソス島]]へと至ったと記すが、これ以降のアリアドネーの運命については諸説がある。プセウド・アポロドーロスは、ナクソス島で[[ディオニューソス]]が彼女に恋し、奪って[[リムノス島|レームノス島]]へと連れて行きそこでアリアドネーと交わり子をなしたとする。この交わりによって、[[トアース]]、[[スタピュオス]]、[[オイノピオーン]]、[[ペパレートス]]が生まれたとされる<ref name=apol />(オイノピオーン、エウアンテース、スタピュロスの三人ともいわれる<ref>フェリックス・ギラン『ギリシア神話』p.217,220。</ref>)。
  
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[[アルゴス (ギリシャ)|アルゴス]]では、[[アプロディーテー|アプロディーテー・ウーラーニアー]](「天のアプロディーテー」の意、[[ウーラノス]]より生まれた女神をこの称号で呼ぶ)の社殿の傍らにアリアドネーの墓が存在していた<ref>呉茂一『ギリシア神話』p.172。</ref>。
 
[[アルゴス (ギリシャ)|アルゴス]]では、[[アプロディーテー|アプロディーテー・ウーラーニアー]](「天のアプロディーテー」の意、[[ウーラノス]]より生まれた女神をこの称号で呼ぶ)の社殿の傍らにアリアドネーの墓が存在していた<ref>呉茂一『ギリシア神話』p.172。</ref>。
 
==系図==
 
{{ミーノースの系図}}
 
 
== 芸術作品 ==
 
[[File:Atelierstockholm2.jpg|thumb|美術用の石膏像<br />右端が通称「アリアス」]]
 
* アリアドネーのフランス語読みはアリアーヌ、イタリア語はアリアンナで、次のような作品などが知られる。
 
** [[クラウディオ・モンテヴェルディ|モンテヴェルディ]]の『[[アリアンナの嘆き]]』(マドリガーレ集 第6巻、もとはオペラ『{{仮リンク|アリアンナ (モンテヴェルディ)|en|L'Arianna|label=アリアンナ}}』のアリア)
 
** [[ニコラ・ポルポラ]]のオペラ『ナクソスのアリアンナ』(1733年12月、ヘンデルに対抗する貴族オペラの最初の出し物としてロンドンで初演)
 
** [[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル]]のオペラ『クレタのアリアンナ』(1734年1月初演)
 
** [[ゲオルク・ベンダ]]のメロドラマ『ナクソス島のアリアドネー 』(1775年)
 
** [[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン]]のカンタータ『ナクソスのアリアンナ』(1789年)
 
** [[リヒャルト・シュトラウス]]のオペラ『[[ナクソス島のアリアドネ]]』
 
** [[アルベール・ルーセル|ルーセル]]のバレエ音楽『[[バッカスとアリアーヌ]]』
 
* [[ローマ]]・[[カピトリーノ美術館]]所蔵の[[胸像]][[彫刻]]作品(作者不詳)が、美術における[[デッサン]]に使用される[[石膏像]]に取り上げられており、日本国内では通称「アリアス」と呼ばれ、多くの画学生や絵を描く人々に親しまれてきた。この通称はアリアドネーのフランス語'Ariane'を「アリアヌ」と[[カタカナ]]表記し[[ヌ]]と[[ス]]を混同した誤訳が浸透したものと推測もされる一方で<ref>{{cite web|url=https://note.com/gee/n/n5d5208075a40 |title=石膏像ドットコム K-124 アリアス胸像 |accessdate=2021-10 |archiveurl=https://archive.ph/wCesm |archivedate=2022-03}}</ref>、同美術館所蔵の元の胸像の表題をアリアドネーとするものは近年ではみられず、特に首の太さなどからも元は男性の<ref>{{cite web|url=https://ideanotes.jp/art72/ |title=石膏物語 アリアス胸像 その正体は陶酔と芸術の神バッカス(デュオニソス)像 |accessdate=2021-10 |archiveurl=https://megalodon.jp/2022-0312-1930-14/https://ideanotes.jp:443/art72/ |archivedate=2022-03}}</ref>ディオニューソスの胸像とされている<ref>ディオニューソス(Dionysos,Dioniso)画像例[[:ファイル:Bust_of_Dionysos-Musei_Capitolini-2.jpg|1, ]][[:ファイル:Bust_of_Dionysos-Musei_Capitolini.jpg|2,]][[:ファイル:Dioniso,_II_sec_dc_da_orig._ellenistico,_da_vaticano.JPG| 3]]</ref>。
 
* バッカスとアリアドネーを扱った絵画等が描かれている。
 
** [[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ]]による『[[バッカスとアリアドネ]]』
 
 
===ギャラリー===
 
[[File:Titian Bacchus and Ariadne.jpg|thumb|300px|[[ティツィアーノ・ヴェチェッリオ]]『[[バッカスとアリアドネ]]』(1520年-1523年)、[[ロンドン・ナショナル・ギャラリー]]]]
 
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Jacopo Tintoretto - Bacchus, Venus and Ariadne - WGA22618.jpg|{{small|[[ティントレット]]『[[ヴィーナスとアリアドネとバッカス]]』(1576年-1577年) [[ヴェネツィア]]、[[ドゥカーレ宮殿]]所蔵}}
 
Rome Palazzo Farnese ceiling Carracci frescos 04.jpg|{{small|[[アンニーバレ・カラッチ]]『バッカスとアリアドネの勝利』(1597年-1602年) [[ローマ]]、[[ファルネーゼ宮殿]]天井[[フレスコ画]]}}
 
Charles de La Fosse - Bacchus and Ariadne - WGA12305.jpg|{{small|[[シャルル・ド・ラ・フォッス]]『バッコスとアリアドネ』(1699年) [[ディジョン美術館]]所蔵}}
 
Pittoni Bacchus and Ariadne.jpg|{{small|[[ジャンバッティスタ・ピットーニ|ジョヴァンニ・バッティスタ・ ピットーニ]]『バッカスとアリアドネ』(1720年) [[ワルシャワ国立美術館]]所蔵}}
 
Angelica Kauffmann, Ariadne Abandoned by Theseus, 1774.jpg|{{small|[[アンゲリカ・カウフマン  (画家)|アンゲリカ・カウフマン]]『テセウスに捨てられたアリアドネ』(1774年) [[ヒューストン美術館]]所蔵}}
 
John Vanderlyn 001.jpg|{{small|[[ジョン・ヴァンダーリン]]『ナクソス島に眠るアリアドネ』(1808年-1812年) [[フィラデルフィア]]、[[ペンシルベニア美術アカデミー]]所蔵}}
 
Delacroix - outono01.jpg|{{small|[[ウジェーヌ・ドラクロワ]]『アリアドネに出会うバッコス』(1856年-1863年) [[サンパウロ美術館]]所蔵}}
 
Herbert James Draper, Ariadne.jpg|{{small|[[ハーバート・ジェームズ・ドレイパー]]『アリアドネ』(1905年) 個人所蔵}}
 
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== その他 ==
 
== その他 ==
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* [[西王母]]
 
* [[西王母]]
 
* [[九玄天女]]
 
* [[九玄天女]]
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* [[アテーナー]]:アリアドネーと起源が一致すると思われる女神
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* [[ヴイーヴル]]:頭の宝玉が類似している。
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* [[燭竜]]::頭の宝玉が類似している。
  
 
== 私的解説 ==
 
== 私的解説 ==

2022年10月13日 (木) 20:53時点における版

アリアドネーἈριάδνη, Ariadnē)は、ギリシア神話に登場するクレータ]王ミーノースと妃パーシパエーのあいだの娘である[1]テーセウスがクレータ島の迷宮より脱出する手助けをしたことで知られる。アリアドネーという名は「とりわけて潔らかに聖い娘」を意味するので、この名からすると本来女神であったと考えられる[2][私注 1]

日本語では長母音を省略してアリアドネとも表記される。

概説

クレータ王ミーノースは、息子アンドロゲオースアッティカで殺されたため、アテーナイを攻めた。こうしてアテーナイは、九年ごとに七人の少女と七人の少年をミーノータウロスの生贄としてクレータに差し出すことになっていた。テーセウスはこの七人の一人として、一説ではみずから志願して生贄に加わってクレータにやって来た[3]

迷宮とアリアドネーの糸

アリアドネーはテーセウスに恋をし、彼女をアテーナイへと共に連れ帰り妻とすることを条件に援助を申し出た。テーセウスはこれに同意した。アリアドネーは工人ダイダロスの助言を受けて、迷宮(ラビュリントス)に入った後、無事に脱出するための方法として糸玉を彼にわたし、迷宮の入り口扉に糸を結び、糸玉を繰りつつ迷宮へと入って行くことを教えた。テーセウスは迷宮の一番端にミーノータウロスを見つけ、これを殺した。糸玉からの糸を伝って彼は無事、迷宮から脱出することができた。アリアドネーは彼とともにクレータを脱出した[4]

異説として、エラトステネースの名で伝わる『カタステリスモイ』によると、アリアドネーの冠はヘーパイストスの作品であり、燃えるように輝く黄金とインド産の宝石をふんだんに用いて制作されていたため、非常に光り輝き、その光でテーセウスは迷宮から出ることができたという[5][私注 2]

クレータよりの脱出後

クレータより脱出後、プセウド・アポロドーロスは、二人は子供もつれてナクソス島へと至ったと記すが、これ以降のアリアドネーの運命については諸説がある。プセウド・アポロドーロスは、ナクソス島でディオニューソスが彼女に恋し、奪ってレームノス島へと連れて行きそこでアリアドネーと交わり子をなしたとする。この交わりによって、トアーススタピュオスオイノピオーンペパレートスが生まれたとされる[4](オイノピオーン、エウアンテース、スタピュロスの三人ともいわれる[6])。

しかし別の説では、アリアドネーはナクソス島に至りひどい悪阻であったため、彼女が眠っているあいだにテーセウスに置き去りにされたともされる。あるいはこの後、ディオニューソスが彼女を妃としたともされる[1]エラトステネスの『星座論』やオウィディウスの『変身物語』によると、このときディオニューソスは彼女の頭の冠を空に投げて、かんむり座に変えた[5][7]。エラトステネスはこの冠はホーラーたちとアプロディーテーがアリアドネーとディオニューソスの結婚式の際に贈ったものであるとし、さらにしし座の尾の部分、すなわち古代には独立した星座と考えられていなかったかみのけ座が、アリアドネーの髪の房であると述べている[5]

また、ホメーロスの『オデュッセイア』においては(巻11、324-5)、一行がディアー島に至ったとき、ディオニューソスの了承のもと、アリアドネーはアルテミスに射られて死んだとされる[8]呉茂一はこちらが本来の神話であったろうとしている。

大女神としてのアリアドネー

アリアドネーの名は、むしろ女神の名に相応しい。5世紀の辞典編纂者ヘーシュキオスの記録に従えば、クレータでは、アリアグネーと彼女は呼ばれていた。この名は「いとも尊き(女・女神)」の意味で、この名の女神はエーゲ海の多くの島で知られている。またディオニューソスの妃として結婚の祝祭が行われていた。

アルゴスでは、アプロディーテー・ウーラーニアー(「天のアプロディーテー」の意、ウーラノスより生まれた女神をこの称号で呼ぶ)の社殿の傍らにアリアドネーの墓が存在していた[9]

その他

  • 迷宮脱出の逸話より「アリアドネの糸」という言葉が生まれた。難問解決の手引き・方法の意味で使われる。
  • 欧州宇宙機関 (ESA) のロケットアリアンは彼女の名前にちなむ。

参考文献

関連項目

私的解説

  1. 「アリ」という言葉は接頭語に当たるので、この女神の名前は「アドネー」であると考える。アテーナイのアテーナーと起源を同じくする女神であると考える。
  2. これはヴイーヴルの宝玉を彷彿とさせう。

参照

  1. 1.0 1.1 『ギリシア・ローマ神話辞典』p.30。
  2. 呉茂一『ギリシア神話』p.302。
  3. 『ギリシア・ローマ神話辞典』p.161。
  4. 4.0 4.1 アポロドーロス、摘要 I, 8-9。
  5. 5.0 5.1 5.2 https://palladi.blogspot.com/2022/08/katasterismoi-2.html, 伝エラトステネス『星座論』(2) りゅう座・ヘルクレス座・かんむり座 , 2022-08-31
  6. フェリックス・ギラン『ギリシア神話』p.217,220。
  7. オウィディウスの『変身物語』8巻。
  8. 呉茂一『ギリシア神話』pp.171-172。
  9. 呉茂一『ギリシア神話』p.172。