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− | + | '''若い女性を生贄として求め'''、生贄が絶えると黄河に洪水を起こす<ref group="私注">河の治水、あるいは治水工事に人間の生贄が必要である、と考える人々の神が河伯であることが分かる。</ref>。 | |
− | + | 黄河の支流である洛水の女神である[[洛嬪]](らくひん)を妻とする。洛嬪に恋した[[羿|后羿]](こうげい)により'''左目'''を射抜かれた<ref group="私注">河伯を盤古と同じもの、とすれば射貫かれたのは左目(太陽)であるため、残ったのは右目('''月''')だけということになる。月が河伯の残された右目、ということになれば、月に生えているという不死の「月桂樹」は河伯の残された別の姿といえるのではないだろうか。</ref>。 | |
== 史書 == | == 史書 == | ||
− | + | 『史記』29巻河渠書第7<ref>史記/卷029, 司馬遷</ref>に、「爲我謂河伯兮何不仁」と「河伯許兮薪不屬」と言う記述がある。 | |
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2022年10月6日 (木) 14:18時点における版
河伯(かはく、ホーポー、Hébó)は、中国神話]登場する黄河の神。
神話
人の姿をしており、白い亀、あるいは竜、あるいは竜が曳く車に乗っているとされる。あるいは、白い竜の姿である、もしくはその姿に変身するとも、人頭魚体ともいわれる。
元は冰夷(氷夷)または憑夷(ひょうい)という人間の男であり、冰夷が黄河で溺死したとき、天帝から河伯に命じられたという。道教では、冰夷が河辺で仙薬を飲んで仙人となったのが河伯だという。
若い女性を生贄として求め、生贄が絶えると黄河に洪水を起こす[私注 1]。
黄河の支流である洛水の女神である洛嬪(らくひん)を妻とする。洛嬪に恋した后羿(こうげい)により左目を射抜かれた[私注 2]。
史書
『史記』29巻河渠書第7[1]に、「爲我謂河伯兮何不仁」と「河伯許兮薪不屬」と言う記述がある。
詩
河童との関係
日本では、河伯を河童(かっぱ)の異名としたり、河伯を「かっぱ」と訓ずることがある。また一説に、河伯が日本に伝わり河童になったともされ、「かはく」が「かっぱ」の語源ともいう。これは、古代に雨乞い儀礼の一環として、道教呪術儀礼が大和朝廷に伝来し、在地の川神信仰と習合したものと考えられ、日本の6世紀末から7世紀にかけての遺跡からも河伯に奉げられたとみられる牛の頭骨が出土している。この為、研究者の中には、西日本の河童の起源を6世紀頃に求める者もいる。
『西遊記』の登場人物の沙悟浄は、日本では河童とされるが、中国では河伯とされる。
高句麗及び夫余建国者との家系的つながり
テンプレート:Main 河伯は、高句麗及び夫余建国者の母方の祖父である[3][4][5]。
参照
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- ↑ 史記/卷029, 司馬遷
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