「レルワニ」の版間の差分
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2020年5月9日 (土) 15:28時点における版
レルワニ(LelwaniまたはLeluwani)はハッティ族の地下世界の女神である。[1][2]女神は暗い地下世界に住んでいた。そして、彼女の神殿は納骨堂や霊廟と関係していた。
レルワニは本来ハッティ族の地下世界の女神で[3]、その信仰はヒッタイトに引き継がれた[4]。
レルワニはヒッタイトの時代、霊廟で祀られていたジリプリも含めて、ハッティ族の地下世界の主神だった[5]。レルワニはしばしば男性だと考えられていたが[6]、性別が変化し、定まらない神だった[7]。
紀元前13世紀には、レルワニはフルリ人の地下世界の女神アラニ、バビロニアの女神エレシュキガルと同一視された[8]。また、メソポタミア・フルリ語でアラニと同じ意味であるアラトゥとも同一視された。アラニという名前そのものは、ルウィ語での地下世界の神である「地の太陽神」としても使われていた。こうしてヒッタイト人は女神アラニをアラニとアラトゥと同一視したが、アラニとアラトゥはフルリ人にとっては別々の神であった[9]。女神アラトゥは、主に霊廟で崇拝されており、その結果レルワニに取って代わられた[10]。
参考文献
- Volkert Haas, Heidemarie Koch: Religionen des alten Orients: Hethiter und Iran. Vandenhoeck & Ruprecht, Göttingen 2011, ISBN 978-3-525-51695-9.
- Piotr Taracha: Religions of Second Millennium Anatolia. Harrassowitz Verlag, Wiesbaden 2009, ISBN 978-3-447-05885-8.
ドイツ語版Wikipediaの内容も参考にしています。
※「ḫešta-Haus」の正確な意味が不明ですが、「霊廟」としておきました。
脚注
- ↑ Burney C. A.: Historical dictionary of the Hittites. Lanham, Md : Scarecrow Press 2004, S. 178
- ↑ Leick G.: A dictionary of ancient Near Eastern mythology, London ; New York : Routledge 2002. S.164
- ↑ Piotr Tararcha: Religions of Second Millennium Anatolia. Wiesbaden 2009, S. 49.
- ↑ Maciej Popko: Religions of Asia Minor. Warschau 1995, ISBN 83-86483-18-0, S. 118.
- ↑ Piotr Tararcha: Religions of Second Millennium Anatolia. Wiesbaden 2009, S. 63.
- ↑ Piotr Tararcha: Religions of Second Millennium Anatolia. Wiesbaden 2009, S. 49.
- ↑ Volkert Haas, Heidemarie Koch: Religionen des alten Orients: Hethiter und Iran. Göttingen 2011, S. 223.
- ↑ Maciej Popko: Religions of Asia Minor. Warschau 1995, ISBN 83-86483-18-0, S. 118.
- ↑ Piotr Tararcha: Religions of Second Millennium Anatolia. Wiesbaden 2009, S. 124.
- ↑ Piotr Tararcha: Religions of Second Millennium Anatolia. Wiesbaden 2009, S. 132.