「夏の建国神話」の版間の差分
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[[伏羲]]については天帝の象徴である北斗七星の象徴のヒョウタンに乗っている点で、「天帝」としての性質が示されているように思う。すなわち、帝俊とは'''[[伏羲]]の別の姿'''だと考えている。だから、再構築した話には[[伏羲]]は登場させず、ミャオ族のダロンだけを登場させている。ダロンも本質的には帝俊と同一のもので、母系の文化を色濃く残したミャオ族の伏羲・女媧神話では存在しなくても良い、とすら管理人は感じるので、一応登場だけさせておいて、最後に帝俊に食わせることで一つに纏めてみた。 | [[伏羲]]については天帝の象徴である北斗七星の象徴のヒョウタンに乗っている点で、「天帝」としての性質が示されているように思う。すなわち、帝俊とは'''[[伏羲]]の別の姿'''だと考えている。だから、再構築した話には[[伏羲]]は登場させず、ミャオ族のダロンだけを登場させている。ダロンも本質的には帝俊と同一のもので、母系の文化を色濃く残したミャオ族の伏羲・女媧神話では存在しなくても良い、とすら管理人は感じるので、一応登場だけさせておいて、最後に帝俊に食わせることで一つに纏めてみた。 | ||
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+ | また、ダロンのトーテムを鶏にした点だが、本来的にはこれは「雉」とすべきと思ったが敢えて鶏に変更した。ダロンが帝俊(火雷神)と同一とした場合、ミャオ族の伝承に「パンカオという娘をさらう'''雉'''」の話があり<ref>村松一弥訳『苗族民話集』平凡社、1974年、59-70頁</ref>、娘に害をなす悪神のトーテムには雉がふさわしいのだが、しかしダロンは龍犬父さんに味方する子供で、太陽を呼ぶ「鶏雷神」でもある父さんの息子だ、という意味を込めて敢えて彼のトーテムは鶏にした。ミャオ族のアペ父さんの名前は、本来「アペ・ダロン・コペン」であって、「ダロン」を抜いて息子の方に移したのが正しい歴史だと思う。でも、縄文八ヶ岳の人々はアペ父さんのことをダイダラボッチと、ダロンの名で呼んでいたし、インド神話では「アペ・ダロン・コペン」が「ヴリ・トラ・ハン」に変化していると思うので。ダロンというのは父さん名を一部だけ抜き取って神話的に作った「息子」だったと考える。日本では抜き取った方を「父さん」の名にして呼んでいたのである。バロンでもあり、パンカオでもある娘のトーテムは鶏で何の問題もない。彼女は本来、鶏父さんの連れ合いである鶏の太陽女神だったのだから、と考える。 | ||
帝俊が龍犬槃瓠を人身御供にして、祭祀で食べてしまう点は、后羿を殺した[[寒浞]]の故事による。[[祝融]]に相当する中国神話のアグニが「両親を焼き殺した」という点も参考にした。[[寒浞]]は后羿の息子も同然なのだが、后羿を殺して食べている。 | 帝俊が龍犬槃瓠を人身御供にして、祭祀で食べてしまう点は、后羿を殺した[[寒浞]]の故事による。[[祝融]]に相当する中国神話のアグニが「両親を焼き殺した」という点も参考にした。[[寒浞]]は后羿の息子も同然なのだが、后羿を殺して食べている。 |
2024年11月9日 (土) 18:51時点における版
夏の建国神話を考察してみたい[私注 1]。
『墨子』五巻には夏と三苗(ミャオ族)[注釈 1] に関する伝説が記載されている。
三苗(サンミャオ)時代に、夜に太陽が現れ、血の雨が三日間降った。龍が寺に現れ、犬は通りで吠えた。夏の水は氷になり、大地は裂け、水が噴き出した。五穀は変異した。天はミャオ族に克服を課した。雷が連続し、鳥をともなった者がミャオ族の指導者を射た。後、夏王朝は建国した(wikipedia:夏 (三代)より)。
もっと深く再現してみよう
例えば「鳥をともなった者がミャオ族の指導者を射た」とあるが、誰が射たのか分からない、ということになる。これをもう少し詳しく書き加えて、整理したいと考える。
昔、夜に太陽が現れたり、火の雨が降る、といった天変地異があって干ばつが起きた。これは火雷神である帝俊が起こしたものである。火雷神は人類に対して怒りを感じていたのだ。そこに人類を救うために、水雷神である龍犬の槃瓠が現れた。槃瓠は大地を冷やし、火を消すために大量の水を使った。敵は槃瓠を攻撃するために「龍犬が人類を滅ぼすような大洪水を起こした。」と悪口を言った。夜に現れた太陽は邪魔なので槃瓠が弓で射落とした。だけど、帝俊と槃瓠との争いで、あちこちで災害が起きたため、五穀は実らなくなった。帝俊はこれをミャオ族のせいだと言い張った。
ミャオ族は龍犬槃瓠の孫だった。ミャオ族のおばあさんは帝俊の妹の蛙姫だ。蛙姫には親の決めた饕餮という婚約者がいた。饕餮は帝俊と蛙姫の従兄弟だった。ところが龍犬槃瓠が蛙姫を好きになってしまった。こっそり蛙の姿に変身して蛙姫のところに忍んできた槃瓠は、姫を盗み出し二人は駆け落ちしてしまった。二人からは鶏娘のバロンと雄鶏息子のダロンが生まれた。ミャオ族はバロンとダロンの子供たちだったのだ。
蛙姫を盗み出した槃瓠のことを帝俊は嫌いだったが、更に嫌いになるような事件があった。昔の天は、「人身御供を立てて、生け贄の肉の半分を天と人類で分け合って食べ、残りの半分を種と一緒に畑にまく。」という祭を人類に行わせていた。種は天がその身の一部を削って人々に分け与えたものなのだ。お返しに天が太れるように人類の肉の一部を天に返さなければいけない。天の子たちである種がちゃんと目を覚まして太れるように、種にも人肉を食わせないといけない、とされていた。龍犬槃瓠は、人身御供として殺される人々を哀れみ、人身御供の祭祀をやめ、人を食うこともやめるようにと言った。ミャオ族が祖父の槃瓠の味方をしたので、人の肉を食べて撒く祭祀は中止になった。帝俊は人肉を食べられなくなり、腹がたったので干ばつを起こしたのだ。干ばつのせいで五穀は実らず、災害が起きたのに、帝俊は
「五穀が実らなくなったのは槃瓠の味方をしたミャオ族が、天への祭祀を中止したからだ。槃瓠とミャオ族を殺して、祭祀を再開しなければいけない。」
と言ったのだ。帝俊と槃瓠の戦いはますます激しくなったが、槃瓠もミャオ族も勇敢だから負けなかった。そこで帝俊は槃瓠を騙して殺すことにした。
「仲直りしよう。」
と騙して宴席を用意させ、槃瓠とミャオ族を招待したのだ。槃瓠たちは帝俊の言葉に騙されてやってきた。帝俊は槃瓠に酒を飲ませて眠らせてしまい、復活させた祭祀の生け贄の第1号にした。雄鶏息子のダロンも射殺して自分で食べてしまった。鶏娘のバロンはすばやく走って逃げ回ったが、結局帝俊につかまった。帝俊はバロンを
「これからは自分に協力して、邪魔者たちを黙らせるのに協力しろ。さもないと殺すぞ。」
と脅した。バロンは帝俊に協力したくなかったけれども、子供達を殺されたくなかったので、仕方なく言うことを聞いた。そして、帝俊が油断している隙にこっそり子供達を逃がし、
「南へ逃げて新しい国を作りなさい。」
と言った。バロン自身は厳しく見張られていたので子供達と一緒に逃げ出せなかった。ミャオ族が逃げたことを知った帝俊はバロンも殺した。そして、人類がこれ以上逆らえないように自ら地上に降りて国を作ることにした。そうして建国したのが夏である。
帝俊の子孫が王となった夏は次第に大きくなって、「中国最初の王朝」と呼ばれるようになった。
ところで、帝俊はダロンを食べたので、その能力を得て鶏に変身できるようになった。なのでときどき鶏に変身しては南へ出かけてミャオ族の様子を探るようになった。そして雷を鳴らしては人々を脅すようになった。ミャオ族の人々は
「鳴っている雷が帝俊なのか槃瓠父さんなのか間違えないように。飛んできた雄鶏がダロンなのか帝俊なのか、ようく気をつけて、けっして間違えないように。」
と言い合ったのだった。
解説
解説もなにも、「こうすれば、夏の建国神話と、伏羲・女媧神話を一体化できる。」という補足をするために、こうだったのではないか、と思われる話を作ってみた。ヤオ族とミャオ族の伏羲・女媧神話で一番違う点は、
- ヤオ族の雷神は「水雷神」で洪水を起こす黄帝で、父親が蚩尤
- ミャオ族の雷神は太陽を出して干ばつを起こす「火雷神」の祝融(蚩尤)で、父親が「蛙父さん」で水神の黄帝
となっている点である。水神と火神が二つの話で、役割が入れ替わっているのだ。しかし、墨子を読むと、まず「火雷神」が起こす干ばつが起き、次に「水雷神」が起こす洪水が起きた、とある。どちらの雷神も騒ぎを起こしたわけだけれども、ヤオ族伝承では「火雷神」が父さんに、ミャオ族伝承では「水雷神」が父さんに変わってしまっているのだ。最初は二人の雷神が暴れる話だったのだが、伝承の話し手がどちらに味方するかで見方が分かれて、ヤオ族の話とミャオ族の話に分かれてしまったのだろう。
帝俊と祝融
管理人は、帝俊、禹、祝融、ミャオ族の雷神、伏羲、ダロンを「同じもの」として伝承を再構築した。いずれも「火雷神」としての性質を持ち、天上に複数の太陽を出したり、地上に火の雨を降らせたりする神だ。墨子の「血の雨」は「火の雨」に変更した。「夜に太陽が現れる」とは、いかにも暑く干ばつを連想させるし、祝融には「夏の都城に火を降らせた」という伝承があるからだ[1]。
伏羲については天帝の象徴である北斗七星の象徴のヒョウタンに乗っている点で、「天帝」としての性質が示されているように思う。すなわち、帝俊とは伏羲の別の姿だと考えている。だから、再構築した話には伏羲は登場させず、ミャオ族のダロンだけを登場させている。ダロンも本質的には帝俊と同一のもので、母系の文化を色濃く残したミャオ族の伏羲・女媧神話では存在しなくても良い、とすら管理人は感じるので、一応登場だけさせておいて、最後に帝俊に食わせることで一つに纏めてみた。
また、ダロンのトーテムを鶏にした点だが、本来的にはこれは「雉」とすべきと思ったが敢えて鶏に変更した。ダロンが帝俊(火雷神)と同一とした場合、ミャオ族の伝承に「パンカオという娘をさらう雉」の話があり[2]、娘に害をなす悪神のトーテムには雉がふさわしいのだが、しかしダロンは龍犬父さんに味方する子供で、太陽を呼ぶ「鶏雷神」でもある父さんの息子だ、という意味を込めて敢えて彼のトーテムは鶏にした。ミャオ族のアペ父さんの名前は、本来「アペ・ダロン・コペン」であって、「ダロン」を抜いて息子の方に移したのが正しい歴史だと思う。でも、縄文八ヶ岳の人々はアペ父さんのことをダイダラボッチと、ダロンの名で呼んでいたし、インド神話では「アペ・ダロン・コペン」が「ヴリ・トラ・ハン」に変化していると思うので。ダロンというのは父さん名を一部だけ抜き取って神話的に作った「息子」だったと考える。日本では抜き取った方を「父さん」の名にして呼んでいたのである。バロンでもあり、パンカオでもある娘のトーテムは鶏で何の問題もない。彼女は本来、鶏父さんの連れ合いである鶏の太陽女神だったのだから、と考える。
帝俊が龍犬槃瓠を人身御供にして、祭祀で食べてしまう点は、后羿を殺した寒浞の故事による。祝融に相当する中国神話のアグニが「両親を焼き殺した」という点も参考にした。寒浞は后羿の息子も同然なのだが、后羿を殺して食べている。
関連項目
私的注釈
- ↑ 結局これをやる羽目に・・・(2024-11-09)
Wikipediaの注釈
- ↑ 現代のミャオ族と、先史時代の伝説に記載された三苗や、楚や呉を構成した民族との関連性はまだ確定していない(要出典、2016-09-09)。