「天甕津日女命」の版間の差分
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松江市鹿島町南講武にある神社。主祭神は天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)。夫神は赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命(あかふすまいぬおおすみひこさわきのみこと)とされている。 | 松江市鹿島町南講武にある神社。主祭神は天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)。夫神は赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命(あかふすまいぬおおすみひこさわきのみこと)とされている。 |
2022年6月19日 (日) 23:12時点における版
天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)。島根県出雲市の伊努神社に配祀されている。伊努神社の主祭神は赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命(あかふすまいぬおおすみひこさわきのみこと)[1]であり、天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)の夫とされる。伊努神社の近傍には斐伊川、山持川が流れている。
赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命(あかふすまいぬおおすみひこさわきのみこと)と天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)は、『出雲国風土記』に記述がある出雲神話の神である。
目次
伊努神社について
出雲市西林木町376にある神社。主祭神は赤衾伊努意保須美比古佐倭氣命。出雲国風土記、秋鹿郡伊農郷の由来に
「出雲の郡伊農の郷に鎮座される、赤衾伊農意保須美比古佐和気能命の后である天甕津日女の命が、国内をご巡行になった時に、ここにお着きになっておっしゃったことには、「ああわが夫よ、伊農よ」とおっしゃった。」とある。(HP:伊努神社、玄松子より)
多久神社について
多久の語源について
古代、カ行音の変転に法則性はなく、タキの「キ」が「ク」に転じることはありえた。月神の「月読」をツキヨミではなくツクヨミ、白山ゆかりの「菊理媛」をキクリヒメではなくククリヒメと訓じているなど、その例は多い。これは「タキ(滝)」の国であった可能性がある。タカ(高・多賀)、タキ(多吉・多伎・多岐・多芸・多気)、タク(多久)・タケ(多気・竹)、タコ(多古)と、これら類音の地名が多いことは出雲国の特徴の一つである。(菊池展明『出雲の国の女神』、HP:鉄の女神Ⅱ、瀬織津姫神より)
古代における「ク」音と「キ」音が交錯する可能性があったとのことである。諏訪(茅野)には「滝(川)の女神」として「多留(タル)姫」という女神がいるが、「ク」音あるいは「キ」音が「ル」に変化したのは信濃国の特徴なのであろうか? また、もしそうだとするならば、多留姫もまた天甕津日女命の別名ということにならないだろうか(管理人考)。
多久神社(出雲市多久町)
出雲市多久町にある神社。祭神は多伎都彦命と天御梶姫命(あめのみかじひめのみこと)である。天御梶姫命は天甕津日女命と同一視される[2]。
多久神社(松江市鹿島町)
松江市鹿島町南講武にある神社。主祭神は天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)。夫神は赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命(あかふすまいぬおおすみひこさわきのみこと)とされている。
丹波の多久神社
京丹後市峰山町丹波にある神社。主祭神は豊宇賀能売命(豊受大神)。別名、「天酒大明神」。近傍に竹野川が流れており、豊宇賀能売命は川の女神でもあったことが示唆されると考える(管理人)。
伝承によれば豊宇賀能売命は『丹後国風土記』逸文にいう比治山の天女(羽衣天女)と比定され、天に帰りそびれてこの地に住み、稲作を行い、万病を癒す酒を作り出した[3]。このため、明治時代までは「天酒大明神」ともよばれた[4]。
丹後(宮津市由良宮ノ上)には豊宇賀能賣命の終焉の地とされる奈具神社が存在する。奈具神社は竹野川の下流域に位置する。
その他の出雲の神社
蘆高神社
出雲市美野町935にある神社。主祭神は赤衾伊農意保須美比古佐和気能命(あかふすまいぬおほすみひこさわけのみこと)。葦高神社の向かい側には、妻神・天甕津姫命(あめのみかつひめ)を祀る伊努(いの)神社が建っている[6]。
花長上神社
花長上神社(はなながかみじんじゃ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町(旧谷汲村)にある神社である。祭神は天甕津日女命(天甕津媛命)である。
式内社の美濃國大野郡花長神社とされており、旧社格は郷社。斐川という地名も残っている。同じ旧谷汲村内にある花長下神社の祭神の赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命(あかふすまいぬおおすみひこさわきのみこと)である。この2つの神社は、出雲より美濃に入植した人々が赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命(あかふすまいぬおおすみひこさわきのみこと)と天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)を祀ったものであろうか。
阿豆良神社との関係
愛知県一宮市にある阿豆良神社(尾張国丹羽郡式内社の阿豆良神社)とは密接な関係がある。祭神は天甕津日女命(天甕津媛命)であり、阿豆良神社には以下の社伝がある。
- 垂仁天皇の皇子品津別皇子は、7歳になっても言葉が話せなかったという。皇后の夢の中に天甕津媛命が現れ、「今まで私を誰も祀ってくれない。祠を立て神に祭るなら、皇子は言葉を話せるようになり、天寿を全うするだろう。」ということを伝えたという。垂仁天皇は部下の建岡君に、天甕津媛命を探し出すように命じた。
- 建岡君は美濃国花鹿山(花長上神社は花鹿山の麓にある)に登り、榊の枝で縵(あずら)を作って神に祈り、「此の縵の落ちた所が神を祭る所であろう。」と言うと、縵を遠く投げたという。この縵が落ちた地に創建されたのが阿豆良神社という。
関連項目
参考文献
- Wikipedia:多久神社(最終閲覧日:22-06-19)
- Wikipedia:花長上神社(最終閲覧日:22-06-16)
- 伊努神社、玄松子(最終閲覧日:22-06-16)
- 赤衾伊努意保須美比古佐倭気命、玄松子(最終閲覧日:22-06-18)
- 鉄の女神Ⅱ、瀬織津姫神(最終閲覧日:22-06-18)
- 葦高神社、出雲市(最終閲覧日:22-06-18)
参照
- ↑ 『出雲国風土記』に登場する神。淤美豆奴神の子神とされる。
- ↑ 天甕津日女命が「御梶姫」とも呼ばれるとすると、諏訪大社の神紋である「梶の葉」紋と何か関係はあるのだろうか?(管理人)
- ↑ https://www.city.kyotango.lg.jp/top/soshiki/kyoikuiinkai/bunkazaihogo/3/1/1/3405.html , デジタルミュージアムF10多久神社本殿 , 京丹後市 , 2020-09-21
- ↑ 4.0 4.1 丹後新風土記 , 丹後広域観光キャンペーン協議会 , 2008 , page239
- ↑ 峰山郷土史 上 , 峰山町 , 1963 , page460
- ↑ 地元では両社を結ぶ道を「恋人ロード」と呼んでいる。