「八束水臣津野命」の版間の差分

提供: Bellis Wiki3
ナビゲーションに移動 検索に移動
39行目: 39行目:
  
 
<blockquote>八束水臣津野命が天から降りられた時、ひとりの姫神(御名は[[石見天豊足柄姫命]])が現れて、告げられた。「此国に八色石という石があります。山を'''干山となし'''、川を'''乾川となし'''、'''蛇'''に化けて、いつもやってきては民を悩まします。」命は人々のためにこれを滅ぼそうと思い、姫神に案内させて八色石を2つに切った。すると、その首は飛び去って邑智郡の龍石となり、その尾は裂けて這っていき、美濃郡の角石となった。「これで国から災いがなくなりました。」と姫神はたいそう喜んで、命を館に誘いさまざまにもてなした。命が館に宿泊し、夜が明けてみると、姫神は岩と化していた。命はいぶかしく重い、「これは怪しいことだ。」と仰せられた。<br>龍石というのは、邑智郡に八色石村という駅があって、駅の荘屋・野田鹿作の家の裏山に、八色の石があったのを、神体として祀ったのが龍石である。その理由は、この石がともすれば人に祟って、よくなかったからだ。人々の嘆きが大きいので、役所が素佐鳴尊を添えて祀ったところ、祟りはなくなったとのことだ。三月三日が祭日である。山に上ること八丁、岩の形をよく見ると、蛇の頭のようである。山を下て、鳥居の前にある田中に一つの岩があるが、これは蛇を切って飛び散った血が、変化したものだという。また山に一丁上ると、川中に夫婦石とて、二つの石がある。是も血が飛び散って変化したものだと語り伝えている。</blockquote>
 
<blockquote>八束水臣津野命が天から降りられた時、ひとりの姫神(御名は[[石見天豊足柄姫命]])が現れて、告げられた。「此国に八色石という石があります。山を'''干山となし'''、川を'''乾川となし'''、'''蛇'''に化けて、いつもやってきては民を悩まします。」命は人々のためにこれを滅ぼそうと思い、姫神に案内させて八色石を2つに切った。すると、その首は飛び去って邑智郡の龍石となり、その尾は裂けて這っていき、美濃郡の角石となった。「これで国から災いがなくなりました。」と姫神はたいそう喜んで、命を館に誘いさまざまにもてなした。命が館に宿泊し、夜が明けてみると、姫神は岩と化していた。命はいぶかしく重い、「これは怪しいことだ。」と仰せられた。<br>龍石というのは、邑智郡に八色石村という駅があって、駅の荘屋・野田鹿作の家の裏山に、八色の石があったのを、神体として祀ったのが龍石である。その理由は、この石がともすれば人に祟って、よくなかったからだ。人々の嘆きが大きいので、役所が素佐鳴尊を添えて祀ったところ、祟りはなくなったとのことだ。三月三日が祭日である。山に上ること八丁、岩の形をよく見ると、蛇の頭のようである。山を下て、鳥居の前にある田中に一つの岩があるが、これは蛇を切って飛び散った血が、変化したものだという。また山に一丁上ると、川中に夫婦石とて、二つの石がある。是も血が飛び散って変化したものだと語り伝えている。</blockquote>
 +
 +
他に
 +
 +
<blockquote>神社裏にある龍の頭に似た巨岩は、八岐の大蛇が退治された際に飛んできた首が石になったもので、この石が八色に輝き害をもたらしたのを、八束水臣津野命が退治したと伝えられている。</blockquote>
 +
 +
という伝承もあるようである<ref>[https://dive-hiroshima.com/explore/3752/ 龍岩神社]、広島公式観光サイト(最終閲覧日:24-12-27)</ref>。
  
 
=== 私的解説 ===
 
=== 私的解説 ===

2024年12月27日 (金) 12:56時点における版

八束水臣津野命(ヤツカミズオミツノ)、淤美豆奴神(オミヅヌ)は、日本神話の神。伊農意保須美比古(犬意保住彦)という名もあるように管理人は感じる。

概要

『古事記』において須佐之男命の4世孫とされ、『日本書紀』には登場しない。粟鹿神社の書物『粟鹿大明神元記』には意弥都奴と記述されている。十七世神(とおまりななよのかみ)の一柱である国津神。

名称や母親[1]の系譜から水にまつわる神と考えられる。「淤」は「大」の音約、「美豆」は「水」、「奴」は「主」で、名義は「偉大な水の主」とされる[2]

『出雲国風土記』に国引きを行った八束水臣津野命(ヤツカミズオミツノ)の別名として意美豆努命(オミヅヌ)とあることから、この二神は同一神と考えられる[3]

長浜神社においては八束水臣津野命と淤美豆奴神を別神として扱っており、それぞれ国引きの神、妙見の神として祀っている。

北居都神社(岡山県岡山市東区東平島)では須佐之男命の御子神とされ、弟の衝鉾等乎留比古命と共に開拓神として祀られている。

八束水臣津野命

『出雲国風土記』意宇郡の条に記載されている国引き神話の主人公で、風土記の中で須佐能袁命や大穴持命との系譜に関する記述はない。

ただし赤衾伊農意保須美比古佐和気能命という御子神がいるとされる。

八束水臣津野命は「八雲立つ出雲の国は、狭い布のような国であることよ。最初に国を小さく作ってしまった。それ故、作って縫いつけよう」と言った。そして新羅・高志など各地の岬を切り取って綱で引き、繋ぎ合わせて出雲国を大きくしたとされる。

また島根の地名由来や杵築宮の起源としても登場する。

赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命の父として

息子神には、「和氣能命(別神)」という名がつくのだから、八束水臣津野命には「(赤衾)伊農意保須美比古(犬意保住彦)」(意保に住む犬神)という名があるのではないだろうか。っそして、その名を持つのであれば、この神も犬神といえると考える。

系譜

深淵之水夜礼花神が天之都度閇知泥神を娶って産んだ神で、布怒豆怒神の娘の布帝耳神を娶って天之冬衣神を産んでいる。

出雲国風土記には赤衾伊農意保須美比古佐和気能命という御子神がいるとされる。

長浜神社では八束水臣津野命と布帝耳神の子とされている。

龍岩神社

現在の祭神は八束水臣津野命。島根県邑智郡邑南町八色石にある神社。境内の由緒書きが興味深い。

八束水臣津野命あもりまし時、ひとりの姫神(御名は石見天豊足柄姫命)あらはれて、告げていはく、此国に八色石あり。山をから山となし、川を乾川となし、蛇と化けて、常に来て民をなやますと。命国蒼生の為に之を亡さやと、おもほして、姫神のたつきのまにまに、其所に到り、其石を二段に切たまへば、其首、飛去て邑智郡の龍石となり、其尾は裂て、這行美濃郡角石となる。是より国に禍なしとて、姫神いたく喜悦て、やがて吾庵にいざなひて種々にもてなしつ。かれ命いなみあへで庵にやどりて、夜明けて見たまへば、其姫編み忽然にかはりて、一の磐となりき。命訝しくおもほして、此はあやしきいばみつる哉と、のりたまひき、かれいはみといふ龍石といへるは、邑智郡に八色石村といふ駅ありて、その所の荘屋野田鹿作が家の上なる山に、八色の石のあなるを、やがて神体として祭れるなん龍石なりき。其祭れる事の基を聞くに、此石ともすれば、人に祟て、えならぬ。蒼生の嘆ともかくも、しのびがたかりしを、公にきこしめして、素佐鳴尊を祭りそへたまひしより、祟らずなりしとかや。三月三日祭日也。上ること八丁、岩の形よく観に、うへの蛇の頭の如し。山を下て、鳥居の前なる田中に一つの岩のあなるをば切まま時たばしりし血の、化れりし也といふ。また一丁上て川中に夫婦石とて、二つあなる、是も血の飛び散りて化りしと語伝たり。[4]

管理人が現代的に訳してみた。

八束水臣津野命が天から降りられた時、ひとりの姫神(御名は石見天豊足柄姫命)が現れて、告げられた。「此国に八色石という石があります。山を干山となし、川を乾川となしに化けて、いつもやってきては民を悩まします。」命は人々のためにこれを滅ぼそうと思い、姫神に案内させて八色石を2つに切った。すると、その首は飛び去って邑智郡の龍石となり、その尾は裂けて這っていき、美濃郡の角石となった。「これで国から災いがなくなりました。」と姫神はたいそう喜んで、命を館に誘いさまざまにもてなした。命が館に宿泊し、夜が明けてみると、姫神は岩と化していた。命はいぶかしく重い、「これは怪しいことだ。」と仰せられた。
龍石というのは、邑智郡に八色石村という駅があって、駅の荘屋・野田鹿作の家の裏山に、八色の石があったのを、神体として祀ったのが龍石である。その理由は、この石がともすれば人に祟って、よくなかったからだ。人々の嘆きが大きいので、役所が素佐鳴尊を添えて祀ったところ、祟りはなくなったとのことだ。三月三日が祭日である。山に上ること八丁、岩の形をよく見ると、蛇の頭のようである。山を下て、鳥居の前にある田中に一つの岩があるが、これは蛇を切って飛び散った血が、変化したものだという。また山に一丁上ると、川中に夫婦石とて、二つの石がある。是も血が飛び散って変化したものだと語り伝えている。

他に

神社裏にある龍の頭に似た巨岩は、八岐の大蛇が退治された際に飛んできた首が石になったもので、この石が八色に輝き害をもたらしたのを、八束水臣津野命が退治したと伝えられている。

という伝承もあるようである[5]

私的解説

石見天豊足柄姫命が「石に変じる」という設定の神話は、

という3つの神話が複合してできたものと考える。(詳細は石見天豊足柄姫命の項を参照のこと。)

私的解説

石見天豊足柄姫命の伝承は前述の通り、大きく分けて3つの伝承が融合しているものと考える。

その内、八束水臣津野命が関係するのは

という2つの伝承である。後者の方は、本物語でははっきりとは書かれず、「匂わせ」的な内容となっている。前半では、八束水臣津野命は、干ばつの神と戦い、女神を助ける黄帝型神なのだが、後半は須佐之男命に似た妻殺しの神となって祝融型神へと変貌してしまっている。これは何故なのだろうか。

殺された八束水臣津野命

管理人が思うに、この物語には暗に

というエピソードが含まれているのではないか、と思う。この場合、実は石見天豊足柄姫命と悪しき蛇神が夫婦で、かつ八束水臣津野命が彼らの親神だ、という設定になると思われる。石見天豊足柄姫命と悪しき蛇神が夫婦だったという名残は、川の中の「夫婦石」にあるように思う。石見天豊足柄姫命と八束水臣津野命が「父娘」だったという点は、石見天豊足柄姫命の名に「」という文字があって、犬女神だと思われることと、八束水臣津野命の息子神に犬神がおり、その名から八束水臣津野命も犬神だと推察されることから、八束水臣津野命の一家は「犬神」の一家であり、石見天豊足柄姫命もその一族ではないか、と思われる点である。

八束水臣津野命は、悪しき蛇神でかつ息子神である物を殺して、干ばつが起こる力を抑えこんだのだけれども、それはそれで、そのやり方に不満でもあったのか、娘女神は父親に対して殺意を抱いた、とでも言えば良いのだろうか。少なくとも神話作者にはそのような意図があったのかもしれないと思うのだ。

日本の神霊に対する概念として「非業の死を遂げた物は怨霊(祟り神)になる。」というものがある。八束水臣津野命石見天豊足柄姫命に殺されたので、怨霊となって逆に石見天豊足柄姫命を殺してしまったのではないだろうか。須佐之男命大宜都比売ではないけれども、女神のささいな行動を「害意あり」とみなしてしまったのではないか、とも思う。

その結果

1つには、八束水臣津野命が、悪しき災害神(怨霊)になって祟るので、これを鎮める祭祀が必要とされると考える。2つめには石見天豊足柄姫命も悪しき災害神(怨霊)になって祟るので、これもまた鎮める祭祀が必要とされるのではないだろうか。

祀る神社

  • 長浜神社(島根県出雲市西園町)
  • 富神社(島根県出雲市斐川町富村)
  • 諏訪神社(島根県出雲市別所町)
  • 國村神社(島根県出雲市多伎町久村)
  • 須多神社(島根県松江市東出雲町須田)
  • 佐比売山神社(島根県大田市鳥井町鳥井)
  • 龍岩神社(島根県邑智郡邑南町八色石)
  • 北居都神社(岡山県岡山市東区東平島)
  • 金持神社(鳥取県日野郡日野町金持)
  • 美濃夜神社(三重県津市芸濃町雲林院)

関連項目

外部リンク

脚注

  1. 國學院大学 古事記学センター 天之都度閇知泥神
  2. 新潮日本古典集成 古事記 付録・神名の釈義
  3. 『日本大百科全書』においても同一視している
  4. 龍岩神社、のりちゃんず(最終閲覧日:24-12-04)
  5. 龍岩神社、広島公式観光サイト(最終閲覧日:24-12-27)