「真名井御前」の版間の差分

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'''真名井御前'''とは、その名のとおり、[[豊受大神]]のことで、空海の守護女神から弟子へと伝承が変化したものではないかと考える。高野山の地主女神は丹生都姫なので、空海は女神に縁のあるっそんざいといえようか。空海のピンチを救った「玉手箱」は、本来'''真名井御前'''のものだったのではないだろうか。彼女は、龍蛇女神でもあったかもしれないと思う。
 
'''真名井御前'''とは、その名のとおり、[[豊受大神]]のことで、空海の守護女神から弟子へと伝承が変化したものではないかと考える。高野山の地主女神は丹生都姫なので、空海は女神に縁のあるっそんざいといえようか。空海のピンチを救った「玉手箱」は、本来'''真名井御前'''のものだったのではないだろうか。彼女は、龍蛇女神でもあったかもしれないと思う。
  
'''真名井御前'''が「浦島太郎」の娘とされる場合には、さしづめ、浦島太郎は[[伊邪那岐命]]で、真名井御前([[豊受大神]])は[[天照大御神]]になぞらえているのではないか、と考える。[[豊受大神]]には厄払いや雨乞いの女神の機能があり、それが空海に勝利をもたらす。彼女が海部氏の娘とも言われるのは、海部氏は
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'''真名井御前'''が「浦島太郎」の娘とされる場合には、さしづめ、浦島太郎は[[伊邪那岐命]]で、真名井御前([[豊受大神]])は[[天照大御神]]になぞらえているのではないか、と考える。[[豊受大神]]には'''厄払い'''や'''雨乞い'''の女神の機能があり、それが空海に勝利をもたらす。彼女が海部氏の娘とも言われるのは、海部氏は
  
浦島太郎と[[豊受大神]]の子孫
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[[豊受大神]]と浦島太郎と子孫
  
だという海部氏の主張でもあるのではないだろうか。
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だという海部氏の主張でもあるのではないだろうか。とすれば、[[豊受大神]]自身が乙姫といえる。
  
 
== 参考文献 ==
 
== 参考文献 ==

2024年12月10日 (火) 00:34時点における版

真名井御前(まないごぜん)とは、丹後一之宮・籠神社の宮司、海部氏の娘・厳子(いつこ)と言われる。他に、

  • 浦島太郎と同じ日下部氏
  • 浦島太郎の9世孫
  • 浦島太郎の娘

という説がある。丹後国余佐郡香河村(現在の京都府与謝郡与謝野町香河)出身で、生まれた時から体から芳しい香りがしており、その香りが川を伝わって遠くまで香っていたことから、そのあたりを「香河(かご)」と呼ぶようになった。幼名は小萩(こはぎ)といい。信心深く、特に如意輪観音を信仰していたという。

10歳の時に上京し、美人と評判で、彼女の発する芳香に魅かれ、一目見ようと多くの人々が押し寄せたが、小萩の顔を見た者は誰もいなかった。

淳和天皇が、まだ皇太子・大伴親王であった頃、夢のお告げにより、聖徳太子が開基した紫雲山頂法寺(通称「六角堂」。京都府京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町)で、20歳の小萩と出会い、小萩を第四妃に迎えた。小萩は、真名井御前と呼ばれた。(籠神社や神呪寺では、「真井御前」と表記。『丹後旧事記』には「与佐の宇屋居子(うやいこ)」と呼ばれたとある。)「真名井」とは、丹後国で豊受大神(伊勢神宮(外宮)のご祭神)を祀っている神社の社号である。

天長元年(824年)の有名な「興福寺(西寺とも)の守敏と東寺の空海の雨乞い対決」では、空海の名声を妬む守敏が、国中の龍神を瓶に閉じ込めたので、空海は雨を降らすことが出来ない状況だったが、天竺にいた善女龍王を呼び寄せて雨を降らせ、勝利した。

別伝では、浦島太郎の9世孫の真名井御前が、先祖伝来の玉手箱を空海に渡し、空海が呪文を唱えながら蓋をあけると、紫色の雲が湧き出て雨が降り、空海が勝利した。これで玉手箱の効果は消えてしまったが、翌天長2年(825年)に浦島太郎が現れ、新たな玉手箱を娘の真名井御前に手渡したという。

真名井御前は宮中から出奔した。甲山に草庵を結び、空海により出家、如意尼と称する。835年3月20日に遷化。翌日、高野山にて空海入定とのこと。

私的解説

真名井御前とは、その名のとおり、豊受大神のことで、空海の守護女神から弟子へと伝承が変化したものではないかと考える。高野山の地主女神は丹生都姫なので、空海は女神に縁のあるっそんざいといえようか。空海のピンチを救った「玉手箱」は、本来真名井御前のものだったのではないだろうか。彼女は、龍蛇女神でもあったかもしれないと思う。

真名井御前が「浦島太郎」の娘とされる場合には、さしづめ、浦島太郎は伊邪那岐命で、真名井御前(豊受大神)は天照大御神になぞらえているのではないか、と考える。豊受大神には厄払い雨乞いの女神の機能があり、それが空海に勝利をもたらす。彼女が海部氏の娘とも言われるのは、海部氏は

豊受大神と浦島太郎と子孫

だという海部氏の主張でもあるのではないだろうか。とすれば、豊受大神自身が乙姫といえる。

参考文献