「真名井御前」の版間の差分
ナビゲーションに移動
検索に移動
4行目: | 4行目: | ||
* 浦島太郎の娘 | * 浦島太郎の娘 | ||
という説がある。丹後国余佐郡香河村(現在の京都府与謝郡与謝野町香河)出身で、生まれた時から体から芳しい香りがしており、その香りが川を伝わって遠くまで香っていたことから、そのあたりを「香河(かご)」と呼ぶようになった。幼名は小萩(こはぎ)といい。信心深く、特に如意輪観音を信仰していたという。 | という説がある。丹後国余佐郡香河村(現在の京都府与謝郡与謝野町香河)出身で、生まれた時から体から芳しい香りがしており、その香りが川を伝わって遠くまで香っていたことから、そのあたりを「香河(かご)」と呼ぶようになった。幼名は小萩(こはぎ)といい。信心深く、特に如意輪観音を信仰していたという。 | ||
+ | |||
+ | 10歳の時に上京し、美人と評判で、彼女の発する芳香に魅かれ、一目見ようと多くの人々が押し寄せたが、小萩の顔を見た者は誰もいなかった。 | ||
2024年12月9日 (月) 21:26時点における版
真名井御前(まないごぜん)とは、丹後一之宮・籠神社の宮司、海部氏の娘・厳子(いつこ)と言われる。他に、
- 浦島太郎と同じ日下部氏
- 浦島太郎の9世孫
- 浦島太郎の娘
という説がある。丹後国余佐郡香河村(現在の京都府与謝郡与謝野町香河)出身で、生まれた時から体から芳しい香りがしており、その香りが川を伝わって遠くまで香っていたことから、そのあたりを「香河(かご)」と呼ぶようになった。幼名は小萩(こはぎ)といい。信心深く、特に如意輪観音を信仰していたという。
10歳の時に上京し、美人と評判で、彼女の発する芳香に魅かれ、一目見ようと多くの人々が押し寄せたが、小萩の顔を見た者は誰もいなかった。
10歳の折に京都頂法寺六角堂に入り、如意輪観音に帰依する。20歳の時に淳和天皇に見そめられて第四妃となるも、6年後に出奔。甲山に草庵を結び、空海により出家、如意尼と称する。835年3月20日に遷化。翌日、高野山にて空海入定。空海との間には師と弟子との関係以上のものがあるのではないかと憶測される。
参考文献
- 神呪寺、日本伝承大鑑(最終閲覧日:24-12-09)