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 管理人が興味を持った伝承(民話、伝説、神話)について纏めています。
 
 管理人が興味を持った伝承(民話、伝説、神話)について纏めています。
  
 外国のものは、主に英語版Wikipediaから興味を持った項目を翻訳しています。
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== 始めに ==
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 管理人は子供の頃から民話や神話を好んで読み、親しんできました。
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 そして、私の出身地である長野市信州新町には、「'''キジも鳴かずば'''」と「'''泉小太郎'''」という伝承があります。
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 泉小太郎は安曇野に伝わる民話と言われていますが、犀川という川の開拓伝承なので、松本市から長野市にかけての流域全体の伝承と言えます。信州新町も当然流域です。これは泉小太郎という若者が母親の竜神と犀川流域を開拓し、母は力尽きて死んでしまう、という物語です。母親は諏訪大明神の化身と言われています。
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 「キジも鳴かずば」は、この犀川に久米路橋をかける際に人身御供を立てた、という話です。久米路橋は古代にかけられた橋で、橋脚がない橋でした。同様の橋に山梨県甲府市の猿橋があり、こちらにも人身御供の伝承があります。久米路橋の方は、やむを得ず軽い犯罪を犯した者を、橋のための人身御供にしてしまった、という話です。
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 技術というものは、素晴らしいもので、大勢の人の役に立つものかもしれません。でも、技術ばかりを重んじて、そのために誰かを犠牲にしなければならない、ということは矛盾しているように思うのです。別に人身御供なんてなくたって、技術だけあればいいではありませんか。まるで、'''技術を口実にして人を殺すことを目的にしている'''みたいです。そして、色々な民話や伝承を読むと、怪物や悪者を含めて登場人物の誰かが死んでしまうような話がものすごく多いことに気がつきます。
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 なんで、殺伐とした都会でもない田舎に、誰かを犠牲にしなければならないかのような伝承ばかり目立つのだろう。どうして、各地の民話や神話は残酷な話が多いのだろう。その理由を知りたい、と思ったのが私の出発点かもしれません。
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2024年11月2日
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== おすすめのページ ==
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* [[天甕津日女命]]:賀茂系氏族の総母神ともいうべき女神と考える。たぶん元は太陽女神。
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* '''[[黄帝型神]]''':まずはここから。
  
== 日本の記紀神話について ==
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* [[御倉板舉神]]:最新の記事です。
 「日本の神話」を考えるにあたっての管理人の考え方です。
 
  
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== 参考文献 ==
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* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%B7 殷](最終閲覧日:24-10-09)
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* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BC%8E 鼎](最終閲覧日:24-10-09)
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* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A5%95%E9%A4%AE 饕餮](最終閲覧日:24-10-09)
  
 「古代日本」には、「'''弥生時代'''」というものがあり、「紀元前10世紀または紀元前5世紀、紀元前4世紀頃(後述)に、大陸から北部九州へと水稲耕作技術を中心とした生活体系へ移行し、九州・四国・本州に広がった。」とされています。それ以前は縄文時代、といって、少なくとも「水稲耕作が生活を支える基盤であった」という時代ではありませんでした。現在では縄文時代から農業は開始されていた、とされていますが、水稲耕作をメインにすると共に、それに伴う大規模な治水・灌漑工事、それなりに発達した農具といった技術も縄文時代の社会には未発達で、自然の地形をある程度変える技術、特に沼地を田に変えたり、山を開墾して棚田を作るような技術、治水の基本的な技術などは、大規模な水稲耕作が可能となるように弥生時代に中国大陸からもたらされたであろう、と考えます。
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2024年11月18日 (月) 15:04時点における最新版


 管理人が興味を持った伝承(民話、伝説、神話)について纏めています。

始めに[編集]

 管理人は子供の頃から民話や神話を好んで読み、親しんできました。

 そして、私の出身地である長野市信州新町には、「キジも鳴かずば」と「泉小太郎」という伝承があります。

 泉小太郎は安曇野に伝わる民話と言われていますが、犀川という川の開拓伝承なので、松本市から長野市にかけての流域全体の伝承と言えます。信州新町も当然流域です。これは泉小太郎という若者が母親の竜神と犀川流域を開拓し、母は力尽きて死んでしまう、という物語です。母親は諏訪大明神の化身と言われています。

 「キジも鳴かずば」は、この犀川に久米路橋をかける際に人身御供を立てた、という話です。久米路橋は古代にかけられた橋で、橋脚がない橋でした。同様の橋に山梨県甲府市の猿橋があり、こちらにも人身御供の伝承があります。久米路橋の方は、やむを得ず軽い犯罪を犯した者を、橋のための人身御供にしてしまった、という話です。


 技術というものは、素晴らしいもので、大勢の人の役に立つものかもしれません。でも、技術ばかりを重んじて、そのために誰かを犠牲にしなければならない、ということは矛盾しているように思うのです。別に人身御供なんてなくたって、技術だけあればいいではありませんか。まるで、技術を口実にして人を殺すことを目的にしているみたいです。そして、色々な民話や伝承を読むと、怪物や悪者を含めて登場人物の誰かが死んでしまうような話がものすごく多いことに気がつきます。

 なんで、殺伐とした都会でもない田舎に、誰かを犠牲にしなければならないかのような伝承ばかり目立つのだろう。どうして、各地の民話や神話は残酷な話が多いのだろう。その理由を知りたい、と思ったのが私の出発点かもしれません。

2024年11月2日

おすすめのページ[編集]

  • 天甕津日女命:賀茂系氏族の総母神ともいうべき女神と考える。たぶん元は太陽女神。
  • 黄帝型神:まずはここから。

参考文献[編集]

  • Wikipedia:(最終閲覧日:24-10-09)
  • Wikipedia:(最終閲覧日:24-10-09)
  • Wikipedia:饕餮(最終閲覧日:24-10-09)

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