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のちの時代、マルコ・ポーロの『東方見聞録』のマダガスカルに関する記述の中に、現地人がルク(ruc)と呼ぶ大きな鳥が登場する<ref>『完訳 東方見聞録 2』(2000)、322頁</ref>。彼はこれを[[グリフォン]]であるとし<ref>Le_Devisement_du_monde_(français_moderne)/Livre_3/Chapitre_40, Marco Polo, Le Devisement du monde, 3巻40章 , D’un très grand oiseau nommé ruc.</ref><ref>Le_Devisement_du_monde_-_Livre_3_-_33_à_42, Marco Polo, Le Devisement du monde(français moderne), 3巻33章, D’un grand oyseau, appellé Ruc.</ref><ref>Milione/186|author=Marco Polo, |Milione , 86章, DDell'isola di Madegascar</ref><ref>The_Travels_of_Marco_Polo/Book_3/Chapter_33, Marco Polo, The Travels of Marco Polo , 3巻33章, Concerning the Island of Madeigascar</ref>、その羽は元のハーンに届けられたという。また巨大な羽のかけらが中国から来た商人によってスペインにも持ち込まれている。その住処をマダガスカルで探そうとしたところ、ロック鳥の羽としてもたらされたものに形が非常によく似たラフィアヤシ(Raffia palm|Raffia palm)の巨大な葉があったという。また、アラブの旅行家イブン=バットゥータの旅行記<ref>تحفة النظار في غرائب الأمصار وعجائب الأسفار, ابن بطوطة</ref>にもその記述がある。 | のちの時代、マルコ・ポーロの『東方見聞録』のマダガスカルに関する記述の中に、現地人がルク(ruc)と呼ぶ大きな鳥が登場する<ref>『完訳 東方見聞録 2』(2000)、322頁</ref>。彼はこれを[[グリフォン]]であるとし<ref>Le_Devisement_du_monde_(français_moderne)/Livre_3/Chapitre_40, Marco Polo, Le Devisement du monde, 3巻40章 , D’un très grand oiseau nommé ruc.</ref><ref>Le_Devisement_du_monde_-_Livre_3_-_33_à_42, Marco Polo, Le Devisement du monde(français moderne), 3巻33章, D’un grand oyseau, appellé Ruc.</ref><ref>Milione/186|author=Marco Polo, |Milione , 86章, DDell'isola di Madegascar</ref><ref>The_Travels_of_Marco_Polo/Book_3/Chapter_33, Marco Polo, The Travels of Marco Polo , 3巻33章, Concerning the Island of Madeigascar</ref>、その羽は元のハーンに届けられたという。また巨大な羽のかけらが中国から来た商人によってスペインにも持ち込まれている。その住処をマダガスカルで探そうとしたところ、ロック鳥の羽としてもたらされたものに形が非常によく似たラフィアヤシ(Raffia palm|Raffia palm)の巨大な葉があったという。また、アラブの旅行家イブン=バットゥータの旅行記<ref>تحفة النظار في غرائب الأمصار وعجائب الأسفار, ابن بطوطة</ref>にもその記述がある。 | ||
− | + | 一番新しいものでは、16世紀にインド洋を訪れたイギリス人旅行者が目撃したという報告もある。<!-- アメリカ先住民族の伝説に登場するサンダーバードもロック鳥と関係があるとの説もある。こちらは今日に至っても目撃例がある。 --> | |
− | ロック鳥は、アラブ人のいう[[フェニックス]] | + | ロック鳥は、アラブ人のいう[[フェニックス]]とほとんど同じものである。またペルシャの伝説に登場する巨鳥、[[シームルグ]]とも近縁のものである。[[シームルグ]]は、フェルドウスィーの叙事詩『王書<ref>شاهنامه|author=آخر تغيير</ref>』の中では英雄ザールの養父であり、彼の子のロスタムを援助したりしている。 |
− | + | 古代イランまでさかのぼると、万物の種を生むという神話上の木から熟した果実を振り落としたという不死鳥、アムルゼス(amrzs)の伝説を見つけることができる。インドには、鳥の王であり、ヴィシュヌ神が乗る[[ガル-ダ]]の伝説がある。パーレビ王朝時代のこのインドの伝説の翻訳では、[[ガルーダ]]が[[シームルグ]]に置き換えられている。 | |
− | == | + | == 西方への伝播 == |
− | + | トゥデラのラビ・ベンヤミン<ref>ユダヤ人のラビ。イベリア半島北部のナバラ王国トゥデラに生まれ、1165年から1173年に地中海周辺地域、西アジア、アフリカ北部を訪れ、カスティーリャ王国で没した。1130頃-1173。</ref>は、砂漠の島で難破した船乗りが牛皮で身を包み、[[グリフィン]]に家畜のように運ばせて脱出したという、ロックを連想させる話を伝えている<ref>M. Komroff, ''Contemporaries of Marco Polo'' 1928:311f.</ref>。 | |
− | + | 13世紀、マルコ・ポーロは次のように述べている(アッテンボロー(Attenborough)(1961: 32)より引用)。 | |
− | + | <blockquote>ロック鳥は鷲のようなものだが、実に巨大で、羽の長さと太さが12ペース<ref>1pace≓75ccm</ref>もある。この鳥はとても強く、象を爪で捕まえて空高く舞い上げ、落として粉々にして象を殺した後、舞降り、悠々と食べてしまう。</blockquote> | |
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− | + | ポーロは、ロック鳥が「南の地域から」マダガスカルに飛来し、大ハーンが使者を送って羽(ラフィアの葉のようだ)を持って戻ってきたと述べた<ref name="ley196608">Ley , Willy , August 1966 , Scherazade's Island , For Your Information , https://archive.org/stream/Galaxy_v24n06_1966-08#page/n45/mode/2up , Galaxy Science Fiction , pages45–55</ref>。ポーロは、この鳥を[[グリフィン]]と明確に区別している。 | |
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− | + | 『アラビアンナイト』では、シンドバッドの2回目の航海の途中、熱帯の島にロック鳥が出現する。ポーロの記述から、この島がマダガスカル島であることがわかり、他の巨大鳥の話も出てくるようになった<ref>ley196608</ref>。マゼランの仲間であったアントニオ・ピガフェッタ<ref>イタリア人の航海者。1491-1534年。</ref>は、ポーロの記述に触発されて、地球一周の航海の記録を刺繍にしたり、ゴーストライターを務めたりしていたようだが、彼の記録<ref>Or the Italian version in Giovanni Battista Ramusio|Ramusio's ''Delle navigationi et viaggi'', mentioned in Rudolf Wittkower, "'Roc': An Eastern Prodigy in a Dutch Engraving" ''Journal of the Warburg Institute'' '''1'''.3 (January 1938:255–257) p 255</ref>によると、ロック鳥の故郷は中国の海だった。1590年頃のストラダヌス<ref>イタリアの画家。1523-1605年。</ref>や1594年のテオドール・デ・ブライは、ロック鳥の爪で象が運ばれる様子を描いたり<ref>An engraving after Stradanus is reproduced in Wittkower 1938:fig 33c.</ref>、「船乗りシンドバッド」の第5航海で巨大な卵を破壊された復讐にロック鳥が船を破壊する様子を描いたりして、後の絵師の想像力をかきたてた。ウリッセ・アルドロヴァンディ<ref>イタリアの博物学者。1522-1605年</ref>の『Ornithologia』(1599)には、やや豚に似た象を爪に持つロック鳥の木版画が掲載されているが<ref>Illustrated in Wittkower 1938:33, fig. b.</ref>、17世紀の合理的な世界では、ロック鳥はより批判的に評価された。 | |
− | == | + | == 合理化 == |
− | + | 19世紀の科学文化は、ロック鳥の神話の起源は、生まれたばかりの子羊を運び去ることがしばしば目撃される、鷲の能力を誇張したものではないかとし、神話の起源に対するいくつかの「科学的」合理的な推論を示した。1863年、ビアンコーニはロック鳥が猛禽類であることを示唆した(Hawkins and Goodman, 2003: 1031)。最近、マダガスカルで発見された巨大な半化石マダガスカル冠鷲は、かつてオオキツネザルやコビトカバといった大型動物が存在していたこの島の鳥類捕食者の頂点に君臨していた<ref>Goodman, 1994</ref>。 | |
+ | この神話のもう一つの起源は、16世紀までに絶滅したマダガスカルの鳥、アエピオルニス象鳥の卵であり、この鳥は高さ3メートルで飛べない巨大な鳥であったとされる点である<ref>The Eighth Continent , https://archive.org/details/eighthcontinent00pete , registration , Tyson, Peter , 2000 , New York , 138–139</ref>。少なくとも民間の記憶では、1658年にエティエンヌ・ド・フラクールが書いたように、象鳥が目撃されたことが報告されている<ref>ey196608</ref>。1456年に出版されたフラ・マウロの世界地図のキャプションによると、ロック鳥は「象やその他の大きな動物を運び去る」とあり、喜望峰に向かう船乗りがロック鳥の卵を見つけた1420年には、その卵は生きているか半化石化されていると考えられていた<ref>Science and Civilisation in China , Needham , Joseph , Cambridge University Press , 1971 , isbn:9780521070607 , pages501</ref><ref>The Life of Prince Henry of Portugal Surnamed the Navigator, and Its Results, Comprising the Discovery, Within One Century, of Half the World ... from Authentic Contemporary Documents , Major , Richard Henry , Biblioteca Nacional de Austria – Asher (Editor) , 1868 , pages311</ref>。1830年から1840年にかけてマダガスカルを訪れたヨーロッパ人は、巨大な卵や卵の殻を見たそうである。イギリス人は、ニュージーランドのモアの存在を知っていたため、彼らの証言をより信じることができた。1851年、フランス科学アカデミーは3つの卵を受け取った。これらの卵とその後発見された化石は、19世紀のヨーロッパ人に''アエピオルニス象鳥''がロック鳥であると判断させたようだが、実際にはアエピオルニス象鳥はロック鳥と言われるように鷲に似ているわけではなかった<ref>ley196608</ref>。 | ||
− | + | また、アフリカのダチョウが飛べないこと、珍しい外見からもっと大きな種のヒナと間違われたことから、ロックの存在が仮定されたという合理的な説もある。しかし、聖書の時代には旧約聖書の翻訳によって、ダチョウがヨーロッパ人に知られていたという説もある<ref>|url=http://www.biblestudytools.com/job/passage/?q=job+39:13-18 , Job 39:13-18 - "The wings of the ostrich flap joyfully, though...NIV , Bible Study Tools</ref><ref>September 2016</ref>。一方、中世の北欧やインドの旅行者は、ダチョウの話に直面しても、それが何であるかを認識できなかったかもしれない(ヨーロッパにおけるゾウの歴史と比較)<sup>(''要出典'')</sup>。 | |
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− | + | 1298年のポーロのロック鳥に関する記述のほか、周去非(Zhōu Qùfēi)は1178年の著書『霊鷲大陀』で、アフリカ沖の大きな島には、羽を貯水池として使えるほど大きな鳥がいると述べている<ref>In Search of the Red Slave , Pearson & Godden , 2002 , isbn:0750929383 , pages121</ref>。ラフィア椰子の葉は、ロック鳥の羽という名目でクビライ・ハーンの元に持ち込まれた可能性がある<ref>Yule's ''Marco Polo'', bk. iii. ch. 33, and ''Academy'', 1884, No. 620.</ref><ref>Attenborough, D. (1961). ''Zoo Quest to Madagascar''. Lutterworth Press, London. p.32-33.</ref>。 | |
− | + | 最近の学者<sup>(''誰?'')</sup>の中には、伝説のロック鳥をニュージーランドのハーストワシと比較する人もいる。体長1.4m、翼を広げると3mもあり、15世紀頃に絶滅したが、おそらくマオリの''テ・ホキオイ''(Te Hokioi)または''テ・ハカワイ''(Te Hakawai)の伝説に影響を与えたと思われる<ref>http://nzbirds.com/birds/haasteagle.html , New Zealand Birds , 2010-07-09</ref>。テ・ハカワイは色鮮やかな巨大な鳥で、時折地上に降りてきては人間を食べていたが、普段は人知れず雲の中で暮らしていた、という伝説がある。名前の由来となった鳴き声が聞こえるのみである。確かに''ホキオイ''は、ロック鳥がそうであったように、実在の動物をモチーフにした複合神話獣であるように思われる。1980年代には、夜行性の小さな渉禽類であるシギのオスが、交尾の際に尾で予想外に大きな轟音を立てることが発見された<ref>Miskelly (1987), Galbreath & Miskelly (1988)</ref>。''ホキオイ''の色彩は、既知のどの鳥とも一致せず、一般に猛禽類としては極めて異例であると思われる。このように、''ホキオイ''の音はシギの不気味な「太鼓の音」であったと思われるので、先祖が先人からの伝承として知っていた大鷲の話も同様に説明される。 | |
− | == | + | == 宗教的伝統 == |
− | === | + | === マイケル・ドレイトン(Michael Drayton) === |
− | + | 16世紀には、ロック鳥の存在はヨーロッパ人に受け入れられるようになった。 1604年、マイケル・ドレイトン<ref>イギリスの詩人。1563-1631年</ref>は、ロック鳥をノアの方舟に乗せようと考えた。: | |
− | <blockquote>< | + | <blockquote>羽の生えたものがすべて、人に知られているわけではない。 |
− | + | 巨大なロック鳥から、小さなミソサザイまで。<br /> | |
− | + | 森から、野原から、川から、そして橋から。<br /> | |
− | + | 巣を持つもの、または足の生えたもの。<br /> | |
− | + | グランドアークへ、共に仲良くやってきた。 | |
− | + | その種類は数え切れないほどだった。<ref>The works of Michael Drayton , Drayton , Michael , Blackwell , 1961 , 3 , Oxford , pages338</ref></blockquote> | |
− | === | + | === エチオピア === |
− | + | エチオピアの聖典『ケブラ・ネガスト』には、ソロモンの神殿を完成させるために、祝福の木片をソロモンに渡したのはロック鳥であると記されている。また、祝福の木片はシバの女王の足をヤギから人間に変えたと言われている。そのため、ロック鳥が持ってきた木片が置かれた場所は、神殿の中で名誉ある場所とされ、銀の輪で飾られた。この銀の輪は、イエスを裏切った代償としてイスカリオテのユダに渡され、祝福のの木片がイエスの十字架になったと伝えられている。 | |
− | == | + | == 関連項目 == |
− | * [[ | + | * [[カフ山]] |
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− | + | == 参考文献 == | |
− | == | + | * Wikipedia:[https://en.wikipedia.org/wiki/Roc_(mythology) Roc (mythology)](最終閲覧日:22-05-05) |
− | : | + | ** ロックの伝説については、エドワード・レーンの『アラビアンナイト』第20章、注22、62を参照のこと。 |
− | * | + | *** Bochart, Samuel, ''Hierozoicon'', vi.14 |
− | * | + | *** Damfri, I. 414, ii. 177 seq. |
− | * | + | *** Flacourt, E. de (1658). ''Histoire de la grande île de Madagascar''. Paris. New edition 2007, with Allibert C. notes and presentation, Paris, Karthala ed. 712 pages |
− | * | + | *** Goodman, Steven M. (1994). "Description of a new species of subfossil eagle from Madagascar: ''Stephanoaetus'' (Aves: Falconiformes) from the deposits of Amphasambazimba," ''Proceedings of the Biological Society of Washington'', '''107''': 421–428. |
− | * | + | *** Galbreath, Ross & Miskelly, Colin M. (1988): The Hakawai. ''Notornis'' '''35'''(3): 215–216. [http://www.notornis.org.nz/free_issues/Notornis_35-1988/Notornis_35_3.pdf PDF fulltext] |
− | * | + | *** Miskelly, Colin M. (1987): The identity of the hakawai. ''Notornis'' '''34'''(2): 95–116. [https://web.archive.org/web/20090325235703/http://www.notornis.org.nz/free_issues/Notornis_34-1987/Notornis_34_2.pdf PDF fulltext] |
− | * | + | *** Hawkins, A.F.A. & Goodman, S.M. (2003) ''in'' Goodman, S.M. & Benstead, J.P. (eds.): ''The Natural History of Madagascar'': 1019–1044. University of Chicago Press. |
− | * | + | *** Ibn Batuta, iv. 305ff |
− | * | + | *** Kazwini, i. ~I9 seq. |
− | * | + | *** Pearson, Mike Parker & Godden, K. (2002). ''In search of the Red Slave: Shipwreck and Captivity in Madagascar''. Sutton Publishing, Stroud, Gloucestershire. |
− | * | + | *** Friedrich Spiegel, ''Eranische Alterthumskunde'', ii. 118. |
− | * Yule, Heny | + | *** Yule, Heny<sup>''要出典:August 2010''</sup> as above. <!-- probably "Yule's Marco Polo, bk. iii. ch. 33" --> |
− | *Allibert C., Le monde austronésien et la civilisation du bambou: une plume qui pèse lourd: l'oiseau Rokh des auteurs arabes, in Taloha 11, Antananarivo, Institut de Civilisations, Musée d'Art et d'Archéologie, 1992: 167–181 | + | *** Allibert C., Le monde austronésien et la civilisation du bambou: une plume qui pèse lourd: l'oiseau Rokh des auteurs arabes, in Taloha 11, Antananarivo, Institut de Civilisations, Musée d'Art et d'Archéologie, 1992: 167–181 |
− | + | ** Al-Rawi, Ahmed. "A Linguistic and Literary Examination of the Rukh Bird in Arab Culture." Al-'Arabiyya 50 (2017): 105–17. www.jstor.org/stable/26451398. | |
− | + | * Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E9%B3%A5 ロック鳥](最終閲覧日:22-05-05) | |
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− | * Al-Rawi, Ahmed. "A Linguistic and Literary Examination of the Rukh Bird in Arab Culture." Al-'Arabiyya 50 (2017): 105–17. www.jstor.org/stable/26451398. | ||
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2022年5月5日 (木) 07:58時点における最新版
ロック鳥(roc)は、中東の神話に登場する伝説の巨大な猛禽類である。
ロック鳥はアラブの地理学や博物学に登場し、アラブの童話や船乗りの民話として親しまれてきた。イブン・バットゥータ[1]は、中国海域の上空に山が浮かんでいることを伝え、それがロック鳥であったとしている[2]。物語集である『千夜一夜物語』には、「アブド・アル・ラーマン」と「船乗りシンドバッド」でロック鳥が登場する。
語源[編集]
英語のロック(roc)は、アントワーヌ・ガラン(Antoine Galland)[3]のフランス語を経て、アラビア語のruḵḵ( Arabic: الرُخّ, ローマ字表記: ar-ruḫḫ)とペルシア語のruḵ(ペルシア語発音:[/rux/] )に由来する[4]。アラビア語、ペルシア語ともに、アラビア文字で「رخ」と表記される。一般的なローマ字表記は、アラビア語ではruḵḵ、ペルシア語ではruḵ, [4]rokh または rukh である。似ているようで、逆に主張されることもあるが、英語のrookとは関係ない言葉である。
東洋起源[編集]
美術史家のルドルフ・ウィットカウアー(Rudolf Wittkower)[5]によれば、ロック鳥の概念は、インドの太陽鳥ガルーダ[6]と神話の大蛇ナーガとの戦いの物語に起源を持つという。ガルーダがワニと戦っている象を倒すという神話は、『マハーバーラタ』(I.1353)と『ラーマーヤナ』(III.39)という二つのサンスクリット叙事詩に登場している。
伝説の起源は不明だが、8世紀初期にアラブ人が書いたものによると実在する鳥類がもとになった可能性があり、マルコ・ポーロの口述とされる『東方見聞録』にはマダガスカルにいたと記述されることから、同島に17世紀ごろまで生息していたゾウのように巨大な地上性の鳥であったエピオルニスを始め、近世までに絶滅してしまった大型の鳥類などが誇張されたとも考えられる。また、ユーラシア大陸南西部やアフリカ大陸北部の山地に生息するヒゲワシがそのモデルであるともされる[7]。
ロック鳥の伝説は、イスラム世界やアジアでは広く伝わっていた。
のちの時代、マルコ・ポーロの『東方見聞録』のマダガスカルに関する記述の中に、現地人がルク(ruc)と呼ぶ大きな鳥が登場する[8]。彼はこれをグリフォンであるとし[9][10][11][12]、その羽は元のハーンに届けられたという。また巨大な羽のかけらが中国から来た商人によってスペインにも持ち込まれている。その住処をマダガスカルで探そうとしたところ、ロック鳥の羽としてもたらされたものに形が非常によく似たラフィアヤシ(Raffia palm|Raffia palm)の巨大な葉があったという。また、アラブの旅行家イブン=バットゥータの旅行記[13]にもその記述がある。
一番新しいものでは、16世紀にインド洋を訪れたイギリス人旅行者が目撃したという報告もある。
ロック鳥は、アラブ人のいうフェニックスとほとんど同じものである。またペルシャの伝説に登場する巨鳥、シームルグとも近縁のものである。シームルグは、フェルドウスィーの叙事詩『王書[14]』の中では英雄ザールの養父であり、彼の子のロスタムを援助したりしている。
古代イランまでさかのぼると、万物の種を生むという神話上の木から熟した果実を振り落としたという不死鳥、アムルゼス(amrzs)の伝説を見つけることができる。インドには、鳥の王であり、ヴィシュヌ神が乗るガル-ダの伝説がある。パーレビ王朝時代のこのインドの伝説の翻訳では、ガルーダがシームルグに置き換えられている。
西方への伝播[編集]
トゥデラのラビ・ベンヤミン[15]は、砂漠の島で難破した船乗りが牛皮で身を包み、グリフィンに家畜のように運ばせて脱出したという、ロックを連想させる話を伝えている[16]。
13世紀、マルコ・ポーロは次のように述べている(アッテンボロー(Attenborough)(1961: 32)より引用)。
ロック鳥は鷲のようなものだが、実に巨大で、羽の長さと太さが12ペース[17]もある。この鳥はとても強く、象を爪で捕まえて空高く舞い上げ、落として粉々にして象を殺した後、舞降り、悠々と食べてしまう。
ポーロは、ロック鳥が「南の地域から」マダガスカルに飛来し、大ハーンが使者を送って羽(ラフィアの葉のようだ)を持って戻ってきたと述べた[18]。ポーロは、この鳥をグリフィンと明確に区別している。
『アラビアンナイト』では、シンドバッドの2回目の航海の途中、熱帯の島にロック鳥が出現する。ポーロの記述から、この島がマダガスカル島であることがわかり、他の巨大鳥の話も出てくるようになった[19]。マゼランの仲間であったアントニオ・ピガフェッタ[20]は、ポーロの記述に触発されて、地球一周の航海の記録を刺繍にしたり、ゴーストライターを務めたりしていたようだが、彼の記録[21]によると、ロック鳥の故郷は中国の海だった。1590年頃のストラダヌス[22]や1594年のテオドール・デ・ブライは、ロック鳥の爪で象が運ばれる様子を描いたり[23]、「船乗りシンドバッド」の第5航海で巨大な卵を破壊された復讐にロック鳥が船を破壊する様子を描いたりして、後の絵師の想像力をかきたてた。ウリッセ・アルドロヴァンディ[24]の『Ornithologia』(1599)には、やや豚に似た象を爪に持つロック鳥の木版画が掲載されているが[25]、17世紀の合理的な世界では、ロック鳥はより批判的に評価された。
合理化[編集]
19世紀の科学文化は、ロック鳥の神話の起源は、生まれたばかりの子羊を運び去ることがしばしば目撃される、鷲の能力を誇張したものではないかとし、神話の起源に対するいくつかの「科学的」合理的な推論を示した。1863年、ビアンコーニはロック鳥が猛禽類であることを示唆した(Hawkins and Goodman, 2003: 1031)。最近、マダガスカルで発見された巨大な半化石マダガスカル冠鷲は、かつてオオキツネザルやコビトカバといった大型動物が存在していたこの島の鳥類捕食者の頂点に君臨していた[26]。
この神話のもう一つの起源は、16世紀までに絶滅したマダガスカルの鳥、アエピオルニス象鳥の卵であり、この鳥は高さ3メートルで飛べない巨大な鳥であったとされる点である[27]。少なくとも民間の記憶では、1658年にエティエンヌ・ド・フラクールが書いたように、象鳥が目撃されたことが報告されている[28]。1456年に出版されたフラ・マウロの世界地図のキャプションによると、ロック鳥は「象やその他の大きな動物を運び去る」とあり、喜望峰に向かう船乗りがロック鳥の卵を見つけた1420年には、その卵は生きているか半化石化されていると考えられていた[29][30]。1830年から1840年にかけてマダガスカルを訪れたヨーロッパ人は、巨大な卵や卵の殻を見たそうである。イギリス人は、ニュージーランドのモアの存在を知っていたため、彼らの証言をより信じることができた。1851年、フランス科学アカデミーは3つの卵を受け取った。これらの卵とその後発見された化石は、19世紀のヨーロッパ人にアエピオルニス象鳥がロック鳥であると判断させたようだが、実際にはアエピオルニス象鳥はロック鳥と言われるように鷲に似ているわけではなかった[31]。
また、アフリカのダチョウが飛べないこと、珍しい外見からもっと大きな種のヒナと間違われたことから、ロックの存在が仮定されたという合理的な説もある。しかし、聖書の時代には旧約聖書の翻訳によって、ダチョウがヨーロッパ人に知られていたという説もある[32][33]。一方、中世の北欧やインドの旅行者は、ダチョウの話に直面しても、それが何であるかを認識できなかったかもしれない(ヨーロッパにおけるゾウの歴史と比較)(要出典)。
1298年のポーロのロック鳥に関する記述のほか、周去非(Zhōu Qùfēi)は1178年の著書『霊鷲大陀』で、アフリカ沖の大きな島には、羽を貯水池として使えるほど大きな鳥がいると述べている[34]。ラフィア椰子の葉は、ロック鳥の羽という名目でクビライ・ハーンの元に持ち込まれた可能性がある[35][36]。
最近の学者(誰?)の中には、伝説のロック鳥をニュージーランドのハーストワシと比較する人もいる。体長1.4m、翼を広げると3mもあり、15世紀頃に絶滅したが、おそらくマオリのテ・ホキオイ(Te Hokioi)またはテ・ハカワイ(Te Hakawai)の伝説に影響を与えたと思われる[37]。テ・ハカワイは色鮮やかな巨大な鳥で、時折地上に降りてきては人間を食べていたが、普段は人知れず雲の中で暮らしていた、という伝説がある。名前の由来となった鳴き声が聞こえるのみである。確かにホキオイは、ロック鳥がそうであったように、実在の動物をモチーフにした複合神話獣であるように思われる。1980年代には、夜行性の小さな渉禽類であるシギのオスが、交尾の際に尾で予想外に大きな轟音を立てることが発見された[38]。ホキオイの色彩は、既知のどの鳥とも一致せず、一般に猛禽類としては極めて異例であると思われる。このように、ホキオイの音はシギの不気味な「太鼓の音」であったと思われるので、先祖が先人からの伝承として知っていた大鷲の話も同様に説明される。
宗教的伝統[編集]
マイケル・ドレイトン(Michael Drayton)[編集]
16世紀には、ロック鳥の存在はヨーロッパ人に受け入れられるようになった。 1604年、マイケル・ドレイトン[39]は、ロック鳥をノアの方舟に乗せようと考えた。:
羽の生えたものがすべて、人に知られているわけではない。
巨大なロック鳥から、小さなミソサザイまで。
森から、野原から、川から、そして橋から。
巣を持つもの、または足の生えたもの。
グランドアークへ、共に仲良くやってきた。その種類は数え切れないほどだった。[40]
エチオピア[編集]
エチオピアの聖典『ケブラ・ネガスト』には、ソロモンの神殿を完成させるために、祝福の木片をソロモンに渡したのはロック鳥であると記されている。また、祝福の木片はシバの女王の足をヤギから人間に変えたと言われている。そのため、ロック鳥が持ってきた木片が置かれた場所は、神殿の中で名誉ある場所とされ、銀の輪で飾られた。この銀の輪は、イエスを裏切った代償としてイスカリオテのユダに渡され、祝福のの木片がイエスの十字架になったと伝えられている。
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- Wikipedia:Roc (mythology)(最終閲覧日:22-05-05)
- ロックの伝説については、エドワード・レーンの『アラビアンナイト』第20章、注22、62を参照のこと。
- Bochart, Samuel, Hierozoicon, vi.14
- Damfri, I. 414, ii. 177 seq.
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- Al-Rawi, Ahmed. "A Linguistic and Literary Examination of the Rukh Bird in Arab Culture." Al-'Arabiyya 50 (2017): 105–17. www.jstor.org/stable/26451398.
- ロックの伝説については、エドワード・レーンの『アラビアンナイト』第20章、注22、62を参照のこと。
- Wikipedia:ロック鳥(最終閲覧日:22-05-05)
参照[編集]
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- ↑ Noted in Yule-Cordier, Cathay and the Way Thither IV (1916:146), noted by Wittkower 1938.
- ↑ 『千夜一夜物語』をはじめて翻訳してヨーロッパに紹介した。1646-1715年。
- ↑ 4.0 4.1 roc /[phonetic transcription]/ n. Also (earlier) ✝roche, ✝rock, ✝ruc(k), ✝rukh. L16 [Sp. rocho, ruc f. Arab. ruḵḵ, f. Pers. ruḵ.] A mythical bird of Eastern legend, imagined as being of enormous size and strength (The New Shorter Oxford English Dictionary, Clarendon Press, Oxford, Volume 2 N-Z, 1993 edition, page 2614)
- ↑ ドイツの美術史家。1901-1971。
- ↑ Wittkower noted the identification of the roc and Garuda made in Kalipadra Mitra, "The bird and serpent myth", The Quarterly Journal of the Mythic Society (Bangalore) 16 1925–26:189.
- ↑ 斉藤ヒロコ , 伝説の翼 #32ロック鳥 roc , 2014-08 , 文一総合出版 , BIRDER , 28 , 8 , page65
- ↑ 『完訳 東方見聞録 2』(2000)、322頁
- ↑ Le_Devisement_du_monde_(français_moderne)/Livre_3/Chapitre_40, Marco Polo, Le Devisement du monde, 3巻40章 , D’un très grand oiseau nommé ruc.
- ↑ Le_Devisement_du_monde_-_Livre_3_-_33_à_42, Marco Polo, Le Devisement du monde(français moderne), 3巻33章, D’un grand oyseau, appellé Ruc.
- ↑ Milione/186|author=Marco Polo, |Milione , 86章, DDell'isola di Madegascar
- ↑ The_Travels_of_Marco_Polo/Book_3/Chapter_33, Marco Polo, The Travels of Marco Polo , 3巻33章, Concerning the Island of Madeigascar
- ↑ تحفة النظار في غرائب الأمصار وعجائب الأسفار, ابن بطوطة
- ↑ شاهنامه|author=آخر تغيير
- ↑ ユダヤ人のラビ。イベリア半島北部のナバラ王国トゥデラに生まれ、1165年から1173年に地中海周辺地域、西アジア、アフリカ北部を訪れ、カスティーリャ王国で没した。1130頃-1173。
- ↑ M. Komroff, Contemporaries of Marco Polo 1928:311f.
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- ↑ イタリアの画家。1523-1605年。
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