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== 外見 ==
 
== 外見 ==
体格は[[子供]]のようで、全身は緑色または赤色。頭頂部に[[皿]]があることが多い。皿は円形の平滑な無毛部で、いつも水で濡れており、皿が乾いたり割れたりすると力を失う、または死ぬとされる。[[口]]は短い[[嘴]]で、背中には[[カメ|亀]]のような[[甲羅]]が、手足には[[水掻き]]があるとする場合が多く、[[肛門]]が3つあるとも言われる。[[体臭]]は生臭く、姿は[[サル|猿]]や[[カワウソ]]のようと表現されることもある。
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体格は子供のようで、全身は緑色または赤色。頭頂部に皿があることが多い。皿は円形の平滑な無毛部で、いつも水で濡れており、皿が乾いたり割れたりすると力を失う、または死ぬとされる。口は短い嘴で、背中には亀のような甲羅が、手足には水掻きがあるとする場合が多く、肛門が3つあるとも言われる。体臭は生臭く、姿は猿やカワウソのようと表現されることもある。
  
両[[腕]]は体内で繋がっており、片方の腕を引っ張るともう片方の腕が縮み、そのまま抜けてしまうこともあるとされ、これは、[[中国]]の[[サル#伝承や事物|サル妖怪]]で、同様に両腕が体内で繋がっていると言われる「通臂猿猴」の特徴と共通している。
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両腕は体内で繋がっており、片方の腕を引っ張るともう片方の腕が縮み、そのまま抜けてしまうこともあるとされ、これは、中国のサル妖怪で、同様に両腕が体内で繋がっていると言われる「通臂猿猴」の特徴と共通している<ref>新訂 妖怪談義、柳田国男、角川ソフィア文庫、2013年、101p</ref>。
  
18世紀以前の[[本草学]]・[[博物学]]書上における河童のイメージは[[両生類]]的ではなかった{{sfn|香川|2014|pp=55-60}}。例えば、[[文安]]元年([[1444年]])に成立した『[[下学集]]』には「[[獺]](カワウソ)老いて河童(カワロウ)に成る」とある。また、『[[日葡辞書]]』の「カワラゥ」の項では、川に棲む猿に似た獣の一種と説明されている。18世紀半ばに、山がなく猿に馴染みのない[[江戸]]の人びとに受容しやすい、[[カエル]]や[[スッポン]]に似せた両生類的な江戸型の河童のモデルが生まれ、19世紀には出版物を通じて全国に伝播し、置き換えられていった{{sfn|香川|2014|pp=60-69}}と考えられている。
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18世紀以前の本草学・博物学書上における河童のイメージは両生類的ではなかった<ref>香川, 2014, pp=55-60</ref>。例えば、文安元年(1444年)に成立した『下学集』には「獺(カワウソ)老いて河童(カワロウ)に成る」とある。また、『日葡辞書』の「カワラゥ」の項では、川に棲む猿に似た獣の一種と説明されている。18世紀半ばに、山がなく猿に馴染みのない江戸の人びとに受容しやすい、カエルやスッポンに似せた両生類的な江戸型の河童のモデルが生まれ、19世紀には出版物を通じて全国に伝播し、置き換えられていった<ref>香川, 2014, pp=60-69</ref>と考えられている。
  
 
=== 亀人形態 ===
 
=== 亀人形態 ===
体は[[ウロコ]]で覆われ、嘴があり、頭には皿を乗せている。頭の皿が割れると死ぬ、または力を失い衰弱する。背中に甲羅があり手足に水掻きがある。絵画では、[[親指]]がない、[[爬虫類]]状の手をした姿で描かれることが多い。亀のように四本足で歩く絵も見受けられる。
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体はウロコで覆われ、嘴があり、頭には皿を乗せている。頭の皿が割れると死ぬ、または力を失い衰弱する。背中に甲羅があり手足に水掻きがある。絵画では、親指がない、爬虫類状の手をした姿で描かれることが多い。亀のように四本足で歩く絵も見受けられる。
  
絵の題材にされることは多いが、[[キュウリ]]が好物という以外には、具体的に何をしたという特徴もない。一般的な河童の想像図に近い反面、目撃談は意外に少ない。
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絵の題材にされることは多いが、キュウリが好物という以外には、具体的に何をしたという特徴もない。一般的な河童の想像図に近い反面、目撃談は意外に少ない。
  
 
=== 類人猿形態 ===
 
=== 類人猿形態 ===
全身が[[体毛|毛]]に覆われている。口には[[牙]]があり、[[鼻]]の造形がはっきりしない。頭部にはくぼみがあり、そこに常に[[水]]を溜めている。頭部の水が乾くと死ぬ、または衰弱する。手には親指があり、足には[[かかと]]がある。相撲が得意でよく人間の子供と遊ぶ。
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全身が毛に覆われている。口には牙があり、鼻の造形がはっきりしない。頭部にはくぼみがあり、そこに常に水を溜めている。頭部の水が乾くと死ぬ、または衰弱する。手には親指があり、足にはかかとがある。相撲が得意でよく人間の子供と遊ぶ。
  
 
存在する河童絵の3割程度は猿型だが、中には背中の甲羅が書かれていないものもある。
 
存在する河童絵の3割程度は猿型だが、中には背中の甲羅が書かれていないものもある。
  
[[北海道]]の[[ミントゥチ]]が[[アイヌ]]の古い伝承しかないのに対し、[[九州]]本土や[[五島列島]]、[[沖縄県|沖縄]]などでは近世・近代の目撃が非常に多い。
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北海道のミントゥチがアイヌの古い伝承しかないのに対し、九州本土や五島列島、沖縄などでは近世・近代の目撃が非常に多い。
  
昭和以降の目撃談にある「遠目には人間に見えた」とする印象に近く、甲羅を[[紐]]で結んでいる絵も多く見受けられるので、甲羅様の道具を[[蓑]]のように使っている人間であるとも考えられている。ごくまれに、甲羅でなく[[蓑]]のようなものに背中を覆われている絵もある。
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昭和以降の目撃談にある「遠目には人間に見えた」とする印象に近く、甲羅を紐で結んでいる絵も多く見受けられるので、甲羅様の道具を蓑のように使っている人間であるとも考えられている。ごくまれに、甲羅でなく蓑のようなものに背中を覆われている絵もあ
  
九州では人間の歌や落石、倒木、[[ダイナマイト]]の爆破音を真似するという伝承がある。河童が人間を真似た[[歌]]は、節は奇麗だが言葉は不明であったとされている。
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九州では人間の歌や落石、倒木、ダイナマイトの爆破音を真似するという伝承がある。河童が人間を真似た歌は、節は奇麗だが言葉は不明であったとされている。
  
 
== 行動 ==
 
== 行動 ==
[[川]]や[[沼]]の中に住む。ただし例外に[[地行浜]](現在、[[福岡ドーム]]が建っている辺り)の酒飲み河童は、[[海]]に住む。[[泳ぎ]]が得意。
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'''川や沼の中に住む'''。ただし例外に地行浜(現在、福岡ドームが建っている辺り)の酒飲み河童は、海に住む。泳ぎが得意。
  
河童にまつわる民話や伝承には、「[[悪戯]]好きだがひどい悪さはしない」とか「[[土木工事]]を手伝った<ref group="*">[[合羽橋]]など、地名の由来となっている例もある。</ref>」とか、「河童を助けた人間に魚を贈った」「[[河童の妙薬|薬]]の製法を教えた」といった友好、義理堅さを伝えるものも多く伝わる。一方で、水辺を通りかかったり泳いだりしている人を水中に引き込み、おぼれさせたり、'''尻子玉'''/'''尻小玉'''(しりこだま)を抜いて殺したりするといった悪事を働く描写も多い。
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河童にまつわる民話や伝承には、「悪戯好きだがひどい悪さはしない」とか「土木工事を手伝った<ref group="*">合羽橋など、地名の由来となっている例もある。</ref>」とか、「河童を助けた人間に魚を贈った」「河童の妙薬の製法を教えた」といった友好、義理堅さを伝えるものも多く伝わる。一方で、水辺を通りかかったり泳いだりしている人を水中に引き込み、おぼれさせたり、'''尻子玉'''/'''尻小玉'''(しりこだま)を抜いて殺したりするといった悪事を働く描写も多い。
  
尻子玉とは人間の肛門内にあると想像された架空の[[臓器]]で<ref group="*">[[胃]]や[[腸]]などの内臓を意味するという説もある。</ref>、河童は、抜いた尻子玉を食べたり、竜王に税金として納めたりするという。[[ラムネ瓶]]に栓をするビー玉のようなものともされ<ref>『広辞苑』 尻子玉 - [http://yinamoto.hatenablog.com/entry/20061221/p1 コラム・イナモト 2006-12-21 尻子玉]参照。</ref>、尻子玉を抜かれた人は「[[腎 (五臓)|ふぬけ]]」になると言われている。「河童が尻小玉を抜く」という伝承は、[[溺死]]者の[[肛門括約筋]]が弛緩した様子が、あたかも尻から何かを抜かれたように見えたことに由来するとの説もある。人間の[[肝臓|肝]]が好物ともいうが、これも前述と同様に、溺死者の姿が、内臓を抜き去ったかのように見えたことに由来するといわれる<ref>{{Cite book|和書|author=石川純一郎|title=河童の世界|edition=新版|year=1985|publisher=[[時事通信社]]|isbn=978-4-78-878515-1|pages=129–131頁}}</ref>。
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尻子玉とは人間の肛門内にあると想像された架空の臓器で<ref group="*">胃や腸などの内臓を意味するという説もある。</ref>、河童は、抜いた尻子玉を食べたり、竜王に税金として納めたりするという。ラムネ瓶に栓をするビー玉のようなものともされ<ref>『広辞苑』 尻子玉 - [http://yinamoto.hatenablog.com/entry/20061221/p1 コラム・イナモト 2006-12-21 尻子玉]参照。</ref>、尻子玉を抜かれた人は「ふぬけ」になると言われている。「河童が尻小玉を抜く」という伝承は、溺死者の肛門括約筋が弛緩した様子が、あたかも尻から何かを抜かれたように見えたことに由来するとの説もある。人間の肝が好物ともいうが、これも前述と同様に、溺死者の姿が、内臓を抜き去ったかのように見えたことに由来するといわれる<ref>石川純一郎, 河童の世界, 新版, 1985, 時事通信社, isbn;978-4-78-878515-1, 129–131頁</ref>。
  
[[相撲]]が大好きで、よく子供を相撲に誘い、相撲に負けた子供の尻子玉を抜くという伝承もある。河童は人間の大人よりも力が強いが、「[[仏前飯|仏前に供えた飯]]を食べた後に闘えば子供でも負けない」と言われている。また相撲をとる前にお辞儀をすると河童もお辞儀を返し、それにより頭の皿の水がこぼれてしまうため、力が出せなくなるともいう。河童が相撲を好むのは、相撲が元々、水神に奉げる行事だったためとも言われる<ref>{{Cite book|和書|author=吉川豊|title=ドキドキ! 妖怪めぐり|year=2000|publisher=[[理論社]]|isbn=978-4-65-201534-6|pages=22頁}}</ref>。
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'''相撲が大好き'''で、よく子供を相撲に誘い、相撲に負けた子供の尻子玉を抜くという伝承もある。河童は人間の大人よりも力が強いが、「仏前に供えた飯を食べた後に闘えば子供でも負けない」と言われている。また相撲をとる前にお辞儀をすると河童もお辞儀を返し、それにより頭の皿の水がこぼれてしまうため、力が出せなくなるともいう。河童が相撲を好むのは、相撲が元々、水神に奉げる行事だったためとも言われる<ref>吉川豊, ドキドキ! 妖怪めぐり, 2000, 理論社, isbn:978-4-65-201534-6, 22頁</ref>。
  
好物は[[キュウリ]]、[[魚]]、[[果物]]。これにちなみ、キュウリを巻いた[[寿司]]のことを「[[カッパ巻き]]」と呼ぶ。キュウリを好むのは、河童が[[水神]]の零落した姿であり、キュウリは初なりの[[野菜]]として水神信仰の供え物に欠かせなかったことに由来するといわれる<ref>{{Cite book|和書|title=河童の世界|pages=231–237頁}}</ref>。
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好物は'''キュウリ、魚、果物'''。これにちなみ、キュウリを巻いた寿司のことを「カッパ巻き」と呼ぶ。キュウリを好むのは、河童が水神の零落した姿であり、キュウリは初なりの野菜として水神信仰の供え物に欠かせなかったことに由来するといわれる<ref>河童の世界, 231–237頁</ref>。麦飯も好物とのこと<ref name="nagano">「読んで 遊んで とっぴんぱらり 新長野のむかし話 長野県国語教育学会編」 115p</ref>。
  
[[鉄]]、[[シカ|鹿]]の[[角]]、[[サル|猿]]、金属を嫌う。河童は水に12時間潜っていられるが、猿は24時間潜れたので闘うと猿に負けるという民話もある。[[シダ]]の[[葉]]で頭をなでると人間に化けることができるとされる。
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鉄、鹿の角、猿、'''金属'''を嫌う<ref>鉄や金属を嫌うのは、蛇系の神でも同様と思う。</ref>。仏様にあげたご飯も嫌うとのこと<ref name="nagano" />。河童は水に12時間潜っていられるが、猿は24時間潜れたので闘うと猿に負けるという民話もある。シダの葉で頭をなでると人間に化けることができるとされる。
  
 
== 起源 ==
 
== 起源 ==
[[ファイル:Takagi Toranosuke capturing a kappa underwater in the Tamura river.jpg|thumb|[[歌川国芳]]画、多嘉木虎之助。田村川で川虎(河童)を生け捕る図]]
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河童の由来は大まかに西日本と東日本に分けられ、西日本では河伯信仰に連なる大陸からの渡来とされるが、東日本では安倍晴明の式神、役小角の護法童子、飛騨の匠(左甚五郎とも)が仕事を手伝わせるために作った'''人形'''を川に捨てたところ、河童に変じたとされる話がある<ref>「川に捨てられた人形」とは人身御供の形代を思わせるが、それが川の神(河童)と別のものから神と一体化する、というのではなく、'''直接川の神に変じる'''、という考え方は興味深いと思う。死者が直接'''神'''に変じる「'''御霊信仰'''」は柳田國男の得意とするところでもある。(新訂 妖怪談義、柳田國男、角川ソフィア文庫、2013年、110-111p)</ref>。両腕が体内で繋がっている(腕を抜くと反対側の腕も抜けたという話がある)のは人形であったからともされる。大陸渡来の河童は猿猴と呼ばれ、その性質も中国の猴(中国ではニホンザルなど在来種より大きな猿を猴と表記する)に類似する。
河童の由来は大まかに[[西日本]]と[[東日本]]に分けられ、西日本では[[河伯]]信仰に連なる大陸からの渡来とされるが、東日本では[[安倍晴明]]の[[式神]]、[[役小角]]の護法童子、[[飛騨の匠]]([[左甚五郎]]とも)が仕事を手伝わせるために作った人形が変じたものとされる。両腕が体内で繋がっている(腕を抜くと反対側の腕も抜けたという話がある)のは人形であったからともされる。大陸渡来の河童は[[猿猴]]と呼ばれ、その性質も中国の猴(中国では[[ニホンザル]]など在来種より大きな猿を猴と表記する)に類似する。
 
  
河神<ref group="*">『[[日本書紀]]』には「時[[天皇]]夢有神 誨之曰 武臟人[[大部強頸|強頸]] 河內人[[茨田衫子|茨田連衫子]] 衫子 此云 於河伯 必獲塞 則覓二人而得之 因以禱於河神」の「[[河伯]]、河神」([[仁徳天皇]]11年条〈{{small|[[西暦]]換算}}:[[323年]]条〉)や、「於吉備中國川島河派 有大虯令苦人」の虯令{{sup|(みづち)}}(仁徳天皇67年条〈{{small|西暦換算}}:[[379年]]条〉)など河神の記述がある。</ref>が秋に[[山神]]となるように、河童も一部地域では冬になると[[山童]](やまわろ)になるといわれる。[[大分県]]では、秋に河童が山に入ってセコとなり、[[和歌山県]]では、ケシャンボになる。いずれも山童、即ち[[山の神]]の使いである。また、河童は[[龍]]などと同じ[[水神]]ともいわれる。山の[[精霊]]とも言われる[[座敷童子]]などと同様に、河童も一部の子供にしか見えなかったという談がある。
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河神<ref group="*">『日本書紀』には「時天皇夢有神 誨之曰 武臟人大部強頸|強頸 河內人茨田連衫子 衫子 此云 於河伯 必獲塞 則覓二人而得之 因以禱於河神」の「河伯、河神」(仁徳天皇11年条〈西暦換算:323年条〉)や、「於吉備中國川島河派 有大虯令苦人」の虯令(みづち)(仁徳天皇67年条〈西暦換算:379年条〉)など河神の記述がある。</ref>が秋に山神となるように、河童も一部地域では冬になると山童(やまわろ)になるといわれる。大分県では、秋に河童が山に入ってセコとなり、和歌山県では、ケシャンボになる。いずれも山童、即ち山の神の使いである。また、河童は龍などと同じ水神ともいわれる。山の精霊とも言われる座敷童子などと同様に、河童も一部の子供にしか見えなかったという談がある。
  
河童は、[[間引き]]された子供の遺体が河原にさらされている姿との説もある。[[江戸時代]]には間引きは頻繁に行われており、他の子供に間引きを悟られないよう大人が作った嘘とも言われている。
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河童は、間引きされた子供の遺体が河原にさらされている姿との説もある。江戸時代には間引きは頻繁に行われており、他の子供に間引きを悟られないよう大人が作った嘘とも言われている。
  
頭の[[皿]]について、[[民俗学者]]の[[折口信夫]]は『河童の話』<ref>折口信夫『古代研究II』223–252項、[[中公クラシックス]]、2003年</ref>の中で、皿などは食物を載せるための物で、つまりは生命力の象徴であるとしている。膳椀何人前と書いた紙を塚や洞、淵などに投げ込んでおくと、翌日には要望どおりに食器が揃えてあるが、借りた数を返さなかった日から貸してくれなくなった、というような、「椀貸し淵」などの呼び名で知られる伝承では、伝わる地域によって貸し主がはっきりしない例や変化している例が多く、[[狐]]や[[龍宮]]と並んで、河童が器を貸してくれるとする所もある。川上から箸や椀が流れてきたという[[隠れ里]]にまつわる話や、それに関する[[迷い家]](マヨヒガ)のケセネギツ(米櫃)<ref>[[柳田國男]]『[[遠野物語]]』</ref>、淵に薪などを投げ込むと恩返しで富貴になる話などは、椀などの器が生命力から富の象徴になったこと、椀と水の縁を示すものとされる{{誰|date=2017年11月29日 (水) 01:42 (UTC)}}
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頭の皿について、民俗学者の折口信夫は『河童の話』<ref>折口信夫『古代研究II』223–252項、中公クラシックス、2003年</ref>の中で、皿などは食物を載せるための物で、つまりは生命力の象徴であるとしている。膳椀何人前と書いた紙を塚や洞、淵などに投げ込んでおくと、翌日には要望どおりに食器が揃えてあるが、借りた数を返さなかった日から貸してくれなくなった、というような、「椀貸し淵」などの呼び名で知られる伝承では、伝わる地域によって貸し主がはっきりしない例や変化している例が多く、狐や龍宮と並んで、河童が器を貸してくれるとする所もある。川上から箸や椀が流れてきたという隠れ里にまつわる話や、それに関する迷い家(マヨヒガ)のケセネギツ(米櫃)<ref>柳田國男『遠野物語』</ref>、淵に薪などを投げ込むと恩返しで富貴になる話などは、椀などの器が生命力から富の象徴になったこと、椀と水の縁を示すものとされる<sup>(要出典、2017年11月29日 (水) 01:42 (UTC))</sup>
  
また折口は、[[壱岐]]の殿川屋敷で女が[[井戸]]に飛び込み、底に[[椀]]が沈んでいるという話も紹介した。これについては、古くから水の神に捧げる嫁あるいは[[生け贄]]や、水に関わる土木工事での女の[[人柱]]が多く伝承されていることを挙げ、[[平戸]]に伝わる女河童の例で、ある侍屋敷に下女がいて皿を一枚落として割ったので主人が刀で斬りつけると海に逃げ、その姿を見れば河童であったという話を引いている。
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また折口は、壱岐の殿川屋敷で女が井戸に飛び込み、底に椀が沈んでいるという話も紹介した。これについては、古くから水の神に捧げる嫁あるいは生け贄や、水に関わる土木工事での女の人柱が多く伝承されていることを挙げ、平戸に伝わる女河童の例で、ある侍屋敷に下女がいて皿を一枚落として割ったので主人が刀で斬りつけると海に逃げ、その姿を見れば河童であったという話を引いている。
  
『[[西遊記]]』に登場する[[沙悟浄]]は、日本ではしばしば河童に似た姿で描かれる。これは日本独自の翻案であり、原典においてはそのような設定はない。詳細は[[沙悟浄#日本の沙悟浄]]を参照。
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『西遊記』に登場する沙悟浄は、日本ではしばしば河童に似た姿で描かれる。これは日本独自の翻案であり、原典においてはそのような設定はない。詳細は「日本の沙悟浄」を参照。
  
また江戸時代にはカッパに関する専門書も発行されていた。[[古賀侗庵]]が[[文政]]3年([[1820年]])にまとめた資料集『[[水虎考略]]』や、『[[水虎十二品之図]]』[[坂本浩然]]・[[坂本純沢]]編(刊年不明)などが知られている<ref>{{Cite web |year=2005 |url=https://www.ndl.go.jp/nature/cha3/index.html  |title=第3章 珍禽奇獣異魚 - 描かれた動物・植物 |publisher=国会図書館 |accessdate=2012-06-10}}</ref>。
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また江戸時代にはカッパに関する専門書も発行されていた。古賀侗庵が文]3年(1820年)にまとめた資料集『水虎考略』や、『水虎十二品之図』坂本浩然・坂本純沢編(刊年不明)などが知られている<ref>2005 , https://www.ndl.go.jp/nature/cha3/index.html  , 第3章 珍禽奇獣異魚 - 描かれた動物・植物, 国会図書館 , 2012-06-10}}</ref>。
 
 
=== 現在の河童 ===
 
[[昭和]]以降の日本でも、河童らしきもの目撃談<ref>[[中山市朗]]『妖怪現る』(遊タイム出版、1994年)など。</ref>や足跡が見つかった事件
 
<ref>[http://gakkenmu.jp/archive/6653/ 1991年 河童が人家に入りこんだ?『ムーSPECIAL 戦後日本オカルト事件FILE』(学研プラス)]</ref>があり、実話[[怪談]]集やオカルト本に収録されることがある。[[ツチノコ]]などと並んで日本を代表する[[未確認生物]]として扱われることもある。未確認生物ではあるが、動物の集団の仲間に入れられることもある([[十二支]]の[[竜]]と同様)。
 
 
 
妖怪的な存在としては珍しく、愛くるしい姿で描かれることも多い。河童伝説のある地の[[地域おこし]]などを担う[[マスコット]][[キャラクター]]のみならず、水に関する[[企業]]のマスコット、河川・湖沼の[[水質汚染]]防止や[[環境保護]]の啓蒙を担う[[公共機関]]のマスコットなど、そのキャラクター性を様々に利用されている。また、水辺環境保全運動においては、河童が併せ持つ怖ろしさと愛嬌が巧く活かされている(『[[#水辺環境保全|水辺環境保全]]』節にて詳説する)。
 
  
 
== 各地の伝承 ==
 
== 各地の伝承 ==
地域により細部の違いがあるが、[[#茨城県(牛久沼と小川芋銭)|茨城県]]同様、[[愛媛県]][[西予市]]の若宮神社や[[岐阜県]][[飛騨]]地方でも、「悪さをした河童を許したり河童の腕や手を拾って返したりしたら、人助けしてくれた」といった河童の恩返し伝説が伝わる。
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地域により細部の違いがあるが、茨城県同様、愛媛県西予市の若宮神社や岐阜県飛騨地方でも、「悪さをした河童を許したり河童の腕や手を拾って返したりしたら、人助けしてくれた」といった河童の恩返し伝説が伝わる。
  
 
=== 九州 ===
 
=== 九州 ===
[[九州]]には九千坊と呼ばれる河童の元締めにまつわる伝説がある<ref>本堂清『河童物語』 批評社  2015年 ISBN 978-4-82-650630-4 pp.18,36.</ref>。九千坊は九千匹の子分を持ち、[[球磨川]]・[[筑後川]]を本拠として[[西海道]]一円の河童を束ねているという。九千坊の悪さに怒った[[加藤清正]]が、九州中のサルを集めて退治したという伝説もある<ref>石川純一郎『河童の世界』新版 時事通信社  1985年 ISBN 978-4-78-878515-1 pp.83-84.</ref>。
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九州には九千坊と呼ばれる河童の元締めにまつわる伝説がある<ref>本堂清『河童物語』 批評社  2015年 ISBN 978-4-82-650630-4 pp.18,36.</ref>。九千坊は九千匹の子分を持ち、球磨川・筑後川を本拠として西海道一円の河童を束ねているという。九千坊の悪さに怒った加藤清正が、九州中のサルを集めて退治したという伝説もある<ref>石川純一郎『河童の世界』新版 時事通信社  1985年 ISBN 978-4-78-878515-1 pp.83-84.</ref>。
  
[[壇ノ浦の戦い]]に敗れた[[平家]]の武士たちは散り散りになって九州に逃れた後、[[源氏]]の追っ手に次々と打たれ死んでいったのだが、その打ち滅ぼされた平家の落人の霊魂は河童となり、九州各地で田畑を荒らし、人民牛馬を川に引きずり込むなどの悪戯を働いたとされる。
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壇ノ浦の戦いに敗れた平家の武士たちは散り散りになって九州に逃れた後、源氏の追っ手に次々と打たれ死んでいったのだが、その打ち滅ぼされた平家の落人の霊魂は河童となり、九州各地で田畑を荒らし、人民牛馬を川に引きずり込むなどの悪戯を働いたとされる。
  
 
==== 豊前国 ====
 
==== 豊前国 ====
[[大分県]]の中津市耶馬溪町に鎮座する[[雲八幡宮]]では、古くから「河童楽」という河童封じの神事(通称:河童まつり)が行われている。それは河童を中央に囲み、楽を奏し、唐団扇(とううちわ)と言われる大きな団扇で仰ぐことにより荒ぶる河童の霊魂を鎮めるというもので、その後は河童の神通力によって村の平和は守られたと言い伝えられている。筑後国に伝授されたものと河童楽由来記は伝えるがいつ頃から始まったのか定かでなく、筑後にもその伝承が残っていない。現在、大分県無形民俗文化財として指定されており、少なくとも江戸中期ごろかそれ以前より毎年夏の例大祭に奉納されている。
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大分県の中津市耶馬溪町に鎮座する雲八幡宮では、古くから「河童楽」という河童封じの神事(通称:河童まつり)が行われている。それは河童を中央に囲み、楽を奏し、唐団扇(とううちわ)と言われる大きな団扇で仰ぐことにより荒ぶる河童の霊魂を鎮めるというもので、その後は河童の神通力によって村の平和は守られたと言い伝えられている。筑後国に伝授されたものと河童楽由来記は伝えるがいつ頃から始まったのか定かでなく、筑後にもその伝承が残っていない。現在、大分県無形民俗文化財として指定されており、少なくとも江戸中期ごろかそれ以前より毎年夏の例大祭に奉納されている。
  
 
==== 筑後国 ====
 
==== 筑後国 ====
[[福岡県]]の[[筑後川]]付近には「河童と地元民とのもめごと」や「河童族同士の戦争」の伝説や「河童にちなんだ地名」など比較的年代が明確ではっきりした記録が数多く残っている。
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福岡県の筑後川付近には「河童と地元民とのもめごと」や「河童族同士の戦争」の伝説や「河童にちなんだ地名」など比較的年代が明確ではっきりした記録が数多く残っている。
  
「水に入る前には[[タケノコ]]を食べる」「水に入る前には仏前飯を食べる」「水に入る前には水天宮の申し子だと唱える」といった河童除けの風習は[[久留米市]]の[[水天宮]]付近が起源とされる。毎年8月には、水の祭典という祭りが行われる。これは、元々河童をあがめるために始まった祭りである。
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「水に入る前にはタケノコを食べる」「水に入る前には仏前飯を食べる」「水に入る前には水天宮の申し子だと唱える」といった河童除けの風習は久留米市の水天宮付近が起源とされる。毎年8月には、水の祭典という祭りが行われる。これは、元々河童をあがめるために始まった祭りである。
  
[[うきは市]]吉井町(旧[[吉井町 (福岡県)|吉井町]])から[[久留米市]](旧[[田主丸町]])にかけて流れる[[巨瀬川]]流域には河童がいたと言い伝えられている。巨瀬川の脇にある高橋神社においては、昔から毎年9月には“かっぱ相撲”が行われ、昔は大人の草相撲であったが、最近は近隣の幼稚園児から小中学生による相撲で、背中にかっぱの甲羅を描き相撲を取る。
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うきは市吉井町(旧吉井町)から久留米市(旧田主丸町)にかけて流れる巨瀬川流域には河童がいたと言い伝えられている。巨瀬川の脇にある高橋神社においては、昔から毎年9月には“かっぱ相撲”が行われ、昔は大人の草相撲であったが、最近は近隣の幼稚園児から小中学生による相撲で、背中にかっぱの甲羅を描き相撲を取る。
  
 
=== 茨城県(牛久沼と小川芋銭) ===
 
=== 茨城県(牛久沼と小川芋銭) ===
[[茨城県]]の[[牛久沼]]には、「悪さをする河童を捕まえ松の木にくくりつけたが、改心したので逃がしてやると、河童が草刈りをしてくれた」、「河童の手を拾って河童に返したところ、河童が[[河童の妙薬|万能の膏薬]]の作り方を教えてくれた」など、河童にまつわる[[伝説]]が多く残っている。
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茨城県の牛久沼には、「悪さをする河童を捕まえ松の木にくくりつけたが、改心したので逃がしてやると、河童が草刈りをしてくれた」、「河童の手を拾って河童に返したところ、河童が河童の妙薬の作り方を教えてくれた」など、河童にまつわる伝説が多く残っている。
  
生涯のほとんどを牛久沼のほとりで暮らした[[日本画]]家の[[小川芋銭]]は、河童を好み多数の河童の絵を残したことから「河童の芋銭」として知られている。晩年には画集『河童百図(1938年)』を出版している。
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生涯のほとんどを牛久沼のほとりで暮らした日本画家の小川芋銭は、河童を好み多数の河童の絵を残したことから「河童の芋銭」として知られている。晩年には画集『河童百図(1938年)』を出版している。
  
 
=== 静岡県 ===
 
=== 静岡県 ===
 
; 釜化河伯
 
; 釜化河伯
: 駿東郡徳倉村狩野川の釜か淵。嘗て[[源頼朝]]が[[富士の巻狩り]]を行った際鋳った釜2つがこの地の山王の社に奉納されており、それを盗賊が盗んだ際重さに堪えられず川に捨ててしまった所、釜が河伯に転じたという<ref>{{Cite web|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765117/22|title=駿国雑志24巻下|accessdate=令和2年11月17日|publisher=}}</ref>。
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: 駿東郡徳倉村狩野川の釜か淵。嘗て源頼朝が富士の巻狩りを行った際鋳った釜2つがこの地の山王の社に奉納されており、それを盗賊が盗んだ際重さに堪えられず川に捨ててしまった所、釜が河伯に転じたという<ref>https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765117/22, 駿国雑志24巻下, 令和2年11月17日}</ref>。
 
; 老婆殺河伯
 
; 老婆殺河伯
 
: 安倍郡淺畑東村の淺畑池。小吉という少女を殺した河伯を小吉の祖母が捕えたという。
 
: 安倍郡淺畑東村の淺畑池。小吉という少女を殺した河伯を小吉の祖母が捕えたという。
: 瀬名村の巴河。観応2年7月、瀬名村の村長の娘小葭を殺した河伯を小葭の祖母が殺したという<ref>{{Cite web|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765117/28|title=駿国雑志24巻下|accessdate=令和2年11月17日|publisher=}}</ref>。
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: 瀬名村の巴河。観応2年7月、瀬名村の村長の娘小葭を殺した河伯を小葭の祖母が殺したという<ref>https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765117/28, 駿国雑志24巻下, 令和2年11月17日}</ref>。
 
; 河童
 
; 河童
: 庵原郡の[[巴川 (静岡県)|巴河]]に現れるという<ref>{{Cite web|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765117/56|title=駿国雑志25巻|accessdate=令和2年11月17日|publisher=}}</ref>。
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: 庵原郡の巴河に現れるという<ref>https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765117/56, 駿国雑志25巻, 令和2年11月17日</ref>。
  
 
=== 神奈川県 ===
 
=== 神奈川県 ===
[[神奈川県]]の[[茅ヶ崎市]]には、河童を助けた五郎兵衛に、お礼に[[徳利]]を持ってきたという伝説があり、その徳利も[[静岡県]]で子孫が保有している(河童徳利伝説)。
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神奈川県の茅ヶ崎市には、河童を助けた五郎兵衛に、お礼に徳利を持ってきたという伝説があり、その徳利も静岡県で子孫が保有している(河童徳利伝説)。
  
また他にも[[目久尻川]]では、古くからの言い伝えとして「川沿いの畑を荒していた河童を捕らえた農民たちが、怒りのあまり目玉をくり抜いてその血とともに川に流した」とされている(名前の由来にもなっている)。実際、川沿いのとある場所には河童の像が設置してあり、地域住民によって祀られている。
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また他にも目久尻川では、古くからの言い伝えとして「川沿いの畑を荒していた河童を捕らえた農民たちが、怒りのあまり目玉をくり抜いてその血とともに川に流した」とされている(名前の由来にもなっている)。実際、川沿いのとある場所には河童の像が設置してあり、地域住民によって祀られている。
  
 
=== 広島県 ===
 
=== 広島県 ===
[[広島市]]の[[猿猴川]](えんこうがわ)には、その名前の由来となっている「[[猿猴]](えんこう)」という生物の伝承がある。この猿猴は、伝承での形容から河童の一種であると考えられている。詳しくは「猿猴」の項を参照のこと。
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広島市の猿猴川(えんこうがわ)には、その名前の由来となっている「猿猴(えんこう)」という生物の伝承がある。この猿猴は、伝承での形容から河童の一種であると考えられている。
  
 
=== 長野県 ===
 
=== 長野県 ===
[[千曲川]]の河童を佐久の今岡地区の人が捕まえ、[[臼]]に縛って[[魚]]を食べさせ飼っていた。ある夜、河童が夢枕に立って「屋敷に[[ゴボウ]]の種を絶やさないようにするから助けてくれ」と頼むので放してやった。それから後は屋敷にゴボウが絶えないという<ref>佐久教育会歴史委員会編『限定復刻版 佐久口碑伝説集 南佐久篇』佐久教育会、1978年、93 - 94ページ。</ref>。
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千曲川の河童を佐久の今岡地区の人が捕まえ、臼に縛って魚を食べさせ飼っていた。ある夜、河童が夢枕に立って「屋敷にゴボウの種を絶やさないようにするから助けてくれ」と頼むので放してやった。それから後は屋敷にゴボウが絶えないという<ref>佐久教育会歴史委員会編『限定復刻版 佐久口碑伝説集 南佐久篇』佐久教育会、1978年、93 - 94ページ。</ref>。
  
[[北佐久郡]][[立科町]]と[[長和町]]には'''河太郎'''という名の河童にまつわる伝説がある([[女神湖]]、[[夜の池]]を参照)。
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北佐久郡立科町と長和町には'''河太郎'''という名の河童にまつわる伝説がある(女神湖、夜の池を参照)。
  
 
== 実在性・正体 ==
 
== 実在性・正体 ==
 
=== 河童のミイラ ===
 
=== 河童のミイラ ===
現在に伝わる河童の[[ミイラ]]や河童の[[骨格|骨]]などと呼ばれるものは、多くは[[江戸時代]]のミイラ造形師が他の動物の一部を組み合わせて作った物である。好んで用いられたのは[[エイ]]と猿で、このほか[[フクロウ]]の頭部を使ったものもある。また河童の手首のミイラと呼ばれるもののほとんどは[[ニホンカワウソ]]のものである。
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現在に伝わる河童のミイラや河童の骨などと呼ばれるものは、多くは江戸時代のミイラ造形師が他の動物の一部を組み合わせて作った物である。好んで用いられたのはエイと猿で、このほかフクロウの頭部を使ったものもある。また河童の手首のミイラと呼ばれるもののほとんどはニホンカワウソのものである。
  
[[福岡県]]の[[北野天満宮 (久留米市)|北野天満宮]]には「河伯(かはく)の手」と呼ばれる河童の手のミイラがあり、[[901年]]に[[菅原道真]]が[[筑後川]]で[[暗殺]]されそうになった際、河童の大将が彼を救おうとして手を切り落とされた、もしくは道真の馬を川へ引きずり込もうとした河童の手を道真が切り落としたものとされる<ref>{{Cite book|和書|author=宮本幸枝・熊谷あづさ|title=日本の妖怪の謎と不思議|year=2007|publisher=[[学研ホールディングス|学習研究社]]|series=GAKKEN MOOK|isbn=978-4-05-604760-8|pages=33頁}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.kitano.or.jp/tenmanguu/rekisi.htm|title=北野天満宮の歴史|work=[http://www.kitano.or.jp/ コスモスの町きたの]|publisher=[[北野町]]商工会|accessdate=2009-01-31}}</ref>。
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福岡県の北野天満宮には「河伯(かはく)の手」と呼ばれる河童の手のミイラがあり、901年に菅原道真が筑後川で暗殺されそうになった際、河童の大将が彼を救おうとして手を切り落とされた、もしくは道真の馬を川へ引きずり込もうとした河童の手を道真が切り落としたものとされる<ref>宮本幸枝・熊谷あづさ, 日本の妖怪の謎と不思議, 2007, 学研ホールディングス, GAKKEN MOOK, isbn:978-4-05-604760-8, 33頁</ref><ref>http://www.kitano.or.jp/tenmanguu/rekisi.htm, 北野天満宮の歴史, [http://www.kitano.or.jp/ コスモスの町きたの], 北野町商工会, 2009-01-31(リンク切れ:22-04-01)</ref>。
  
また、[[佐賀県]][[伊万里市]]山代町の[[松浦一酒造]]には河童全身のミイラが祀られており、地元では「河童の酒蔵」として有名である。<ref>{{Cite web|url=http://www.matsuuraichi.com/|title=松浦一酒造HP|accessdate=2010-02-6}}</ref>
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また、佐賀県伊万里市山代町の松浦一酒造には河童全身のミイラが祀られており、地元では「河童の酒蔵」として有名である。<ref>http://www.matsuuraichi.com/, 松浦一酒造HP, =2010-02-6</ref>
  
 
=== 未確認動物としての河童 ===
 
=== 未確認動物としての河童 ===
古典的な目撃談や河童伝承のもとになる、なんらかの[[未確認動物]]が実在したのではないかという主張もある。この視点における河童は、人間や猿に似た[[哺乳類]]様の生物、[[両生類]]や[[爬虫類]]型の巨大な蛙のような生物と想定されており、どの種類も背丈は30センチメートルから150センチメートル程度であり、成人した人間を超えることはない。
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古典的な目撃談や河童伝承のもとになる、なんらかの未確認動物が実在したのではないかという主張もある。この視点における河童は、人間や猿に似た哺乳類様の生物、両生類や爬虫類型の巨大な蛙のような生物と想定されており、どの種類も背丈は30センチメートルから150センチメートル程度であり、成人した人間を超えることはない。
  
昭和頃の目撃例による爬虫類型の河童には皿や甲羅がない例が多く、[[宇宙人]]の典型的外形となった[[グレイ (宇宙人)|グレイ]]と似る。このため、目撃者がグレイと誤認したのではないかとする例が『[[新耳袋]]』に掲載されている。[[アメリカ合衆国]]で目撃された[[ドーバーデーモン]]や蛙男、[[チュパカブラ]]、また[[アクア説]]の渚原人との類似が主張されることもある。
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昭和頃の目撃例による爬虫類型の河童には皿や甲羅がない例が多く、宇宙人の典型的外形となったグレイと似る。このため、目撃者がグレイと誤認したのではないかとする例が『新耳袋』に掲載されている。アメリカ合衆国で目撃されたドーバーデーモンや蛙男、チュパカブラ、またアクア説の渚原人との類似が主張されることもある。
  
人間の尻小玉を抜いたり、牛馬を狂わせたりするといった行動については、未確認生物としての河童にはあまり結び付けられていない。[[茨城県]][[牛久市]]では河童の目撃情報があり、警察が駆けつけると[[水銀]]を含んだ河童の足跡のような痕跡が残っていたとされる。
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人間の尻小玉を抜いたり、牛馬を狂わせたりするといった行動については、未確認生物としての河童にはあまり結び付けられていない。茨城県牛久市では河童の目撃情報があり、警察が駆けつけると水銀を含んだ河童の足跡のような痕跡が残っていたとされる。
  
 
=== 正体についての仮説 ===
 
=== 正体についての仮説 ===
河童の正体は、[[水死]]体や、その人を水死させたものの想像であると推定されることが多い。水死体は、皮膚は緑色をしており、(川底との摩耗のために)頭髪がすり減っており、肛門が拡大していることもある。これらの点は「体色が緑」「頭部が[[ハゲ]](皿がある)」「尻子玉を抜かれた」といった河童の特徴に合致する。水死体は体がガスで膨張していることもあり、これが河童の甲羅に見誤られた可能性もある。また、[[スッポン]]の姿に似ていることから、スッポンを見間違えた可能性も指摘されている。
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河童の正体は、水死体や、その人を水死させたものの想像であると推定されることが多い。水死体は、皮膚は緑色をしており、(川底との摩耗のために)頭髪がすり減っており、肛門が拡大していることもある。これらの点は「体色が緑」「頭部がハゲ(皿がある)」「尻子玉を抜かれた」といった河童の特徴に合致する。水死体は体がガスで膨張していることもあり、これが河童の甲羅に見誤られた可能性もある。また、スッポンの姿に似ていることから、スッポンを見間違えた可能性も指摘されている。
 
 
また、水死体が浮かぶような川や湖沼・池は、特に子供には[[水難事故]]の危険が高いため、「そこでは河童が出るので近づくな」と子供たちに警告するために、河童という妖怪が伝承され続けてきた、という推定もある。
 
 
 
  
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また、水死体が浮かぶような川や湖沼・池は、特に子供には水難事故の危険が高いため、「そこでは河童が出るので近づくな」と子供たちに警告するために、河童という妖怪が伝承され続けてきた、という推定もある。
  
 
== 河童にまつわる施設・地名 ==
 
== 河童にまつわる施設・地名 ==
  
 
=== 寺社 ===
 
=== 寺社 ===
* [[曹源寺 (台東区)|曹源寺]]([[東京都]][[台東区]])- 「'''かっぱ寺'''」として知られる。河童大明神が祭られるほか、河童の池、合羽川太郎の墓と伝わる石碑などがある。
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* 曹源寺(東京都台東区)- 「'''かっぱ寺'''」として知られる。河童大明神が祭られるほか、河童の池、合羽川太郎の墓と伝わる石碑などがある。
* [[雲八幡宮]]の「[[阿吽|あ・うん]]の河童」([[大分県]][[中津市]]) - [[狛犬]]ならぬ狛河童。
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* 雲八幡宮の「阿吽の河童」(大分県中津市) - 狛犬ならぬ狛河童。
  
 
=== 地名 ===
 
=== 地名 ===
* [[カッパ淵]](岩手県[[遠野市]]) - 河童伝承がある。上記の「捕獲許可証」も参照。
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* カッパ淵(岩手県遠野市) - 河童伝承がある。
* [[合羽橋]](東京都台東区)- 由来には諸説あるが、河童をマスコットとする。
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* 合羽橋(東京都台東区)- 由来には諸説あるが、河童をマスコットとする。
* [[合羽坂]](東京都[[新宿区]])- 付近にあった蓮池の[[カワウソ]]を河童と思い違えたことに由来するとされる。
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* 合羽坂(東京都新宿区)- 付近にあった蓮池のカワウソを河童と思い違えたことに由来するとされる。
  
 
== 河童にまつわる言葉 ==
 
== 河童にまつわる言葉 ==
[[ファイル:YoshitoshiKappaControl.jpg|サムネイル|河童に屁をくらわす。[[月岡芳年]]作]]
 
 
; 河童の川流れ
 
; 河童の川流れ
 
: 河童は泳ぎが得意であることから、物事に長けている人でも失敗することがあるという意。
 
: 河童は泳ぎが得意であることから、物事に長けている人でも失敗することがあるという意。
 
;河童の木登り
 
;河童の木登り
 
:苦手なこと、不得意なことをする例え。
 
:苦手なこと、不得意なことをする例え。
; 屁の河童: 河童はいつも水の中にいるため、[[屁]]をしてもあまり勢いがないことから、「取るに足りないこと」を「河童の屁」と呼ぶようになり、後に語順が現在の様に変わった(「木っ端の火」から来たという説もある)。
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; 屁の河童: 河童はいつも水の中にいるため、屁をしてもあまり勢いがないことから、「取るに足りないこと」を「河童の屁」と呼ぶようになり、後に語順が現在の様に変わった(「木っ端の火」から来たという説もある)。
 
; 陸<span style="font-weight:normal">(おか)</span>へ上がった河童
 
; 陸<span style="font-weight:normal">(おか)</span>へ上がった河童
 
: 「河童は水中では能力を十分発揮できるが、陸に上がると力がなくなる」とされるところから、力のある者が環境が一変するとまったく無力になってしまうことのたとえ。
 
: 「河童は水中では能力を十分発揮できるが、陸に上がると力がなくなる」とされるところから、力のある者が環境が一変するとまったく無力になってしまうことのたとえ。
 
; カッパ巻き
 
; カッパ巻き
: 河童が[[キュウリ]]を好むことから[[巻き寿司]]のキュウリ巻きをカッパ巻きと呼ぶ。
+
: 河童がキュウリを好むことから巻き寿司のキュウリ巻きをカッパ巻きと呼ぶ。
 
; 河童忌
 
; 河童忌
: 小説家[[芥川龍之介]]の[[忌日]][[7月24日]]。死の直前の代表作『[[河童 (小説)|河童]]』にちなむ。
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: 小説家芥川龍之介の忌日7月24日。死の直前の代表作『河童』にちなむ。
; [[河童の妙薬]]
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; 河童の妙薬
: 河童が製法を教えたと伝承されている由来を持つ[[民間薬]]・[[家伝薬]]のこと。
+
: 河童が製法を教えたと伝承されている由来を持つ民間薬・家伝薬のこと。
[[雨具]]の[[合羽]](かっぱ)は[[ポルトガル語]]の {{pt|capa}}(カパ)に由来し河童とは無関係である。ただし河童を合羽と書くことはある<ref>『[[広辞苑]]』</ref>。
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雨具の合羽(かっぱ)はポルトガル語のcapa(カパ)に由来し河童とは無関係である。ただし河童を合羽と書くことはある<ref>『広辞苑』</ref>。
  
 
== 河童を題材とした作品等 ==
 
== 河童を題材とした作品等 ==
[[ファイル:Sakaiminato Mizuki Shigeru Road Kappa Statue 1.JPG|thumb|{{Anchors|水木しげるロード河童_画像}}水木しげるロードにある、河童の像]]
 
[[ファイル:Tsujikawayama park Sep 2018 2.JPG|thumb|{{Anchors|辻川山公園_画像}}辻川山公園の池に潜む河童たち]]
 
=== 設備等 ===
 
* {{Anchors|水木しげるロードの河童}}水木しげるロードの河童
 
:: [[水木しげるロード]]は[[鳥取県]][[境港市]]にある観光対応型[[商店街]]で、妖怪[[漫画家]]・[[水木しげる]]が描く妖怪キャラクターなどの青銅製[[オブジェ]]が多数あり、その一つとして河童の像もある。■右列に画像あり。
 
* {{Anchors|福崎町の河童}}福崎町の河童
 
:: [[兵庫県]][[神崎郡]][[福崎町]]のそこここには、河童を始めとする怖ろしげな妖怪が多数潜んでいる仕掛けになっている<ref name="福崎妖怪_20190507">{{Cite web |author=福崎町役場 地域振興課 |date=2019-05-07 |title=福崎町の妖怪たち |url=http://www.town.fukusaki.hyogo.jp/0000002183.html |publisher=福崎町 |website=公式ウェブサイト |accessdate=2019-08-13 }}</ref><ref name="福崎観協">{{Cite web |title=河童のガタロウとガジロウ |url=http://www.fukusakikankou.jp/kappa.html |publisher=福崎町観光協会 |website=公式ウェブサイト |accessdate=2019-08-13 }}</ref><ref name="LineT_辻川山公園">{{Cite web |date= |title=河童に天狗!?兵庫県福崎町「辻川山公園」で妖怪ウオッチング |url=https://www.travel.co.jp/guide/article/6474/ |publisher=LINEトラベルjp |website=公式ウェブサイト |accessdate=2019-08-13 }}</ref>。[[辻川山公園]]にいる河童の河太郎(ガタロウ)は頭のお皿が乾いて動けなくなり、[[ため池|溜池]]の畔で固まっている{{r|福崎妖怪_20190507|福崎観協|LineT_辻川山公園}}。弟の河次郎(ガジロウ)と2匹の子河童は一定時間ごとに[[ため池|溜池]]から出没する{{r|福崎妖怪_20190507|福崎観協|LineT_辻川山公園}}(■右列に画像あり、2021年現在は子河童は出現しなくなっている<ref>{{Cite web|url=https://tabicoffret.com/article/79687/index.html|title=【兵庫県・福崎町】河童に鬼・天狗、現代に蘇った妖怪だらけの町|website=たびこふれ|date=2021-09-24|accessdate=2021-10-01}}</ref>)。河次郎は[[福崎駅]]前の水槽にも出現する。町内には「妖怪ベンチ」が点在するが、[[福崎駅]]前の妖怪ベンチでは河童が一人[[将棋]]を打っている{{r|福崎妖怪_20190507|福崎観協|LineT_辻川山公園}}。
 
:: 同町出身の民俗学者・[[柳田國男]]の著書『故郷七十年』に登場する河童のガタロをモチーフに、地域振興課職員の[[小川知男]]によってデザインされた<ref>{{Cite web|url=http://www.town.fukusaki.hyogo.jp/bunka/cmsfiles/contents/0000002/2513/bunka31_2010-14.pdf|title=快進撃の河童『河次郎』誕生秘話|author=福崎町地域振興課 小川知男|work=広報「福崎町文化」第31号|format=PDF|publisher=福崎町文化センター|date=2015-03-01|accessdate=2021-09-30|pages=10-14}}</ref>。
 
 
* [https://ksmv.jp/kappakan/ 海洋堂かっぱ館]
 
 
* {{Anchors|志木市の河童}}志木市の河童
 
:: [[埼玉県]][[志木市]]は河童の伝承で知られている<ref name="志木市_河童">{{Cite web |author=志木市役所 |title=志木とカッパ |url=http://www.city.shiki.lg.jp/index.cfm/53,0,328,html |publisher=志木市 |website=公式ウェブサイト |accessdate=2016-05-22 }}</ref>。このことから、河童は市のマスコットキャラクターに制定されているほか、市内の随所に河童像が点在している{{r|志木市_河童}}。
 
:
 
 
 
=== 説話集 ===  
 
=== 説話集 ===  
* [[柳田國男]]『[[遠野物語]]』(1910)『遠野物語拾遺』(1935) - 55-59(遠野物語)、178(拾遺)
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* 柳田國男『遠野物語』(1910)『遠野物語拾遺』(1935) - 55-59(遠野物語)、178(拾遺)
  
 +
=== その他 ===
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* 色麻町(宮城県) - 磯良神社では木彫りの河童をご神体としており「おかっぱ様」とも呼ばれる。またマスコットキャラクターに河童が設定されるなど観光資源としても利用されている<ref>[http://www.town.shikama.miyagi.jp/13,600,78.html かっぱ伝説] - 色麻町役場ホームページ、2016年6月9日閲覧。(リンク切れ:22-04-01)</ref>。
  
 
+
== 河童等が登場する民話等 ==
=== その他 ===
+
* '''相撲系'''
* [[色麻町]](宮城県) - [[磯良神社 (色麻町)|磯良神社]]では木彫りの河童をご神体としており「おかっぱ様」とも呼ばれる。またマスコットキャラクターに河童が設定されるなど観光資源としても利用されている<ref>[http://www.town.shikama.miyagi.jp/13,600,78.html かっぱ伝説] - 色麻町役場ホームページ、2016年6月9日閲覧。</ref>。
+
** [http://bellis.sakura.ne.jp/k/tegalog.cgi?postid=52 天竜川のカワランベ]:河童の好物が「麦飯」であることや、動物(馬)を水中に引き込む存在であることが語られる。かつては河童が水神の一種であって、なにがしかの捧げ物(食事や動物の生贄)が捧げられていたことが示唆される。(長野県南信)
* [[東京都]] - [[都民の日]](10月1日)に都営施設へ無料で入れる「カッパバッジ」(大東京祭記念徽章)を1956年から販売していた。[[東京奠都|江戸から東京への改称と東京府設置]]150年記念イベントの一環として、2018年に復刻することを発表している<ref>[http://www.metro.tokyo.jp/tosei/hodohappyo/press/2018/01/05/05.html 「Old meets New 東京150年」事業について]東京都報道発表(2018年1月5日)</ref>。
 
* [[林家木久扇]] - 『[[笑点]]』の大喜利において「あべべべべ!」と河童のモノマネを行うことがある(隣の[[三遊亭好楽]]から振られることが多い)。なお木久扇は前述した清水崑のアシスタント時代に喋りの才能を見出され、落語の世界に足を踏み入れている。
 
* [[光文社]] - [[カッパ・ブックス]]、[[カッパ・ノベルス]] 名称の由来であり、また、ロゴに河童が使用されている。
 
* ガタロ - [[上方落語]]の演目『[[代書]]』『[[商売根問]]』などに登場する商売。川底を網でさらって得た鉄くずや貴金属などを換金して稼ぎを得る自営業を指し、その川さらいの姿が河童を連想させる事から商売の隠語として河童の関西名「河太郎」(がたろ)が当てられた。
 
*[[牛久市コミュニティバス]] - 愛称が「かっぱ号」
 
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
+
<references group="*"/>
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group="*"}}
 
=== 出典 ===
 
{{Reflist|2}}
 
  
 
== 参考文献 ==
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book ja-jp|和書 |author = 香川雅信 |title = 河童とはなにか:歴博フォーラム 民俗展示の新構築 |year = 2014 |chapter = 河童イメージの変遷 |publisher = 岩田書院 |editor = [[国立歴史民俗博物館]]、[[常光徹]] |isbn = 978-4-87-294853-0 |ref = harv }}
+
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E7%AB%A5 河童](最終閲覧日:22-04-01)
 +
** 香川雅信 , 河童とはなにか:歴博フォーラム 民俗展示の新構築 , 2014 , 河童イメージの変遷 , 岩田書院 , 国立歴史民俗博物館、常光徹, isbn:978-4-87-294853-0
 +
* 新訂 妖怪談義、柳田国男、角川ソフィア文庫、2013年
 +
* 「読んで 遊んで とっぴんぱらり 新長野のむかし話 長野県国語教育学会編」, 2003,  p115
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
*  
+
* [[水神]]
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
* [http://www.ikedakai.com/kappa.html 各地の河童の話]:「小説家[[隆慶一郎]](脚本家池田一朗)公式サイト」より
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* [https://www.wul.waseda.ac.jp/Libraries/fumi/15/15-10.html 河童の沙悟浄]
* [http://kizakura.co.jp/gen/gallery/museum/index.htm 黄桜かっぱミュージアム]:CMキャラクターに使用している黄桜公式ホームページより
 
* [http://www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/ar/article_view.phtml?id=11192 河童渡来の碑] 八代市公式ホームページ
 
* [https://www.wul.waseda.ac.jp/Libraries/fumi/15/15-10.html 河童の沙悟浄]  
 
  
 
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{河童(かっぱ)は、日本の妖怪。標準和名の「かっぱ」は、「かわ(川)」に「わらは(童)」の変化形「わっぱ」が複合した「かわわっぱ」が変化したもの。河太郎(かわたろう)とも言う。ほぼ日本全国で伝承され、その呼び名や形状も各地方によって異なるが、芥川龍之介の1927年の小説『河童』によって知名度が上がり、代表的な呼び名となった。類縁にセコなどがいる。水神、またはその依り代、またはその仮の姿ともいう。鬼、天狗と並んで日本の妖怪の中で最も有名なものの一つとされる[1][2]。具体例としては各地に残る河童神社、河童塚(鯨塚、道具塚と同じ)がある。

外見[編集]

体格は子供のようで、全身は緑色または赤色。頭頂部に皿があることが多い。皿は円形の平滑な無毛部で、いつも水で濡れており、皿が乾いたり割れたりすると力を失う、または死ぬとされる。口は短い嘴で、背中には亀のような甲羅が、手足には水掻きがあるとする場合が多く、肛門が3つあるとも言われる。体臭は生臭く、姿は猿やカワウソのようと表現されることもある。

両腕は体内で繋がっており、片方の腕を引っ張るともう片方の腕が縮み、そのまま抜けてしまうこともあるとされ、これは、中国のサル妖怪で、同様に両腕が体内で繋がっていると言われる「通臂猿猴」の特徴と共通している[3]

18世紀以前の本草学・博物学書上における河童のイメージは両生類的ではなかった[4]。例えば、文安元年(1444年)に成立した『下学集』には「獺(カワウソ)老いて河童(カワロウ)に成る」とある。また、『日葡辞書』の「カワラゥ」の項では、川に棲む猿に似た獣の一種と説明されている。18世紀半ばに、山がなく猿に馴染みのない江戸の人びとに受容しやすい、カエルやスッポンに似せた両生類的な江戸型の河童のモデルが生まれ、19世紀には出版物を通じて全国に伝播し、置き換えられていった[5]と考えられている。

亀人形態[編集]

体はウロコで覆われ、嘴があり、頭には皿を乗せている。頭の皿が割れると死ぬ、または力を失い衰弱する。背中に甲羅があり手足に水掻きがある。絵画では、親指がない、爬虫類状の手をした姿で描かれることが多い。亀のように四本足で歩く絵も見受けられる。

絵の題材にされることは多いが、キュウリが好物という以外には、具体的に何をしたという特徴もない。一般的な河童の想像図に近い反面、目撃談は意外に少ない。

類人猿形態[編集]

全身が毛に覆われている。口には牙があり、鼻の造形がはっきりしない。頭部にはくぼみがあり、そこに常に水を溜めている。頭部の水が乾くと死ぬ、または衰弱する。手には親指があり、足にはかかとがある。相撲が得意でよく人間の子供と遊ぶ。

存在する河童絵の3割程度は猿型だが、中には背中の甲羅が書かれていないものもある。

北海道のミントゥチがアイヌの古い伝承しかないのに対し、九州本土や五島列島、沖縄などでは近世・近代の目撃が非常に多い。

昭和以降の目撃談にある「遠目には人間に見えた」とする印象に近く、甲羅を紐で結んでいる絵も多く見受けられるので、甲羅様の道具を蓑のように使っている人間であるとも考えられている。ごくまれに、甲羅でなく蓑のようなものに背中を覆われている絵もあ

九州では人間の歌や落石、倒木、ダイナマイトの爆破音を真似するという伝承がある。河童が人間を真似た歌は、節は奇麗だが言葉は不明であったとされている。

行動[編集]

川や沼の中に住む。ただし例外に地行浜(現在、福岡ドームが建っている辺り)の酒飲み河童は、海に住む。泳ぎが得意。

河童にまつわる民話や伝承には、「悪戯好きだがひどい悪さはしない」とか「土木工事を手伝った[* 1]」とか、「河童を助けた人間に魚を贈った」「河童の妙薬の製法を教えた」といった友好、義理堅さを伝えるものも多く伝わる。一方で、水辺を通りかかったり泳いだりしている人を水中に引き込み、おぼれさせたり、尻子玉/尻小玉(しりこだま)を抜いて殺したりするといった悪事を働く描写も多い。

尻子玉とは人間の肛門内にあると想像された架空の臓器で[* 2]、河童は、抜いた尻子玉を食べたり、竜王に税金として納めたりするという。ラムネ瓶に栓をするビー玉のようなものともされ[6]、尻子玉を抜かれた人は「ふぬけ」になると言われている。「河童が尻小玉を抜く」という伝承は、溺死者の肛門括約筋が弛緩した様子が、あたかも尻から何かを抜かれたように見えたことに由来するとの説もある。人間の肝が好物ともいうが、これも前述と同様に、溺死者の姿が、内臓を抜き去ったかのように見えたことに由来するといわれる[7]

相撲が大好きで、よく子供を相撲に誘い、相撲に負けた子供の尻子玉を抜くという伝承もある。河童は人間の大人よりも力が強いが、「仏前に供えた飯を食べた後に闘えば子供でも負けない」と言われている。また相撲をとる前にお辞儀をすると河童もお辞儀を返し、それにより頭の皿の水がこぼれてしまうため、力が出せなくなるともいう。河童が相撲を好むのは、相撲が元々、水神に奉げる行事だったためとも言われる[8]

好物はキュウリ、魚、果物。これにちなみ、キュウリを巻いた寿司のことを「カッパ巻き」と呼ぶ。キュウリを好むのは、河童が水神の零落した姿であり、キュウリは初なりの野菜として水神信仰の供え物に欠かせなかったことに由来するといわれる[9]。麦飯も好物とのこと[10]

鉄、鹿の角、猿、金属を嫌う[11]。仏様にあげたご飯も嫌うとのこと[10]。河童は水に12時間潜っていられるが、猿は24時間潜れたので闘うと猿に負けるという民話もある。シダの葉で頭をなでると人間に化けることができるとされる。

起源[編集]

河童の由来は大まかに西日本と東日本に分けられ、西日本では河伯信仰に連なる大陸からの渡来とされるが、東日本では安倍晴明の式神、役小角の護法童子、飛騨の匠(左甚五郎とも)が仕事を手伝わせるために作った人形を川に捨てたところ、河童に変じたとされる話がある[12]。両腕が体内で繋がっている(腕を抜くと反対側の腕も抜けたという話がある)のは人形であったからともされる。大陸渡来の河童は猿猴と呼ばれ、その性質も中国の猴(中国ではニホンザルなど在来種より大きな猿を猴と表記する)に類似する。

河神[* 3]が秋に山神となるように、河童も一部地域では冬になると山童(やまわろ)になるといわれる。大分県では、秋に河童が山に入ってセコとなり、和歌山県では、ケシャンボになる。いずれも山童、即ち山の神の使いである。また、河童は龍などと同じ水神ともいわれる。山の精霊とも言われる座敷童子などと同様に、河童も一部の子供にしか見えなかったという談がある。

河童は、間引きされた子供の遺体が河原にさらされている姿との説もある。江戸時代には間引きは頻繁に行われており、他の子供に間引きを悟られないよう大人が作った嘘とも言われている。

頭の皿について、民俗学者の折口信夫は『河童の話』[13]の中で、皿などは食物を載せるための物で、つまりは生命力の象徴であるとしている。膳椀何人前と書いた紙を塚や洞、淵などに投げ込んでおくと、翌日には要望どおりに食器が揃えてあるが、借りた数を返さなかった日から貸してくれなくなった、というような、「椀貸し淵」などの呼び名で知られる伝承では、伝わる地域によって貸し主がはっきりしない例や変化している例が多く、狐や龍宮と並んで、河童が器を貸してくれるとする所もある。川上から箸や椀が流れてきたという隠れ里にまつわる話や、それに関する迷い家(マヨヒガ)のケセネギツ(米櫃)[14]、淵に薪などを投げ込むと恩返しで富貴になる話などは、椀などの器が生命力から富の象徴になったこと、椀と水の縁を示すものとされる(要出典、2017年11月29日 (水) 01:42 (UTC))

また折口は、壱岐の殿川屋敷で女が井戸に飛び込み、底に椀が沈んでいるという話も紹介した。これについては、古くから水の神に捧げる嫁あるいは生け贄や、水に関わる土木工事での女の人柱が多く伝承されていることを挙げ、平戸に伝わる女河童の例で、ある侍屋敷に下女がいて皿を一枚落として割ったので主人が刀で斬りつけると海に逃げ、その姿を見れば河童であったという話を引いている。

『西遊記』に登場する沙悟浄は、日本ではしばしば河童に似た姿で描かれる。これは日本独自の翻案であり、原典においてはそのような設定はない。詳細は「日本の沙悟浄」を参照。

また江戸時代にはカッパに関する専門書も発行されていた。古賀侗庵が文]3年(1820年)にまとめた資料集『水虎考略』や、『水虎十二品之図』坂本浩然・坂本純沢編(刊年不明)などが知られている[15]

各地の伝承[編集]

地域により細部の違いがあるが、茨城県同様、愛媛県西予市の若宮神社や岐阜県飛騨地方でも、「悪さをした河童を許したり河童の腕や手を拾って返したりしたら、人助けしてくれた」といった河童の恩返し伝説が伝わる。

九州[編集]

九州には九千坊と呼ばれる河童の元締めにまつわる伝説がある[16]。九千坊は九千匹の子分を持ち、球磨川・筑後川を本拠として西海道一円の河童を束ねているという。九千坊の悪さに怒った加藤清正が、九州中のサルを集めて退治したという伝説もある[17]

壇ノ浦の戦いに敗れた平家の武士たちは散り散りになって九州に逃れた後、源氏の追っ手に次々と打たれ死んでいったのだが、その打ち滅ぼされた平家の落人の霊魂は河童となり、九州各地で田畑を荒らし、人民牛馬を川に引きずり込むなどの悪戯を働いたとされる。

豊前国[編集]

大分県の中津市耶馬溪町に鎮座する雲八幡宮では、古くから「河童楽」という河童封じの神事(通称:河童まつり)が行われている。それは河童を中央に囲み、楽を奏し、唐団扇(とううちわ)と言われる大きな団扇で仰ぐことにより荒ぶる河童の霊魂を鎮めるというもので、その後は河童の神通力によって村の平和は守られたと言い伝えられている。筑後国に伝授されたものと河童楽由来記は伝えるがいつ頃から始まったのか定かでなく、筑後にもその伝承が残っていない。現在、大分県無形民俗文化財として指定されており、少なくとも江戸中期ごろかそれ以前より毎年夏の例大祭に奉納されている。

筑後国[編集]

福岡県の筑後川付近には「河童と地元民とのもめごと」や「河童族同士の戦争」の伝説や「河童にちなんだ地名」など比較的年代が明確ではっきりした記録が数多く残っている。

「水に入る前にはタケノコを食べる」「水に入る前には仏前飯を食べる」「水に入る前には水天宮の申し子だと唱える」といった河童除けの風習は久留米市の水天宮付近が起源とされる。毎年8月には、水の祭典という祭りが行われる。これは、元々河童をあがめるために始まった祭りである。

うきは市吉井町(旧吉井町)から久留米市(旧田主丸町)にかけて流れる巨瀬川流域には河童がいたと言い伝えられている。巨瀬川の脇にある高橋神社においては、昔から毎年9月には“かっぱ相撲”が行われ、昔は大人の草相撲であったが、最近は近隣の幼稚園児から小中学生による相撲で、背中にかっぱの甲羅を描き相撲を取る。

茨城県(牛久沼と小川芋銭)[編集]

茨城県の牛久沼には、「悪さをする河童を捕まえ松の木にくくりつけたが、改心したので逃がしてやると、河童が草刈りをしてくれた」、「河童の手を拾って河童に返したところ、河童が河童の妙薬の作り方を教えてくれた」など、河童にまつわる伝説が多く残っている。

生涯のほとんどを牛久沼のほとりで暮らした日本画家の小川芋銭は、河童を好み多数の河童の絵を残したことから「河童の芋銭」として知られている。晩年には画集『河童百図(1938年)』を出版している。

静岡県[編集]

釜化河伯
駿東郡徳倉村狩野川の釜か淵。嘗て源頼朝が富士の巻狩りを行った際鋳った釜2つがこの地の山王の社に奉納されており、それを盗賊が盗んだ際重さに堪えられず川に捨ててしまった所、釜が河伯に転じたという[18]
老婆殺河伯
安倍郡淺畑東村の淺畑池。小吉という少女を殺した河伯を小吉の祖母が捕えたという。
瀬名村の巴河。観応2年7月、瀬名村の村長の娘小葭を殺した河伯を小葭の祖母が殺したという[19]
河童
庵原郡の巴河に現れるという[20]

神奈川県[編集]

神奈川県の茅ヶ崎市には、河童を助けた五郎兵衛に、お礼に徳利を持ってきたという伝説があり、その徳利も静岡県で子孫が保有している(河童徳利伝説)。

また他にも目久尻川では、古くからの言い伝えとして「川沿いの畑を荒していた河童を捕らえた農民たちが、怒りのあまり目玉をくり抜いてその血とともに川に流した」とされている(名前の由来にもなっている)。実際、川沿いのとある場所には河童の像が設置してあり、地域住民によって祀られている。

広島県[編集]

広島市の猿猴川(えんこうがわ)には、その名前の由来となっている「猿猴(えんこう)」という生物の伝承がある。この猿猴は、伝承での形容から河童の一種であると考えられている。

長野県[編集]

千曲川の河童を佐久の今岡地区の人が捕まえ、臼に縛って魚を食べさせ飼っていた。ある夜、河童が夢枕に立って「屋敷にゴボウの種を絶やさないようにするから助けてくれ」と頼むので放してやった。それから後は屋敷にゴボウが絶えないという[21]

北佐久郡立科町と長和町には河太郎という名の河童にまつわる伝説がある(女神湖、夜の池を参照)。

実在性・正体[編集]

河童のミイラ[編集]

現在に伝わる河童のミイラや河童の骨などと呼ばれるものは、多くは江戸時代のミイラ造形師が他の動物の一部を組み合わせて作った物である。好んで用いられたのはエイと猿で、このほかフクロウの頭部を使ったものもある。また河童の手首のミイラと呼ばれるもののほとんどはニホンカワウソのものである。

福岡県の北野天満宮には「河伯(かはく)の手」と呼ばれる河童の手のミイラがあり、901年に菅原道真が筑後川で暗殺されそうになった際、河童の大将が彼を救おうとして手を切り落とされた、もしくは道真の馬を川へ引きずり込もうとした河童の手を道真が切り落としたものとされる[22][23]

また、佐賀県伊万里市山代町の松浦一酒造には河童全身のミイラが祀られており、地元では「河童の酒蔵」として有名である。[24]

未確認動物としての河童[編集]

古典的な目撃談や河童伝承のもとになる、なんらかの未確認動物が実在したのではないかという主張もある。この視点における河童は、人間や猿に似た哺乳類様の生物、両生類や爬虫類型の巨大な蛙のような生物と想定されており、どの種類も背丈は30センチメートルから150センチメートル程度であり、成人した人間を超えることはない。

昭和頃の目撃例による爬虫類型の河童には皿や甲羅がない例が多く、宇宙人の典型的外形となったグレイと似る。このため、目撃者がグレイと誤認したのではないかとする例が『新耳袋』に掲載されている。アメリカ合衆国で目撃されたドーバーデーモンや蛙男、チュパカブラ、またアクア説の渚原人との類似が主張されることもある。

人間の尻小玉を抜いたり、牛馬を狂わせたりするといった行動については、未確認生物としての河童にはあまり結び付けられていない。茨城県牛久市では河童の目撃情報があり、警察が駆けつけると水銀を含んだ河童の足跡のような痕跡が残っていたとされる。

正体についての仮説[編集]

河童の正体は、水死体や、その人を水死させたものの想像であると推定されることが多い。水死体は、皮膚は緑色をしており、(川底との摩耗のために)頭髪がすり減っており、肛門が拡大していることもある。これらの点は「体色が緑」「頭部がハゲ(皿がある)」「尻子玉を抜かれた」といった河童の特徴に合致する。水死体は体がガスで膨張していることもあり、これが河童の甲羅に見誤られた可能性もある。また、スッポンの姿に似ていることから、スッポンを見間違えた可能性も指摘されている。

また、水死体が浮かぶような川や湖沼・池は、特に子供には水難事故の危険が高いため、「そこでは河童が出るので近づくな」と子供たちに警告するために、河童という妖怪が伝承され続けてきた、という推定もある。

河童にまつわる施設・地名[編集]

寺社[編集]

  • 曹源寺(東京都台東区)- 「かっぱ寺」として知られる。河童大明神が祭られるほか、河童の池、合羽川太郎の墓と伝わる石碑などがある。
  • 雲八幡宮の「阿吽の河童」(大分県中津市) - 狛犬ならぬ狛河童。

地名[編集]

  • カッパ淵(岩手県遠野市) - 河童伝承がある。
  • 合羽橋(東京都台東区)- 由来には諸説あるが、河童をマスコットとする。
  • 合羽坂(東京都新宿区)- 付近にあった蓮池のカワウソを河童と思い違えたことに由来するとされる。

河童にまつわる言葉[編集]

河童の川流れ
河童は泳ぎが得意であることから、物事に長けている人でも失敗することがあるという意。
河童の木登り
苦手なこと、不得意なことをする例え。
屁の河童
河童はいつも水の中にいるため、屁をしてもあまり勢いがないことから、「取るに足りないこと」を「河童の屁」と呼ぶようになり、後に語順が現在の様に変わった(「木っ端の火」から来たという説もある)。
(おか)へ上がった河童
「河童は水中では能力を十分発揮できるが、陸に上がると力がなくなる」とされるところから、力のある者が環境が一変するとまったく無力になってしまうことのたとえ。
カッパ巻き
河童がキュウリを好むことから巻き寿司のキュウリ巻きをカッパ巻きと呼ぶ。
河童忌
小説家芥川龍之介の忌日7月24日。死の直前の代表作『河童』にちなむ。
河童の妙薬
河童が製法を教えたと伝承されている由来を持つ民間薬・家伝薬のこと。

雨具の合羽(かっぱ)はポルトガル語のcapa(カパ)に由来し河童とは無関係である。ただし河童を合羽と書くことはある[25]

河童を題材とした作品等[編集]

説話集[編集]

  • 柳田國男『遠野物語』(1910)『遠野物語拾遺』(1935) - 55-59(遠野物語)、178(拾遺)

その他[編集]

  • 色麻町(宮城県) - 磯良神社では木彫りの河童をご神体としており「おかっぱ様」とも呼ばれる。またマスコットキャラクターに河童が設定されるなど観光資源としても利用されている[26]

河童等が登場する民話等[編集]

  • 相撲系
    • 天竜川のカワランベ:河童の好物が「麦飯」であることや、動物(馬)を水中に引き込む存在であることが語られる。かつては河童が水神の一種であって、なにがしかの捧げ物(食事や動物の生贄)が捧げられていたことが示唆される。(長野県南信)

脚注[編集]

  1. 合羽橋など、地名の由来となっている例もある。
  2. 胃や腸などの内臓を意味するという説もある。
  3. 『日本書紀』には「時天皇夢有神 誨之曰 武臟人大部強頸|強頸 河內人茨田連衫子 衫子 此云 於河伯 必獲塞 則覓二人而得之 因以禱於河神」の「河伯、河神」(仁徳天皇11年条〈西暦換算:323年条〉)や、「於吉備中國川島河派 有大虯令苦人」の虯令(みづち)(仁徳天皇67年条〈西暦換算:379年条〉)など河神の記述がある。

参考文献[編集]

  • Wikipedia:河童(最終閲覧日:22-04-01)
    • 香川雅信 , 河童とはなにか:歴博フォーラム 民俗展示の新構築 , 2014 , 河童イメージの変遷 , 岩田書院 , 国立歴史民俗博物館、常光徹, isbn:978-4-87-294853-0
  • 新訂 妖怪談義、柳田国男、角川ソフィア文庫、2013年
  • 「読んで 遊んで とっぴんぱらり 新長野のむかし話 長野県国語教育学会編」, 2003, p115

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

参照[編集]

  1. 京極夏彦・多田克己編著, 妖怪図巻, 2000, 国書刊行会, isbn:978-4-33-604187-6, 147頁
  2. 多田克己, 幻想世界の住人たち, 1990, 新紀元社, Truth in fantasy, IV, isbn:978-4-91-514644-2, 110頁
  3. 新訂 妖怪談義、柳田国男、角川ソフィア文庫、2013年、101p
  4. 香川, 2014, pp=55-60
  5. 香川, 2014, pp=60-69
  6. 『広辞苑』 尻子玉 - コラム・イナモト 2006-12-21 尻子玉参照。
  7. 石川純一郎, 河童の世界, 新版, 1985, 時事通信社, isbn;978-4-78-878515-1, 129–131頁
  8. 吉川豊, ドキドキ! 妖怪めぐり, 2000, 理論社, isbn:978-4-65-201534-6, 22頁
  9. 河童の世界, 231–237頁
  10. 10.0 10.1 「読んで 遊んで とっぴんぱらり 新長野のむかし話 長野県国語教育学会編」 115p
  11. 鉄や金属を嫌うのは、蛇系の神でも同様と思う。
  12. 「川に捨てられた人形」とは人身御供の形代を思わせるが、それが川の神(河童)と別のものから神と一体化する、というのではなく、直接川の神に変じる、という考え方は興味深いと思う。死者が直接に変じる「御霊信仰」は柳田國男の得意とするところでもある。(新訂 妖怪談義、柳田國男、角川ソフィア文庫、2013年、110-111p)
  13. 折口信夫『古代研究II』223–252項、中公クラシックス、2003年
  14. 柳田國男『遠野物語』
  15. 2005 , https://www.ndl.go.jp/nature/cha3/index.html , 第3章 珍禽奇獣異魚 - 描かれた動物・植物, 国会図書館 , 2012-06-10}}
  16. 本堂清『河童物語』 批評社 2015年 ISBN 978-4-82-650630-4 pp.18,36.
  17. 石川純一郎『河童の世界』新版 時事通信社 1985年 ISBN 978-4-78-878515-1 pp.83-84.
  18. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765117/22, 駿国雑志24巻下, 令和2年11月17日}
  19. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765117/28, 駿国雑志24巻下, 令和2年11月17日}
  20. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765117/56, 駿国雑志25巻, 令和2年11月17日
  21. 佐久教育会歴史委員会編『限定復刻版 佐久口碑伝説集 南佐久篇』佐久教育会、1978年、93 - 94ページ。
  22. 宮本幸枝・熊谷あづさ, 日本の妖怪の謎と不思議, 2007, 学研ホールディングス, GAKKEN MOOK, isbn:978-4-05-604760-8, 33頁
  23. http://www.kitano.or.jp/tenmanguu/rekisi.htm, 北野天満宮の歴史, コスモスの町きたの, 北野町商工会, 2009-01-31(リンク切れ:22-04-01)
  24. http://www.matsuuraichi.com/, 松浦一酒造HP, =2010-02-6
  25. 『広辞苑』
  26. かっぱ伝説 - 色麻町役場ホームページ、2016年6月9日閲覧。(リンク切れ:22-04-01)