「浦島太郎」の版間の差分

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上代の原話では「浦島子」(浦島子伝説)で、万葉、日本書紀、丹後国風土記に記述がある。異界は龍宮でなく蓬山(蓬萊山)・常世(とこよ)の併称で呼ばれる。
 
上代の原話では「浦島子」(浦島子伝説)で、万葉、日本書紀、丹後国風土記に記述がある。異界は龍宮でなく蓬山(蓬萊山)・常世(とこよ)の併称で呼ばれる。
  
現代版にみられる「竜宮」「乙姫」「玉手箱」などの呼称や、浦島が亀を買いとって助ける設定は、中世の御伽草子に由来するが、版本として知名度が高い御伽文庫版のそれではなく、異本(I類系)に見られる<!--民芸館古絵巻だけはその場所を「龍宮」とし, 林 (2011), p. 14-->。浦島子伝説では、「蓬萊(とこよのくに)」の名のない女性が「玉匣(たまくしげ)」を渡す<!--御伽草子の異本の数種でも行き先が蓬莱だったり、「乙姫」の名がみえないものがある。-->。しかし海上の竜宮図を使いながら、文章では海底であるとする江戸時代の戯作(1782年)や{{Refn|『昔噺虚言桃太郎 (むかしばなしとんだももたろう)』(天明2/1782年)。浦島の代役に桃太郎が登場するので、標準テキストとはいえないが、[https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100053446/viewer/9 5葉裏]では、袖に「桃」と書かれた'''虚言桃太郎'''が、「亀にうちのり」竜宮にいき(絵の竜宮は波の上)、竜宮の一人娘の乙女(6葉表)は、[https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100053446/viewer/14 11葉表]で、亀に立ち乗って"女の葦の葉達磨といふ身振りにて海底深く急ぎ行く"<ref>林, 2001, p42</ref>)。また赤本絵本の模写絵だが、文章では海底とする英訳(1886年)もある<ref>片岡政行の英訳(1886年)。亀が水面をたたいて深海までみえるようにし"浦島ははるか下に大都市が見えた Urashima saw far below a great city" とあり、"降下(つまり潜水)すると as they descended"ともある</ref><ref name="kataoka-tr"/><ref name="hayashi2009-kataoka-tr"/>。
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現代版にみられる「竜宮」「乙姫」「玉手箱」などの呼称や、浦島が亀を買いとって助ける設定は、中世の御伽草子に由来するが、版本として知名度が高い御伽文庫版のそれではなく、異本(I類系)に見られる<!--民芸館古絵巻だけはその場所を「龍宮」とし, 林 (2011), p. 14-->。浦島子伝説では、「蓬萊(とこよのくに)」の名のない女性が「玉匣(たまくしげ)」を渡す<!--御伽草子の異本の数種でも行き先が蓬莱だったり、「乙姫」の名がみえないものがある。-->。しかし海上の竜宮図を使いながら、文章では海底であるとする江戸時代の戯作(1782年)や、<ref>『昔噺虚言桃太郎 (むかしばなしとんだももたろう)』(天明2/1782年)。浦島の代役に桃太郎が登場するので、標準テキストとはいえないが、[https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100053446/viewer/9 5葉裏]では、袖に「桃」と書かれた'''虚言桃太郎'''が、「亀にうちのり」竜宮にいき(絵の竜宮は波の上)、竜宮の一人娘の乙女(6葉表)は、[https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100053446/viewer/14 11葉表]で、亀に立ち乗って"女の葦の葉達磨といふ身振りにて海底深く急ぎ行く"。</ref><ref>林, 2001, p42</ref>また赤本絵本の模写絵だが、文章では海底とする英訳(1886年)もある<ref>片岡政行の英訳(1886年)。亀が水面をたたいて深海までみえるようにし"浦島ははるか下に大都市が見えた Urashima saw far below a great city" とあり、"降下(つまり潜水)すると as they descended"ともある</ref><ref name="kataoka-tr"/><ref name="hayashi2009-kataoka-tr"/>。
  
 
現代版にいたると亀と姫は同一でなくなるが、浦島子伝説・御伽草子では、浦島が釣って逃がした'''亀は乙姫(蓬莱の女性)の化身'''である。御伽文庫では、'''最後に浦島も死ぬ代わりに鶴に変身する'''。
 
現代版にいたると亀と姫は同一でなくなるが、浦島子伝説・御伽草子では、浦島が釣って逃がした'''亀は乙姫(蓬莱の女性)の化身'''である。御伽文庫では、'''最後に浦島も死ぬ代わりに鶴に変身する'''。
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=== 明治・大正期の活版本 ===
 
=== 明治・大正期の活版本 ===
『田村将軍一代記・小野篁一代記・浦島太郎一代記』(銀花堂、明治22/1889年)は活版印刷されており、この明治20年代頃が木版本から活版本への過渡期とみなされる<ref name="urashimataro-ichidaiki1889"/><ref>{{harvp|早川|2018|p=44}}によれば[[野村銀治郎]](発行者)編。</ref>
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『田村将軍一代記・小野篁一代記・浦島太郎一代記』(銀花堂、明治22/1889年)は活版印刷されており、この明治20年代頃が木版本から活版本への過渡期とみなされる<ref name="urashimataro-ichidaiki1889"/><ref>早川(2018, p44)によれば野村銀治郎(発行者)編。</ref>
  
また森林太郎(森鷗外)ら四名の編纂による『標準於伽文庫』(大正9/1920-1921年)があり<ref name="urashimataro-mori-etal1920"/>、近代版の代表例のひとつとして某論文でつかわれる</ref><ref>下澤, 1980, p29、注15</ref>。
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また森林太郎(森鷗外)ら四名の編纂による『標準於伽文庫』(大正9/1920-1921年)があり<ref name="urashimataro-mori-etal1920"/>、近代版の代表例のひとつとして某論文でつかわれる<ref>下澤, 1980, p29、注15</ref>。
  
 
=== 関敬吾撰 ===
 
=== 関敬吾撰 ===
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バジル・ホール・チェンバレン英訳''The Fisher-Boy Urashima''(1886年)は、『日本昔噺』(ちりめん本)シリーズの一篇として長谷川武次郎により刊行された(挿絵は無銘だが小林永濯の作とされる)<ref name="kyoto-u-foreign-studies"/><ref>宮尾与男の編注対訳本に、逆邦訳された日本語テキストも掲載(宮尾, 2009, p25ff, 301ff)</ref>。チェンバレン訳は、記紀・丹後国風土記・万葉集など古典の設定を取り入れた混成話であり<ref>牧野, 1989, pp130-129</ref>、龍宮は海中でなく海を遠く隔た離島にあるとし<!--Dragon Palace beyond the blue sea--><ref>Chamberlain, 1886</ref>、二人して船を漕いで到達する設定になっている<ref>宮尾, 2009, p34</ref>。
 
バジル・ホール・チェンバレン英訳''The Fisher-Boy Urashima''(1886年)は、『日本昔噺』(ちりめん本)シリーズの一篇として長谷川武次郎により刊行された(挿絵は無銘だが小林永濯の作とされる)<ref name="kyoto-u-foreign-studies"/><ref>宮尾与男の編注対訳本に、逆邦訳された日本語テキストも掲載(宮尾, 2009, p25ff, 301ff)</ref>。チェンバレン訳は、記紀・丹後国風土記・万葉集など古典の設定を取り入れた混成話であり<ref>牧野, 1989, pp130-129</ref>、龍宮は海中でなく海を遠く隔た離島にあるとし<!--Dragon Palace beyond the blue sea--><ref>Chamberlain, 1886</ref>、二人して船を漕いで到達する設定になっている<ref>宮尾, 2009, p34</ref>。
  
1897年には[[小泉八雲|ラフカディオ・ハーン]]の「{{仮リンク|夏の日の夢 (小泉八雲)|en|The Dream of a Summer Day|label=夏の日の夢}}」(『東の国から Out of the East』所収)によっても紹介されている<ref name="榮谷温子" />{{sfnp|牧野|1989|pp=137-136}}
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1897年にはラフカディオ・ハーンの「夏の日の夢 (小泉八雲)(The Dream of a Summer Day)」(『東の国から Out of the East』所収)によっても紹介されている<ref name="榮谷温子" /><ref>牧野, 1989, p137-136</ref>
  
 
== 考察 ==
 
== 考察 ==
近代版{{Refn|group="注"|巌谷小波版/国定教科書以降}}の浦島太郎には、善行を行えば報われるという、「[[仏教]]的な[[因果]]応報思想」が意図的に盛り込まれるとの解説がある{{sfnp|1989|p=201}}。近代版には、亀が「おれいに竜宮へおつれしましょう」<!--「そのおれいにりゅうぐうへつれていつて上げませう」。(尋常小学国語読本)-->と語っているので、報恩の意志ははっきりしている{{Refn|group="注"|この点、理由もわからず連れていかれる[[中世]]の物語とは対照的である(下澤)}}{{sfnp|下澤|1980|p=31}}
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近代版<ref>巌谷小波版/国定教科書以降</ref>の浦島太郎には、善行を行えば報われるという、「仏教的な因果応報思想」が意図的に盛り込まれるとの解説がある<ref>1989, p201</ref>。近代版には、亀が「おれいに竜宮へおつれしましょう」<!--「そのおれいにりゅうぐうへつれていつて上げませう」。(尋常小学国語読本)-->と語っているので、報恩の意志ははっきりしている<ref>この点、理由もわからず連れていかれる中世の物語とは対照的である(下澤)</ref><ref>下澤, 1980, p31</ref>
  
しかし、近代版では理不尽にも浦島の結末は短く竜宮で楽しんだ後は老人となってしまう。結果的に自身が不幸に陥ることになるので、報恩といえるかどうか、疑問視もされ<ref name="takada"/>、「アンチ報恩譚」とのレッテルを張る論文すらある<ref name="mukasa">{{citation|和書|last=武笠 |first=俊一<!--Mukasa Shunichi--> |authorlink=本山桂川 |title=玉匣から玉手箱へ : 浦島伝承史考 |trans-title=The homecoming of Tarow Urashima |journal=人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 |volume=25 |year=2007 |url=https://hdl.handle.net/10076/9716 |pp=75-84}}</ref><!--ノートに書いた通り、武笠論文には概して懐疑的な意見も見える。-->。{{要出典範囲|[[説話|お伽噺]]として理不尽で不合理な教訓をもたらすことになっているのではないかというものだ|date=2017年10月|title=永井俊哉 (2017)PHP書籍『浦島伝説の謎を解く』で引いているので当面は残そうかと。}}。また古い浦島子伝説では報恩の要素は見いだせないとされる{{sfnp|柳田|1971|p=50}}
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しかし、近代版では理不尽にも浦島の結末は短く竜宮で楽しんだ後は老人となってしまう。結果的に自身が不幸に陥ることになるので、報恩といえるかどうか、疑問視もされ<ref name="takada"/>、「アンチ報恩譚」とのレッテルを張る論文すらある<ref name="mukasa">武笠俊一<!--Mukasa Shunichi--> 本山桂川, 玉匣から玉手箱へ : 浦島伝承史考(The homecoming of Tarow Urashima ), 人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要, volume25, 2007, https://hdl.handle.net/10076/9716, p75-84</ref><!--ノートに書いた通り、武笠論文には概して懐疑的な意見も見える。-->。<ref>要出典範囲:お伽噺として理不尽で不合理な教訓をもたらすことになっているのではないかというものだ, 2017年10月, 永井俊哉 (2017)PHP書籍『浦島伝説の謎を解く』で引いているので当面は残そうかと。</ref>。また古い浦島子伝説では報恩の要素は見いだせないとされる<ref>柳田, 1971, p50</ref>
  
中世(『[[#御伽草子|御伽草子]]』、後述)の場合は、主人公が単に老化してあるいは死んで終わるのではなく、鶴と化して「めでたき」結末となっている{{sfnp|牧野|1980|p=129}}ので、より報恩譚として成立する。これについては逆に、亀の放生を行った程度で容易に無限の宝を得られるでは釣り合わない、との批判がみられる{{Refn|日高昭二(1991)、「『御伽草紙』論―心性としてのテクスト」、国文学<ref name="takada"/>。}}。鶴になる結末は何を伝えたいのかわからないとの向きもある<ref name="trivia" />。
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中世(『御伽草子』、後述)の場合は、主人公が単に老化してあるいは死んで終わるのではなく、鶴と化して「めでたき」結末となっている<ref>牧野, 1980, p129</ref>ので、より報恩譚として成立する。これについては逆に、亀の放生を行った程度で容易に無限の宝を得られるでは釣り合わない、との批判がみられる<ref>日高昭二(1991)、「『御伽草紙』論―心性としてのテクスト」、国文学</ref><ref name="takada"/>。鶴になる結末は何を伝えたいのかわからないとの向きもある<ref name="trivia" />。
 
 
[[精神分析学]]の[[岸田秀]]は、浦島が亀<ref group="注">岸田によれば[[ペニス]]のメタファーである。</ref>に乗って入る、時の流れのない楽園である竜宮城を、[[抑圧 (心理学)|抑圧]]も欲望の不満もない[[子宮]]の[[メタファー]]とし、軽率に竜宮城を出た浦島が玉手箱を開けることで時間の中に組み込まれる物語は、[[性欲#精神分析学における性的欲求|性的欲望]]に仮託した子宮復帰願望の物語であり、何の不安もなかった幼い日々を失った嘆きの物語と解釈した<ref>[[岸田秀]]『ものぐさ精神分析』 青土社 1978年 第6版 pp.196-198.</ref>。
 
  
 
=== 竜宮 ===
 
=== 竜宮 ===
常世の女性が、[[ワタツミ]](海神)の娘だということが付記されるのは、『万葉集』の長歌に詠まれる浦島子伝説においてである。
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常世の女性が、ワタツミ(海神)の娘だということが付記されるのは、『万葉集』の長歌に詠まれる浦島子伝説においてである。
  
このワタツミを竜神や竜王と同一視できるかについては、浦島子伝説は既に中国の[[唐]]代に流行していた[[竜生九子]]伝説{{Refn|group="注"|後に[[楊慎]]『升庵外集』に記述される。}}の影響を受けていたもので、すなわち奈良時代の浦島子伝説でも、亀姫は竜王の姫だったという解釈がある<ref name="sakata"/>。また唐の『竜女伝』を元の素材として、亀姫は[[四海竜王|東海竜王]]の娘の[[竜|竜女]]であるとする、より具体性のある見解を[[藤沢衛彦]]は打ち出している<ref name="fujisawa"/>。
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このワタツミを竜神や竜王と同一視できるかについては、浦島子伝説は既に中国の唐代に流行していた竜生九子伝説<ref>後に楊慎『升庵外集』に記述される。</ref>の影響を受けていたもので、すなわち奈良時代の浦島子伝説でも、亀姫は竜王の姫だったという解釈がある<ref name="sakata"/>。また唐の『竜女伝』を元の素材として、亀姫は東海竜王の娘の竜女であるとする、より具体性のある見解を藤沢衛彦は打ち出している<ref name="fujisawa"/>。
  
しかし仮説になりたった解釈を抜きにすれば、『御伽草子』において初めて、異郷が明確に「竜宮」となり<ref name="akiya"/>、その異郷の女性が「乙姫」という名の竜王の娘として登場する<ref name="miyao"/>{{sfnp|McKeon|1996|p=136}}。この竜王が竜族かを問えば、[[柳田国男]]によれば「日本の昔話の竜宮には竜はいない」とされる{{sfnp|柳田|1971|p=45}}
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しかし仮説になりたった解釈を抜きにすれば、『御伽草子』において初めて、異郷が明確に「竜宮」となり<ref name="akiya"/>、その異郷の女性が「乙姫」という名の竜王の娘として登場する<ref name="miyao"/><ref>McKeon, 1996, p136</ref>。この竜王が竜族かを問えば、柳田国男によれば「日本の昔話の竜宮には竜はいない」とされる<ref>柳田, 1971, p45</ref>
  
 
== 御伽草子 ==
 
== 御伽草子 ==
「浦島太郎」として伝わる話の型が定まったのは、[[室町時代]]に成立した短編物語『[[御伽草子]]』による。その後は良く知られた昔話として様々な媒体で流通することになる。亀の[[恩返し]](報恩)と言うモチーフを取るようになったのも『御伽草子』以降のことで、乙姫、[[龍宮|竜宮城]]、[[玉手箱]]が登場するのも中世であり、『御伽草子』の出現は浦島物語にとって大きな変換点であった<!--{{sfnp|三浦|1989|p=180}}あたりに見えるようだが、不詳。しかし以下文で出典付きで述べているのでrefはそちらにゆだねる-->。
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「浦島太郎」として伝わる話の型が定まったのは、室町時代に成立した短編物語『御伽草子』による。その後は良く知られた昔話として様々な媒体で流通することになる。亀の恩返し(報恩)と言うモチーフを取るようになったのも『御伽草子』以降のことで、乙姫、[[龍宮|竜宮城]]、玉手箱が登場するのも中世であり、『御伽草子』の出現は浦島物語にとって大きな変換点であった<!--<ref>三浦, 1989, p180</ref>あたりに見えるようだが、不詳。しかし以下文で出典付きで述べているのでrefはそちらにゆだねる-->。
  
「御伽草子」の稿本といえば、普通「御伽文庫」版を指すことが慣習的となっている。こちらは江戸時代に版本にされて多くの部数が普及したからである{{Refn|group="注"|「御伽文庫」は、渋川清右衛門が収集して刊行した1720年頃のそれを指すが、実はその50年も前に刊行された丹緑本(たんろくぼん)と同一テキストと判明している<ref>{{Cite journal|和書|author=[[松本隆信]] |date=1963-03 |url=https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00106199-00000002-0171 |title=御伽草子本の本文について : 小敦盛と横笛草紙 |trans-title=Textual criticism of Koatsumori (小敦盛) and Yokobue-soshi (横笛草紙) (Otogi soshi of Shibukawa edition) compared with their old manuscripts |journal=斯道文庫論集 |ISSN=0559-7927 |publisher=慶應義塾大学附属研究所斯道文庫 |volume=2 |pages=171-172 |crid=|1050001338946770560}}</ref>。}}{{sfnp||2011|p=17}}{{sfnp|Holmes|2014|p=17, note 71}}
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「御伽草子」の稿本といえば、普通「御伽文庫」版を指すことが慣習的となっている。こちらは江戸時代に版本にされて多くの部数が普及したからである<ref>「御伽文庫」は、渋川清右衛門が収集して刊行した1720年頃のそれを指すが、実はその50年も前に刊行された丹緑本(たんろくぼん)と同一テキストと判明している</ref><ref>松本隆信, 1963-03, https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00106199-00000002-0171, 御伽草子本の本文について : 小敦盛と横笛草紙, Textual criticism of Koatsumori (小敦盛) and Yokobue-soshi (横笛草紙) (Otogi soshi of Shibukawa edition) compared with their old manuscripts, 斯道文庫論集, ISSN:0559-7927, 慶應義塾大学附属研究所斯道文庫, volume2, p171-172, crid:1050001338946770560</ref><ref>, 2011, p17</ref><ref>Holmes, 2014, p17, note 71</ref>
  
 
=== 御伽文庫 ===
 
=== 御伽文庫 ===
御伽文庫の稿本の原文は、「昔[[丹後国|丹後の國]]に浦島といふもの侍りしに、其の子に浦島太郎と申して、年のよはひ二十四五の男ありけり」と始まる<ref name="bunko-ndl">{{citation|和書|editor1-last=今泉 |editor1-first=定助<!--Imaizumi Sadasuke--> |editor2-last=畠山 |editor2-first=健<!--Hatakeyama Ken-->|title=21 浦島太郎|work=御伽草子 後|volume=<!--2--> |publisher=吉川半七 |year=1891 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992892}}; (校訂版){{citation|和書|editor-last=藤井 |editor-first=乙男 |title=浦島太郎 |work= 御伽草子 |publisher=有朋堂書店 |year=1922 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/977912/170 |pages=277-298}}</ref><ref name="bunko-web">{{cite web|url=http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/Taro_Urashima.html |title=Taro Urashima story: A Fable |work=Ikeda Mitsuho |author=Ikeda Mitsuho |year=2013 |accessdate=2017-09-24}} 入力</ref>。
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御伽文庫の稿本の原文は、「昔丹後の國に浦島といふもの侍りしに、其の子に浦島太郎と申して、年のよはひ二十四五の男ありけり」と始まる<ref name="bunko-ndl">今泉定助<!--Imaizumi Sadasuke-->, 畠山健<!--Hatakeyama Ken-->, 21 浦島太郎, 御伽草子 後, 吉川半七, 1891, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992892; (校訂版)藤井乙男, 浦島太郎, 御伽草子, 有朋堂書店, 1922, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/977912/170, p277-298</ref><ref name="bunko-web">http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/Taro_Urashima.html, Taro Urashima story: A Fable, Ikeda Mitsuho, 2013, 2017-09-24</ref>。
  
:丹後の国に浦島という者がおり、その息子で、浦島太郎という、年の頃24、5の男がいた。太郎は漁師をして両親を養っていたが、ある日「ゑじまが磯」というところで亀を釣りあげ、「亀は万年と言うのにここで殺してしまうのはかわいそうだ。恩を忘れるなよ」と逃がしてやった。数日後、一人の女人が舟で浜に辿り着き、漂着したと称して、なんとか本国に連れ帰してくれと請願する。実はこれは逃がしてもらった亀の化身であった{{Refn|group="注"|素性はここでは明かさず、浦島が去ろうとするときに初めて明かす。}}。二人が舟で龍宮城に到着すると、女性は太郎と夫婦になろうと言い出す。龍宮城は、東西南北の戸を開けると四季の草木と眺めがみえるように作られていた。ここで共に三年暮す頃、太郎は残してきた両親が心配になり帰りたいと申し出た。姫は自分が助けられた亀であったことを明かし、開けることを禁じたうえで「かたみの筥(はこ)」(または「箱」、挿入歌では「[[玉手箱]]あけて悔しき」と詠まれる{{Refn|group="注"|「いつくしき筥」とも。}})を手渡した。太郎は元の浜に着き、老人に浦島(太郎の父)の行方を尋ねるが、それは七百年も昔の人で、近くにある古い塚がその墓だと教えられる。龍宮城の三年の間に、地上では七百年もの年月が経っていたのであった。絶望した太郎が箱を開けると、三筋の紫の雲が立ち昇り、太郎はたちまち老人になった。太郎は[[ツル|鶴]]になり蓬萊山へ向かって飛び去った。同時に乙姫も亀になって蓬莱山へ向かった。丹後では太郎と乙姫は夫婦の明神となって祀られた<ref name="bunko-yomikudashi">{{harvp|蘆屋|1936|pp=1888-191}}: 御伽草子の「浦島太郎」の読み下し</ref>。
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:丹後の国に浦島という者がおり、その息子で、浦島太郎という、年の頃24、5の男がいた。太郎は漁師をして両親を養っていたが、ある日「ゑじまが磯」というところで亀を釣りあげ、「亀は万年と言うのにここで殺してしまうのはかわいそうだ。恩を忘れるなよ」と逃がしてやった。数日後、一人の女人が舟で浜に辿り着き、漂着したと称して、なんとか本国に連れ帰してくれと請願する。実はこれは逃がしてもらった亀の化身であった<ref>素性はここでは明かさず、浦島が去ろうとするときに初めて明かす。</ref>。二人が舟で龍宮城に到着すると、女性は太郎と夫婦になろうと言い出す。龍宮城は、東西南北の戸を開けると四季の草木と眺めがみえるように作られていた。ここで共に三年暮す頃、太郎は残してきた両親が心配になり帰りたいと申し出た。姫は自分が助けられた亀であったことを明かし、開けることを禁じたうえで「かたみの筥(はこ)」(または「箱」、挿入歌では「玉手箱あけて悔しき」と詠まれる<ref>「いつくしき筥」とも。</ref>)を手渡した。太郎は元の浜に着き、老人に浦島(太郎の父)の行方を尋ねるが、それは七百年も昔の人で、近くにある古い塚がその墓だと教えられる。龍宮城の三年の間に、地上では七百年もの年月が経っていたのであった。絶望した太郎が箱を開けると、三筋の紫の雲が立ち昇り、太郎はたちまち老人になった。太郎は鶴になり蓬萊山へ向かって飛び去った。同時に乙姫も亀になって蓬莱山へ向かった。丹後では太郎と乙姫は夫婦の明神となって祀られた<ref name="bunko-yomikudashi">蘆屋, 1936, p1888-191: 御伽草子の「浦島太郎」の読み下し</ref>。
  
<!--=== 「鶴亀」バージョン ===--><!--「御伽文庫」にも鶴亀の変身、と"夫婦の[[明神]]となり給ふ"の文句はあるのでバージョン替えとするのは誤解をまねく。-->
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<!--=== 「鶴亀」バージョン ===--><!--「御伽文庫」にも鶴亀の変身、と"夫婦の明神となり給ふ"の文句はあるのでバージョン替えとするのは誤解をまねく。-->
一説に、ここから「亀は万年の齢を経、鶴は千代をや重ぬらん」と謡う[[能楽]]『[[鶴亀]]』などに受け継がれ、さらに、鶴亀を[[縁起物]]とする習俗がひろがったとする{{要出典|date=2017年9月}}。
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一説に、ここから「亀は万年の齢を経、鶴は千代をや重ぬらん」と謡う能楽『鶴亀』などに受け継がれ、さらに、鶴亀を縁起物とする習俗がひろがったとする(要出典:2017年9月)。
  
『[[御伽草子]]』では[[龍宮|竜宮城]]は海中ではなく、島か大陸にあるように描写され、絵巻や絵本の挿絵もそうなっている。春の庭、夏の庭、秋の庭、冬の庭の話はメインストーリーの付け足し程度に書かれている。
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『御伽草子』では[[龍宮|竜宮城]]は海中ではなく、島か大陸にあるように描写され、絵巻や絵本の挿絵もそうなっている。春の庭、夏の庭、秋の庭、冬の庭の話はメインストーリーの付け足し程度に書かれている。
  
 
=== 異本と系統 ===
 
=== 異本と系統 ===
[[File:Urashima Taro handscroll from Bodleian Library 1.jpg|thumbnail|300px|亀を助ける浦島太郎。{{right|{{small|―オックスフォード大学ボドリアン図書館所蔵の絵巻より、16世紀末~17世紀初。}}}}]]
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浦島太郎の御伽草子の諸本は、実際には50種以上存在する。それらをテキストの類似性で分類すると、おおよそ4つの系統に分かれる<ref>, 2011, p4</ref><ref>, 2013, p5</ref>。御伽文庫は、IV類系統に該当する<ref>, 2011, p20, 30</ref>
浦島太郎の御伽草子の諸本は、実際には50種以上存在する。それらをテキストの類似性で分類すると、おおよそ4つの系統に分かれる{{sfnp||2011|p=4}}{{sfnp||2013|p=5}}。御伽文庫は、IV類系統に該当する{{sfnp||2011|pp=20, 30}}
 
  
 
=== 近代版に近い系統 ===
 
=== 近代版に近い系統 ===
「御伽文庫」版は御伽草子の定番だが、現代の「浦島太郎」のおとぎ話とは、筋書きや名称のうえで違いが多い。御伽文庫では、太郎は亀を買いとることはせず、背中にも乗らない{{sfnp||2011|p=17}}{{Refn|group="注"|name="urashima-ride"|背中に乗るのは、「十八世紀初頭前後に始まった」という考察は{{sfnp||2001|p=41}}、「十七世紀末(元禄頃)」に繰り下げている{{harvp||2019|p=27}}。}}
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「御伽文庫」版は御伽草子の定番だが、現代の「浦島太郎」のおとぎ話とは、筋書きや名称のうえで違いが多い。御伽文庫では、太郎は亀を買いとることはせず、背中にも乗らない<ref>, 2011, p17</ref><ref>背中に乗るのは、「十八世紀初頭前後に始まった」という考察は、「十七世紀末(元禄頃)」に繰り下げている</ref><ref>, 2001, p41</ref><ref>, 2019, p27</ref>
  
I類系統の本が、現代版により近く、浦島太郎が宝を渡して亀を買い取る要素が含まれている{{sfnp||2011|p=1}}。また、相手の女性を無名とせず、「乙姫」(「亀の乙姫」)と特定するものが含まれる{{sfnp||pp=10, 14}}{{sfnp||2011|pp=9, 25}}。また本文でも「玉手箱」という言葉が使われる{{Refn|group="注"|御伽文庫では、本文では「筥/箱(はこ)」としており、挿入歌にのみ「君にあふ夜はうらしまが玉手ばこ、あけてくやしきわがなみだかな」とある。}}{{sfnp||2013|pp=11, 28, 30}}{{sfnp|Hayashi|2016|pp=10-11}}
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I類系統の本が、現代版により近く、浦島太郎が宝を渡して亀を買い取る要素が含まれている<ref>, 2011, p1</ref>。また、相手の女性を無名とせず、「乙姫」(「亀の乙姫」)と特定するものが含まれる<ref>, p10, 14</ref><ref>, 2011, p9, 25</ref>。また本文でも「玉手箱」という言葉が使われる<ref>御伽文庫では、本文では「筥/箱(はこ)」としており、挿入歌にのみ「君にあふ夜はうらしまが玉手ばこ、あけてくやしきわがなみだかな」とある。</ref><ref>, 2013, p11, 28, 30</ref><ref>Hayashi, 2016, p10-11</ref>
  
[[オックスフォード大学]][[ボドリアン図書館]]所蔵の絵巻<ref group="注">MS. Jap. c. 4 (R)</ref>もI類に所属する{{sfnp||2011|pp=4-5}}{{Refn|group="注"|テキストも翻刻されている:{{harvp||2013|pp=18-31}}。}}
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オックスフォード大学ボドリアン図書館所蔵の絵巻<ref group="注">MS. Jap. c. 4 (R)</ref>もI類に所属する<ref>, 2011, p4-5</ref><ref>テキストも翻刻されている(harvp, , 2013, p18-31)</ref>
  
林晃平は、I類を性格づける要素として、1) 亀の買い取り 2) 迎えの舟 3) 四季の間に郷愁をなだめる効果{{Refn|group="注"|募らせるのと逆}}、4) 村人が長寿を認めて荼毘に付す(修行僧の役割)、5) 玉手箱の煙が蓬莱に到達し、乙姫が悲しむ、の五つを挙げている{{sfnp||2011|pp=9-10}}
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林晃平は、I類を性格づける要素として、1) 亀の買い取り 2) 迎えの舟 3) 四季の間に郷愁をなだめる効果<ref>募らせるのと逆</ref>、4) 村人が長寿を認めて荼毘に付す(修行僧の役割)、5) 玉手箱の煙が蓬莱に到達し、乙姫が悲しむ、の五つを挙げている<ref>, 2011, p9-10</ref>
  
 
== 浦島子伝説 ==
 
== 浦島子伝説 ==
[[file:浦島子_Urashimako_和漢百人一首.jpg|thumb|alt=江戸時代に描かれた浦島子の図([[歌川貞秀]]『和漢百人一首』)|浦島子{{right|{{small|―[[歌川貞秀]]『和漢百人一首』}}}}]]
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「浦島太郎」という名前は中世の物語から登場し、それ以前の文献では「浦島子」の伝説として記録される。この浦島子にはモデルが実在しており、複数の史書にその名が見える。浦島子は日下部首の先祖であるとされる<ref>宝賀寿男「第2章 皇族系氏族 第7節 日下部氏族」『古代氏族系譜集成』上巻、古代氏族研究会、1986年。</ref>。
「浦島太郎」という名前は中世の物語から登場し、それ以前の文献では「浦島子」の伝説として記録される。この浦島子にはモデルが実在しており、複数の史書にその名が見える。浦島子は日下部首の先祖であるとされる<ref>[[宝賀寿男]]「第2章 皇族系氏族 第7節 日下部氏族」『古代氏族系譜集成』上巻、古代氏族研究会、1986年。</ref>。
 
  
 
浦島子の伝説は、上代の文献である『丹後国風土記逸文』『日本書紀』や『万葉集』巻九にあり、成立年代は近いとされるが、順序については異説がある。
 
浦島子の伝説は、上代の文献である『丹後国風土記逸文』『日本書紀』や『万葉集』巻九にあり、成立年代は近いとされるが、順序については異説がある。
  
浦島子が誘われる場所は[[蓬萊]]([[常世国|とこよのくに]])なので、これら伝説は異郷淹留譚(仙境淹留譚)に分類される{{sfnp|三浦|1989|pp=84, 96}}{{sfnp|重松|1981|p=175}}
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浦島子が誘われる場所は蓬萊(常世国|とこよのくに)なので、これら伝説は異郷淹留譚(仙境淹留譚)に分類される<ref>三浦, 1989, pp84, 96</ref><ref>重松, 1981, p175</ref>
  
蓬萊山は、中国における[[不老不死]]の[[理想郷]]で、[[道教]]の中核にある[[神仙思想]]の産物である。浦島子伝説には、こうした神仙思想的(道教的)要素が見いだせる<ref>瀧音能之「浦島」 / 小野一之・鈴木彰・谷口榮・樋口州男編 『人物伝小辞典 古代・中世編』 東京堂出版、2004年、36頁</ref>。ただそのことについては、現地の伝説を取材したが原作者の漢籍癖が出たためとも<ref name="toki-no-manyoshu"/>、唐伝来の話の翻案であるから、とも論じられる<ref name="kato"/>。
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蓬萊山は、中国における不老不死の理想郷で、道教の中核にある神仙思想の産物である。浦島子伝説には、こうした神仙思想的(道教的)要素が見いだせる<ref>瀧音能之「浦島」 / 小野一之・鈴木彰・谷口榮・樋口州男編 『人物伝小辞典 古代・中世編』 東京堂出版、2004年、36頁</ref>。ただそのことについては、現地の伝説を取材したが原作者の漢籍癖が出たためとも<ref name="toki-no-manyoshu"/>、唐伝来の話の翻案であるから、とも論じられる<ref name="kato"/>。
  
 
=== 丹後国風土記逸文 ===
 
=== 丹後国風土記逸文 ===
8世紀に成立した『丹後国風土記』(現在は逸文のみが残存)にある「筒川嶼子」「水江浦嶼子」<ref>[http://homepage2.nifty.com/toka3aki///geography/fudoits5.html toka3aki 「国土としての始原史~風土記逸文」~山陰道] - [http://homepage2.nifty.com/toka3aki///index.html 露草色の郷](『丹後国風土記』(たにはのみちのしりのくにのふどき)の逸文テクスト。「浦嶼子」は『釋日本紀』〈卷十二〉からの引用)</ref>は、浦島太郎の物語の原型と解されている{{Refn|group="注"|厳密に言えば、馬養の物語が原型であるが、丹後国風土記の編者が二つの話に差異はないと述べている(後述)。ただ三浦は、"馬養の物語の原型にもっとも近い作品は、先に少しふれた『続浦島子伝記』ではないか"との感想も述べている{{sfnp|三浦|1989|p=106}}。}}{{sfnp|三浦|1989|p=101-106, 148}}。ほぼ同時代の『[[日本書紀]]』『[[万葉集]]』にも記述が見られるが、『丹後国風土記』逸文が内容的に一番詳しい{{sfnp|三浦|1989|p=65}}<!--"についてもっとも詳しい記事を載せているのは"-->。
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8世紀に成立した『丹後国風土記』(現在は逸文のみが残存)にある「筒川嶼子」「水江浦嶼子」<ref>[http://homepage2.nifty.com/toka3aki///geography/fudoits5.html toka3aki 「国土としての始原史~風土記逸文」~山陰道] - [http://homepage2.nifty.com/toka3aki///index.html 露草色の郷](『丹後国風土記』(たにはのみちのしりのくにのふどき)の逸文テクスト。「浦嶼子」は『釋日本紀』〈卷十二〉からの引用)</ref>は、浦島太郎の物語の原型と解されている<ref>厳密に言えば、馬養の物語が原型であるが、丹後国風土記の編者が二つの話に差異はないと述べている(後述)。ただ三浦は、"馬養の物語の原型にもっとも近い作品は、先に少しふれた『続浦島子伝記』ではないか"との感想も述べている</ref><ref>三浦, 1989, p106</ref><ref>三浦, 1989, p101-106, 148</ref>。ほぼ同時代の『日本書紀』『万葉集』にも記述が見られるが、『丹後国風土記』逸文が内容的に一番詳しい<ref>三浦, 1989, p65</ref><!--"についてもっとも詳しい記事を載せているのは"-->。
  
 
内容は次の通り:
 
内容は次の通り:
  
:冒頭は「[[与謝郡|與謝郡]]日置里、この里に筒川村あり」とし、その村の[[筒川村|筒川]]嶼子(つつかわのしまこ)は、容姿と風流が際立ち、別名「水江浦嶼子」といい、[[日下部氏|日下部]]首(くさかべのおびと)の先祖だとしている{{Refn|group="注"|與謝郡日置里此里有筒川村此人夫日下部首等先祖名云筒川嶼子爲人姿容秀美風流無類斯所謂水江浦嶼子者也<!--是旧宰伊預部馬養連所記無相乖故略陳所由之旨長谷朝倉宮御宇天皇御世嶼子独乘小船汎出海中爲釣経三日三夜不得一魚乃得五色龜心思奇異置于船中即寐忽爲婦人其容美麗更不可比嶼子問曰人宅遥遠海庭人乏詎人忽來女娘微咲對曰風流之士獨汎蒼海不勝近談就風雲來-->..<ref>{{Cite web|和書| author = 沢瀉久孝 編 | title = 上代文学選. 上 | publisher = 三省堂 | date = 1941 | url = {{NDLDC|1456581/61}} | accessdate = 2015-07-15}}</ref>}}
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:冒頭は「與謝郡日置里、この里に筒川村あり」とし、その村の筒川嶼子(つつかわのしまこ)は、容姿と風流が際立ち、別名「水江浦嶼子」といい、日下部首(くさかべのおびと)の先祖だとしている<ref>與謝郡日置里此里有筒川村此人夫日下部首等先祖名云筒川嶼子爲人姿容秀美風流無類斯所謂水江浦嶼子者也<!--是旧宰伊預部馬養連所記無相乖故略陳所由之旨長谷朝倉宮御宇天皇御世嶼子独乘小船汎出海中爲釣経三日三夜不得一魚乃得五色龜心思奇異置于船中即寐忽爲婦人其容美麗更不可比嶼子問曰人宅遥遠海庭人乏詎人忽來女娘微咲對曰風流之士獨汎蒼海不勝近談就風雲來-->..</ref><ref>沢瀉久孝 編, 上代文学選. 上, 三省堂, 1941, NDLDC:1456581/61, 2015-07-15</ref>。
  
:[[泊瀬朝倉宮|長谷(はつせ)の朝倉宮]]の御世、つまり[[雄略天皇]]の時代。嶼子(島子)が一人船で海に出るが、3日間魚は釣れず、五色の亀が取れる。船で寝入る間に亀は美女の姿に変わっている。いきなり現れた女性の素性を訪ねると、「天上の仙(ひじり)の家」の者だとの返答。島子と語らいたくなってやって来たという。舟を漕いで女性の住む「蓬山」{{Refn|group="注"|挿入歌では「とこよ(等許余)」と見える。}}を訪れるが、海上の島であった。門に立つと、7人の童子、ついで8人の童子に「亀比売(かめひめ)の夫がいらした」と出迎えられるが、これらは[[昴星|昴七星]]と[[畢星]]の星団であった。浦島は饗宴を受け、女性と男女の契りを交わす。
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:長谷(はつせ)の朝倉宮の御世、つまり雄略天皇の時代。嶼子(島子)が一人船で海に出るが、3日間魚は釣れず、五色の亀が取れる。船で寝入る間に亀は美女の姿に変わっている。いきなり現れた女性の素性を訪ねると、「天上の仙(ひじり)の家」の者だとの返答。島子と語らいたくなってやって来たという。舟を漕いで女性の住む「蓬山」<ref>挿入歌では「とこよ(等許余)」と見える。</ref>を訪れるが、海上の島であった。門に立つと、7人の童子、ついで8人の童子に「亀比売(かめひめ)の夫がいらした」と出迎えられるが、これらは昴七星と畢星の星団であった。浦島は饗宴を受け、女性と男女の契りを交わす。
  
:三年がたち、島子に里心がつくと、女性は悲しむが、彼女との再会を望むなら決して開けてはならない玉匣(たまくしげ)(箱)を授けて送りだす。郷里を訪ねると家族の消息は得られず、水江の浦の島子<!--蘆屋の訓じ方「水江の浦の島子」-->という人が300年前に失踪したと伝わる、と教えられる。約束を忘れて箱を開けると、何か美しい姿が雲をともない天上に飛び去って行った。そこで島子は女性と再会できなくなったことを悟るのである<ref name="fudoki-yomikudashi">{{harvp|蘆屋|1936|pp=183-187}}: 丹後国風土記逸文の読み下し</ref>{{sfnp|Holmes|2014|pp=114-118}}
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:三年がたち、島子に里心がつくと、女性は悲しむが、彼女との再会を望むなら決して開けてはならない玉匣(たまくしげ)(箱)を授けて送りだす。郷里を訪ねると家族の消息は得られず、水江の浦の島子<!--蘆屋の訓じ方「水江の浦の島子」-->という人が300年前に失踪したと伝わる、と教えられる。約束を忘れて箱を開けると、何か美しい姿が雲をともない天上に飛び去って行った。そこで島子は女性と再会できなくなったことを悟るのである<ref name="fudoki-yomikudashi">丹後国風土記逸文の読み下し</ref><ref>蘆屋, 1936, p183-187</ref><ref>Holmes, 2014, p114-118</ref>
  
しかし、何らかの力で二人は歌を詠みかわすことができ、3首が[[万葉仮名]]で引用されている{{sfnp|三浦|1989|p=101-106, 148}}。後世より贈られたという2首も引かれているが、これら贈答歌は、『丹後国風土記』より後の時代に追加されたとの説がある{{sfnp|水野|1975|p=60|ps=<!--『丹後国風土記』の成立した時には、この贈答歌は加えられていなかつたと考え-->}}
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しかし、何らかの力で二人は歌を詠みかわすことができ、3首が万葉仮名で引用されている<ref>三浦, 1989, p101-106, 148</ref>。後世より贈られたという2首も引かれているが、これら贈答歌は、『丹後国風土記』より後の時代に追加されたとの説がある<ref>水野, 1975, p60<!--『丹後国風土記』の成立した時には、この贈答歌は加えられていなかつたと考え--></ref>
  
 
==== 伊余部馬養の作という説 ====
 
==== 伊余部馬養の作という説 ====
『丹後国風土記』逸文は、収録された話は、[[連]](むらじ)の[[伊余部馬養|伊豫部馬養]](いよべのうまかい)という人物が書いた記録と突き合わせても差異がなかったとしている。すなわち馬養が丹波の[[国司|国宰]]だった頃の文章は風土記以前に成立しており、馬養が浦島伝説の最初の筆者であるとの説がある。
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『丹後国風土記』逸文は、収録された話は、連(むらじ)の伊豫部馬養(いよべのうまかい)という人物が書いた記録と突き合わせても差異がなかったとしている。すなわち馬養が丹波の国宰だった頃の文章は風土記以前に成立しており、馬養が浦島伝説の最初の筆者であるとの説がある。
  
馬養は7世紀後半の学者官僚で『[[律令]]』選定、史書編纂に係わって[[皇太子学士]]を勤め、『[[懐風藻]]』に神仙思想を基にした漢詩を残す当代一級の知識人であった。そのことを踏まえても、馬養の著作の源が日本の伝承だったのか、中国の説話なのか疑問が残る。現地に元々あった伝承を採集しそれを中国の神仙譚風に編集、脚色したという見解と<ref name="toki-no-manyoshu"/>、中国の類話の舞台を丹波/丹後に移して翻案した作品との見解<ref name="kato"/>とで対立している{{Refn|group="注"|丹後国はもともと丹波国の行政下にあり、独立したのは713年である。馬養が丹波の[[国司|国宰]]だったのはそのとき以前なので、二つの国が混同される理由もそこにある<ref name="cranston">{{citation|last=Cranston |first=Edwin A. |title=The Gem-Glistening Cup |publisher=Stanford University Press |year=1998 |pp=144-145|url=https://books.google.com/books?id=KqWjwalbmx4C&pg=PA145}}</ref>。}}
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馬養は7世紀後半の学者官僚で『律令』選定、史書編纂に係わって皇太子学士を勤め、『懐風藻』に神仙思想を基にした漢詩を残す当代一級の知識人であった。そのことを踏まえても、馬養の著作の源が日本の伝承だったのか、中国の説話なのか疑問が残る。現地に元々あった伝承を採集しそれを中国の神仙譚風に編集、脚色したという見解と<ref name="toki-no-manyoshu"/>、中国の類話の舞台を丹波/丹後に移して翻案した作品との見解<ref name="kato"/>とで対立している<ref>丹後国はもともと丹波国の行政下にあり、独立したのは713年である。馬養が丹波の国宰だったのはそのとき以前なので、二つの国が混同される理由もそこにある</ref><ref name="cranston">Edwin A., The Gem-Glistening Cup, Stanford University Press, 1998, p144-145, https://books.google.com/books?id=KqWjwalbmx4C&pg=PA145</ref>。
  
 
==== 三浦の解釈 ====
 
==== 三浦の解釈 ====
[[三浦佑之]]の論旨に従えば、『丹後国風土記』を基にして解釈すれば、主人公は風流な男である浦島子と<!--風流--><ref>{{harvp|三浦|1989|pp=78, 95}}</ref>、神仙世界の美女であり<!--神仙世界, 仙境, 仙女 pp.135-->、その二人の恋が官能的に描かれて<!--官能的--><ref>{{harvp|三浦|1989|pp=96, 117, 179}}</ref><ref name="tachibana"/>異界(蓬莱山)と人間界との3年対300年という時間観念を鮮明に持つ<!--時間観念, 観念的な時間認識, 百倍--><ref>{{harvp|三浦|1989|pp=91, 94; 90, 146}}</ref>。その語り口は、古代にあっては非常に真新しい思想と表現であり、神婚神話や海幸山幸神話などとはまったく異質であり<!--"この浦島子物語の時間観念は、かなり異質な要素として、他の神話や説話との差異" p. 91--><!--"神婚神話と同じ構造である。ところが、"p.80, "古代神婚神話の類型のようにみえる" p.81--><ref>{{harvp|三浦|1989|pp=91; 80-81}}</ref>、結末が老や死ではなく肉体が地上から消え去るという神仙的な尸解譚になっているのもそのためである<!--地仙, 尸解仙--><ref>{{harvp|三浦|1989|pp=94, 119, 148}}</ref>。
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三浦佑之の論旨に従えば、『丹後国風土記』を基にして解釈すれば、主人公は風流な男である浦島子と<!--風流--><ref>三浦, 1989, p78, 95</ref>、神仙世界の美女であり<!--神仙世界, 仙境, 仙女 pp.135-->、その二人の恋が官能的に描かれて<!--官能的--><ref>三浦, 1989, p96, 117, 179</ref><ref name="tachibana"/>異界(蓬莱山)と人間界との3年対300年という時間観念を鮮明に持つ<!--時間観念, 観念的な時間認識, 百倍--><ref>三浦, 1989, p91, 94; 90, 146</ref>。その語り口は、古代にあっては非常に真新しい思想と表現であり、神婚神話や海幸山幸神話などとはまったく異質であり<!--"この浦島子物語の時間観念は、かなり異質な要素として、他の神話や説話との差異" p. 91--><!--"神婚神話と同じ構造である。ところが、"p.80, "古代神婚神話の類型のようにみえる" p.81--><ref>三浦, 1989, p91; 80-81</ref>、結末が老や死ではなく肉体が地上から消え去るという神仙的な尸解譚になっているのもそのためである<!--地仙, 尸解仙--><ref>三浦, 1989, p94, 119, 148</ref>。
  
 
=== 日本書紀 ===
 
=== 日本書紀 ===
浦島太郎(浦嶋子)<!--が文献に登場する例の初見は、[[8世紀]]の初めに成立した [comment:風土記が逸文である以上その言葉通りだろうが、混同する]-->の記述は、『[[日本書紀]]』「雄略紀」の[[雄略天皇]]22年([[478年]])秋7月の条に見える。こちらは事件の日付だとして具体的な年・月付で記されるわけで、次のような内容である:
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浦島太郎(浦嶋子)<!--が文献に登場する例の初見は、8世紀の初めに成立した [comment:風土記が逸文である以上その言葉通りだろうが、混同する]-->の記述は、『日本書紀』「雄略紀」の雄略天皇22年(478年)秋7月の条に見える。こちらは事件の日付だとして具体的な年・月付で記されるわけで、次のような内容である:
  
:[[丹波国]][[与謝郡|餘社郡]](現・[[京都府]][[与謝郡]])の住人である浦嶋子は舟に乗って[[釣り]]に出たが、捕らえたのは[[ウミガメ|大亀]]だった。するとこの大亀はたちまち女人に化け、浦嶋子は女人亀に感じるところあってこれを妻としてしまう。そして二人は海中に入って蓬萊山([[常世の国|とこよのくに]])へ赴き、遍歴して仙人たち(仙衆(ひじり))に会ってまわった。
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:丹波国餘社郡(現・京都府与謝郡)の住人である浦嶋子は舟に乗って釣りに出たが、捕らえたのは大亀だった。するとこの大亀はたちまち女人に化け、浦嶋子は女人亀に感じるところあってこれを妻としてしまう。そして二人は海中に入って蓬萊山(とこよのくに)へ赴き、遍歴して仙人たち(仙衆(ひじり))に会ってまわった。
  
 
=== 万葉集巻九 ===
 
=== 万葉集巻九 ===
8世紀半ば以降に成立した『[[万葉集]]』巻九の[[高橋虫麻呂]]作の長歌(歌番号1740)に「詠水江浦嶋子一首」として、浦島太郎の原型というべき以下の内容が歌われている{{sfnp|三浦|1989|p=109}}。「春日之 霞時尓 墨吉之 岸尓出居而(春の日の 霞める時に 住吉の["すみのえ"の] 岸に出で居て)..」という読み手の現実に始まり、そこから連想される浦島の故事に触れる<ref>{{cite web|url=http://etext.lib.virginia.edu/japanese/manyoshu/Man9Yos.html#1740|title=Manyoshu [Book9] |work=Japanese Text Initiative |publisher=Virginia University |year=1999|accessdate=2017-10-01}}</ref><ref name="tsujio"/>。大意は次のようなものである:
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8世紀半ば以降に成立した『万葉集』巻九の高橋虫麻呂作の長歌(歌番号1740)に「詠水江浦嶋子一首」として、浦島太郎の原型というべき以下の内容が歌われている<ref>三浦, 1989, p109</ref>。「春日之 霞時尓 墨吉之 岸尓出居而(春の日の 霞める時に 住吉の["すみのえ"の] 岸に出で居て)..」という読み手の現実に始まり、そこから連想される浦島の故事に触れる<<ref name="tsujio"/>。大意は次のようなものである:
  
:水の江の浦島の子が7日も帰らず[[鯛]]や[[カツオ|鰹]]を釣りをしていると、海境(うなさか)<ref group="注">海神の国と人間の国の境目</ref>を超えて漕いでいて行き交った海神([[ワタツミ|わたつみ]])の娘と語り合うようになり、そして結婚する。[[常世]]にある海神の宮で暮らすこととなったが、愚かな男は里帰りを言い出す。妻は、この[[常世の国]]に戻りたいと願うなら決してこれを開くなと、篋(くしげ<ref group="注">箱。玉手箱に相当。元々は化粧道具を入れるためのもの</ref>)を手渡す。
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:水の江の浦島の子が7日も帰らず鯛や鰹を釣りをしていると、海境(うなさか)<ref group="注">海神の国と人間の国の境目</ref>を超えて漕いでいて行き交った海神(わたつみ)の娘と語り合うようになり、そして結婚する。常世にある海神の宮で暮らすこととなったが、愚かな男は里帰りを言い出す。妻は、この常世の国に戻りたいと願うなら決してこれを開くなと、篋(くしげ<ref group="注">箱。玉手箱に相当。元々は化粧道具を入れるためのもの</ref>)を手渡す。
:水江に帰ってみると、家を出てから3年しかたっていないと思っていたのにその家は跡形も無い。箱を開ければ元の家などが戻ると思い開けたところ白い雲がたなびいて常世にむかい、うろたえて叫び、地団太を踏むと、気絶した。浦島の子は皺だらけの白髪の老人の様になり、ついには息絶えてしまった。<ref name="tsujio">{{citation|和書|last=辻尾 |first=榮市 |title=『万葉集』の舟・船 |trans-title= |journal=大阪観光大学紀要 |volume=33 |year=2015 |url=https://doi.org/10.24729/00004341 |page=129|doi=10.24729/00004341}}</ref>
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:水江に帰ってみると、家を出てから3年しかたっていないと思っていたのにその家は跡形も無い。箱を開ければ元の家などが戻ると思い開けたところ白い雲がたなびいて常世にむかい、うろたえて叫び、地団太を踏むと、気絶した。浦島の子は皺だらけの白髪の老人の様になり、ついには息絶えてしまった。<ref name="tsujio">辻尾榮市, 『万葉集』の舟・船, 大阪観光大学紀要, volume33, 2015, https://doi.org/10.24729/00004341, p129, doi:10.24729/00004341</ref>
  
詠み手が長歌で「水江の浦島子の家」の跡が見えると締めくくっている。その舞台の「墨吉」は「すみのえ」と仮名振りされており、従来は[[丹後地方]]の[[網野町]]に比定されていたが、[[武田祐吉]]が[[摂津国]][[住吉郡]][[墨江#歴史|墨江村]]であると提唱した。[[澤瀉久孝]]『萬葉集注繹』では、虫麻呂はおそらく摂津の住吉にいたのだろうが、浦島伝説の舞台をここに移し変えて「創作」したのだとしている<ref>{{citation|和書|last=辻尾 |first=榮市 |title="異郷淹留(えんりゆう)譚", "蝉脱"高橋虫麻呂ーその閲歴及び作品の制作年次についてー |trans-title= |journal=國文學 |publisher=関西大学国文学会 |year=1963 |url=https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/records/4476 |hdl=10112/6587 |volume=34|pages=28-29}}</ref>{{Refn|group="注"|大阪ではないが、摂津国の[[高砂市|高砂]]が浦島の地元という設定は、明治(1880年)の赤本絵本にもみられる{{sfnp|林|2009|p=84}}。}}
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詠み手が長歌で「水江の浦島子の家」の跡が見えると締めくくっている。その舞台の「墨吉」は「すみのえ」と仮名振りされており、従来は丹後地方の網野町に比定されていたが、武田祐吉が摂津国住吉郡墨江村であると提唱した。澤瀉久孝『萬葉集注繹』では、虫麻呂はおそらく摂津の住吉にいたのだろうが、浦島伝説の舞台をここに移し変えて「創作」したのだとしている<ref>辻尾榮市, "異郷淹留(えんりゆう)譚", "蝉脱"高橋虫麻呂ーその閲歴及び作品の制作年次についてー, 國文學, 関西大学国文学会, 1963, https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/records/4476, hdl:10112/6587, volume34, p28-29</ref><ref>大阪ではないが、摂津国の高砂が浦島の地元という設定は、明治(1880年)の赤本絵本にもみられる(林, 2009, p84)</ref>
  
異郷淹留の場所が[[ワタツミ]]の神の国となり、仙女がその海神の娘になっているのは、この萬葉歌での加筆部分であるが、これもおそらく虫麻呂の創作であろうと考えられている<ref>{{harvp|三浦|1989|p=115}}: 「虫麻呂が、島子の行った異境をワタツミの国として設定」</ref>。
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異郷淹留の場所がワタツミの神の国となり、仙女がその海神の娘になっているのは、この萬葉歌での加筆部分であるが、これもおそらく虫麻呂の創作であろうと考えられている<ref>三浦, 1989, p115: 「虫麻呂が、島子の行った異境をワタツミの国として設定」</ref>。
  
 
=== 平安以降 ===
 
=== 平安以降 ===
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平安時代以降も漢文伝として書き継がれてきた:
 
平安時代以降も漢文伝として書き継がれてきた:
  
* 10世紀初頭:『[[続浦島子伝記]]』{{sfnp|三浦|1989|pp=142, 148-149}}
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* 10世紀初頭:『続浦島子伝記』<ref>三浦, 1989, pp142, 148-149</ref>
* 11世紀後半:「浦島子伝」(『[[本朝神仙伝]]』 所収){{sfnp|三浦|1989|pp=152-153}}
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* 11世紀後半:「浦島子伝」(『本朝神仙伝』 所収)<ref>三浦, 1989, pp152-153</ref>
* 11世紀末:「浦島子伝」(『[[扶桑略記]]』 所収){{sfnp|三浦|1989|p=153}}
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* 11世紀末:「浦島子伝」(『扶桑略記』 所収)<ref>三浦, 1989, p153</ref>
* 13世紀初期:「浦島子伝」(『[[古事談]]』 所収){{sfnp|三浦|1989|p=153}} など{{要検証|date=2017年9月}}。
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* 13世紀初期:「浦島子伝」(『古事談』 所収)<ref>三浦, 1989, p153</ref>など(要検証:2017年9月)。
12世紀以降になると、『[[俊頼髄脳]]』をはじめ『[[奥儀抄]]』、『[[和歌童蒙抄]]』など[[歌論書]]に浦島物語が仮名書きで写され、宮廷や貴族達の、より幅広い層に浦島物語が広く浸透した{{sfnp|三浦|1989|pp=158-161}}
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12世紀以降になると、『俊頼髄脳』をはじめ『奥儀抄』、『和歌童蒙抄』など歌論書に浦島物語が仮名書きで写され、宮廷や貴族達の、より幅広い層に浦島物語が広く浸透した<ref>三浦, 1989, p158-161</ref>
  
中世になると、『御伽草子』の「浦島太郎」をはじめ絵巻・能・狂言の題材になり、読者・観客を得て大衆化していき、江戸時代に受け継がれた{{sfnp|三浦|1989|pp=185, 198}}
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中世になると、『御伽草子』の「浦島太郎」をはじめ絵巻・能・狂言の題材になり、読者・観客を得て大衆化していき、江戸時代に受け継がれた<ref>三浦, 1989, p185, 198</ref>
  
 
== 地域伝承 ==
 
== 地域伝承 ==
 
=== 長崎県壱岐に伝わる話 ===
 
=== 長崎県壱岐に伝わる話 ===
[[長崎県]][[壱岐郡]]にあった[[郷ノ浦町]](ごうのうらちょう)の[[華光寺 (壱岐市)|華光寺]]にある古い書には、[[渡良半島]]の[[嫦娥島]](じょうがじま)を[[竜宮城]]と記してある。
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長崎県壱岐郡にあった郷ノ浦町(ごうのうらちょう)の華光寺にある古い書には、渡良半島の'''嫦娥島'''(じょうがじま)を竜宮城と記してある。
  
 
=== 神奈川県横浜市神奈川区に伝わる話 ===
 
=== 神奈川県横浜市神奈川区に伝わる話 ===
[[Image:Keiunji -03.jpg|thumb|right|150px|慶運寺「龍宮傳来浦島観世音浦島寺」石碑。観福寺に旧蔵<ref name="kenkyukai1928"/>。]]
 
{{external media|image1=[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2563384/29 観福寿寺] - [[江戸名所図会]](国立国会図書館)}}
 
{{More|浦島太郎伝説関係資料}}
 
 
神奈川県にある通称「浦島寺」と結びつく伝説は次のようなものである:
 
神奈川県にある通称「浦島寺」と結びつく伝説は次のようなものである:
  
:昔、[[相模国]][[三浦郡|三浦]]に浦島太夫とよばれる人がおり、彼は仕事のため[[丹後国]]に赴任していた。その息子である太郎は、亀が浜辺で子供達にいじめられているところに出会う。(全国版と同じなので中略)竜宮の乙姫から授かった玉手箱と観音像を持って太郎が丹後に帰ると、そこに両親のゆかりの跡はなく、太郎は<!--ある漁師から(道すがりの老人から)-->両親の墓は[[武蔵国]]白幡(現・[[横浜市]][[神奈川区]]の東部)にあると聞かされる。
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:昔、相模国三浦に浦島太夫とよばれる人がおり、彼は仕事のため丹後国に赴任していた。その息子である太郎は、亀が浜辺で子供達にいじめられているところに出会う。(全国版と同じなので中略)竜宮の乙姫から授かった玉手箱と観音像を持って太郎が丹後に帰ると、そこに両親のゆかりの跡はなく、太郎は<!--ある漁師から(道すがりの老人から)-->両親の墓は武蔵国白幡(現・横浜市神奈川区の東部)にあると聞かされる。
  
:老人となった太郎は、白幡の峰<!--[[子安]]の浜 (確認できない)-->に行き、両親の墓を探したが、なかなか見つけられない。それを見かねた乙姫は、[[マツ|松枝]]{{Refn|group="注"|乙姫が枝に光を照らしたとされる龍燈の松は、<!--[[大正]]時代に枯死 no ref-->鉄道開通時に伐られたとされる<ref name="kenkyukai1928"/>。}}に明かりを照らして場所を示した。やっとのことで墓を見つけた太郎はその地に[[草庵|庵]]を結び、[[観音菩薩|観音像]]を安置した。太郎の死後、その庵は観福寺(浦島院観福寿寺)となった<ref>{{Cite book|和書|author=萩坂昇 |title=よこはまの民話|publisher=むさしの児童文化の会|year=1976 |series=神奈川の民話|pages=97-103}}</ref><ref>{{Citation|和書|last=小島 |first=瓔礼|author-link=小島瓔礼|title=武相昔話集: 神奈川|publisher=岩崎美術社|year=1981|page=71}}</ref>。
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:老人となった太郎は、白幡の峰<!--子安の浜 (確認できない)-->に行き、両親の墓を探したが、なかなか見つけられない。それを見かねた乙姫は、松枝<ref>乙姫が枝に光を照らしたとされる龍燈の松は、<!--大正時代に枯死 no ref-->鉄道開通時に伐られたとされる</ref><ref name="kenkyukai1928"/>。に明かりを照らして場所を示した。やっとのことで墓を見つけた太郎はその地に庵を結び、観音像を安置した。太郎の死後、その庵は観福寺(浦島院観福寿寺)となった<ref>萩坂昇, よこはまの民話, むさしの児童文化の会, 1976, 神奈川の民話, p97-103</ref><ref>小島瓔礼, 武相昔話集: 神奈川, 岩崎美術社, 1981, p71</ref>。
  
観福寺は、江戸末期の[[神奈川宿]]火災で焼失して[[廃寺]]となるが{{Refn|group="注"|資料により慶応4年(1868年)の火事とも<ref name="inoue_osamu"/>、「明治元年正月廿七日」の火事だともされる<ref name="kenkyukai1928"/>。事実の矛盾ではなく、この年は「慶応4年」正月に起こった事項であっても遡って「明治元年」の元号を適用することが行われた。}}、[[明治5年]](1872年)に[[石井直方 (本陣宿屋)|石井直方]](神奈川本陣)が、[[神奈川区]]の[[慶運寺]]に一宇を増築させて併合させた<ref name="inoue_osamu"/><ref name="hayashi-kampukuji"/>。[[観音菩薩|聖観世音菩薩]]像は残り、こちらに安置されている<ref name="kenkyukai1928"/>。この聖観世音菩薩像と、慶運寺および同区内の蓮法寺が所有する塔・碑は、「[[浦島太郎伝説関係資料]]」として[[横浜市]]登録の[[有形民俗文化財|地域有形民俗文化財]]となっている。
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観福寺は、江戸末期の神奈川宿火災で焼失して廃寺となるが<ref>資料により慶応4年(1868年)の火事とも、「明治元年正月廿七日」の火事だともされる</ref><ref name="kenkyukai1928"/>。事実の矛盾ではなく、この年は「慶応4年」正月に起こった事項であっても遡って「明治元年」の元号を適用することが行われた</ref><ref name="inoue_osamu"/>。、明治5年(1872年)に石井直方(神奈川本陣)が、神奈川区の慶運寺に一宇を増築させて併合させた<ref name="inoue_osamu"/><ref name="hayashi-kampukuji"/>。聖観世音菩薩像は残り、こちらに安置されている<ref name="kenkyukai1928"/>。この聖観世音菩薩像と、慶運寺および同区内の蓮法寺が所有する塔・碑は、「浦島太郎伝説関係資料」として横浜市登録の地域有形民俗文化財となっている。
  
 
=== 長野県木曽の浦島伝説 ===
 
=== 長野県木曽の浦島伝説 ===
[[File:Kuniyoshi Station 38.jpg|left|thumb|100px|[[歌川国芳]]画、「[[福島宿 (中山道)|福島宿]]」<!--、『[[中山道六十九次|木曾街道六十九次]]』。-->]]
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長野県木曽の山中に、浦島太郎がここに住んでいたという伝説が、室町後期から江戸時代の頃に成立している。
{{More|寝覚の床}}
 
  
[[長野県]][[木曽地域|木曽]]の山中に、浦島太郎がここに住んでいたという伝説が、室町後期から江戸時代の頃に成立している。
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創作であるが、古浄瑠璃『浦嶋太郎』では、舞台を上松の宿場の界隈として、浦島太郎の民話を作り変えている。すなわち信濃国に住む子宝に恵まれない夫婦が戸隠明神に祈願して授かったのが主人公の浦嶋太郎とする。その相手も、もとは「'''うんのの将監'''」の娘の「'''玉より姫'''」で、浦嶋と恋仲になるが現世では添い遂げられず、伊奈川(木曽川の支流)に身投げするが、超自然的な女性に生まれ変わる。彼女は亀に案内され、竜宮界の館のきんなら王に仕える「とうなんくわ女」となるのである。拝領した「うろこの衣」は、これを脱げば亀の姿から人間に戻るという霊物だった。姫は亀の姿となって伊奈川にいるところを浦嶋太郎に釣られ、再会を果たす。浦島は姫の船に乗り、竜宮へ案内される<ref>島居フミ子, 木曾に蘇った浦島太郎(秋山虔教授記念号) , 日本文學, 東京女子大学, volume77, 1992, https://twcu.repo.nii.ac.jp/records/19243, p32-43, CRID:1050845762588563584</ref>。
 
 
創作であるが、[[古浄瑠璃]]『浦嶋太郎』では、舞台を[[上松町|上松]]の宿場の界隈として、浦島太郎の民話を作り変えている。すなわち[[信濃国]]に住む子宝に恵まれない夫婦が[[戸隠神社|戸隠明神]]に祈願して授かったのが主人公の浦嶋太郎とする。その相手も、もとは「うんのの将監」の娘の「[[玉依姫|玉より姫]]」で、浦嶋と恋仲になるが現世では添い遂げられず、伊奈川([[木曽川]]の支流)に身投げするが、超自然的な女性に生まれ変わる。彼女は亀に案内され、竜宮界の館のきんなら王に仕える「とうなんくわ女」となるのである。拝領した「うろこの衣」は、これを脱げば亀の姿から人間に戻るという霊物だった。姫は亀の姿となって伊奈川にいるところを浦嶋太郎に釣られ、再会を果たす。浦島は姫の船に乗り、竜宮へ案内される<ref>{{Cite journal|和書|last=島居 |first=フミ子 |title=木曾に蘇った浦島太郎(秋山虔教授記念号) |journal=日本文學 |publisher=東京女子大学 |volume=77 |year=1992 |url=https://twcu.repo.nii.ac.jp/records/19243 |pages=32-43 |CRID=1050845762588563584}}</ref>。
 
  
 
=== 香川県三豊市詫間町の浦島伝説 ===
 
=== 香川県三豊市詫間町の浦島伝説 ===
 
==== 由来の地名など ====
 
==== 由来の地名など ====
[[File:Maruyamajima takumacho.jpg|thumb|香川県三豊市詫間町の丸山島。干潮時には地続きになる。浦島神社、竜王宮という祠がある]]
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香川県三豊市詫間町の西部、荘内半島はかつて「浦島」と呼ばれており、数々の浦島太郎にまつわる伝説が残されている<ref>香川県三豊郡詫間町町勢要覧 ウェーブタクマ, 香川県三豊郡詫間町役場総務課, 1990年6月1日, p12</ref>。足利義満が浦島の三崎神社に参拝した際に
[[File:Urasimatarounohaka.jpg|thumb|香川県三豊市詫間町にある浦島太郎親子の墓 中央が太郎の墓]]
 
[[香川県]][[三豊市]][[詫間町]]の西部、[[荘内半島]]はかつて「浦島」と呼ばれており、数々の浦島太郎にまつわる伝説が残されている<ref>{{Cite book|和書|author= |title=香川県三豊郡詫間町町勢要覧 ウェーブタクマ |publisher=香川県三豊郡詫間町役場総務課 |date=1990年6月1日 |page=12 }}</ref>。[[足利義満]]が浦島の三崎神社に参拝した際に
 
 
:"''へだてゆく 八重の汐路の浦島や 箱の三崎の 名こそしるけれ''"
 
:"''へだてゆく 八重の汐路の浦島や 箱の三崎の 名こそしるけれ''"
と詠んでいる<ref>{{Cite book|和書|author=重野清 |title=浦島の太郎さん |publisher=「竜宮」製作委員会 |year=2015 |page=2 }}</ref>。浦島太郎伝説に所縁があるとされる地名等は以下のものがある<ref>{{Cite book|和書|author= |title=浦島伝説 |publisher=三豊市観光協会 }}</ref>。
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と詠んでいる<ref>重野清, 浦島の太郎さん, 「竜宮」製作委員会, 2015, p2</ref>。浦島太郎伝説に所縁があるとされる地名等は以下のものがある<ref>浦島伝説, 三豊市観光協会</ref>。
* 生里(なまり) - 與作という人がおしもさんという美しい娘を嫁にもらって住んでいた所。二人の間に生まれた男の子が浦島太郎である。太郎の生まれた里で「生里」という<ref name="名前なし-1">{{Cite book|和書|author= |title=昭和52年版 詫間町の文化財-第6集-民話と伝説 |publisher=詫間町文化財保護委員会 |year=1977 |page=32 }}</ref>。
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* 生里(なまり) - 與作という人がおしもさんという美しい娘を嫁にもらって住んでいた所。二人の間に生まれた男の子が浦島太郎である。太郎の生まれた里で「生里」という<ref name="名前なし-1">昭和52年版 詫間町の文化財-第6集-民話と伝説, 詫間町文化財保護委員会, 1977, p32</ref>。
* 浦島(うらしま) - 昔荘内組七浦と呼ばれていた大浜浦、積浦、生里浦、箱浦、香田浦、家の浦、粟島の七つの地区を総称して「浦島」という<ref>{{Cite book|和書|author= |title=浦島考 |publisher=浦島太郎こと西川正一 |year=1973 |page=30 }}</ref>。
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* 浦島(うらしま) - 昔荘内組七浦と呼ばれていた大浜浦、積浦、生里浦、箱浦、香田浦、家の浦、粟島の七つの地区を総称して「浦島」という<ref>浦島考, 浦島太郎こと西川正一, 1973, p30 </ref>。
 
* 鴨之越(かものこし)- 太郎がいじめられている亀を助けた浜辺<ref name="名前なし-1"/>。
 
* 鴨之越(かものこし)- 太郎がいじめられている亀を助けた浜辺<ref name="名前なし-1"/>。
* 丸山島(まるやまじま)- 鴨之越の海岸にある島で、干潮時には歩いて渡ることができる。この海岸で太郎が亀を助けたとされており、丸山島に浦島神社が祀られている<ref name="名前なし-2">{{Cite book|和書|author= |title=ふるさとの歴史をたずねて その3 |publisher=詫間町民族資料館 |page=9 }}</ref>。
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* 丸山島(まるやまじま)- 鴨之越の海岸にある島で、干潮時には歩いて渡ることができる。この海岸で太郎が亀を助けたとされており、丸山島に浦島神社が祀られている<ref name="名前なし-2">ふるさとの歴史をたずねて その3, 詫間町民族資料館, p9</ref>。
* 箱(はこ) - 太郎が玉手箱を開けた場所。太郎親子の墓もある<ref>{{Cite book|和書|author= |title=さぬき詫間町 浦島太郎のふるさと |publisher=詫間町 |page=7 }}</ref>。
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* 箱(はこ) - 太郎が玉手箱を開けた場所。太郎親子の墓もある<ref>さぬき詫間町 浦島太郎のふるさと, 詫間町, p7</ref>。
* 積(つむ) - 宝物を積んだ太郎が竜宮城から乙姫に送られて帰り着いたとされる場所<ref>{{Cite book|和書|author= |title=昭和52年版 詫間町の文化財-第6集-民話と伝説 |publisher=詫間町文化財保護委員会 |year=1977 |page=33 }}</ref>。
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* 積(つむ) - 宝物を積んだ太郎が竜宮城から乙姫に送られて帰り着いたとされる場所<ref>昭和52年版 詫間町の文化財-第6集-民話と伝説, 詫間町文化財保護委員会, 1977, p33</ref>。
* 糸ノ越(いとのこし) - 太郎が箱から釣糸をもって室浜へ通った所で、太郎の休んだ腰掛石もある<ref name="名前なし-3">{{Cite book|和書|author= |title=さぬき詫間町 浦島太郎のふるさと |publisher=詫間町 |page=8 }}</ref>。
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* 糸ノ越(いとのこし) - 太郎が箱から釣糸をもって室浜へ通った所で、太郎の休んだ腰掛石もある<ref name="名前なし-3">さぬき詫間町 浦島太郎のふるさと, 詫間町, p8</ref>。
 
* 室浜(むろはま) - 太郎が竜宮から帰ってからの2、3年釣りをしていた所と言われている。不老の浜(ぶろま)とも呼ばれている<ref name="名前なし-3"/>。
 
* 室浜(むろはま) - 太郎が竜宮から帰ってからの2、3年釣りをしていた所と言われている。不老の浜(ぶろま)とも呼ばれている<ref name="名前なし-3"/>。
* [[紫雲出山]](しうでやま)- 太郎が開けた玉手箱から出た白煙が紫の雲となって、この山にたなびいたとされる<ref>{{Cite book|和書|author=重野清 |title=荘内半島の伝説童話 浦島の太郎さん |publisher=「竜宮」製作委員会 |year=2015 }}</ref>。
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* 紫雲出山(しうでやま)- 太郎が開けた玉手箱から出た白煙が紫の雲となって、この山にたなびいたとされる<ref>重野清, 荘内半島の伝説童話 浦島の太郎さん, 「竜宮」製作委員会, 2015</ref>。
* 仁老浜(にろはま)- 太郎の母の生家「しもの家」がある地区。玉手箱を開けて白髪の老人となった太郎が、母の里で余生を送ったとされ、「仁義深い老人の浜」が仁老浜の語源とされる<ref>{{Cite book|和書|author= |title=ふるさとの歴史をたずねて その3 |publisher=詫間町民族資料館 |page=8,9 }}</ref>。
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* 仁老浜(にろはま)- 太郎の母の生家「しもの家」がある地区。玉手箱を開けて白髪の老人となった太郎が、母の里で余生を送ったとされ、「仁義深い老人の浜」が仁老浜の語源とされる<ref>ふるさとの歴史をたずねて その3, 詫間町民族資料館, p8,9</ref>。
* 金輪の鼻(かなわのはな)- 竜宮城で歓待を受けた後、積まで乙姫様に送ってもらった。積の海岸で別れを惜しみ、浦島太郎と堅い握手を交わした際に乙姫様が金の腕輪を落としたことから金輪の鼻と呼ばれている<ref>{{Cite book|和書|author= |title=ふるさとの歴史をたずねて その9|publisher=真鍋道弘 |year=2009 |pages=5-9 }}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=石田敬祐 |title=香川の民俗 通巻第69号 |publisher=香川民俗学会 |page=88 }}</ref>。
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* 金輪の鼻(かなわのはな)- 竜宮城で歓待を受けた後、積まで乙姫様に送ってもらった。積の海岸で別れを惜しみ、浦島太郎と堅い握手を交わした際に乙姫様が金の腕輪を落としたことから金輪の鼻と呼ばれている<ref>ふるさとの歴史をたずねて その9, 真鍋道弘, 2009, p5-9</ref><ref>石田敬祐, 香川の民俗 通巻第69号, 香川民俗学会, p88</ref>。
* 姫路(ひめじ)- [[粟島 (香川県)|粟島]]の地名。乙姫が太郎を里へ送り届けた後、潮流の関係で一時立ち寄ったのが元で「姫路」と呼んでいる。<ref name="名前なし-2"/>
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* 姫路(ひめじ)- 粟島の地名。乙姫が太郎を里へ送り届けた後、潮流の関係で一時立ち寄ったのが元で「姫路」と呼んでいる。<ref name="名前なし-2"/>
 
* 亀戎社(かめえびすしゃ)- 粟島。太郎を乗せた亀の死骸を葬った場所に建てられた社とされる。<ref name="名前なし-2"/>
 
* 亀戎社(かめえびすしゃ)- 粟島。太郎を乗せた亀の死骸を葬った場所に建てられた社とされる。<ref name="名前なし-2"/>
* 上天(じょうてん) - 紫雲出山の中腹にあり、太郎が昇天した場所と言われている。山頂の竜王社では旧3月15日に例祭があり、積の人たちによってお弁当の接待がされていた<ref>{{Cite book|和書|author= |title=さぬき詫間町 浦島太郎のふるさと |publisher=詫間町 |page=9 }}</ref>。
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* 上天(じょうてん) - 紫雲出山の中腹にあり、太郎が昇天した場所と言われている。山頂の竜王社では旧3月15日に例祭があり、積の人たちによってお弁当の接待がされていた<ref>さぬき詫間町 浦島太郎のふるさと, 詫間町, p9</ref>。
  
 
==== 伝説がまとめられた経緯 ====
 
==== 伝説がまとめられた経緯 ====
詫間町荘内半島における浦島太郎伝説は諸大龍王の墓碑建立[[1847年]]([[弘化]]4年)より前からあったとされる。荘内半島各地の地名が浦島伝説に由来するのではないかと詫間町出身の彫刻家新田藤太郎が提案し、郷土史家の三倉重太郎が半島各地の地名と伝説の関連性を調査し、物語として昭和23年にまとめた<ref>{{Cite book|和書|author=真鍋道弘 |title=ふるさとの歴史をたずねて11 「詫間町の浦島伝説」と「浦島太郎の話」の歴史 |publisher=真鍋道弘 |year=2016 |page=4 }}</ref>。
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詫間町荘内半島における浦島太郎伝説は諸大龍王の墓碑建立1847年(弘化4年)より前からあったとされる。荘内半島各地の地名が浦島伝説に由来するのではないかと詫間町出身の彫刻家新田藤太郎が提案し、郷土史家の三倉重太郎が半島各地の地名と伝説の関連性を調査し、物語として昭和23年にまとめた<ref>真鍋道弘, ふるさとの歴史をたずねて1, 「詫間町の浦島伝説」と「浦島太郎の話」の歴史, 真鍋道弘, 2016, p4</ref>。
  
 
==== 浦島太郎を名乗る人物 ====
 
==== 浦島太郎を名乗る人物 ====
観光PRのために実在の人物が浦島太郎を名乗っている<ref>{{Cite book|和書|author= |title=香川県三豊郡詫間町 町勢要覧1990ウエーブタクマ |publisher=香川県三豊郡詫間町役場総務課 |year=1990 |page=27 }}</ref>。
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観光PRのために実在の人物が浦島太郎を名乗っている<ref>香川県三豊郡詫間町 町勢要覧1990ウエーブタクマ, 香川県三豊郡詫間町役場総務課, 1990, p27</ref>。
 
*初代:大西友吉(昭和23年頃から) - 浦島太郎第三十何代と称している(昭和44年没)
 
*初代:大西友吉(昭和23年頃から) - 浦島太郎第三十何代と称している(昭和44年没)
 
* 2代目:西川正一(昭和48年から)
 
* 2代目:西川正一(昭和48年から)
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==== 自治体の取り組み ====
 
==== 自治体の取り組み ====
町興しの一環として、浦島太郎関連のモニュメントが数多く作られている。詳細は[[詫間町#自治体の取り組み]]を参照。
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町興しの一環として、浦島太郎関連のモニュメントが数多く作られている。
  
 
=== 日向の海彦・山彦神話 ===
 
=== 日向の海彦・山彦神話 ===
[[日向国|日向]]([[宮崎県]])には[[記紀]]以来、「[[海幸彦と山幸彦]]」の神話が伝わり<ref>[https://www.asukanet.gr.jp/tobira/urashima/umisachiyamasachi.html 海幸彦・山幸彦神話(古代史の扉)]</ref>、これが浦島太郎もモデルになっているといわれる<ref>[https://www.asukanet.gr.jp/tobira/urashima/urashima.html 浦島太郎(古代史の扉)]</ref>。
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|日向(宮崎県)には記紀以来、「海幸彦と山幸彦」の神話が伝わり<ref>[https://www.asukanet.gr.jp/tobira/urashima/umisachiyamasachi.html 海幸彦・山幸彦神話(古代史の扉)]</ref>、これが浦島太郎もモデルになっているといわれる<ref>[https://www.asukanet.gr.jp/tobira/urashima/urashima.html 浦島太郎(古代史の扉)]</ref>。
  
 
=== 南薩地域に伝わる話 ===
 
=== 南薩地域に伝わる話 ===
[[File:Ibusuki Station East Plaza.png|thumb|right|200px|[[指宿駅]]東口広場の「[[竜宮]]伝説の指宿へようこそ」の観光宣伝]]
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九州・薩摩半島南端の指宿市を中心とした南薩地域にも浦島伝説が伝わっており、市内長崎鼻には龍宮神社があり<ref>[https://www.kagoshima-kankou.com/guide/50237 鹿児島の旅:龍宮神社(鹿児島県観光連盟)]</ref>、指宿市が観光に利用しているだけではなく、九州旅客鉄道も「指宿のたまて箱列車」(鹿児島中央駅・指宿駅間)を運営している。南薩地域の浦島伝説で興味あるのは、鹿児島県が用意した観光客用パンフレットには「海彦と山彦」の伝説が載っており、この伝説から浦島太郎伝説への影響がありとしていて、また山彦が訪れた龍宮は琉球であるともしていて、この地域と沖縄との強い結びつきが感じられる。<ref>観光パンフレット『南薩摩国に伝わる、指宿竜宮伝説〜浦島太郎と乙姫様の出会い〜』(鹿児島県、2023年)]</ref>
[[九州]]・[[薩摩半島]]南端の[[指宿市]]を中心とした[[鹿児島県#南薩地域|南薩地域]]にも浦島伝説が伝わっており、市内[[長崎鼻 (鹿児島県)|長崎鼻]]には龍宮神社があり<ref>[https://www.kagoshima-kankou.com/guide/50237 鹿児島の旅:龍宮神社(鹿児島県観光連盟)]</ref>、指宿市が観光に利用しているだけではなく、[[九州旅客鉄道]]も「[[指宿のたまて箱]]列車」([[鹿児島中央駅]]・[[指宿駅]]間)を運営している。南薩地域の浦島伝説で興味あるのは、鹿児島県が用意した観光客用パンフレットには「[[海彦と山彦]]」の伝説が載っており、この伝説から浦島太郎伝説への影響がありとしていて、また山彦が訪れた龍宮は[[琉球王国|琉球]]であるともしていて、この地域と[[沖縄]]との強い結びつきが感じられる。<ref>観光パンフレット『南薩摩国に伝わる、指宿竜宮伝説〜浦島太郎と乙姫様の出会い〜』(鹿児島県、2023年)]</ref>
 
  
 
=== 沖縄に伝わる話 ===
 
=== 沖縄に伝わる話 ===
[[沖縄]]の伝承としては、『[[遺老説伝]]』の第103話「与那覇村の人竜宮に遊ぶこと」と浦島伝説との類似性が指摘される<ref name="yanagita-okinawa"/><ref name="urano&fukatsu"/><ref name="kurata"/>。粗筋は次のようなものである。
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沖縄の伝承としては、『遺老説伝』の第103話「与那覇村の人竜宮に遊ぶこと」と浦島伝説との類似性が指摘される<ref name="yanagita-okinawa"/><ref name="urano&fukatsu"/><ref name="kurata"/>。粗筋は次のようなものである。
  
:「[[南風原町|南風原]](はえばる)の与那覇村(よなはむら)の男が、与那久浜(よなくばま)で髢(かもじ。髪の毛)を拾う。探しているそぶりの美女に返すと感謝され、竜宮に招待したいと言われる。男が(手を)引かれて歩くと海が二つに割れて道が開け、竜宮に通じていた。その美女は神であり<!--は乙姫と素性を明かし-->、男と竜宮で歓待の日々を過ごすことになる。三ヵ月ほど経つと男は故郷が恋しくなり帰郷を思い立つ。神女は、元の世を去ってからすでに三十三代経っており、男には子孫もいないと諭すが、断念させられない。そこで向かう所に道が開けるという(しかし絶対に開けてはいけない)紙包みを渡し里帰りさせる。男が郷里に帰り着くと辺りは変わり果て、自宅を指さし家族について尋ねるが、嘲笑され[[ハンセン病|癩人]]扱いされる。なすすべなくなった男は丘に登り桑の杖を突きたてて穏作根(坐って休み)。ふと、何か良策が出るかと思って紙包みを開いたが、中に入っているのは白髪だけで、それが飛びついて体に付着すると、老爺と化し動けなくなって死んだ。地元の者が老爺をその場所に神として祀ったのが、穏作根嶽(うさんにだき)であるという<ref name="taira"/><ref name="urano&fukatsu"/>。
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:「南風原(はえばる)の与那覇村(よなはむら)の男が、与那久浜(よなくばま)で髢(かもじ。髪の毛)を拾う。探しているそぶりの美女に返すと感謝され、竜宮に招待したいと言われる。男が(手を)引かれて歩くと海が二つに割れて道が開け、竜宮に通じていた。その美女は神であり<!--は乙姫と素性を明かし-->、男と竜宮で歓待の日々を過ごすことになる。三ヵ月ほど経つと男は故郷が恋しくなり帰郷を思い立つ。神女は、元の世を去ってからすでに三十三代経っており、男には子孫もいないと諭すが、断念させられない。そこで向かう所に道が開けるという(しかし絶対に開けてはいけない)紙包みを渡し里帰りさせる。男が郷里に帰り着くと辺りは変わり果て、自宅を指さし家族について尋ねるが、嘲笑され癩人扱いされる。なすすべなくなった男は丘に登り'''桑の杖を突きたて'''て穏作根(坐って休み)。ふと、何か良策が出るかと思って紙包みを開いたが、中に入っているのは白髪だけで、それが飛びついて体に付着すると、老爺と化し動けなくなって死んだ。地元の者が老爺をその場所に神として祀ったのが、穏作根嶽(うさんにだき)であるという<ref name="taira"/><ref name="urano&fukatsu"/>。
  
 
この説話の主人公は無名だが、設定はおおむね浦島子伝説と合致する。本土のものと道具立てが異なり、玉匣(たまくしげ)は開けてはならぬ紙包みに置き変わり、<!--白雲でなく-->その包みのなかの白髪が接触することで老化現象がおこる<ref name="kurata"/>。
 
この説話の主人公は無名だが、設定はおおむね浦島子伝説と合致する。本土のものと道具立てが異なり、玉匣(たまくしげ)は開けてはならぬ紙包みに置き変わり、<!--白雲でなく-->その包みのなかの白髪が接触することで老化現象がおこる<ref name="kurata"/>。
  
また、桑の木は、杖から生えてくるまで島には伝来していなかったとするので、神の国か伐られたものと推察できる<ref name="yanagita-okinawa"/>。異話では、竜宮まで戻る道を開ける手段は、(紙包とは別に与えられた)桑の木の杖を海に投じることであった<ref>{{harvp|水野|1975|pp=176-178}}: "桑の木の呪杖"</ref>。
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また、桑の木は、杖から生えてくるまで島には伝来していなかったとするので、神の国か伐られたものと推察できる<ref name="yanagita-okinawa"/>。異話では、竜宮まで戻る道を開ける手段は、(紙包とは別に与えられた)桑の木の杖を海に投じることであった<ref>水野, 1975, p176-178: "桑の木の呪杖"</ref>。
  
同系の話の分布としては、[[宮古島]]などにも伝わっている{{sfnp|柳田|1971|p=50}}。[[柳田國男]]は、「竜宮」と南の島々の[[ニルヤ]](ニライカナイ)は同源だとみている{{sfnp|柳田|1971|p=46}}
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同系の話の分布としては、宮古島などにも伝わっている<ref>柳田, 1971, p50</ref>。柳田國男は、「竜宮」と南の島々のニルヤ(ニライカナイ)は同源だとみている<ref>柳田, 1971, p46</ref>
  
『遺老説伝』にはまた、竜宮譚ではないが類似する第42話、善縄大屋子(よしなわうふやこ)の話が所収される。主人公は、出現した女性の言われるままに大亀を家に運ぶが咬まれて大怪我を負い、埋葬される。しかし実際は死して死なざる存在となったという展開である<ref name="taira"/>{{sfnp|柳田|1971|p=71}}
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『遺老説伝』にはまた、竜宮譚ではないが類似する第42話、善縄大屋子(よしなわうふやこ)の話が所収される。主人公は、出現した女性の言われるままに大亀を家に運ぶが咬まれて大怪我を負い、埋葬される。しかし実際は死して死なざる存在となったという展開である<ref name="taira"/><ref>柳田, 1971, p71</ref>
  
 
== ゆかりの神社仏閣 ==
 
== ゆかりの神社仏閣 ==
{{出典の明記|date=2017年8月|section=1}}
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* 慶運寺(神奈川県横浜市神奈川区) - 浦島太郎が竜宮城から持ち帰ったと伝わる、明治時代に焼失した観福寿寺(浦島寺)の聖観世音菩薩像を安置。浦島観世音像の左右には浦島太郎と乙姫の像が立つ。
[[File:Urashima-Kannon Pavilion.jpg|thumb|横浜・慶雲寺の浦島観世音堂]]
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* '''浦嶋神社'''(京都府与謝郡伊根町) - 浦島伝説の中では最も古いとされる『丹後国風土記』逸文ゆかりの地域にある。社伝では天長2年(825年)に創建。
* [[慶運寺]]([[神奈川県]][[横浜市]][[神奈川区]]) - 浦島太郎が竜宮城から持ち帰ったと伝わる、[[明治|明治時代]]に焼失した観福寿寺(浦島寺)の[[観音菩薩|聖観世音菩薩]]像を安置。浦島観世音像の左右には浦島太郎と乙姫の像が立つ。
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* 嶋児神社(京都府京丹後市網野町)<ref>https://www.pref.kyoto.jp/kaigan/documents/1186551829315.pdf, 京都府の海岸事業01, 京都府, 2021年9月22日}}</ref>
* [[浦嶋神社]]([[京都府]][[与謝郡]][[伊根町]]) - 浦島伝説の中では最も古いとされる『丹後国風土記』逸文ゆかりの地域にある。社伝では[[天長]]2年([[825年]])に創建。
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* 寝覚の床・臨川寺(長野県上松町) - 寝覚の床は竜宮城から戻った浦島太郎が玉手箱を開けた場所といわれ、中央の岩の上には浦島堂が建つ。臨川寺は、浦島太郎が使っていたとされる釣竿を所蔵する。境内からは景勝寝覚の床を見下ろす。
* [[嶋児神社]](京都府[[京丹後市]][[網野町]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.kyoto.jp/kaigan/documents/1186551829315.pdf|title=京都府の海岸事業01 |author=京都府 |accessdate=2021年9月22日}}</ref>
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* 知里付神社・真楽寺(愛知県武豊町) - 知里付神社には浦島太郎が竜宮城から持ち帰ったといわれる玉手箱が所蔵されている(非公開)。日照りの際の雨乞いに使われたという。また、真楽寺の境内には浦島太郎を背負った亀のものとされる墓がある。武豊町の富貴という地名は、「負亀」(オブガメ)の音読みの「フキ」が転化したものだとも言われている。
* [[寝覚の床]]・[[臨川寺 (上松町)|臨川寺]]([[長野県]][[上松町]]) - 寝覚の床は竜宮城から戻った浦島太郎が玉手箱を開けた場所といわれ、中央の岩の上には浦島堂が建つ。臨川寺は、浦島太郎が使っていたとされる釣竿を所蔵する。境内からは景勝寝覚の床を見下ろす。
 
* [[知里付神社]]・[[真楽寺 (武豊町)|真楽寺]]([[愛知県]][[武豊町]]) - 知里付神社には浦島太郎が竜宮城から持ち帰ったといわれる玉手箱が所蔵されている(非公開)。[[旱魃|日照り]]の際の[[雨乞い]]に使われたという。また、真楽寺の[[境内]]には浦島太郎を背負った亀のものとされる墓がある。武豊町の富貴という地名は、「負亀」(オブガメ)の音読みの「フキ」が転化したものだとも言われている。
 
  
 
== 類話 ==
 
== 類話 ==
* 『[[捜神記|捜神後記]]』所収の話{{Refn|group="注"|[[曲亭馬琴|滝沢馬琴]]『[[燕石雑志]]』で浦島伝説の基と考察しているもの。}}。[[会稽]]の剡県に住む袁と根という男らが二人の仙女と同棲するようになるが、あるとき留守を機に帰郷を図って露見する。強いては止められず、腕嚢を渡され、開けることを禁じられる。根の家族が詮索して五重の嚢を開いてしまうと、その後、根は蒸発してしまった。それは蝉脱した(仙人となった)といわれた{{sfnp|中田|1926|pp=20-21}}<ref>{{citation|url=https://web.archive.org/web/20150508205707/http://www.geocities.jp/kiebine2002/inoue3.htm |last=井上 |first=通泰 <!--Inoue Michiyasu-->|title=萬葉集追攷 |publisher=南天荘 |year=1937|pages=25-34}}</ref>。
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* 『捜神後記』所収の話<ref>滝沢馬琴『燕石雑志』で浦島伝説の基と考察しているもの</ref>。会稽の剡県に住む袁と根という男らが二人の仙女と同棲するようになるが、あるとき留守を機に帰郷を図って露見する。強いては止められず、腕嚢を渡され、開けることを禁じられる。根の家族が詮索して五重の嚢を開いてしまうと、その後、根は蒸発してしまった。それは蝉脱した(仙人となった)といわれた<ref>中田, 1926, p20-21</ref><ref>https://web.archive.org/web/20150508205707/http://www.geocities.jp/kiebine2002/inoue3.htm, 井上通泰 <!--Inoue Michiyasu-->, 萬葉集追攷, 南天荘, 1937, p25-34</ref>。
* 『[[水経注]]』に、晋代の王質という男が山の洞窟で4人の童子が琴を弾いて歌っているのをしばらく聴いた後、家に戻るといつの間にか数十年の時がたっていたという話がある<ref>沖田瑞穂『世界の神話』[[岩波ジュニア新書]]2019年、178頁。</ref>。
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* 『水経注』に、晋代の王質という男が山の洞窟で4人の童子が琴を弾いて歌っているのをしばらく聴いた後、家に戻るといつの間にか数十年の時がたっていたという話がある<ref>沖田瑞穂『世界の神話』岩波ジュニア新書2019年、178頁。</ref>。
* 唐代の[[薛瑩 (唐)|薛瑩]]の撰による『竜女伝』。[[太湖|震澤]]の洞庭山の洞窟に茅公[月+它]{{Refn|group="注"|『太平広記』では仰公[目+他])}}という漁師が転げ落ちて竜宮にたどり着き、10日程過ごして帰参。東海竜王の第七女を主とするその竜宮に、今度は[[蕭衍|梁の武帝]]が羅子春兄弟を使者に遣わし、竜女より返礼として宝珠を得る。使者たちは龍に乗って瞬く間に返る。ただ、もてなしの料理は、包みを開くと石のように固くなってしまった{{sfnp|中田|1926|pp=26-28}}
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* 唐代の薛瑩の撰による『竜女伝』。震澤の洞庭山の洞窟に茅公[月+它]<ref>『太平広記』では仰公[目+他])</ref>という漁師が転げ落ちて竜宮にたどり着き、10日程過ごして帰参。東海竜王の第七女を主とするその竜宮に、今度は梁の武帝が羅子春兄弟を使者に遣わし、竜女より返礼として宝珠を得る。使者たちは龍に乗って瞬く間に返る。ただ、もてなしの料理は、包みを開くと石のように固くなってしまった<ref>中田, 1926, pp26-28</ref>
* 中[[唐]]時代、{{仮リンク|李朝威|zh|李朝威}}によって書かれた伝奇小説「{{仮リンク|柳毅伝|zh|柳毅傳}}」は若い書生柳毅が竜王の娘を助け、[[洞庭湖]]の竜王のもとに赴き、後に娘をめとって竜王となる話である。柳毅は竜王となった後、長い年月がたっても若いままであるが、それは仙薬によるものであると説明されている<ref>{{Cite journal|和書|author=項青 |date=1994-10 |url=https://kokubunken.repo.nii.ac.jp/records/2194 |title=研究発表 浦島説話と柳毅伝 ―両作品の文学表現と神仙道教思想の受容― |journal=国際日本文学研究集会会議録 |ISSN=0387-7280 |publisher=国文学研究資料館 |volume=17 |pages=9-23 |doi=10.24619/00002190 |CRID=1390009224823180032}}</ref>。
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* 中唐時代、李朝威によって書かれた伝奇小説「柳毅伝」は若い書生柳毅が竜王の娘を助け、洞庭湖の竜王のもとに赴き、後に娘をめとって竜王となる話である。柳毅は竜王となった後、長い年月がたっても若いままであるが、それは仙薬によるものであると説明されている<ref>項青, 1994-10, https://kokubunken.repo.nii.ac.jp/records/2194, 研究発表 浦島説話と柳毅伝 ―両作品の文学表現と神仙道教思想の受容―, 国際日本文学研究集会会議録, ISSN:0387-7280, 国文学研究資料館, volume17, p9-23, doi:10.24619/00002190, CRID:1390009224823180032</ref>。
* [[アイルランド]]の{{仮リンク|オシーン|en|Oisín}}が、海の乙女{{仮リンク|ニアヴ|en|Niamh (mythology)}}に誘われて「常若の国([[ティル・ナ・ノーグ]])」で何百年かを過ごすという物語がある{{Efn2|ミホール・コミーン Mícheál Coimín (1676–1760)による詩「テイール・ナ・ノーグのオシーン(常若の国のオシーン)」で知られる。}}<ref>{{citation|last=松村 |first=賢一 |author-link=<!--松村賢一--> |title=く巻頭エッセイ〉海辺の誘惑|journal=言語 |volume=22 |number=263 |year=1993<!--10月--> |publisher=大修館書店 |url=https://books.google.com/books?id=J4U3AAAAMAAJ |pages=2-3}}</ref><ref>{{harvp|牧野|1980|p=120}}。典拠として{{citation|和書|last=土居|first=光知 <!--Doi Mitsutomo--> |author-link=土居光知 |title=神話・伝説の伝播と流転 |work=土居光知著作集 |volume=三|year=1977|pages=116-117}}を挙げる。</ref><ref>[http://www.globe.co.jp/information/myth-fairy/oisin.html ティル・ナ・ノーグへ行ったオーシン(Tir na nog)]エールスクエア</ref>。
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* アイルランドのオシーン(Oisín)が、海の乙女ニアヴ(Niamh)に誘われて「常若の国(ティル・ナ・ノーグ)」で何百年かを過ごすという物語があるミホール・コミーン(Mícheál Coimín)(1676–1760)による詩「テイール・ナ・ノーグのオシーン(常若の国のオシーン)」で知られる。<ref>松村賢一, く巻頭エッセイ〉海辺の誘惑, 言語, volume22, number263, 1993<!--10月-->, 大修館書店, https://books.google.com/books?id=J4U3AAAAMAAJ, p2-3</ref><ref>牧野, 1980, p120。典拠として土居光知 <!--Doi Mitsutomo-->, 神話・伝説の伝播と流転, 土居光知著作集, volume三, 1977, p116-117を挙げる。</ref><ref>[http://www.globe.co.jp/information/myth-fairy/oisin.html ティル・ナ・ノーグへ行ったオーシン(Tir na nog)]エールスクエア</ref>。
* 『[[クルアーン]]』の「洞窟の章」には、[[アッラーフ]]によって309年間洞窟で眠っていた男達の話がある。これは「エフェソスの7人の眠り男」と呼ばれる、[[ローマ帝国]]の迫害から逃れた人々が洞窟に閉じこめられたが、200年以上たった後、そのうちの一人の男が目覚め街に姿を現したという説話が元になっている<ref name="榮谷温子">{{Cite journal|和書|author=榮谷温子 |date=1989-03 |url=https://doi.org/10.15026/51839 |title=エジプトに渡った浦島太郎 : タウフィーク・アル=ハキーム『洞窟の人々』をめぐって |journal=言語文化研究 |ISSN=02877821 |publisher=東京外国語大学大学院外国語学研究科言語・文化研究会 |volume=7 |pages=107-112 |doi=10.15026/51839 |hdl=10108/51839 |CRID=1390015191534187392}}</ref>。
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* 『クルアーン』の「洞窟の章」には、アッラーフによって309年間洞窟で眠っていた男達の話がある。これは「エフェソスの7人の眠り男」と呼ばれる、ローマ帝国の迫害から逃れた人々が洞窟に閉じこめられたが、200年以上たった後、そのうちの一人の男が目覚め街に姿を現したという説話が元になっている<ref name="榮谷温子">榮谷温子, 1989-03, https://doi.org/10.15026/51839 , エジプトに渡った浦島太郎 : タウフィーク・アル=ハキーム『洞窟の人々』をめぐって, 言語文化研究, ISSN:02877821, 東京外国語大学大学院外国語学研究科言語・文化研究会, volume7, p107-112, doi:10.15026/51839, hdl:10108/51839, CRID:1390015191534187392</ref>。
* [[12世紀]]に[[フランス語]]で書かれた『ガンガモールの短詩』では、タイトルヒーローが白い猪を追跡するうちに森の最深部に入り込み美しい宮殿に行きつく。彼はそこの姫君(猪に変身していた)と結ばれ3日間楽しく過ごす。彼は親族と再会するために出発するが、姫に「人間界との境である川を渡り終えたら、飲食を控える」ようにと警告される。彼が故郷に戻ると親族は300年前に亡くなったと知る。彼が野生のリンゴの木から実を3つ取って食べると、たちまち年老いて落馬し動けなくなる。彼は最後に姫君の侍女によって女人の国にと連れ去られる<ref>フィリップ・ヴァルテール『ユーラシアの女性神話-ユーラシア神話試論Ⅱ』([[渡邉浩司]]・渡邉裕美子訳)[[中央大学]]出版部 2021年、ISBN 978-4-8057-5183-1、149-163頁(第8章 異界の女王)、粗筋は150-151頁。</ref>。
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* 12世紀にフランス語で書かれた『ガンガモールの短詩』では、タイトルヒーローが'''白い猪'''を追跡するうちに森の最深部に入り込み美しい宮殿に行きつく。彼はそこの姫君(猪に変身していた)と結ばれ3日間楽しく過ごす。彼は親族と再会するために出発するが、姫に「人間界との境である川を渡り終えたら、飲食を控える」ようにと警告される。彼が故郷に戻ると親族は300年前に亡くなったと知る。彼が野生のリンゴの木から実を3つ取って食べると、たちまち年老いて落馬し動けなくなる。彼は最後に姫君の侍女によって女人の国にと連れ去られる<ref>フィリップ・ヴァルテール『ユーラシアの女性神話-ユーラシア神話試論Ⅱ』(渡邉浩司・渡邉裕美子訳)中央大学出版部 2021年、ISBN 978-4-8057-5183-1、149-163頁(第8章 異界の女王)、粗筋は150-151頁。</ref>。
  
 
'''類似説話'''
 
'''類似説話'''
 
* [[山幸彦と海幸彦]] - 『古事記』と『日本書紀』から、山幸彦が問題を解決するため無目籠に乗り海神の宮に行く話がある。
 
* [[山幸彦と海幸彦]] - 『古事記』と『日本書紀』から、山幸彦が問題を解決するため無目籠に乗り海神の宮に行く話がある。
<!--** [[見るなの座敷]]-->
+
<!--** 見るなの座敷-->
 
* [[爛柯]](らんか) - 中国版浦島太郎
 
* [[爛柯]](らんか) - 中国版浦島太郎
* [[リップ・ヴァン・ウィンクル]] - アメリカ版浦島太郎
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* リップ・ヴァン・ウィンクル - アメリカ版浦島太郎
* [[ティル・ナ・ノーグ]] - ケルト神話の妖精郷「常若の国」。浦島太郎と同じく、フィアナ騎士団のオシーンなど「常若の国」に行って数百年が経過した人物の話がいくつかある。
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* ティル・ナ・ノーグ]- ケルト神話の妖精郷「常若の国」。浦島太郎と同じく、フィアナ騎士団のオシーンなど「常若の国」に行って数百年が経過した人物の話がいくつかある。
 
 
== 翻案 ==
 
{{Also|:Category:浦島説話を題材とした作品}}
 
 
 
* [[浦島太郎 (1918年の映画)]]
 
: 国産[[アニメーション映画]]の創始者の一人である[[北山清太郎]]が手がけたアニメ映画。この当時は[[セル画]]などの技術が日本に伝わっていないため、[[半紙]]のような薄い紙に少しずつ動きの異なるキャラクターを描いていき、それを1枚1枚撮影する[[アニメーション#ペーパーアニメーション|ペーパーアニメーション]]方式で制作されていたという。
 
* [[お伽草紙 (太宰治)|お伽草紙]]([[太宰治]]、1945年刊行)
 
: 昔話を題材とした連作中の一篇「浦島さん」。
 
* TARO URASHIMA([[ミュージカル]]、2016年上演)
 
: [[る・ひまわり]]と[[明治座]]により企画されたオリジナル作品。2016年8月に明治座で上演。脚本は[[池田鉄洋]]、演出は[[板垣恭一]]、主演は[[木村了]]<ref>{{cite news|url=https://natalie.mu/stage/news/185708|title=浦島太郎がミュージカルに!木村了主演「TARO URASHIMA」脚本は池田鉄洋|newspaper=ステージナタリー|date=2016-05-01|accessdate=2016-05-02}}</ref>。
 
  
 
== その他 ==
 
== その他 ==
 
; 派生用語
 
; 派生用語
* [[ウラシマ効果]]
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* ウラシマ効果
* 浦島太郎(花子)状態{{Refn|group="注"|竜宮城から故郷に戻るとまったく見知らぬ土地になっていたという浦島太郎の立場になぞらえ、長い間離れていた所に久しぶりに戻ると別世界になっており面食らうことを、古くは「今浦島」現在では「浦島太郎である」「浦島太郎状態にある」などと言う。女性の場合は「浦島花子(うらしまはなこ)」。}}
+
* 浦島太郎(花子)状態<ref>竜宮城から故郷に戻るとまったく見知らぬ土地になっていたという浦島太郎の立場になぞらえ、長い間離れていた所に久しぶりに戻ると別世界になっており面食らうことを、古くは「今浦島」現在では「浦島太郎である」「浦島太郎状態にある」などと言う。女性の場合は「浦島花子(うらしまはなこ)」</ref>
  
 
; 浦島にちなむ命名
 
; 浦島にちなむ命名
* [[ウラシマソウ]] - [[肉穂花序]]の先端部が先細りに長く伸び、次第に垂れるものを[[釣り竿]]に見立てての命名である。
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* ウラシマソウ - 肉穂花序の先端部が先細りに長く伸び、次第に垂れるものを釣り竿に見立てての命名である。
* [[ウラシマグモ]] - 近縁種の[[オトヒメグモ]]に対比して名付けられた。
+
* ウラシマグモ - 近縁種のオトヒメグモに対比して名付けられた。
* [[うらしま]]- [[海洋研究開発機構]]が研究している[[自律型深海巡航無人探査機]]
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* うらしま- 海洋研究開発機構が研究している自律型深海巡航無人探査機
* [[リュウグウ (小惑星)]]-小惑星1999 JU3の名称。小惑星探査機「[[はやぶさ2]]」が目指す目標天体の名称。小惑星のサンプルの入ったカプセルを持ち帰るミッションを「浦島太郎」が竜宮城へ行き玉手箱を持ち帰ることになぞらえて命名された。
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* リュウグウ (小惑星)-小惑星1999 JU3の名称。小惑星探査機「はやぶさ2」が目指す目標天体の名称。小惑星のサンプルの入ったカプセルを持ち帰るミッションを「浦島太郎」が竜宮城へ行き玉手箱を持ち帰ることになぞらえて命名された。
 
**ウラシマクレーター-リュウグウにあるクレーター
 
**ウラシマクレーター-リュウグウにあるクレーター
 
**オトヒメ岩塊-リュウグウにある岩塊
 
**オトヒメ岩塊-リュウグウにある岩塊
* [[オトヒメ・トーラス]] - [[金星]]にある地名。「乙姫」に由来。
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* オトヒメ・トーラス - 金星にある地名。「乙姫」に由来。
* [[乙姫大橋]]([[岐阜県]][[中津川市]]) - [[木曽川]]に架かる農業用の橋。この地に伝わる乙姫伝説(浦島伝説)に由来。
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* 乙姫大橋(岐阜県中津川市) - 木曽川に架かる農業用の橋。この地に伝わる乙姫伝説(浦島伝説)に由来。
  
; 他の作品での言及
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=== 出典 ===
* 『[[踊る龍宮城]]』
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<ref name="akahon-text">赤本絵本(明治20年代)ABC本の校訂テキスト。</ref><ref>林, 2001, p84-85</ref><ref>林, 2019, p29-31</ref>
* 『[[うたう!大龍宮城]]』
 
* 『[[男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎]]』
 
: 冒頭の夢のシーンで寅さんが浦島太郎になり原公が亀になる。竜宮城ではマドンナの[[松坂慶子]]が乙姫になる。
 
* 『[[ウルトラQ]]』第6話「育てよ!カメ」
 
: 太郎少年の夢で<!--ギャングに誘拐されたが-->、育てていたゼニガメが怪獣ガメロンになり竜宮城へ向かう。乙姫はロケットに乗ったおてんば少女。龍がいた。
 
* 「ウラシマ」
 
: [[山上たつひこ]]の漫画作品。海底に住む残忍な性格の乙姫が、使役する巨大な海亀が人間に密漁されたことに怒り、地上人類へ復讐を企む[[ホラー]]。『鬼面帝国』([[秋田書店]]、1976年)収録。
 
* 劇作『洞窟の人々』({{仮リンク|タウフィーク・アル=ハキーム|en|Tawfiq al-Hakim}}、1933年)
 
: 『[[クルアーン]]』の洞窟の章を元にした、300年間洞窟で眠っていた男たちが、突然目覚めるという物語。作中、王女プリスカの教育係ガリヤースは、漁に出てから4世紀の後戻ってきた男の例として「ウラシマ」をあげる<!--ガリヤースはウラシマがその間何をしていたかという質問には答えられなかったが、プリスカはその理由を導き出す。--><!--アル=ハキームはラフカディオ・ハーンの『Out of the East』から浦島太郎の知識を得たとされる--><ref name="榮谷温子" />
 
* [[ヴァリグ・ブラジル航空]]は、1960年代から1980年代にかけて、浦島太郎をモチーフにした [[コマーシャル|テレビCM]] を放映。<!--[[リオデジャネイロ]] - [[サンパウロ]] - 東京線直行便の宣伝だった。-->宣伝歌「浦島太郎」(1968年発売)は、日系人歌手の{{仮リンク|ローザ・ミヤケ|pt|Rosa Miyake}}(三宅ローザ)が歌唱しており<ref>[https://www.nikkeyshimbun.jp/2018/181120-column.html 《ブラジル》あの三宅ローザの生涯が凝縮された一冊]、[[ニッケイ新聞]]WEB、2018年11月20日。</ref>、アルバム『三宅ローザ・イン・東京』『ブラジルの妖精/ローザ三宅 日本を歌う』に収録されている。<!--3部作となっており、浦島太郎は助けた亀に乗せられて竜宮城ではなくブラジルへ連れて行かれ、時が過ぎて老人になってしまった浦島太郎が、乙姫から貰った玉手箱を開けると若返り、箱の中にはヴァリグ航空の日本行きチケットが入っているというものであった。第2部は[[大阪万博]]、第3部は日本便を紹介している。-->
 
  
== 脚注 ==
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<ref name=akiya>秋谷治, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8099364, 浦島太郎:怪婚譚の流れ (御伽草子の世界<特集>) : (作品論的アプローチ), 国文学 解釈と教材の研究, 学灯社, issn:04523016, 1977-12-00, volume22, issue16, p102-103, naid:40001351057, 太郎の訪れた異郷が竜宮というのは御伽草子が初出である</ref>
=== 注釈 ===
 
<!--{{notelist}}-->
 
{{Reflist|group="注"}}
 
  
=== 出典 ===
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<ref name="brauns-tr">David August Brauns, Uraschimataro, Japanische Märchen und Sagen, Leipzig, Wilhelm Friedrich, 1885, https://books.google.com/books?id=Y3TEiotn1QEC&pg=PA59, p59-68</ref>
{{Reflist|30em|refs=
 
<ref name="akahon-text">赤本絵本(明治20年代)ABC本の校訂テキスト。{{harvp|林|2001|pp=84-85}}; {{harvp|林|2019|pp=29-31}}</ref>
 
  
<ref name=akiya>{{Cite journal|和書|author=秋谷治 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8099364 |title=浦島太郎:怪婚譚の流れ (御伽草子の世界<特集>) : (作品論的アプローチ) |journal=国文学 解釈と教材の研究 |publisher=学灯社 |issn=04523016 |date=1977-12-00 |volume=22 |issue=16 |pages=102-103 |naid=40001351057 |quotation=太郎の訪れた異郷が竜宮というのは御伽草子が初出である}}</ref>
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<ref name=fujisawa>藤沢衛彦, 日本民俗伝説全集, volume9, 河出書房, 1956, https://books.google.com/books?hl=ja&id=r4UHAQAAMAAJ, page83</ref>
  
<ref name="brauns-tr">{{citation|editor-last=Brauns |editor-first=David |editor-link=:de:David August Brauns |title=Uraschimataro |work=Japanische Märchen und Sagen |place=Leipzig |publisher=Wilhelm Friedrich |year=1885|url=https://books.google.com/books?id=Y3TEiotn1QEC&pg=PA59 |pages=59-68|language=de}}</ref>
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<ref name="griffis1876">William Elliot Griffis, XIII. Folk-lore and Fireside Stores, The Mikado's Empire, New York, Harper, 1876, https://books.google.com/books?id=Ld_BNvbt3MgC&pg=PA498, p498-500</ref>
  
<ref name=fujisawa>{{citation|和書|last=藤沢 |first=衛彦 |author-link=藤沢衛彦 |title=日本民俗伝説全集 |volume=9 |publisher=河出書房 |year=1956 |url=https://books.google.com/books?hl=ja&id=r4UHAQAAMAAJ |page=83}}</ref>
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<ref name=hayashi-kampukuji>林晃平, 2014-03, https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11493405/tku.t-komazawa.ac.jp/relays/download/33/76/22/179/?file=/files/libs/179/201903131730352134.pdf, 亀趺の生成と展開 : 日本における発生と展開, [https://warp.da.ndl.go.jp/waid/922 苫小牧駒澤大学紀要],ISSN:13494309, 苫小牧駒澤大学, issue28, p1-23, naid:40020127648, NDLJP:11569011, CRID:1520290884524581376, 国立国会図書館インターネット資料収集保存事業</ref>
  
<ref name="griffis1876">{{Cite book|ref=harv|last=Griffis |first=William Elliot |author-link=:en:William Elliot Griffis |chapter=XIII. Folk-lore and Fireside Stores |title=The Mikado's Empire |location=New York |publisher=Harper |year=1876 |chapter-url=https://books.google.com/books?id=Ld_BNvbt3MgC&pg=PA498 |pages=498-500}}</ref>
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<ref name="hayashi2009-kataoka-tr">林晃平, 2000-09, https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11493405/tku.t-komazawa.ac.jp/relays/download/33/76/47/208/?file=/files/libs/208/201903131738225544.pdf, 片岡政行英訳『うらしま』覚書, [https://warp.da.ndl.go.jp/waid/922 苫小牧駒澤大学紀要], ISSN:13494309, 苫小牧駒澤大学, issue:4, p73-94, naid:40005246227, CRID:1520853833152334592, NDLJP:4265673</ref>
  
<ref name=hayashi-kampukuji>{{Cite journal|和書|author=林晃平 |date=2014-03 |url=https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11493405/tku.t-komazawa.ac.jp/relays/download/33/76/22/179/?file=/files/libs/179/201903131730352134.pdf |format=PDF |title=亀趺の生成と展開 : 日本における発生と展開 |journal=[https://warp.da.ndl.go.jp/waid/922 苫小牧駒澤大学紀要] |ISSN=13494309 |publisher=苫小牧駒澤大学 |issue=28 |pages=1-23 |naid=40020127648 |id={{NDLJP|11569011}} |CRID=1520290884524581376 |quote=国立国会図書館インターネット資料収集保存事業}}</ref>
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<ref name=inoue_osamu>井上攻, 近世社会の成熟と宿場世界, 岩田書院, 2008, https://books.google.co.jp/books?id=_SZNAQAAIAAJ, p256</ref>
<ref name="hayashi2009-kataoka-tr">{{Cite journal|和書|author=林晃平 |date=2000-09 |url=https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11493405/tku.t-komazawa.ac.jp/relays/download/33/76/47/208/?file=/files/libs/208/201903131738225544.pdf |format=PDF |title=片岡政行英訳『うらしま』覚書 |journal=[https://warp.da.ndl.go.jp/waid/922 苫小牧駒澤大学紀要] |ISSN=13494309 |publisher=苫小牧駒澤大学 |issue=4 |pages=73-94 |naid=40005246227 |CRID=1520853833152334592 |id={{NDLJP|4265673}}}}</ref>
 
  
<ref name=inoue_osamu>{{citation|和書|last=井上 |first=攻 <!--Inoue Osamu--> |title=近世社会の成熟と宿場世界|trans-title= |publisher=岩田書院 |year=2008 |url=https://books.google.co.jp/books?id=_SZNAQAAIAAJ |page=256}}</ref>
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<ref name="junker-tr">フェルディナント・アダルベルト・ユンケル, Der Fischerknabe Urashima, Japanische Thee-geschichten: Fu-sô châ-wa. Volks- und geschichtliche Sagen, Legenden und Märchen der Japanen, 1er Cyklos, Wien, Carl Gerold's sohn, 1884, https://books.google.com/books?id=SbFEAQAAMAAJ&pg=PA185, p185-194</ref>
  
<ref name="junker-tr">{{citation|last=Junker von Langegg |first=Ferdinand Adalbert |author-link=フェルディナント・アダルベルト・ユンケル |chapter=Der Fischerknabe Urashima |title=Japanische Thee-geschichten: Fu-sô châ-wa. Volks- und geschichtliche Sagen, Legenden und Märchen der Japanen |series=1er Cyklos |location=Wien |publisher=Carl Gerold's sohn |year=1884 |url=https://books.google.com/books?id=SbFEAQAAMAAJ&pg=PA185 |pages=185-194}}</ref>
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<ref name="kataoka-tr">=Kataoka Maayuki<!--片岡政行-->, Bric à Brac. Urashima: A Japanese Rip van Winkle, The Century Illustrated Monthly Magazine, volume32 (n.s. 10), May– October 1886, https://books.google.com/books?id=9C-gAAAAMAAJ&pg=PA329, p329-331, London, F. Warne & Co.</ref>
  
<ref name="kataoka-tr">{{citation|last=Kataoka |first=Maayuki |author-link=<!--片岡政行--> |title=Bric à Brac. Urashima: A Japanese Rip van Winkle |journal=The Century Illustrated Monthly Magazine |volume=32 (n.s. 10) |date=May– October 1886|url=https://books.google.com/books?id=9C-gAAAAMAAJ&pg=PA329 |pages=329-331 |location=London |publisher=F. Warne & Co.}}</ref>
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<ref name=kato>Shūichi Katō (critic), A History of Japanese Literature: The first thousand years, Kodansha America, 1979, https://books.google.com/books?id=6AWzAAAAIAAJ, p52-55</ref>
  
<ref name=kato>{{citation|last=Shūichi |first=Katō |authorlink=Shūichi Katō (critic) |title=A History of Japanese Literature: The first thousand years |publisher=Kodansha America |year=1979 |url=https://books.google.com/books?id=6AWzAAAAIAAJ |pages=52-55}}</ref>
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<ref name=kenkyukai1928>横浜郷土史研究会, 浦島太郎の𦾔跡, 横浜の史蹟と名勝, 1928, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1178212/44?viewMode=, p66-67</ref>
  
<ref name=kenkyukai1928>{{citation|和書|author=横浜郷土史研究会|title=浦島太郎の𦾔跡 |work=横浜の史蹟と名勝 |publisher= |year=1928 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1178212/44?viewMode= |pages=66-67}}</ref>
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<ref name=kokutei4>蘆屋, 1936, p179-182: 国語読本(=第4期国定教科書)、巻3より復刻</ref>
  
<ref name=kokutei4>{{harvp|蘆屋|1936|pp=179-182}}: 国語読本(=第4期国定教科書)、巻3より復刻</ref>
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<ref name=kurata>倉田一郎, 国語と民俗学, あかね書房, <!--1959- -->1961, https://books.google.com/books?id=x4hIAAAAMAAJ, p55-57</ref>
  
<ref name=kurata>{{citation|和書|last=倉田 |first=一郎 |title=国語と民俗学 |publisher=あかね書房 |year=<!--1959- -->1961 |url=https://books.google.com/books?id=x4hIAAAAMAAJ |pages=55-57}}</ref>
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<ref name=kyoto-u-foreign-studies>https://www.kufs.ac.jp/toshokan/chirimenbon/b_08.html, The Fisher-Boy Urashima /『浦島』(Urashima), Crepe-Paper Books and Wood Block Prints at the Dawn of Cultural Enlightenment in Japan / 文明開化期のちりめん本と浮世絵, 京都外国語大学, 2007, 2017-08-22</ref>
  
<ref name=kyoto-u-foreign-studies>{{Cite web|和書|url=https://www.kufs.ac.jp/toshokan/chirimenbon/b_08.html |title=The Fisher-Boy Urashima /『浦島』(Urashima) |work=Crepe-Paper Books and Wood Block Prints at the Dawn of Cultural Enlightenment in Japan / 文明開化期のちりめん本と浮世絵 |author=京都外国語大学 |year=2007 |accessdate=2017-08-22}}</ref>
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<ref name=miyao>宮尾, 2--9, p=35: "万葉集..には、..「海神の神の女」とだけあり、御伽草子や昔噺になると「乙姫」という"。</ref>
  
<ref name=miyao>{{harvp|宮尾|2--9|p=35}}: "万葉集..には、..「海神の神の女」とだけあり、御伽草子や昔噺になると「乙姫」という"。</ref>
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<ref name=sakata>坂田千鶴子, 龍王の娘たち, 東邦学誌, volume32, number1, 2003, https://aichi-toho.repo.nii.ac.jp/records/14, p73-74, 東邦学園大学東邦学園短期大学, CRID:1050283687370625664</ref>
  
<ref name=sakata>{{Cite journal|和書|last=坂田 |first=千鶴子 |title=龍王の娘たち |trans-title= |journal=東邦学誌 |volume=32 |number=1 |year=2003 |url=https://aichi-toho.repo.nii.ac.jp/records/14 |pages=73-74|publisher =東邦学園大学東邦学園短期大学 |CRID=1050283687370625664}}</ref>
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<ref name=tachibana>橘弘文, 異界のホスピタリティ, Hospitality in other world, 大阪観光大学紀要, volume10, 2010, https://doi.org/10.20670/00000074, ISSN:1881638X, p129, 三浦祐之氏は.. 男性の性的快楽を表した伝承だったと..</ref>
  
<ref name=tachibana>{{citation|和書|last=橘 |first=弘文 |title=異界のホスピタリティ |trans-title=Hospitality in other world |journal=大阪観光大学紀要 |volume=10 |year=2010  |url=https://doi.org/10.20670/00000074 |ISSN=1881638X |page=129|quote=三浦祐之氏は.. 男性の性的快楽を表した伝承だったと..}}</ref>
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<ref name=taira>平良直, 南島の伝承における御獄(ウタキ) : 「球陽外巻遺老説伝」における御獄の解釈を中心に, Holy Place "Utaki" in Tradition of Okinawa Islanders, 比較民俗研究<!-- for Asian folklore studies-->, volume11, 1995, https://hdl.handle.net/2241/14337, p182-183</ref>
  
<ref name=taira>{{citation|和書|last=平良 |first=直 |title=南島の伝承における御獄(ウタキ) : 「球陽外巻遺老説伝」における御獄の解釈を中心に |trans-title=Holy Place "Utaki" in Tradition of Okinawa Islanders |journal=比較民俗研究<!-- for Asian folklore studies--> |volume=11 |year=1995 |url=https://hdl.handle.net/2241/14337 |pages=182-183}}</ref>
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<ref name=takada>高田知波, http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/15554/, 除外のストラテジー - 太宰治 『お伽草紙』 論への一視角 -<!--「お」は平仮名-->, 駒澤國文, 駒沢大学文学部国文学研究室, issn:04523652, 1995, volume32, p71-83, naid:110007002667</ref>
  
<ref name=takada>{{Cite journal|和書|author=高田知波 |url=http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/15554/ |title=除外のストラテジー - 太宰治 『お伽草紙』 論への一視角 -<!--「お」は平仮名--> |journal=駒澤國文 |publisher=駒沢大学文学部国文学研究室 |issn=04523652 |date=1995 |volume=32 |pages=71-83 |naid=110007002667}}</ref>
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<ref name=toki-no-manyoshu>高岡市万葉歴史館, 時の万葉集, 笠間書院, 2001, https://books.google.com/books?id=etkbAQAAMAAJ, p386<!--quotation=在地伝承であった浦島子の話を採取して、それを神仙譚風に脚色したものが--></ref>
  
<ref name=toki-no-manyoshu>{{citation|和書|author=高岡市万葉歴史館 |title=時の万葉集 |publisher=笠間書院 |year=2001 |url=https://books.google.com/books?id=etkbAQAAMAAJ |p=386}}<!--quotation=在地伝承であった浦島子の話を採取して、それを神仙譚風に脚色したものが--></ref>
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<ref name="urano&fukatsu">浦野聡, 深津行徳, 人文資料学の現在 I, 春風社, 2006, https://books.google.com/books?id=v9ntujlTOHoC&pg=PA294, p294-296</ref>
  
<ref name="urano&fukatsu">{{citation|和書|last1=浦野 |first1=聡 |last2=深津 |first2=行徳|title=人文資料学の現在 I |publisher=春風社 |year=2006 |url=https://books.google.com/books?id=v9ntujlTOHoC&pg=PA294 |pages=294-296}}</ref>
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<ref name="urashima-monogatari1880">歌川国政 4世, 1848-192, 歌川国貞 (3代目), 竹内栄久<!--歌川国定 (3代目)の実名--> (画), お伽噺浦島物かたり, 宮田幸助<!--ミヤタ コウスケ-->, 1880-12-10<!--明治13年12月10日-->, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1167994</ref>
  
<ref name="urashima-monogatari1880">{{Cite book|author=歌川国政 (4代目)|author-mask=歌川国政 4世, 1848-192|author-link=歌川国貞 (3代目) |others=竹内栄久<!--歌川国定 (3代目)の実名--> (画) |title=お伽噺浦島物かたり |publisher=宮田幸助<!--ミヤタ コウスケ--> |year=1880-12-10<!--明治13年12月10日-->|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1167994 |pages=<!--unpaginated-->}}</ref>
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<ref name="urashima-ichidaiki1883">浦島弌代記, 島村吉松<!--シマムラ ヨシマツ-->, 1883-08-00<!--明治16年8月-->, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1169941</ref>
  
<ref name="urashima-ichidaiki1883">{{Cite book|和書|author= |title=浦島弌代記 |publisher=島村吉松<!--シマムラ ヨシマツ--> |year=1883-08-00<!--明治16年8月-->|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1169941 |pages=<!--unpaginated-->}}</ref>
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<ref name="urashima-monogatari1885">佐藤新太郎 (編・画), お伽噺:浦島物がたり, 佐藤新太郎<!--サトウ シンタロウ-->, 1885-06-00<!--明治18年6月日-->, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1919514</ref>
  
<ref name="urashima-monogatari1885">{{Cite book|author=佐藤新太郎 |author-link=<!--佐藤新太郎--> |author-mask=佐藤新太郎 (編・画) |title=お伽噺:浦島物がたり |publisher=佐藤新太郎<!--サトウ シンタロウ--> |year=1885-06-00<!--明治18年6月日-->|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1919514 |pages=<!--unpaginated-->}}</ref>
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<ref name="urashimataro-ichidaiki1889">田村将軍一代記・小野篁一代記・浦島太郎一代記, 銀花堂, 1889-09-00<!--明治22年9月-->, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/881572</ref>
  
<ref name="urashimataro-ichidaiki1889">{{Cite book|和書|editor= |title=田村将軍一代記・小野篁一代記・浦島太郎一代記 |publisher=銀花堂 |year=1889-09-00<!--明治22年9月-->|url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/881572 |pages=<!--unpaginated-->}}</ref>
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<ref name="urashimataro-mori-etal1920">森鴎外, 鈴木三重吉, 松村武雄, 馬淵冷佑, 浜田如洗 等(画), 浦島太郞, 日本伝説 : 標準於伽文庫, 上巻, 培風館, 1920-1921<!--大正13/1924と国会図書館目録ではしているが、それ以外のほとんどは大正9-10とする-->, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1716320?tocOpened=1, p1-30</ref>
  
<ref name="urashimataro-mori-etal1920">{{citation|和書|editor1-last=森 |editor1-first=林太郎 |editor1-link=森鴎外 |editor2-last=鈴木|editor2-first=三重吉 |editor2-link=鈴木三重吉 |editor3-last=松村 |editor3-first=武雄 |editor3-link=松村武雄 |editor4-last=馬淵 |editor4-first=冷佑 |editor4-link=<!--馬淵冷佑-->|others=[[浜田如洗]] 等(画) |chapter=浦島太郞 |title=日本伝説 : 標準於伽文庫 |volume=<!--1--> |volume-title=上巻 |publisher=培風館 |date=1920-1921<!--大正13/1924と国会図書館目録ではしているが、それ以外のほとんどは大正9-10とする--> |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1716320?tocOpened=1 |pages=1-30}}</ref>
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<ref name="yanagita-okinawa">柳田國男, 海南小記, 大岡山書店, 1925, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1871757, p225-227</ref>
  
<ref name="yanagita-okinawa">{{citation|和書|last=柳田 |first=國男 |title=海南小記 |publisher=大岡山書店 |date=1925 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1871757 |pages=225-227}}</ref>
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<ref name="yoshitoshi-manga1886-scripps">https://ccdl.claremont.edu/digital/collection/cyw/id/357/, The Picture of the homecoming of Urashima Taro's son from the dragon's palace (series: Yoshitoshi's Cartoons), Chikanobu and Yoshitoshi Woodblock Prints, Ruth Chandler Williamson Gallery, Scripps College, 2022-10-09</ref>
 
 
<ref name="yoshitoshi-manga1886-scripps">{{cite web|url=https://ccdl.claremont.edu/digital/collection/cyw/id/357/ |author= |title=The Picture of the homecoming of Urashima Taro's son from the dragon's palace (series: Yoshitoshi's Cartoons) |work=Chikanobu and Yoshitoshi Woodblock Prints |publisher=Ruth Chandler Williamson Gallery, Scripps College |date=<!--s.d.--> |access-date=2022-10-09}}</ref>
 
}}
 
  
 
== 参照文献 ==
 
== 参照文献 ==
* {{citation|和書|last=蘆谷 |first=重常<!--Ashiya Shigetsune --> |authorlink=蘆谷重常 |title=国定教科書に現れたる国民説話の研究 |trans-title= |publisher=教材社 |year=1936 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1462184 |pages=179-215}}
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* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%A6%E5%B3%B6%E5%A4%AA%E9%83%8E 浦島太郎](最終閲覧日:24-12-20)
* {{citation|和書|last=大内 |first=建彦 |authorlink=<!--大内建彦--> |title=浦島伝説の転成―その社会史的変容 |trans-title= |journal=城西文学 |volume=9 |issue=1 |series=(通巻27号) |date=2002 |url=https://libir.josai.ac.jp/il/meta_pub/G0000284repository_JOS-KJ00000647295 |pgaes=16-23}}
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* {{citation|和書|last=重松 |first=明久<!--Shigematsu Akihisa--> |authorlink=重松明久 |title=浦島子傳 |trans-title= |publisher=現代思潮社 |year=1981 |url=https://books.google.com/books?id=Na3SAAAAMAAJ }}
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** 大内建彦, 浦島伝説の転成―その社会史的変容, 城西文学, volume9, issue1, (通巻27号), 2002, https://libir.josai.ac.jp/il/meta_pub/G0000284repository_JOS-KJ00000647295, p16-23
* {{citation|和書|last=下澤 |first=清子<!--Shimozawa Kiyoko --> |title=浦島説話の変遷 |trans-title= |journal=奈良教育大学国文 : 研究と教育 |volume=4 |year=1980 |url=https://hdl.handle.net/10105/10481 |pages=27-37 |hdl=10105/10481}}
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** 重松明久, 浦島子傳, 現代思潮社, 1981, https://books.google.com/books?id=Na3SAAAAMAAJ
* {{citation|和書|last=中田 |first=千畝 <!--Nakada, Sempo--> |author-link= |title=浦島と羽衣 |publisher=坂本書店出版部 |year=1926 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978301}}
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** 下澤清子<!--Shimozawa Kiyoko -->, 浦島説話の変遷, 奈良教育大学国文 : 研究と教育, volume4, 1980, https://hdl.handle.net/10105/10481, p27-37, hdl:10105/10481
* {{citation|和書|last=早川 |first=芳枝 |author-link=<!--早川芳枝 HAYAKAWA Yoshie--> |title=明治年間の「浦島」たち―「小説」と「戯曲」と「児童文学」 |journal=エコ・フィロソフィ研究|volume=12 |date=2018-03-00 |url=https://doi.org/10.34428/00009813 |pages=39-47 /|doi=10.34428/00009813}}
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** 中田千畝<!--Nakada, Sempo-->, 浦島と羽衣, 坂本書店出版部, 1926, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978301
* 林晃平 『浦島伝説の研究』 [[おうふう]] ISBN 4273031531
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** 早川芳枝<!--早川芳枝 HAYAKAWA Yoshie-->, 明治年間の「浦島」たち―「小説」と「戯曲」と「児童文学」, エコ・フィロソフィ研究, volume12, 2018-03-00, https://doi.org/10.34428/00009813, p39-47 /, doi:10.34428/00009813
* {{citation|和書|last=林 |first=晃平 |author-link=<!--林晃平 (学者) Hayashi Kōhei--> |title=説話・物語の画像化 浦島伝説における画像の諸問題 |trans-title=Various issues on images in the Urashima legend |journal=Proceedings of the International Conference on Japanese Literature in Japan<!--国際日本文学研究集会会議録--> |volume=24 |year=2001 |pages=33-54 |url=https://kokubunken.repo.nii.ac.jp/records/2633 |doi=10.24619/00002629 |publisher=<!--国文学研究資料館-->}}
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** 林晃平 『浦島伝説の研究』 おうふう ISBN 4273031531
* {{citation|和書|last=林 |first=晃平 |author-link=<!--林晃平 (学者) Hayashi Kōhei-->|title=所謂御伽草子「浦島太郎」の展開-近年における諸本研究とその行方をめぐり- |trans-title=The Development of Otogizoushi “Urashima Taro” |journal=苫小牧駒澤大学紀要<!--Bulletin of Tomakomai Komazawa University--> |number=24 |year=2011 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11569007|pages=1-37|naid=40019240096}}
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* {{citation|和書|last=林 |first=晃平 |author-link=<!--林晃平 (学者) Hayashi Kōhei-->|title=オックスフォード大学蔵絵巻「浦島太郎」の翻刻と解題 |trans-title=The Tale of Urashima in the Bodleian Library, University of Oxford |journal=苫小牧駒澤大学紀要 |number=27 |year=2013 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11569010 |pages=1-31|naid=40019758177}}
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* {{citation|和書|last=林 |first=晃平 |author-link=<!--林晃平 (学者) Hayashi Kōhei-->| |title=玉手箱の来し方―浦島伝説イメージの形成― |trans-title=The Origin of the Tamatebako |journal=苫小牧駒澤大学紀要 |number=31 |year=2016 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11569014 |pages=1-31}}
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** 林晃平<!--林晃平 (学者) Hayashi Kōhei-->, オックスフォード大学蔵絵巻「浦島太郎」の翻刻と解題, The Tale of Urashima in the Bodleian Library, University of Oxford, 苫小牧駒澤大学紀要, number27, 2013, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11569010, p1-31, naid:40019758177
* {{citation|和書|last=林 |first=晃平 |author-link=<!--林晃平 (学者) Hayashi Kōhei--> |title=絵本『浦島太郎』の展開―近代における浦島伝説の発生と変遷―|trans-title=The Picture Book “URASHIMA TARO” and Its Development |journal=苫小牧駒澤大学紀要 |number=34 |year=2019 |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11569017 |pages=23-104}}
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** 林晃平<!--林晃平 (学者) Hayashi Kōhei-->, 玉手箱の来し方―浦島伝説イメージの形成―, The Origin of the Tamatebako, 苫小牧駒澤大学紀要, number31, 2016, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11569014, p1-31
* {{citation|和書|last=牧野 |first=陽子 |title=海界の風景 : ハーンとチェンバレン それぞれの浦島伝説(一)|trans-title="Past the bounds of Ocean" : The Legend of Urashima as told by L. Hearn and B. S. Chamberlain (1) |journal=成城大學經濟研究 |number=191 |year=2011 |pages=138-116 |url=https://seijo.repo.nii.ac.jp/records/2282 |CRID=1050001337473522688}}
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** 林晃平<!--林晃平 (学者) Hayashi Kōhei-->, 絵本『浦島太郎』の展開―近代における浦島伝説の発生と変遷―, The Picture Book “URASHIMA TARO” and Its Development, 苫小牧駒澤大学紀要, number34, 2019, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11569017, p23-104
* {{citation|和書|last=三浦 |first=佑之 |author-link=三浦佑之 |title=浦島太郎の文学史: 恋愛小説の発生 |publisher=五柳書院 |year=1989 |url=https://books.google.co.jp/books?id=HRzUAAAAMAAJ |isbn=4906010369}}
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** 牧野陽子, 海界の風景 : ハーンとチェンバレン それぞれの浦島伝説(一), "Past the bounds of Ocean" : The Legend of Urashima as told by L. Hearn and B. S. Chamberlain (1), 成城大學經濟研究, number191, 2011, pages138-116, https://seijo.repo.nii.ac.jp/records/2282, CRID:1050001337473522688
* {{citation|和書|last=水野 |first=祐 |author-link=<!--水野祐 (学者)--> |title=古代社会と浦島伝説〈上〉 - 浦島伝説の歴史的形成 |publisher=[[雄山閣]] |year=1975 |url=https://books.google.com/books?id=ybEEAAAAMAAJ}}
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** 三浦佑之, 浦島太郎の文学史: 恋愛小説の発生, 五柳書院, 1989, https://books.google.co.jp/books?id=HRzUAAAAMAAJ, isbn:4906010369
* {{Cite book|和書|ref={{SfnRef|宮尾|2009}}|editor=宮尾与男 |editor-link=宮尾與男 |others=[[バジル・ホール・チェンバレン|Basil Hall Chamberlain]] (訳); [[小林永濯]]<!--Kobayashi Eitaku 1843-1890--> (画) |chapter=浦島 |title=対訳日本昔噺集 |trans-title=Japanese Fairy Tale Series |volume=2 |publisher=彩流社<!--Sairyūsha--> |date=2009 |url=https://books.google.com/books?id=pT80AQAAIAAJ |pages=25ff, 301ff |isbn=<!--4779113717, -->978-4779113710 |language=英・和}}
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** 宮尾與男, Basil Hall Chamberlain, (訳);小林永濯<!--Kobayashi Eitaku 1843-1890--> (画), 浦島, 対訳日本昔噺集, Japanese Fairy Tale Series, volume2, 彩流社<!--Sairyūsha-->, 2009, https://books.google.com/books?id=pT80AQAAIAAJ, p25ff, 301ff, isbn:<!--4779113717, -->978-4779113710
|publisher=[[平凡社]] |year=1971 |url=https://books.google.com/books?id=xbMLAAAAMAAJ}} ({{青空文庫|001566|54331||海上の道}})
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** 柳田國男, 海上の道 |work=沖繩文化論叢 2, 平凡社, 1971, https://books.google.com/books?id=xbMLAAAAMAAJ(青空文庫:001566|54331海上の道)
* {{citation|last=Chamberlain |first=B. H. |author-link=:en:Basil Hall Chamberlain |author-mask=Chamberlain, B. H. (英国王室チャムベリン先生) |others=[[小林永濯]] (画) |title=The Fisher-boy Urashima |publisher=長谷川武次郎, 弘文社<!--T. Hasegawa, Kōbunsha--> |year=1886 |series=Japanese Fairy Tale Series 8 |url=https://archive.org/stream/fisherboyurashim00chamiala}}; [https://www.loc.gov/item/2021667139/ 他蔵本] @ Library of Congress
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** Chamberlain, B. H. (英国王室チャムベリン先生), 小林永濯 (画), The Fisher-boy Urashima, 長谷川武次郎, 弘文社<!--T. Hasegawa, Kōbunsha-->, 1886, Japanese Fairy Tale Series 8 , https://archive.org/stream/fisherboyurashim00chamiala; [https://www.loc.gov/item/2021667139/ 他蔵本] @ Library of Congress
* {{cite thesis|ref={{SfnRef|Holmes|2014}}|type=M. A. |last=Holmes |first=Yoshiko |title=Chronological Evolution of the Urashima Tarō Story and its Interpretation |publisher=Victoria University of Wellington |year=2014 |url=http://researcharchive.vuw.ac.nz/xmlui/bitstream/handle/10063/3589/thesis.pdf?sequence=2}}
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** Holmes Yoshiko, Chronological Evolution of the Urashima Tarō Story and its Interpretation, Victoria University of Wellington, 2014, http://researcharchive.vuw.ac.nz/xmlui/bitstream/handle/10063/3589/thesis.pdf?sequence=2
* {{citation|last=McKeon |first=Midori Yamamoto |title=The Urashima Legend: Changing Gender Representations in a Japanese Tale |publisher=University of California, Berkeley |year=1996 |url=https://books.google.com/books?id=yQxNAQAAMAAJ}}
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** McKeon , Midori Yamamoto, The Urashima Legend: Changing Gender Representations in a Japanese Tale, =University of California, Berkeley, 1996, https://books.google.com/books?id=yQxNAQAAMAAJ
{{refend}}
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** 三舟隆之『浦島太郎の日本史』歴史文化ライブラリー、吉川弘文館、2009年 ISBN 9784642056854
*[[三舟隆之]]『浦島太郎の日本史』[[歴史文化ライブラリー]]、[[吉川弘文館]]、2009年 ISBN 9784642056854
 
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
* [[伊余部馬養]] - 浦島太郎伝説の実質的な作者。
+
*  
* [[龍宮]]
 
* [[リップ・ヴァン・ウィンクル]]
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
* {{Cite journal|和書|author=瀧音能之 |url=http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/15175/ |title=浦島子伝承の変容 |journal=駒沢史学 |publisher=駒沢大学歴史学研究室内駒沢史学会 |issn=04506928 |date=2000-08-00 |volume=56 |pages=1-37 |naid=110007003125}}
+
* 瀧音能之, http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/15175/, 浦島子伝承の変容, 駒沢史学, 駒沢大学歴史学研究室内駒沢史学会, issn:04506928, 2000-08-00, volume56, p1-37, naid:110007003125
* {{Cite journal|和書|author=林晃平 |author-link=<!--林晃平 (学者)--> |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4265673 |title=片岡政行英訳『うらしま』覚書 |journal=苫小牧駒澤大学紀要 |publisher=苫小牧駒澤大学 |date=2000-06 |number=4 |pages=73-94 |naid=40005246227}}
+
* 林晃平, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4265673, 片岡政行英訳『うらしま』覚書, 苫小牧駒澤大学紀要, 苫小牧駒澤大学, 2000-06, number4, p73-94, naid:40005246227
  
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== 脚注 ==
  
 
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2024年12月22日 (日) 14:49時点における最新版

浦島太郎(うらしまたろう)は、日本の伽話(おとぎばなし)、及びその伽話内の主人公名。

一般に知られるあらすじでは、を助けた報恩として浦島太郎が海中に連れて行かれ、龍宮(竜宮)で乙姫らの饗応を受ける。帰郷しようとした浦島太郎は、「開けてはならない」と念を押されつつ玉手箱を渡される。帰り着いた故郷では、龍宮で過ごしたと感じたより遥かに長い年月が経っており、失意の余り玉手箱を開けてしまった浦島太郎は、年老いた鶴、または人間の年寄りに化するというものである。

浦島子伝説が原話とされ、古くは上代の文献(『日本書紀』『万葉集』『丹後国風土記逸文』)に記述が残る。それらは、名称や設定が異なり、報恩の要素も欠け、行き先は「龍宮」ではなく「蓬萊(とこよのくに)」なので、異郷淹留譚(仙境淹留譚)に分類される。

日本各地には、浦島太郎が居たと伝える伝承や縁起譚があり、浦島の名の出ない類話も存在する。

概要[編集]

現代において、日本で広く普及する浦島太郎の御伽話は、明治から昭和にかけて読まれた国定教科書版に近い内容である。これは童話作家の巖谷小波が1896年に発表した『日本昔噺』版に、生徒向けに手を加えて短縮したもので、玉手箱を開けて老人化してしまうことで約束を破ると悪いことが起こると伝えようとしたためである[1]

上代の原話では「浦島子」(浦島子伝説)で、万葉、日本書紀、丹後国風土記に記述がある。異界は龍宮でなく蓬山(蓬萊山)・常世(とこよ)の併称で呼ばれる。

現代版にみられる「竜宮」「乙姫」「玉手箱」などの呼称や、浦島が亀を買いとって助ける設定は、中世の御伽草子に由来するが、版本として知名度が高い御伽文庫版のそれではなく、異本(I類系)に見られる。浦島子伝説では、「蓬萊(とこよのくに)」の名のない女性が「玉匣(たまくしげ)」を渡す。しかし海上の竜宮図を使いながら、文章では海底であるとする江戸時代の戯作(1782年)や、[2][3]また赤本絵本の模写絵だが、文章では海底とする英訳(1886年)もある[4][5][6]

現代版にいたると亀と姫は同一でなくなるが、浦島子伝説・御伽草子では、浦島が釣って逃がした亀は乙姫(蓬莱の女性)の化身である。御伽文庫では、最後に浦島も死ぬ代わりに鶴に変身する

普及版[編集]

現在一般的に普及しているストーリーは、教科書を通じて広く国民に知れわたったもので[7]、概ね以下のような内容である。

浦島太郎という人(あるいは漁師[8])は、浜で子供達がをいじめているところに遭遇。その亀を買いとって保護し、海に放してやる(太郎は子供達をわざとつついて「お前たちは亀に同じことをしたんだぞ?」と叱る場合もある。)。2、3日後、亀が現れ、礼として太郎を背に乗せ、海中の竜宮に連れて行く。竜宮では乙姫が太郎を歓待[9][10]。しばらくして太郎が帰る意思を伝えると、乙姫は「決して蓋を開けてはならない」としつつ玉手箱を渡す。太郎が亀に乗って元の浜に帰ると、地上では700年もの年月が経過していて、太郎が知っている人は誰一人いない。太郎が忠告を忘れて玉手箱を開けると、中から白い煙が発生し、太郎は実年齢の白髪で皺だらけの老人の姿に変化する。(尋常小学国語読本、巻3)[11][12][13]
経緯

上のあらすじは、特に広く親しまれた教科書だと評価される第3期国定教科書[14]第3巻「うらしま太郎」から取った。この教科書は別名『尋常小学国語読本』、通称『ハナハト読本』という。大正~昭和の1918-1932年に使用された[15]

明治時代には、その元となった第2期国定教科書[16]所収「ウラシマノハナシ」が登場している。このいわゆる「国民童話」版は、明治政府が教科書向きに書き換えたものであるが、童話作家の巌谷小波著『日本昔噺』所収の「浦島太郎」に若干の手を加えて短縮したものだと目されている[17][18][19]

竜宮城に行ってからの浦島太郎の行状は、子供に伝えるにふさわしくない「結婚生活」[20]。の内容が含まれているので、童話においてはこの部分は改変(もしくは省略)された[21]

いじめていた子供達の態度も、映像作品や出版社によって異なる(太郎に叱られて蜘蛛の子を散らすように逃げ去る、亀に進んで謝罪したうえで優しく海に放すなど)。

変遷[編集]

浦島説話は、おおまかに古代(上代~鎌倉時代)、中世(絵巻、奈良絵本、御伽草紙)、近代の系統に分類される[22]

古代においては「浦島子」が、亀に身をやつした異郷の姫に出会い、夫婦になる縁といわれ、異郷にいざなわれる展開である[23][24]。"神女のおしかけ女房的な話"などと形容される[25]。異郷で3年暮らして望郷の念にかられるが、陸の世界に戻ると300年がたっており、開けるなと禁じられた箱を開けると体が消滅してしまうというのは、ほぼ近代版どおりである[26][27]

名称は時代によってことなり、異郷は蓬山・常世(→竜宮城)、人物は浦島子(→浦島)、亀比女(→乙姫)、箱は玉匣(→玉手箱)のように変遷する[28][29]

亀を漁師の浦島が助けてやるという発端は、中世(御伽草紙)にくわわるが、亀はすなわち竜宮の姫のままであり、自分が救われた理由で夫婦になる[30][31]。動物報恩譚の様相をとるともされる[32][33]

古代・中世とも浦島と姫は船で異郷にたどりつく[34]。しかし江戸時代、浦島が亀の上に乗って竜宮に行き来するのが図像化される。その嚆矢は17世紀末(元禄時代)頃とも18世紀半ばともされる[35][36]。亀に乗る浦島図は、多くの草双紙などに描かれようになったが[37]、相変わらず竜宮が波上に描かれるのも一般的であった[38]。厳密には一般的な定番というより、亀の上に立って乗る図がみられるなかで[39]、多くは竜宮が波の上に浮かぶように描かれる、とする[40]。。明治の赤本絵本(1880年代)や[41]月岡芳年の「漫画」(1886年)では、海上の楼閣に見えるが、詳述がない[42][43](2枚刷り。立命館大学蔵は左葉のみである。)</ref>。

既述の比較論文では、近代版の標準テキストとしては大正期の絵本と、昭和期の教科書(読本)であり、これらでは竜宮ははっきりと海中にもぐって到達する場所とされる[44][45][46]

近代版における、乗物と化した亀はもはや姫の化身ではなくなり、亀は姫の"眷族"と呼ばれる[41]。姫その下僕を救われた恩返しに、蛸や魚などの踊り子にも命じて、浦島をもてなすが、夫婦にはならない[47]。助けられた亀についても、報恩譚が成立するといえなくもないが、単に交通手段として浦島を送り迎えするだけの恩返しにとどまるのである[48]

その他の近代版[編集]

明治期の赤本[編集]

明治期の近代赤本として『浦嶋物がたり』(明治13/1880年)[49][50]、『浦島弌代記』(一代記)」(1883年)[51]、『浦島物がたり』」(1885年)[52]が挙げられる[53][54]

明治・大正期の活版本[編集]

『田村将軍一代記・小野篁一代記・浦島太郎一代記』(銀花堂、明治22/1889年)は活版印刷されており、この明治20年代頃が木版本から活版本への過渡期とみなされる[55][56]

また森林太郎(森鷗外)ら四名の編纂による『標準於伽文庫』(大正9/1920-1921年)があり[46]、近代版の代表例のひとつとして某論文でつかわれる[57]

関敬吾撰[編集]

関敬吾編『日本の昔ばなし』(岩波文庫)に所収される、香川県仲多度郡で採集された話がある[58]。これは「北前の大浦」を舞台とする。漁師の浦島太郎は、いかだ船で釣りに出かけるが亀が何度もかかるばかりで、その都度放してやる。釣果はなしに帰途につくと、渡海舟がやってきて、乙姫のいる海中の竜宮界に連れて行かれる。結末は御伽草子と同様だが、玉手箱が三段重ねで、一段目には鶴の羽があり、二段目で白煙があがって老人となり、三段目に鏡が出て浦島太郎が自分の変わり果てようを目にすると、鶴の羽が触れて鳥の姿になって飛び回る。その浦島をみようと、乙姫が亀に変身して浜にあがってくる[59]。この話は英訳もされている[60]

英訳[編集]

明治期にはいくつかの英訳[61][5][6][62]。やドイツ訳がなされている[63][64][65][66][67]

バジル・ホール・チェンバレン英訳The Fisher-Boy Urashima(1886年)は、『日本昔噺』(ちりめん本)シリーズの一篇として長谷川武次郎により刊行された(挿絵は無銘だが小林永濯の作とされる)[68][69]。チェンバレン訳は、記紀・丹後国風土記・万葉集など古典の設定を取り入れた混成話であり[70]、龍宮は海中でなく海を遠く隔た離島にあるとし[71]、二人して船を漕いで到達する設定になっている[72]

1897年にはラフカディオ・ハーンの「夏の日の夢 (小泉八雲)(The Dream of a Summer Day)」(『東の国から Out of the East』所収)によっても紹介されている[73][74]

考察[編集]

近代版[75]の浦島太郎には、善行を行えば報われるという、「仏教的な因果応報思想」が意図的に盛り込まれるとの解説がある[76]。近代版には、亀が「おれいに竜宮へおつれしましょう」と語っているので、報恩の意志ははっきりしている[77][78]

しかし、近代版では理不尽にも浦島の結末は短く竜宮で楽しんだ後は老人となってしまう。結果的に自身が不幸に陥ることになるので、報恩といえるかどうか、疑問視もされ[79]、「アンチ報恩譚」とのレッテルを張る論文すらある[80][81]。また古い浦島子伝説では報恩の要素は見いだせないとされる[82]

中世(『御伽草子』、後述)の場合は、主人公が単に老化してあるいは死んで終わるのではなく、鶴と化して「めでたき」結末となっている[83]ので、より報恩譚として成立する。これについては逆に、亀の放生を行った程度で容易に無限の宝を得られるでは釣り合わない、との批判がみられる[84][79]。鶴になる結末は何を伝えたいのかわからないとの向きもある[1]

竜宮[編集]

常世の女性が、ワタツミ(海神)の娘だということが付記されるのは、『万葉集』の長歌に詠まれる浦島子伝説においてである。

このワタツミを竜神や竜王と同一視できるかについては、浦島子伝説は既に中国の唐代に流行していた竜生九子伝説[85]の影響を受けていたもので、すなわち奈良時代の浦島子伝説でも、亀姫は竜王の姫だったという解釈がある[86]。また唐の『竜女伝』を元の素材として、亀姫は東海竜王の娘の竜女であるとする、より具体性のある見解を藤沢衛彦は打ち出している[87]

しかし仮説になりたった解釈を抜きにすれば、『御伽草子』において初めて、異郷が明確に「竜宮」となり[88]、その異郷の女性が「乙姫」という名の竜王の娘として登場する[89][90]。この竜王が竜族かを問えば、柳田国男によれば「日本の昔話の竜宮には竜はいない」とされる[91]

御伽草子[編集]

「浦島太郎」として伝わる話の型が定まったのは、室町時代に成立した短編物語『御伽草子』による。その後は良く知られた昔話として様々な媒体で流通することになる。亀の恩返し(報恩)と言うモチーフを取るようになったのも『御伽草子』以降のことで、乙姫、竜宮城、玉手箱が登場するのも中世であり、『御伽草子』の出現は浦島物語にとって大きな変換点であった。

「御伽草子」の稿本といえば、普通「御伽文庫」版を指すことが慣習的となっている。こちらは江戸時代に版本にされて多くの部数が普及したからである[92][93][94][95]

御伽文庫[編集]

御伽文庫の稿本の原文は、「昔丹後の國に浦島といふもの侍りしに、其の子に浦島太郎と申して、年のよはひ二十四五の男ありけり」と始まる[96][97]

丹後の国に浦島という者がおり、その息子で、浦島太郎という、年の頃24、5の男がいた。太郎は漁師をして両親を養っていたが、ある日「ゑじまが磯」というところで亀を釣りあげ、「亀は万年と言うのにここで殺してしまうのはかわいそうだ。恩を忘れるなよ」と逃がしてやった。数日後、一人の女人が舟で浜に辿り着き、漂着したと称して、なんとか本国に連れ帰してくれと請願する。実はこれは逃がしてもらった亀の化身であった[98]。二人が舟で龍宮城に到着すると、女性は太郎と夫婦になろうと言い出す。龍宮城は、東西南北の戸を開けると四季の草木と眺めがみえるように作られていた。ここで共に三年暮す頃、太郎は残してきた両親が心配になり帰りたいと申し出た。姫は自分が助けられた亀であったことを明かし、開けることを禁じたうえで「かたみの筥(はこ)」(または「箱」、挿入歌では「玉手箱あけて悔しき」と詠まれる[99])を手渡した。太郎は元の浜に着き、老人に浦島(太郎の父)の行方を尋ねるが、それは七百年も昔の人で、近くにある古い塚がその墓だと教えられる。龍宮城の三年の間に、地上では七百年もの年月が経っていたのであった。絶望した太郎が箱を開けると、三筋の紫の雲が立ち昇り、太郎はたちまち老人になった。太郎は鶴になり蓬萊山へ向かって飛び去った。同時に乙姫も亀になって蓬莱山へ向かった。丹後では太郎と乙姫は夫婦の明神となって祀られた[100]

一説に、ここから「亀は万年の齢を経、鶴は千代をや重ぬらん」と謡う能楽『鶴亀』などに受け継がれ、さらに、鶴亀を縁起物とする習俗がひろがったとする(要出典:2017年9月)。

『御伽草子』では竜宮城は海中ではなく、島か大陸にあるように描写され、絵巻や絵本の挿絵もそうなっている。春の庭、夏の庭、秋の庭、冬の庭の話はメインストーリーの付け足し程度に書かれている。

異本と系統[編集]

浦島太郎の御伽草子の諸本は、実際には50種以上存在する。それらをテキストの類似性で分類すると、おおよそ4つの系統に分かれる[101][102]。御伽文庫は、IV類系統に該当する[103]

近代版に近い系統[編集]

「御伽文庫」版は御伽草子の定番だが、現代の「浦島太郎」のおとぎ話とは、筋書きや名称のうえで違いが多い。御伽文庫では、太郎は亀を買いとることはせず、背中にも乗らない[104][105][106][107]

I類系統の本が、現代版により近く、浦島太郎が宝を渡して亀を買い取る要素が含まれている[108]。また、相手の女性を無名とせず、「乙姫」(「亀の乙姫」)と特定するものが含まれる[109][110]。また本文でも「玉手箱」という言葉が使われる[111][112][113]

オックスフォード大学ボドリアン図書館所蔵の絵巻[注 1]もI類に所属する[114][115]

林晃平は、I類を性格づける要素として、1) 亀の買い取り 2) 迎えの舟 3) 四季の間に郷愁をなだめる効果[116]、4) 村人が長寿を認めて荼毘に付す(修行僧の役割)、5) 玉手箱の煙が蓬莱に到達し、乙姫が悲しむ、の五つを挙げている[117]

浦島子伝説[編集]

「浦島太郎」という名前は中世の物語から登場し、それ以前の文献では「浦島子」の伝説として記録される。この浦島子にはモデルが実在しており、複数の史書にその名が見える。浦島子は日下部首の先祖であるとされる[118]

浦島子の伝説は、上代の文献である『丹後国風土記逸文』『日本書紀』や『万葉集』巻九にあり、成立年代は近いとされるが、順序については異説がある。

浦島子が誘われる場所は蓬萊(常世国|とこよのくに)なので、これら伝説は異郷淹留譚(仙境淹留譚)に分類される[119][120]

蓬萊山は、中国における不老不死の理想郷で、道教の中核にある神仙思想の産物である。浦島子伝説には、こうした神仙思想的(道教的)要素が見いだせる[121]。ただそのことについては、現地の伝説を取材したが原作者の漢籍癖が出たためとも[122]、唐伝来の話の翻案であるから、とも論じられる[123]

丹後国風土記逸文[編集]

8世紀に成立した『丹後国風土記』(現在は逸文のみが残存)にある「筒川嶼子」「水江浦嶼子」[124]は、浦島太郎の物語の原型と解されている[125][126][127]。ほぼ同時代の『日本書紀』『万葉集』にも記述が見られるが、『丹後国風土記』逸文が内容的に一番詳しい[128]

内容は次の通り:

冒頭は「與謝郡日置里、この里に筒川村あり」とし、その村の筒川嶼子(つつかわのしまこ)は、容姿と風流が際立ち、別名「水江浦嶼子」といい、日下部首(くさかべのおびと)の先祖だとしている[129][130]
長谷(はつせ)の朝倉宮の御世、つまり雄略天皇の時代。嶼子(島子)が一人船で海に出るが、3日間魚は釣れず、五色の亀が取れる。船で寝入る間に亀は美女の姿に変わっている。いきなり現れた女性の素性を訪ねると、「天上の仙(ひじり)の家」の者だとの返答。島子と語らいたくなってやって来たという。舟を漕いで女性の住む「蓬山」[131]を訪れるが、海上の島であった。門に立つと、7人の童子、ついで8人の童子に「亀比売(かめひめ)の夫がいらした」と出迎えられるが、これらは昴七星と畢星の星団であった。浦島は饗宴を受け、女性と男女の契りを交わす。
三年がたち、島子に里心がつくと、女性は悲しむが、彼女との再会を望むなら決して開けてはならない玉匣(たまくしげ)(箱)を授けて送りだす。郷里を訪ねると家族の消息は得られず、水江の浦の島子という人が300年前に失踪したと伝わる、と教えられる。約束を忘れて箱を開けると、何か美しい姿が雲をともない天上に飛び去って行った。そこで島子は女性と再会できなくなったことを悟るのである[132][133][134]

しかし、何らかの力で二人は歌を詠みかわすことができ、3首が万葉仮名で引用されている[135]。後世より贈られたという2首も引かれているが、これら贈答歌は、『丹後国風土記』より後の時代に追加されたとの説がある[136]

伊余部馬養の作という説[編集]

『丹後国風土記』逸文は、収録された話は、連(むらじ)の伊豫部馬養(いよべのうまかい)という人物が書いた記録と突き合わせても差異がなかったとしている。すなわち馬養が丹波の国宰だった頃の文章は風土記以前に成立しており、馬養が浦島伝説の最初の筆者であるとの説がある。

馬養は7世紀後半の学者官僚で『律令』選定、史書編纂に係わって皇太子学士を勤め、『懐風藻』に神仙思想を基にした漢詩を残す当代一級の知識人であった。そのことを踏まえても、馬養の著作の源が日本の伝承だったのか、中国の説話なのか疑問が残る。現地に元々あった伝承を採集しそれを中国の神仙譚風に編集、脚色したという見解と[122]、中国の類話の舞台を丹波/丹後に移して翻案した作品との見解[123]とで対立している[137][138]

三浦の解釈[編集]

三浦佑之の論旨に従えば、『丹後国風土記』を基にして解釈すれば、主人公は風流な男である浦島子と[139]、神仙世界の美女であり、その二人の恋が官能的に描かれて[140][141]異界(蓬莱山)と人間界との3年対300年という時間観念を鮮明に持つ[142]。その語り口は、古代にあっては非常に真新しい思想と表現であり、神婚神話や海幸山幸神話などとはまったく異質であり[143]、結末が老や死ではなく肉体が地上から消え去るという神仙的な尸解譚になっているのもそのためである[144]

日本書紀[編集]

浦島太郎(浦嶋子)の記述は、『日本書紀』「雄略紀」の雄略天皇22年(478年)秋7月の条に見える。こちらは事件の日付だとして具体的な年・月付で記されるわけで、次のような内容である:

丹波国餘社郡(現・京都府与謝郡)の住人である浦嶋子は舟に乗って釣りに出たが、捕らえたのは大亀だった。するとこの大亀はたちまち女人に化け、浦嶋子は女人亀に感じるところあってこれを妻としてしまう。そして二人は海中に入って蓬萊山(とこよのくに)へ赴き、遍歴して仙人たち(仙衆(ひじり))に会ってまわった。

万葉集巻九[編集]

8世紀半ば以降に成立した『万葉集』巻九の高橋虫麻呂作の長歌(歌番号1740)に「詠水江浦嶋子一首」として、浦島太郎の原型というべき以下の内容が歌われている[145]。「春日之 霞時尓 墨吉之 岸尓出居而(春の日の 霞める時に 住吉の["すみのえ"の] 岸に出で居て)..」という読み手の現実に始まり、そこから連想される浦島の故事に触れる<[146]。大意は次のようなものである:

水の江の浦島の子が7日も帰らず鯛や鰹を釣りをしていると、海境(うなさか)[注 2]を超えて漕いでいて行き交った海神(わたつみ)の娘と語り合うようになり、そして結婚する。常世にある海神の宮で暮らすこととなったが、愚かな男は里帰りを言い出す。妻は、この常世の国に戻りたいと願うなら決してこれを開くなと、篋(くしげ[注 3])を手渡す。
水江に帰ってみると、家を出てから3年しかたっていないと思っていたのにその家は跡形も無い。箱を開ければ元の家などが戻ると思い開けたところ白い雲がたなびいて常世にむかい、うろたえて叫び、地団太を踏むと、気絶した。浦島の子は皺だらけの白髪の老人の様になり、ついには息絶えてしまった。[146]

詠み手が長歌で「水江の浦島子の家」の跡が見えると締めくくっている。その舞台の「墨吉」は「すみのえ」と仮名振りされており、従来は丹後地方の網野町に比定されていたが、武田祐吉が摂津国住吉郡墨江村であると提唱した。澤瀉久孝『萬葉集注繹』では、虫麻呂はおそらく摂津の住吉にいたのだろうが、浦島伝説の舞台をここに移し変えて「創作」したのだとしている[147][148]

異郷淹留の場所がワタツミの神の国となり、仙女がその海神の娘になっているのは、この萬葉歌での加筆部分であるが、これもおそらく虫麻呂の創作であろうと考えられている[149]

平安以降[編集]

平安時代以降も漢文伝として書き継がれてきた:

  • 10世紀初頭:『続浦島子伝記』[150]
  • 11世紀後半:「浦島子伝」(『本朝神仙伝』 所収)[151]
  • 11世紀末:「浦島子伝」(『扶桑略記』 所収)[152]
  • 13世紀初期:「浦島子伝」(『古事談』 所収)[153]など(要検証:2017年9月)。

12世紀以降になると、『俊頼髄脳』をはじめ『奥儀抄』、『和歌童蒙抄』など歌論書に浦島物語が仮名書きで写され、宮廷や貴族達の、より幅広い層に浦島物語が広く浸透した[154]

中世になると、『御伽草子』の「浦島太郎」をはじめ絵巻・能・狂言の題材になり、読者・観客を得て大衆化していき、江戸時代に受け継がれた[155]

地域伝承[編集]

長崎県壱岐に伝わる話[編集]

長崎県壱岐郡にあった郷ノ浦町(ごうのうらちょう)の華光寺にある古い書には、渡良半島の嫦娥島(じょうがじま)を竜宮城と記してある。

神奈川県横浜市神奈川区に伝わる話[編集]

神奈川県にある通称「浦島寺」と結びつく伝説は次のようなものである:

昔、相模国三浦に浦島太夫とよばれる人がおり、彼は仕事のため丹後国に赴任していた。その息子である太郎は、亀が浜辺で子供達にいじめられているところに出会う。(全国版と同じなので中略)竜宮の乙姫から授かった玉手箱と観音像を持って太郎が丹後に帰ると、そこに両親のゆかりの跡はなく、太郎は両親の墓は武蔵国白幡(現・横浜市神奈川区の東部)にあると聞かされる。
老人となった太郎は、白幡の峰に行き、両親の墓を探したが、なかなか見つけられない。それを見かねた乙姫は、松枝[156][157]。に明かりを照らして場所を示した。やっとのことで墓を見つけた太郎はその地に庵を結び、観音像を安置した。太郎の死後、その庵は観福寺(浦島院観福寿寺)となった[158][159]

観福寺は、江戸末期の神奈川宿火災で焼失して廃寺となるが[160][157]。事実の矛盾ではなく、この年は「慶応4年」正月に起こった事項であっても遡って「明治元年」の元号を適用することが行われた</ref>[161]。、明治5年(1872年)に石井直方(神奈川本陣)が、神奈川区の慶運寺に一宇を増築させて併合させた[161][162]。聖観世音菩薩像は残り、こちらに安置されている[157]。この聖観世音菩薩像と、慶運寺および同区内の蓮法寺が所有する塔・碑は、「浦島太郎伝説関係資料」として横浜市登録の地域有形民俗文化財となっている。

長野県木曽の浦島伝説[編集]

長野県木曽の山中に、浦島太郎がここに住んでいたという伝説が、室町後期から江戸時代の頃に成立している。

創作であるが、古浄瑠璃『浦嶋太郎』では、舞台を上松の宿場の界隈として、浦島太郎の民話を作り変えている。すなわち信濃国に住む子宝に恵まれない夫婦が戸隠明神に祈願して授かったのが主人公の浦嶋太郎とする。その相手も、もとは「うんのの将監」の娘の「玉より姫」で、浦嶋と恋仲になるが現世では添い遂げられず、伊奈川(木曽川の支流)に身投げするが、超自然的な女性に生まれ変わる。彼女は亀に案内され、竜宮界の館のきんなら王に仕える「とうなんくわ女」となるのである。拝領した「うろこの衣」は、これを脱げば亀の姿から人間に戻るという霊物だった。姫は亀の姿となって伊奈川にいるところを浦嶋太郎に釣られ、再会を果たす。浦島は姫の船に乗り、竜宮へ案内される[163]

香川県三豊市詫間町の浦島伝説[編集]

由来の地名など[編集]

香川県三豊市詫間町の西部、荘内半島はかつて「浦島」と呼ばれており、数々の浦島太郎にまつわる伝説が残されている[164]。足利義満が浦島の三崎神社に参拝した際に

"へだてゆく 八重の汐路の浦島や 箱の三崎の 名こそしるけれ"

と詠んでいる[165]。浦島太郎伝説に所縁があるとされる地名等は以下のものがある[166]

  • 生里(なまり) - 與作という人がおしもさんという美しい娘を嫁にもらって住んでいた所。二人の間に生まれた男の子が浦島太郎である。太郎の生まれた里で「生里」という[167]
  • 浦島(うらしま) - 昔荘内組七浦と呼ばれていた大浜浦、積浦、生里浦、箱浦、香田浦、家の浦、粟島の七つの地区を総称して「浦島」という[168]
  • 鴨之越(かものこし)- 太郎がいじめられている亀を助けた浜辺[167]
  • 丸山島(まるやまじま)- 鴨之越の海岸にある島で、干潮時には歩いて渡ることができる。この海岸で太郎が亀を助けたとされており、丸山島に浦島神社が祀られている[169]
  • 箱(はこ) - 太郎が玉手箱を開けた場所。太郎親子の墓もある[170]
  • 積(つむ) - 宝物を積んだ太郎が竜宮城から乙姫に送られて帰り着いたとされる場所[171]
  • 糸ノ越(いとのこし) - 太郎が箱から釣糸をもって室浜へ通った所で、太郎の休んだ腰掛石もある[172]
  • 室浜(むろはま) - 太郎が竜宮から帰ってからの2、3年釣りをしていた所と言われている。不老の浜(ぶろま)とも呼ばれている[172]
  • 紫雲出山(しうでやま)- 太郎が開けた玉手箱から出た白煙が紫の雲となって、この山にたなびいたとされる[173]
  • 仁老浜(にろはま)- 太郎の母の生家「しもの家」がある地区。玉手箱を開けて白髪の老人となった太郎が、母の里で余生を送ったとされ、「仁義深い老人の浜」が仁老浜の語源とされる[174]
  • 金輪の鼻(かなわのはな)- 竜宮城で歓待を受けた後、積まで乙姫様に送ってもらった。積の海岸で別れを惜しみ、浦島太郎と堅い握手を交わした際に乙姫様が金の腕輪を落としたことから金輪の鼻と呼ばれている[175][176]
  • 姫路(ひめじ)- 粟島の地名。乙姫が太郎を里へ送り届けた後、潮流の関係で一時立ち寄ったのが元で「姫路」と呼んでいる。[169]
  • 亀戎社(かめえびすしゃ)- 粟島。太郎を乗せた亀の死骸を葬った場所に建てられた社とされる。[169]
  • 上天(じょうてん) - 紫雲出山の中腹にあり、太郎が昇天した場所と言われている。山頂の竜王社では旧3月15日に例祭があり、積の人たちによってお弁当の接待がされていた[177]

伝説がまとめられた経緯[編集]

詫間町荘内半島における浦島太郎伝説は諸大龍王の墓碑建立1847年(弘化4年)より前からあったとされる。荘内半島各地の地名が浦島伝説に由来するのではないかと詫間町出身の彫刻家新田藤太郎が提案し、郷土史家の三倉重太郎が半島各地の地名と伝説の関連性を調査し、物語として昭和23年にまとめた[178]

浦島太郎を名乗る人物[編集]

観光PRのために実在の人物が浦島太郎を名乗っている[179]

  • 初代:大西友吉(昭和23年頃から) - 浦島太郎第三十何代と称している(昭和44年没)
  • 2代目:西川正一(昭和48年から)
  • 3代目:山田要(昭和58年から)

自治体の取り組み[編集]

町興しの一環として、浦島太郎関連のモニュメントが数多く作られている。

日向の海彦・山彦神話[編集]

|日向(宮崎県)には記紀以来、「海幸彦と山幸彦」の神話が伝わり[180]、これが浦島太郎もモデルになっているといわれる[181]

南薩地域に伝わる話[編集]

九州・薩摩半島南端の指宿市を中心とした南薩地域にも浦島伝説が伝わっており、市内長崎鼻には龍宮神社があり[182]、指宿市が観光に利用しているだけではなく、九州旅客鉄道も「指宿のたまて箱列車」(鹿児島中央駅・指宿駅間)を運営している。南薩地域の浦島伝説で興味あるのは、鹿児島県が用意した観光客用パンフレットには「海彦と山彦」の伝説が載っており、この伝説から浦島太郎伝説への影響がありとしていて、また山彦が訪れた龍宮は琉球であるともしていて、この地域と沖縄との強い結びつきが感じられる。[183]

沖縄に伝わる話[編集]

沖縄の伝承としては、『遺老説伝』の第103話「与那覇村の人竜宮に遊ぶこと」と浦島伝説との類似性が指摘される[184][185][186]。粗筋は次のようなものである。

「南風原(はえばる)の与那覇村(よなはむら)の男が、与那久浜(よなくばま)で髢(かもじ。髪の毛)を拾う。探しているそぶりの美女に返すと感謝され、竜宮に招待したいと言われる。男が(手を)引かれて歩くと海が二つに割れて道が開け、竜宮に通じていた。その美女は神であり、男と竜宮で歓待の日々を過ごすことになる。三ヵ月ほど経つと男は故郷が恋しくなり帰郷を思い立つ。神女は、元の世を去ってからすでに三十三代経っており、男には子孫もいないと諭すが、断念させられない。そこで向かう所に道が開けるという(しかし絶対に開けてはいけない)紙包みを渡し里帰りさせる。男が郷里に帰り着くと辺りは変わり果て、自宅を指さし家族について尋ねるが、嘲笑され癩人扱いされる。なすすべなくなった男は丘に登り桑の杖を突きたてて穏作根(坐って休み)。ふと、何か良策が出るかと思って紙包みを開いたが、中に入っているのは白髪だけで、それが飛びついて体に付着すると、老爺と化し動けなくなって死んだ。地元の者が老爺をその場所に神として祀ったのが、穏作根嶽(うさんにだき)であるという[187][185]

この説話の主人公は無名だが、設定はおおむね浦島子伝説と合致する。本土のものと道具立てが異なり、玉匣(たまくしげ)は開けてはならぬ紙包みに置き変わり、その包みのなかの白髪が接触することで老化現象がおこる[186]

また、桑の木は、杖から生えてくるまで島には伝来していなかったとするので、神の国か伐られたものと推察できる[184]。異話では、竜宮まで戻る道を開ける手段は、(紙包とは別に与えられた)桑の木の杖を海に投じることであった[188]

同系の話の分布としては、宮古島などにも伝わっている[189]。柳田國男は、「竜宮」と南の島々のニルヤ(ニライカナイ)は同源だとみている[190]

『遺老説伝』にはまた、竜宮譚ではないが類似する第42話、善縄大屋子(よしなわうふやこ)の話が所収される。主人公は、出現した女性の言われるままに大亀を家に運ぶが咬まれて大怪我を負い、埋葬される。しかし実際は死して死なざる存在となったという展開である[187][191]

ゆかりの神社仏閣[編集]

  • 慶運寺(神奈川県横浜市神奈川区) - 浦島太郎が竜宮城から持ち帰ったと伝わる、明治時代に焼失した観福寿寺(浦島寺)の聖観世音菩薩像を安置。浦島観世音像の左右には浦島太郎と乙姫の像が立つ。
  • 浦嶋神社(京都府与謝郡伊根町) - 浦島伝説の中では最も古いとされる『丹後国風土記』逸文ゆかりの地域にある。社伝では天長2年(825年)に創建。
  • 嶋児神社(京都府京丹後市網野町)[192]
  • 寝覚の床・臨川寺(長野県上松町) - 寝覚の床は竜宮城から戻った浦島太郎が玉手箱を開けた場所といわれ、中央の岩の上には浦島堂が建つ。臨川寺は、浦島太郎が使っていたとされる釣竿を所蔵する。境内からは景勝寝覚の床を見下ろす。
  • 知里付神社・真楽寺(愛知県武豊町) - 知里付神社には浦島太郎が竜宮城から持ち帰ったといわれる玉手箱が所蔵されている(非公開)。日照りの際の雨乞いに使われたという。また、真楽寺の境内には浦島太郎を背負った亀のものとされる墓がある。武豊町の富貴という地名は、「負亀」(オブガメ)の音読みの「フキ」が転化したものだとも言われている。

類話[編集]

  • 『捜神後記』所収の話[193]。会稽の剡県に住む袁と根という男らが二人の仙女と同棲するようになるが、あるとき留守を機に帰郷を図って露見する。強いては止められず、腕嚢を渡され、開けることを禁じられる。根の家族が詮索して五重の嚢を開いてしまうと、その後、根は蒸発してしまった。それは蝉脱した(仙人となった)といわれた[194][195]
  • 『水経注』に、晋代の王質という男が山の洞窟で4人の童子が琴を弾いて歌っているのをしばらく聴いた後、家に戻るといつの間にか数十年の時がたっていたという話がある[196]
  • 唐代の薛瑩の撰による『竜女伝』。震澤の洞庭山の洞窟に茅公[月+它][197]という漁師が転げ落ちて竜宮にたどり着き、10日程過ごして帰参。東海竜王の第七女を主とするその竜宮に、今度は梁の武帝が羅子春兄弟を使者に遣わし、竜女より返礼として宝珠を得る。使者たちは龍に乗って瞬く間に返る。ただ、もてなしの料理は、包みを開くと石のように固くなってしまった[198]
  • 中唐時代、李朝威によって書かれた伝奇小説「柳毅伝」は若い書生柳毅が竜王の娘を助け、洞庭湖の竜王のもとに赴き、後に娘をめとって竜王となる話である。柳毅は竜王となった後、長い年月がたっても若いままであるが、それは仙薬によるものであると説明されている[199]
  • アイルランドのオシーン(Oisín)が、海の乙女ニアヴ(Niamh)に誘われて「常若の国(ティル・ナ・ノーグ)」で何百年かを過ごすという物語があるミホール・コミーン(Mícheál Coimín)(1676–1760)による詩「テイール・ナ・ノーグのオシーン(常若の国のオシーン)」で知られる。[200][201][202]
  • 『クルアーン』の「洞窟の章」には、アッラーフによって309年間洞窟で眠っていた男達の話がある。これは「エフェソスの7人の眠り男」と呼ばれる、ローマ帝国の迫害から逃れた人々が洞窟に閉じこめられたが、200年以上たった後、そのうちの一人の男が目覚め街に姿を現したという説話が元になっている[73]
  • 12世紀にフランス語で書かれた『ガンガモールの短詩』では、タイトルヒーローが白い猪を追跡するうちに森の最深部に入り込み美しい宮殿に行きつく。彼はそこの姫君(猪に変身していた)と結ばれ3日間楽しく過ごす。彼は親族と再会するために出発するが、姫に「人間界との境である川を渡り終えたら、飲食を控える」ようにと警告される。彼が故郷に戻ると親族は300年前に亡くなったと知る。彼が野生のリンゴの木から実を3つ取って食べると、たちまち年老いて落馬し動けなくなる。彼は最後に姫君の侍女によって女人の国にと連れ去られる[203]

類似説話

  • 山幸彦と海幸彦 - 『古事記』と『日本書紀』から、山幸彦が問題を解決するため無目籠に乗り海神の宮に行く話がある。
  • 爛柯(らんか) - 中国版浦島太郎
  • リップ・ヴァン・ウィンクル - アメリカ版浦島太郎
  • ティル・ナ・ノーグ]- ケルト神話の妖精郷「常若の国」。浦島太郎と同じく、フィアナ騎士団のオシーンなど「常若の国」に行って数百年が経過した人物の話がいくつかある。

その他[編集]

派生用語
  • ウラシマ効果
  • 浦島太郎(花子)状態[204]
浦島にちなむ命名
  • ウラシマソウ - 肉穂花序の先端部が先細りに長く伸び、次第に垂れるものを釣り竿に見立てての命名である。
  • ウラシマグモ - 近縁種のオトヒメグモに対比して名付けられた。
  • うらしま- 海洋研究開発機構が研究している自律型深海巡航無人探査機
  • リュウグウ (小惑星)-小惑星1999 JU3の名称。小惑星探査機「はやぶさ2」が目指す目標天体の名称。小惑星のサンプルの入ったカプセルを持ち帰るミッションを「浦島太郎」が竜宮城へ行き玉手箱を持ち帰ることになぞらえて命名された。
    • ウラシマクレーター-リュウグウにあるクレーター
    • オトヒメ岩塊-リュウグウにある岩塊
  • オトヒメ・トーラス - 金星にある地名。「乙姫」に由来。
  • 乙姫大橋(岐阜県中津川市) - 木曽川に架かる農業用の橋。この地に伝わる乙姫伝説(浦島伝説)に由来。

出典[編集]

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参照文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

注釈[編集]

  1. MS. Jap. c. 4 (R)
  2. 海神の国と人間の国の境目
  3. 箱。玉手箱に相当。元々は化粧道具を入れるためのもの

脚注[編集]

  1. 1.0 1.1 フジテレビトリビア普及委員会, 2004 , トリビアの泉〜へぇの本〜 5, 講談社
  2. 『昔噺虚言桃太郎 (むかしばなしとんだももたろう)』(天明2/1782年)。浦島の代役に桃太郎が登場するので、標準テキストとはいえないが、5葉裏では、袖に「桃」と書かれた虚言桃太郎が、「亀にうちのり」竜宮にいき(絵の竜宮は波の上)、竜宮の一人娘の乙女(6葉表)は、11葉表で、亀に立ち乗って"女の葦の葉達磨といふ身振りにて海底深く急ぎ行く"。
  3. 林, 2001, p42
  4. 片岡政行の英訳(1886年)。亀が水面をたたいて深海までみえるようにし"浦島ははるか下に大都市が見えた Urashima saw far below a great city" とあり、"降下(つまり潜水)すると as they descended"ともある
  5. 5.0 5.1 5.2 =Kataoka Maayuki, Bric à Brac. Urashima: A Japanese Rip van Winkle, The Century Illustrated Monthly Magazine, volume32 (n.s. 10), May– October 1886, https://books.google.com/books?id=9C-gAAAAMAAJ&pg=PA329, p329-331, London, F. Warne & Co.
  6. 6.0 6.1 6.2 林晃平, 2000-09, https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11493405/tku.t-komazawa.ac.jp/relays/download/33/76/47/208/?file=/files/libs/208/201903131738225544.pdf, 片岡政行英訳『うらしま』覚書, 苫小牧駒澤大学紀要, ISSN:13494309, 苫小牧駒澤大学, issue:4, p73-94, naid:40005246227, CRID:1520853833152334592, NDLJP:4265673
  7. 三浦, 1989, p21, 27, 208-209
  8. 第三期国定教科書では「むかし、うらしま太郎といふ人がありました」となっているが、近年の教科書の多くは漁師と紹介(中嶋, 2010, 67))。
  9. 国定4では、タイやヒラメやタコが舞でもてなす。
  10. 10.0 10.1 蘆屋, 1936, p179-182: 国語読本(=第4期国定教科書)、巻3より復刻
  11. 文部省, 尋常小學國語讀本. 卷3, 日本書籍, 1928, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1874185, p39-4
  12. 三浦, 1989, pp22: 第三期国定教科書より復刻 Dai 3 ki kokutei kyōkasho
  13. 浦島太郎が竜宮城で過ごした日々は数日だったが、地上では随分長い年月が経っていたのである。
  14. 三浦, 1989, p21
  15. 三浦, 1989, p21
  16. 別名『尋常小学読本』通称『ハタタコ読本』)。
  17. 三浦, 1989, p21, 34-35
  18. あるいは国定教科書の準備委員(教科用図書調査委員会の一員)芳賀矢一の要請で、巌谷小波が執筆(作成関与)したものと推察されている
  19. 三浦, 1989, p21, 34-35
  20. 『丹後国風土記』の島子伝などでは乙姫との官能的な性生活の描写がある(「男女の契りを結び、三年間の結婚生活を送った」、(三浦, 1989, p74)
  21. 三浦, 1989, p51, 74-75)
  22. 下澤, 1980, p27-29
  23. 下澤, 1980, p30
  24. 大内, 2002, p21-22
  25. 下澤, 1980, p30
  26. 大内, 2002, p21-22
  27. 下澤, 1980, p33、34
  28. 下澤, 1980, p30-34
  29. 大内, 2002, p21-22
  30. 下澤, 1980, p30-34
  31. 大内, 2002, p21-22
  32. 下澤, 1980, p31
  33. 大内, 2002, p22
  34. 下澤, 1980, p32-33
  35. 18世紀半ばの説が、阪口保『浦島説話の研究』、新元社、1955年にみえる
  36. 下澤, 1980, loc:p.33, 注20
  37. 林, 2019
  38. 林, 2001
  39. 林, 2001, p41-43
  40. 林, 2001, p44
  41. 41.0 41.1 41.2 赤本絵本(明治20年代)ABC本の校訂テキスト。
  42. 月岡芳年, 浦嶋之子歸國従龍宮城之圖, 芳年漫画, 小林鉄次郎, 1886
  43. 43.0 43.1 https://ccdl.claremont.edu/digital/collection/cyw/id/357/, The Picture of the homecoming of Urashima Taro's son from the dragon's palace (series: Yoshitoshi's Cartoons), Chikanobu and Yoshitoshi Woodblock Prints, Ruth Chandler Williamson Gallery, Scripps College, 2022-10-09
  44. 下澤, 1980, p33
  45. 森林太郎他編『標準於伽文庫』、1920-1921では、"海の中"にあり(p.8)、亀は浦島を背負って"ずんずん水の中へ入って"いった(p.10)。挿絵も水底に竜宮がみえる構図である
  46. 46.0 46.1 46.2 森鴎外, 鈴木三重吉, 松村武雄, 馬淵冷佑, 浜田如洗 等(画), 浦島太郞, 日本伝説 : 標準於伽文庫, 上巻, 培風館, 1920-1921, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1716320?tocOpened=1, p1-30
  47. 下澤, 1980, p32
  48. 下澤, 1980, p32
  49. 49.0 49.1 歌川国政 4世, 1848-192, 歌川国貞 (3代目), 竹内栄久 (画), お伽噺浦島物かたり, 宮田幸助, 1880-12-10, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1167994
  50. 早川, 2018, p44
  51. 51.0 51.1 浦島弌代記, 島村吉松, 1883-08-00, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1169941
  52. 52.0 52.1 佐藤新太郎 (編・画), お伽噺:浦島物がたり, 佐藤新太郎, 1885-06-00, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1919514
  53. 林, 2009, p76
  54. 注 (6)。年代順にA本B本C本とし、『浦島弌代記』(B本)の挿絵を片岡政行訳で模写・流用した挿絵と比較している。
  55. 55.0 55.1 田村将軍一代記・小野篁一代記・浦島太郎一代記, 銀花堂, 1889-09-00, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/881572
  56. 早川(2018, p44)によれば野村銀治郎(発行者)編。
  57. 下澤, 1980, p29、注15
  58. 久野昭, 日本人の他界観, 吉川弘文館, 1997, https://books.google.co.jp/books?id=XMcEAQAAIAAJ, p44-46
  59. 泉滋三郎, 1999, https://kdu.repo.nii.ac.jp/records/304, 茶の湯と日本人の自然観, The Relationship between the Japanese Tea Ceremony and Japanese Nature Worship, 基礎科学論集 : 教養課程紀要, 神奈川歯科大学, volume17, p13-14, doi:10.18924/00000298, CRID:1390853649787505664
  60. Seki Keigo, Robert J. Adams (tr.), Urashima Taro, Folktales of Japan, University of Chicago Press, 1963, https://books.google.com?id=wInfAAAAMAAJ, p111-114
  61. さきがけてウィリアム・グリフィスが1876年に物語を紹介しているが(牧野, 1989, p122-121)、1880年の説話集には欠けている(龍宮関連では「くらげ骨なし(猿の生肝)」や磯良の神が宝珠を仁神功皇后に貸し与える説話を収録する)。片岡政行の英訳(1886年)が挿絵付きでロンドンの雑誌に掲載されたのはチェンバレン訳と同年である(牧野, 1989, p121)
  62. 62.0 62.1 William Elliot Griffis, XIII. Folk-lore and Fireside Stores, The Mikado's Empire, New York, Harper, 1876, https://books.google.com/books?id=Ld_BNvbt3MgC&pg=PA498, p498-500
  63. フェルディナント・アダルベルト・ユンケルの『扶桑茶話』のドイツ訳「漁夫浦島」(1884年)がある。
  64. 64.0 64.1 フェルディナント・アダルベルト・ユンケル, Der Fischerknabe Urashima, Japanische Thee-geschichten: Fu-sô châ-wa. Volks- und geschichtliche Sagen, Legenden und Märchen der Japanen, 1er Cyklos, Wien, Carl Gerold's sohn, 1884, https://books.google.com/books?id=SbFEAQAAMAAJ&pg=PA185, p185-194
  65. 牧野, 1989, p121
  66. またダーフィト・ブラウンスのドイツ訳(1885年)があり、アンドルー・ラング『ももいろの童話集』所収の浦島太郎の原典となっている
  67. 67.0 67.1 David August Brauns, Uraschimataro, Japanische Märchen und Sagen, Leipzig, Wilhelm Friedrich, 1885, https://books.google.com/books?id=Y3TEiotn1QEC&pg=PA59, p59-68
  68. 68.0 68.1 https://www.kufs.ac.jp/toshokan/chirimenbon/b_08.html, The Fisher-Boy Urashima /『浦島』(Urashima), Crepe-Paper Books and Wood Block Prints at the Dawn of Cultural Enlightenment in Japan / 文明開化期のちりめん本と浮世絵, 京都外国語大学, 2007, 2017-08-22
  69. 宮尾与男の編注対訳本に、逆邦訳された日本語テキストも掲載(宮尾, 2009, p25ff, 301ff)
  70. 牧野, 1989, pp130-129
  71. Chamberlain, 1886
  72. 宮尾, 2009, p34
  73. 73.0 73.1 榮谷温子, 1989-03, https://doi.org/10.15026/51839 , エジプトに渡った浦島太郎 : タウフィーク・アル=ハキーム『洞窟の人々』をめぐって, 言語文化研究, ISSN:02877821, 東京外国語大学大学院外国語学研究科言語・文化研究会, volume7, p107-112, doi:10.15026/51839, hdl:10108/51839, CRID:1390015191534187392
  74. 牧野, 1989, p137-136
  75. 巌谷小波版/国定教科書以降
  76. 1989, p201
  77. この点、理由もわからず連れていかれる中世の物語とは対照的である(下澤)
  78. 下澤, 1980, p31
  79. 79.0 79.1 79.2 高田知波, http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/15554/, 除外のストラテジー - 太宰治 『お伽草紙』 論への一視角 -, 駒澤國文, 駒沢大学文学部国文学研究室, issn:04523652, 1995, volume32, p71-83, naid:110007002667
  80. 武笠俊一 本山桂川, 玉匣から玉手箱へ : 浦島伝承史考(The homecoming of Tarow Urashima ), 人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要, volume25, 2007, https://hdl.handle.net/10076/9716, p75-84
  81. 要出典範囲:お伽噺として理不尽で不合理な教訓をもたらすことになっているのではないかというものだ, 2017年10月, 永井俊哉 (2017)PHP書籍『浦島伝説の謎を解く』で引いているので当面は残そうかと。
  82. 柳田, 1971, p50
  83. 牧野, 1980, p129
  84. 日高昭二(1991)、「『御伽草紙』論―心性としてのテクスト」、国文学
  85. 後に楊慎『升庵外集』に記述される。
  86. 86.0 86.1 坂田千鶴子, 龍王の娘たち, 東邦学誌, volume32, number1, 2003, https://aichi-toho.repo.nii.ac.jp/records/14, p73-74, 東邦学園大学東邦学園短期大学, CRID:1050283687370625664
  87. 87.0 87.1 藤沢衛彦, 日本民俗伝説全集, volume9, 河出書房, 1956, https://books.google.com/books?hl=ja&id=r4UHAQAAMAAJ, page83
  88. 88.0 88.1 秋谷治, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8099364, 浦島太郎:怪婚譚の流れ (御伽草子の世界<特集>) : (作品論的アプローチ), 国文学 解釈と教材の研究, 学灯社, issn:04523016, 1977-12-00, volume22, issue16, p102-103, naid:40001351057, 太郎の訪れた異郷が竜宮というのは御伽草子が初出である
  89. 89.0 89.1 宮尾, 2--9, p=35: "万葉集..には、..「海神の神の女」とだけあり、御伽草子や昔噺になると「乙姫」という"。
  90. McKeon, 1996, p136
  91. 柳田, 1971, p45
  92. 「御伽文庫」は、渋川清右衛門が収集して刊行した1720年頃のそれを指すが、実はその50年も前に刊行された丹緑本(たんろくぼん)と同一テキストと判明している
  93. 松本隆信, 1963-03, https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00106199-00000002-0171, 御伽草子本の本文について : 小敦盛と横笛草紙, Textual criticism of Koatsumori (小敦盛) and Yokobue-soshi (横笛草紙) (Otogi soshi of Shibukawa edition) compared with their old manuscripts, 斯道文庫論集, ISSN:0559-7927, 慶應義塾大学附属研究所斯道文庫, volume2, p171-172, crid:1050001338946770560
  94. 林, 2011, p17
  95. Holmes, 2014, p17, note 71
  96. 今泉定助, 畠山健, 21 浦島太郎, 御伽草子 後, 吉川半七, 1891, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992892; (校訂版)藤井乙男, 浦島太郎, 御伽草子, 有朋堂書店, 1922, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/977912/170, p277-298
  97. http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/Taro_Urashima.html, Taro Urashima story: A Fable, Ikeda Mitsuho, 2013, 2017-09-24
  98. 素性はここでは明かさず、浦島が去ろうとするときに初めて明かす。
  99. 「いつくしき筥」とも。
  100. 蘆屋, 1936, p1888-191: 御伽草子の「浦島太郎」の読み下し
  101. 林, 2011, p4
  102. 林, 2013, p5
  103. 林, 2011, p20, 30
  104. 林, 2011, p17
  105. 背中に乗るのは、「十八世紀初頭前後に始まった」という考察は、「十七世紀末(元禄頃)」に繰り下げている
  106. 林, 2001, p41
  107. 林, 2019, p27
  108. 林, 2011, p1
  109. 林, p10, 14
  110. 林, 2011, p9, 25
  111. 御伽文庫では、本文では「筥/箱(はこ)」としており、挿入歌にのみ「君にあふ夜はうらしまが玉手ばこ、あけてくやしきわがなみだかな」とある。
  112. 林, 2013, p11, 28, 30
  113. Hayashi, 2016, p10-11
  114. 林, 2011, p4-5
  115. テキストも翻刻されている(harvp, 林, 2013, p18-31)
  116. 募らせるのと逆
  117. 林, 2011, p9-10
  118. 宝賀寿男「第2章 皇族系氏族 第7節 日下部氏族」『古代氏族系譜集成』上巻、古代氏族研究会、1986年。
  119. 三浦, 1989, pp84, 96
  120. 重松, 1981, p175
  121. 瀧音能之「浦島」 / 小野一之・鈴木彰・谷口榮・樋口州男編 『人物伝小辞典 古代・中世編』 東京堂出版、2004年、36頁
  122. 122.0 122.1 122.2 高岡市万葉歴史館, 時の万葉集, 笠間書院, 2001, https://books.google.com/books?id=etkbAQAAMAAJ, p386
  123. 123.0 123.1 123.2 Shūichi Katō (critic), A History of Japanese Literature: The first thousand years, Kodansha America, 1979, https://books.google.com/books?id=6AWzAAAAIAAJ, p52-55
  124. toka3aki 「国土としての始原史~風土記逸文」~山陰道 - 露草色の郷(『丹後国風土記』(たにはのみちのしりのくにのふどき)の逸文テクスト。「浦嶼子」は『釋日本紀』〈卷十二〉からの引用)
  125. 厳密に言えば、馬養の物語が原型であるが、丹後国風土記の編者が二つの話に差異はないと述べている(後述)。ただ三浦は、"馬養の物語の原型にもっとも近い作品は、先に少しふれた『続浦島子伝記』ではないか"との感想も述べている
  126. 三浦, 1989, p106
  127. 三浦, 1989, p101-106, 148
  128. 三浦, 1989, p65
  129. 與謝郡日置里此里有筒川村此人夫日下部首等先祖名云筒川嶼子爲人姿容秀美風流無類斯所謂水江浦嶼子者也..
  130. 沢瀉久孝 編, 上代文学選. 上, 三省堂, 1941, NDLDC:1456581/61, 2015-07-15
  131. 挿入歌では「とこよ(等許余)」と見える。
  132. 丹後国風土記逸文の読み下し
  133. 蘆屋, 1936, p183-187
  134. Holmes, 2014, p114-118
  135. 三浦, 1989, p101-106, 148
  136. 水野, 1975, p60
  137. 丹後国はもともと丹波国の行政下にあり、独立したのは713年である。馬養が丹波の国宰だったのはそのとき以前なので、二つの国が混同される理由もそこにある
  138. Edwin A., The Gem-Glistening Cup, Stanford University Press, 1998, p144-145, https://books.google.com/books?id=KqWjwalbmx4C&pg=PA145
  139. 三浦, 1989, p78, 95
  140. 三浦, 1989, p96, 117, 179
  141. 141.0 141.1 橘弘文, 異界のホスピタリティ, Hospitality in other world, 大阪観光大学紀要, volume10, 2010, https://doi.org/10.20670/00000074, ISSN:1881638X, p129, 三浦祐之氏は.. 男性の性的快楽を表した伝承だったと..
  142. 三浦, 1989, p91, 94; 90, 146
  143. 三浦, 1989, p91; 80-81
  144. 三浦, 1989, p94, 119, 148
  145. 三浦, 1989, p109
  146. 146.0 146.1 辻尾榮市, 『万葉集』の舟・船, 大阪観光大学紀要, volume33, 2015, https://doi.org/10.24729/00004341, p129, doi:10.24729/00004341
  147. 辻尾榮市, "異郷淹留(えんりゆう)譚", "蝉脱"高橋虫麻呂ーその閲歴及び作品の制作年次についてー, 國文學, 関西大学国文学会, 1963, https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/records/4476, hdl:10112/6587, volume34, p28-29
  148. 大阪ではないが、摂津国の高砂が浦島の地元という設定は、明治(1880年)の赤本絵本にもみられる(林, 2009, p84)
  149. 三浦, 1989, p115: 「虫麻呂が、島子の行った異境をワタツミの国として設定」
  150. 三浦, 1989, pp142, 148-149
  151. 三浦, 1989, pp152-153
  152. 三浦, 1989, p153
  153. 三浦, 1989, p153
  154. 三浦, 1989, p158-161
  155. 三浦, 1989, p185, 198
  156. 乙姫が枝に光を照らしたとされる龍燈の松は、鉄道開通時に伐られたとされる
  157. 157.0 157.1 157.2 157.3 横浜郷土史研究会, 浦島太郎の𦾔跡, 横浜の史蹟と名勝, 1928, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1178212/44?viewMode=, p66-67
  158. 萩坂昇, よこはまの民話, むさしの児童文化の会, 1976, 神奈川の民話, p97-103
  159. 小島瓔礼, 武相昔話集: 神奈川, 岩崎美術社, 1981, p71
  160. 資料により慶応4年(1868年)の火事とも、「明治元年正月廿七日」の火事だともされる
  161. 161.0 161.1 161.2 井上攻, 近世社会の成熟と宿場世界, 岩田書院, 2008, https://books.google.co.jp/books?id=_SZNAQAAIAAJ, p256
  162. 162.0 162.1 林晃平, 2014-03, https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11493405/tku.t-komazawa.ac.jp/relays/download/33/76/22/179/?file=/files/libs/179/201903131730352134.pdf, 亀趺の生成と展開 : 日本における発生と展開, 苫小牧駒澤大学紀要,ISSN:13494309, 苫小牧駒澤大学, issue28, p1-23, naid:40020127648, NDLJP:11569011, CRID:1520290884524581376, 国立国会図書館インターネット資料収集保存事業
  163. 島居フミ子, 木曾に蘇った浦島太郎(秋山虔教授記念号) , 日本文學, 東京女子大学, volume77, 1992, https://twcu.repo.nii.ac.jp/records/19243, p32-43, CRID:1050845762588563584
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  180. 海幸彦・山幸彦神話(古代史の扉)
  181. 浦島太郎(古代史の扉)
  182. 鹿児島の旅:龍宮神社(鹿児島県観光連盟)
  183. 観光パンフレット『南薩摩国に伝わる、指宿竜宮伝説〜浦島太郎と乙姫様の出会い〜』(鹿児島県、2023年)]
  184. 184.0 184.1 184.2 柳田國男, 海南小記, 大岡山書店, 1925, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1871757, p225-227
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  202. ティル・ナ・ノーグへ行ったオーシン(Tir na nog)エールスクエア
  203. フィリップ・ヴァルテール『ユーラシアの女性神話-ユーラシア神話試論Ⅱ』(渡邉浩司・渡邉裕美子訳)中央大学出版部 2021年、ISBN 978-4-8057-5183-1、149-163頁(第8章 異界の女王)、粗筋は150-151頁。
  204. 竜宮城から故郷に戻るとまったく見知らぬ土地になっていたという浦島太郎の立場になぞらえ、長い間離れていた所に久しぶりに戻ると別世界になっており面食らうことを、古くは「今浦島」現在では「浦島太郎である」「浦島太郎状態にある」などと言う。女性の場合は「浦島花子(うらしまはなこ)」
  205. 林, 2001, p84-85
  206. 林, 2019, p29-31