「矢加美神社」の版間の差分
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− | <blockquote>この社は古くから応神天皇の宮に相通じる「王神社」「王神さま」と呼ばれてきた。<br> | + | <blockquote>この社は古くから応神天皇の宮に相通じる「王神社」「王神さま」と呼ばれてきた。<br>平安時代末期に布施平林郷安庭村の産土神として熊野権現を祀ったものとされる。ご神体は銅製の鏡で南朝建徳二年(一三七二)源義国が奉納したと刻まれている。<br>天保十年(一八三九)正月、社号免許を受けて'''矢賀美神社'''と改名した。<br>境内には手力王尊が天岩戸を背負って戸隠山へ行く途中村人たちの手厚いもてなしに感謝して印したと伝えられる「御足形石」がある。<br>平成二十六年四月吉日(境内内由緒書きより)</blockquote> |
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+ | 「'''王神社'''」というからには、元は'''多氏'''('''大氏'''あるいは'''王氏''')の祖神を祀る神社だったのではないだろうか。愛知県には「'''大神社'''」という神社がある。多氏とは信濃金刺氏が出た氏族だ。 | ||
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2024年11月27日 (水) 17:46時点における最新版
矢加美神社は長野市信更町安庭にある神社。祭神は熊野権現。
由緒[編集]
応神天皇の宮に通じる「王神社・王神さま」とよばれてきた。布施平林郷安庭村の産土神としてまつった。御神体は銅鏡で、建徳二年(一三七一)源義国による奉納と刻まれている。現存する社殿は室町時代応永年間(一三九四~一四二八)に建造されたもの。天文(てんぶん)年間(一五三二~五五)、領主平林肥後守はあつく崇敬し寄進もおこなった。天保(てんぽう)九年(一八三八)現社号に改称した。現在の佐屋殿、拝殿は昭和三十三年に改築したものである。近くに旧安庭村の道路元標(げんぴょう)がある[1]。
この社は古くから応神天皇の宮に相通じる「王神社」「王神さま」と呼ばれてきた。
平安時代末期に布施平林郷安庭村の産土神として熊野権現を祀ったものとされる。ご神体は銅製の鏡で南朝建徳二年(一三七二)源義国が奉納したと刻まれている。
天保十年(一八三九)正月、社号免許を受けて矢賀美神社と改名した。
境内には手力王尊が天岩戸を背負って戸隠山へ行く途中村人たちの手厚いもてなしに感謝して印したと伝えられる「御足形石」がある。
平成二十六年四月吉日(境内内由緒書きより)
私的解説[編集]
「王神社」というからには、元は多氏(大氏あるいは王氏)の祖神を祀る神社だったのではないだろうか。愛知県には「大神社」という神社がある。多氏とは信濃金刺氏が出た氏族だ。
手力王尊が立ち寄ったとの伝承があり、元は女神を祀る神社だったとも考えられる。信濃金刺氏は、古くは出雲系の神を祖神とし、八須良
出典・注釈[編集]
- ↑ 更府 / 第三節 神社と寺院、長野市/長野市デジタルミュージアム ながの好奇心の森(最終閲覧日:24-11-27)