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 管理人が興味を持った伝承(民話、伝説、神話)について纏めています。
 
 管理人が興味を持った伝承(民話、伝説、神話)について纏めています。
 
 外国のものは、主に英語版Wikipediaから興味を持った項目を翻訳しています。
 
  
 
== 始めに ==
 
== 始めに ==
 
 管理人は子供の頃から民話や神話を好んで読み、親しんできました。
 
 管理人は子供の頃から民話や神話を好んで読み、親しんできました。
  
 そして、民話・神話に親しむ者はいずれ気がつくことと思いますが、各地の民話・神話は内容が似ていたり、似ているようで少しずつ違っていたり、不思議な関係にあるのです。何故「全く同じ」でないのか、何故「全く違うもの」でないのか、それが不思議でした。内容が類似している民話や神話は、例えば近い地域のものであったり、氏族・部族の先祖が共通している人々のものであったりする、ということが漠然と分かってきました。
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 そして、私の出身地である長野市信州新町には、「'''キジも鳴かずば'''」と「'''泉小太郎'''」という伝承があります。
 
 
 それから、これも民話・神話の傾向として誰もが気がつくことと思いますが、伝承譚には「怪物退治」と「人身御供」に関する話が多く、これらが組み合わされている物語もあります。例えばギリシャ神話の「テーセウスのミーノータウロス退治」の物語です。ミーノータウロスは少年少女の生け贄を求める牛の姿をした怪物でしたが、英雄テーセウスに倒されました。伝承の中の「怪物」は、それを語っていた人々の敵対者を指すものと思われることもありますが、広く似たパターンの物語が分布していて、良く知られているけれども、どこに起源があり、物語の原因となった最初の「'''英雄と敵対者'''」がどこに住んでいた誰だったのか、いずれも不明である、ということも多いように思います。
 
  
 また人間の物語ですから、'''技術'''、'''職人'''、'''知恵'''というものを尊ぶ話も多いです。こういう話の主人公はいわば「'''文化英雄'''」と呼ばれる存在です。当然、知力と武力を兼ね備えた主人公の話もあります。
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 泉小太郎は安曇野に伝わる民話と言われていますが、犀川という川の開拓伝承なので、松本市から長野市にかけての流域全体の伝承と言えます。信州新町も当然流域です。これは泉小太郎という若者が母親の竜神と犀川流域を開拓し、母は力尽きて死んでしまう、という物語です。母親は諏訪大明神の化身と言われています。
  
 そして特に神話に顕著ですが、英雄には「'''神々の加護'''」というものがついて回ります。神々の加護のない英雄は実力だけでは生きていけなくて、物語が悲劇に終わることもあります。そして、更に「加護譚」が発展すると、'''非力で取り柄のない人間でも、神々の加護があれば成功する'''、といった傾向が出てきます。この場合、主人公は「文化英雄」といえる性質すら持っていませんが、'''勤勉さ'''、'''優しさ'''といった普遍的な「取り柄」を持っていることが多いように思います。これが英雄譚と組み合わされると、
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 「キジも鳴かずば」は、この犀川に久米路橋をかける際に人身御供を立てた、という話です。久米路橋は古代にかけられた橋で、橋脚がない橋でした。同様の橋に山梨県甲府市の猿橋があり、こちらにも人身御供の伝承があります。久米路橋の方は、やむを得ず軽い犯罪を犯した者を、橋のための人身御供にしてしまった、という話です。
  
'''実力があっても傲慢な英雄は滅び、実力が無くても心優しい者が栄える'''
 
  
といった物語を形成します。非力な主人公が栄える物語は民話に多いように思います。
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 技術というものは、素晴らしいもので、大勢の人の役に立つものかもしれません。でも、技術ばかりを重んじて、そのために誰かを犠牲にしなければならない、ということは矛盾しているように思うのです。別に人身御供なんてなくたって、技術だけあればいいではありませんか。まるで、'''技術を口実にして人を殺すことを目的にしている'''みたいです。そして、色々な民話や伝承を読むと、怪物や悪者を含めて登場人物の誰かが死んでしまうような話がものすごく多いことに気がつきます。
  
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 なんで、殺伐とした都会でもない田舎に、誰かを犠牲にしなければならないかのような伝承ばかり目立つのだろう。どうして、各地の民話や神話は残酷な話が多いのだろう。その理由を知りたい、と思ったのが私の出発点かもしれません。
  
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2024年11月2日
  
 このように民話・神話に親しんでいた管理人でしたが、最近、特に日本の伝承に気がついたことがあります。日本の標準的な「神話」といえば古事記がすぐに浮かびますが、各地の神社には古事記に出てこないようなローカルな神が祀られていたり、それに伴う伝承を持っていたりします。また歴史的に日本では、神社を形成している神道的な信仰が古く、仏教はそれよりも新しい宗教概念であることが明らかなのですが、古い神社の縁起譚を見ると、古くは神話的な縁起譚であったものが、古代末期から中世にかけて次第に仏教的な縁起譚に変わっているものが見られるのです。そして、それがその神社だけでなく、広くその地方の宗教状況を見ていくと、伝承が宗教的に包括して形成されており、まるで誰かが意図してデザインしたかのように、縁起譚を含む地方の伝承が形作られているかのように感じられることがあるのです。伝承や神話は、「'''古くから語り継がれているもので民族の古くからの精神世界を示すものである'''」という考えを私は子供の頃から持っていたのですが、この考えが根本から覆されました。誰かが、その時代の宗教や政治の状況に都合の良いように伝承を書き換えているのであれば、それは'''伝統文化'''ではなくて、'''フィクション'''とか'''プロパガンダ'''であるからです。
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== おすすめのページ ==
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* [[天甕津日女命]]:賀茂系氏族の総母神ともいうべき女神と考える。たぶん元は太陽女神。
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* '''[[黄帝型神]]''':まずはここから。
  
 そして、私の出身地である長野市信州新町には、「'''キジも鳴かずば'''」や「'''泉小太郎'''」のように何かを犠牲にして事業を成すような伝承が目立つように感じるのです。これらの伝承は遙か古代の先祖の時代から語り継がれた伝承の要素も含まれているかもしれませんが、もっと時代の下った中世以後の政治的プロパガンダ的要素も含んでいるかもしれない、と始めて感じました。そして、含んでいるのなら、その目的はなんなのだろう? と思うのです。そこには伝統を大切にする気持ちではなく、現代の感覚に通じるような現実的な意図があるはずです。
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* [[御倉板舉神]]:最新の記事です。
  
== 関連項目 ==
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== 参考文献 ==
* [[]]
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* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%B7 殷](最終閲覧日:24-10-09)
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* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BC%8E 鼎](最終閲覧日:24-10-09)
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* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A5%95%E9%A4%AE 饕餮](最終閲覧日:24-10-09)
  
 
== カテゴリ ==
 
== カテゴリ ==

2024年11月18日 (月) 15:04時点における最新版


 管理人が興味を持った伝承(民話、伝説、神話)について纏めています。

始めに[編集]

 管理人は子供の頃から民話や神話を好んで読み、親しんできました。

 そして、私の出身地である長野市信州新町には、「キジも鳴かずば」と「泉小太郎」という伝承があります。

 泉小太郎は安曇野に伝わる民話と言われていますが、犀川という川の開拓伝承なので、松本市から長野市にかけての流域全体の伝承と言えます。信州新町も当然流域です。これは泉小太郎という若者が母親の竜神と犀川流域を開拓し、母は力尽きて死んでしまう、という物語です。母親は諏訪大明神の化身と言われています。

 「キジも鳴かずば」は、この犀川に久米路橋をかける際に人身御供を立てた、という話です。久米路橋は古代にかけられた橋で、橋脚がない橋でした。同様の橋に山梨県甲府市の猿橋があり、こちらにも人身御供の伝承があります。久米路橋の方は、やむを得ず軽い犯罪を犯した者を、橋のための人身御供にしてしまった、という話です。


 技術というものは、素晴らしいもので、大勢の人の役に立つものかもしれません。でも、技術ばかりを重んじて、そのために誰かを犠牲にしなければならない、ということは矛盾しているように思うのです。別に人身御供なんてなくたって、技術だけあればいいではありませんか。まるで、技術を口実にして人を殺すことを目的にしているみたいです。そして、色々な民話や伝承を読むと、怪物や悪者を含めて登場人物の誰かが死んでしまうような話がものすごく多いことに気がつきます。

 なんで、殺伐とした都会でもない田舎に、誰かを犠牲にしなければならないかのような伝承ばかり目立つのだろう。どうして、各地の民話や神話は残酷な話が多いのだろう。その理由を知りたい、と思ったのが私の出発点かもしれません。

2024年11月2日

おすすめのページ[編集]

  • 天甕津日女命:賀茂系氏族の総母神ともいうべき女神と考える。たぶん元は太陽女神。
  • 黄帝型神:まずはここから。

参考文献[編集]

  • Wikipedia:(最終閲覧日:24-10-09)
  • Wikipedia:(最終閲覧日:24-10-09)
  • Wikipedia:饕餮(最終閲覧日:24-10-09)

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