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'''金鵄'''(きんし)は、『日本書紀』に登場し、[[神武天皇]]による日本建国を導いた金色の[[トビ|鵄]]。 | '''金鵄'''(きんし)は、『日本書紀』に登場し、[[神武天皇]]による日本建国を導いた金色の[[トビ|鵄]]。 | ||
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『日本書紀』の記述では、[[神武東征|東征]]を進める彦火火出見(後の神武天皇)が[[長髄彦]]と戦っている際に、金色の霊鵄が天皇の弓に止まると、その体から発する光で長髄彦の軍兵たちの目がくらみ、東征軍が勝利することができたとされる。この霊鵄を指して「金鵄」と呼ぶ。 | 『日本書紀』の記述では、[[神武東征|東征]]を進める彦火火出見(後の神武天皇)が[[長髄彦]]と戦っている際に、金色の霊鵄が天皇の弓に止まると、その体から発する光で長髄彦の軍兵たちの目がくらみ、東征軍が勝利することができたとされる。この霊鵄を指して「金鵄」と呼ぶ。 | ||
− | + | ただし、『古事記』に金鵄は登場せず、神武東征の際に熊野から大和へ東征軍を道案内した'''[[八咫烏]]'''と混同、あるいは同視されることが多い。金鵄と八咫烏が同一であるか、それとも別の存在であるかはっきりしないが、いずれにしろ日本建国に関わった霊鳥として、吉事や勝利あるいは建国の代名詞として使われ、特に大日本帝国時代には金鵄勲章をはじめ、意匠や名称が多方面で採用された。 | |
− | + | また、平安時代から存続する[[賀茂神社]]においては、金鵄および八咫烏ともに、[[賀茂建角身命]]の化身とされており、この二つを合わせて「金鵄八咫烏」と呼び祀っている<ref>[http://www.shimogamo-jinja.or.jp/saijin.html 御祭神と御神徳]下鴨神社([[賀茂御祖神社]])公式サイト</ref>。 | |
== 霊鵄形大錦旛 == | == 霊鵄形大錦旛 == | ||
− | + | 霊鵄形大錦旛(れいしけいだいきんばん)は、天皇即位の礼に使用される[[大錦旛]]のひとつである。それには金色に輝く金鵄が刺繍されており、頭八咫烏形大錦旛(やたがらすだいきんばん)と対になっている。それらは、日(太陽)および月の象徴たる日像纛旛、月像纛旛の次に掲げられ、太陽や月に次ぐものとして極めて重用な位置に配置され、即位の礼でも重視されていることが窺い知れる。 | |
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== 商品に使われた金鵄 == | == 商品に使われた金鵄 == | ||
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金鵄は戦わず光威徳で敵を降伏せしめた日本神話から、大変に縁起が良いとして明治以降、商品などに使用された。特に日本酒に多く、造り酒屋の金鵄盃酒造<ref>[http://www.kinshihai.com/ 金鵄盃酒造]</ref>やキンシ正宗の「金鵄正宗」などがある<ref>[http://www.fushimi.or.jp/brewery/kinshi.html 「金鵄正宗」キンシ正宗]</ref>。これらは、金鵄に化身したとされる賀茂一族の神社、賀茂御祖神社に献上されている。 | 金鵄は戦わず光威徳で敵を降伏せしめた日本神話から、大変に縁起が良いとして明治以降、商品などに使用された。特に日本酒に多く、造り酒屋の金鵄盃酒造<ref>[http://www.kinshihai.com/ 金鵄盃酒造]</ref>やキンシ正宗の「金鵄正宗」などがある<ref>[http://www.fushimi.or.jp/brewery/kinshi.html 「金鵄正宗」キンシ正宗]</ref>。これらは、金鵄に化身したとされる賀茂一族の神社、賀茂御祖神社に献上されている。 | ||
− | + | また、紙巻きたばこの「ゴールデンバット」は、戦時中の敵性語追放の動きを受けて、1940年(昭和15年)から1949年(昭和24年)まで「金鵄」に改名されていた。1941年(昭和16年)のパッケージには当初、神武天皇の弓が描かれていたが、これを捨てたり踏みつけることは不敬であるとの批判を受け、デザインの変更を余儀なくされたことがある<ref>「おおぞらとは読まぬ デザイン変更でケリ 印刷済みの1億個は売る」『朝日新聞』昭和48年(1973年)2月16日朝刊、13版、3面</ref>。 | |
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== 関連項目 == | == 関連項目 == | ||
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*[[八咫烏]] | *[[八咫烏]] | ||
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== 外部リンク == | == 外部リンク == | ||
* [https://www.kunaicho.go.jp/event/kyotogosho/pdf/shiori12.pdf 宮内庁「京都御所と離宮の栞(しおり) -京都御所-」] - 約100年前に行われた大正天皇御大礼。大正天皇即位の礼に使われた「金鵄をかたどった霊鵄形大錦旛」の配置(p2)および現物写真(p3)が掲載してある(PDF)。一部、金鵄と縁が深い神社で掲載されている金鵄(霊鵄形大錦旛)のレプリカは、これらを元にしてある。 | * [https://www.kunaicho.go.jp/event/kyotogosho/pdf/shiori12.pdf 宮内庁「京都御所と離宮の栞(しおり) -京都御所-」] - 約100年前に行われた大正天皇御大礼。大正天皇即位の礼に使われた「金鵄をかたどった霊鵄形大錦旛」の配置(p2)および現物写真(p3)が掲載してある(PDF)。一部、金鵄と縁が深い神社で掲載されている金鵄(霊鵄形大錦旛)のレプリカは、これらを元にしてある。 | ||
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== 参照 == | == 参照 == |
2022年12月2日 (金) 18:46時点における最新版
金鵄(きんし)は、『日本書紀』に登場し、神武天皇による日本建国を導いた金色の鵄。
概要[編集]
『日本書紀』の記述では、東征を進める彦火火出見(後の神武天皇)が長髄彦と戦っている際に、金色の霊鵄が天皇の弓に止まると、その体から発する光で長髄彦の軍兵たちの目がくらみ、東征軍が勝利することができたとされる。この霊鵄を指して「金鵄」と呼ぶ。
ただし、『古事記』に金鵄は登場せず、神武東征の際に熊野から大和へ東征軍を道案内した八咫烏と混同、あるいは同視されることが多い。金鵄と八咫烏が同一であるか、それとも別の存在であるかはっきりしないが、いずれにしろ日本建国に関わった霊鳥として、吉事や勝利あるいは建国の代名詞として使われ、特に大日本帝国時代には金鵄勲章をはじめ、意匠や名称が多方面で採用された。
また、平安時代から存続する賀茂神社においては、金鵄および八咫烏ともに、賀茂建角身命の化身とされており、この二つを合わせて「金鵄八咫烏」と呼び祀っている[1]。
霊鵄形大錦旛[編集]
霊鵄形大錦旛(れいしけいだいきんばん)は、天皇即位の礼に使用される大錦旛のひとつである。それには金色に輝く金鵄が刺繍されており、頭八咫烏形大錦旛(やたがらすだいきんばん)と対になっている。それらは、日(太陽)および月の象徴たる日像纛旛、月像纛旛の次に掲げられ、太陽や月に次ぐものとして極めて重用な位置に配置され、即位の礼でも重視されていることが窺い知れる。
商品に使われた金鵄[編集]
金鵄は戦わず光威徳で敵を降伏せしめた日本神話から、大変に縁起が良いとして明治以降、商品などに使用された。特に日本酒に多く、造り酒屋の金鵄盃酒造[2]やキンシ正宗の「金鵄正宗」などがある[3]。これらは、金鵄に化身したとされる賀茂一族の神社、賀茂御祖神社に献上されている。
また、紙巻きたばこの「ゴールデンバット」は、戦時中の敵性語追放の動きを受けて、1940年(昭和15年)から1949年(昭和24年)まで「金鵄」に改名されていた。1941年(昭和16年)のパッケージには当初、神武天皇の弓が描かれていたが、これを捨てたり踏みつけることは不敬であるとの批判を受け、デザインの変更を余儀なくされたことがある[4]。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 宮内庁「京都御所と離宮の栞(しおり) -京都御所-」 - 約100年前に行われた大正天皇御大礼。大正天皇即位の礼に使われた「金鵄をかたどった霊鵄形大錦旛」の配置(p2)および現物写真(p3)が掲載してある(PDF)。一部、金鵄と縁が深い神社で掲載されている金鵄(霊鵄形大錦旛)のレプリカは、これらを元にしてある。