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2022年11月24日 (木) 06:08時点における版
ネペレー(Νεφέλη, Nephelē)は、ギリシア神話に登場する雲のニュムペーあるいは女神である。長母音を省略してネペレとも表記される。イクシーオーンを罰する計略のため、ゼウスがヘーラーに似せて象った雲から生まれた。イクシーオーンとの間にケンタウロス族を[1]、オルコメノスの王アタマースとの間にプリクソス、ヘレーを生んだ[2][3][4][5]。
目次
神話
イクシーオーンとネペレー
ゼウスは血縁者を殺したイクシーオーンの罪を浄化し、不死にしてやっただけでなく、神々の宴の席に招いた。ところがイクシーオーンはその恩を忘れ、ゼウスの妃であるヘーラーに横恋慕し、ヘーラーを口説いた。イクシーオーンの好意に悩んだヘーラーがゼウスに打ち明けると、ゼウスは雲からネペレーを作り出し、イクシーオーンの寝所に連れて行った[6]。するとイクシーオーンはヘーラーが自分の思いに応えたと勘違いし、ネペレーと交わった。イクシーオーンの思い上がった行為を見たゼウスは、イクシーオーンを四本輻の車輪に縛りつけ、永遠に回転するという罰を与えた[7][私注 1]。
ケンタウロス族の誕生
この交わりによってネペレーはケンタウロス族を生んだとされる。そこでケンタウロス族のエウリュティオーンやネッソスはネペレーとイクシーオーンの子供といわれることがある。ピンダロスの異説によるとネペレーは1人の子供を生み、子供にケンタウロスと名付けた。彼がマグネーシアー地方のペーリオン山で牝馬と交わった結果、上半身は人間の身体、下半身は馬の身体を持つケンタウロス族が生まれた。さらにシケリアのディオドーロスによると、ネペレーが生んだのは人間の性質を備えたケンタウロイ族であり[8]、彼らはペーリオン山でニュムペーたちによって育てられたのち、牝馬と交わって馬と人間の性質を併せ持つヒッポケンタウロイ族をもうけたという[9]。
一説によると、ネペレーを作り出したのはヘーラー自身である[10]。さらにオウィディウスがケンタウロス族のモニュコスに語らせた説によれば、ケンタウロス族の母はヘーラー自身である[11]。
アタマースとの結婚
その後、テッサリアー地方の王アイオロスの息子で、オルコメノスの王アタマースと結婚し、彼との間に息子プリクソスと娘ヘレーを生んだ。後にネペレーはアタマースの後妻イーノーの陰謀で殺されそうになったプリクソスをヘレーとともに連れ去り、ヘルメースから授かった空を飛ぶ金毛羊を与え、この羊の背に乗せてオルコメノスから異国に逃亡させた。しかし途中でヘレーは海に落ち、ヘレースポントスの地名の由来となった[私注 2]。プリクソスは無事にコルキスに到着し、金毛羊をゼウスに捧げた[2]。あるいは、プリクソスとヘレーはディオニューソスによって狂気にかけられ、森の中をさまよっていたところをネペレーから金毛羊を授けられた[5][私注 3]。
この金毛羊はおひつじ座の由来ともなっており[12]、さらにこの物語は後のイアーソーンとアルゴナウタイの冒険につながっている。
悲劇作品
三大悲劇詩人の1人ソポクレースは現存しない悲劇『アタマース』においてネペレーを女神として描いている。ネペレーはアタマースとの間にプリクソスとヘレーを生んだが、アタマースは女神の妻を捨てて人間の女イーノーと結婚した。ネペレーは怒って天に昇り、オルコメノスを旱魃で苦しめた[13]。イーノーの陰謀によってネペレーの子供たちは旱魃を鎮めるための生贄にされそうになったが、子供たちは人語を話す不思議な羊の予言によって危険を逃れた。またネペレーはアタマースに罪を償わせようとしたが、ゼウスの祭壇で殺されそうになったアタマースをヘーラクレースが助けた[14][私注 4]。
解釈
アポロドーロスはイーノーがネペレーの子供たちを殺そうとしたことについて述べた直後に[2]、ヘーラーがアタマースとイーノーに怒り、狂気を送って狂わせたことに言及している[15][私注 5]。一般的にヘーラーの怒りは彼らがディオニューソスを養育したことに起因すると考えられているが、当該箇所においてはデォニューソスが原因であるとは語られていない。民族精神医学(ethnopsychoanalysis)を創始したジョルジュ・ドゥヴルー(George Devereux)はこの点に注目し、ヘーラーの怒りはイーノーとアタマースがディオニューソスを養育したことではなくネペレーの子供たちを殺そうとしたことに起因していると考え、アタマースの物語におけるネペレーとヘーラーとの間に緊密な関係があることを指摘している。ドゥヴルーによればネペレーはヘーラーの分身ともいうべき存在であり、ヘーラーはネペレーに加えられた屈辱に対してネペレー同様に怒りを感じている[16]。イギリスの詩人ロバート・グレーヴスによれば、先妻ネペレーと後妻イーノーの争いは、侵入者である牧畜民のアイオリス人と、穀物の女神イーノーの信仰を受容していた先住民のイオニア人との信仰上の対立を象徴したものである[17][私注 6]。
私的解説・ネペレーとホレのおばさん
天候神ネペレーと「穀物の実りを左右する女神」であるイーノーとの対立は、むしろ「うりこひめとあまのじゃく」的に、イーノーの方が「罰を受けるべき(悪い)女神」であるという観点から生じているように思う。なぜなら、イーノーは本来「穀物を実らせる女神」でなければならないはずなのに、その役割を果たさず、逆に「凶作」をもたらそうとしているからである。女神が「働かないから罰せられなければならない」という労働型の受罰女神の発生思想は牛郎織女に似る。
イーノーは人身御供を求める女神でもあるが、対立するネペレーもその点は同様であるので、そのために責められる、という要素はほとんどない。
ネペレーとイーノーの本来の関係は、ゲルマン神話のホレのおばさんとコルンムーメの関係に相当すると考える。日本神話では豊玉毘売と妹の玉依姫との関係が近いように思うが、日本神話では「海の女神」としての性質が強いのは豊玉毘売の方である。
注釈にも書いたが、同一の女神の序列としては
となって、一巡してヘーラー系の名前に戻るようになっているように感じる。名前の類似性からいっても、ホレのおばさんとヘーラーは同一の女神といえよう。
天候神としてのネペレーの性質は西王母型女神であるといえる。しかし、子音から見ると女媧(じょか、Nüwa)となるので、「NP」の子音を持つ女神としては女媧に近く女媧型女神といえる。
参考文献
- Wikipedia:ネペレー(最終閲覧日:22-10-27)
- アポロドーロス『ギリシア神話』高津春繁訳、岩波文庫(1953年)
- 『ギリシア悲劇全集11 ソポクレース断片』岩波書店(1991年)
- ディオドロス『神代地誌』飯尾都人訳、龍溪書舎(1999年)
- ヒュギーヌス『ギリシャ神話集』松田治・青山照男訳、講談社学術文庫(2005年)
- ルキアノス『神々の対話 他六篇』呉茂一・山田潤二訳、岩波文庫(1953年)
- 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』岩波書店(1960年)
- ロバート・グレーヴス『ギリシア神話(上)』高杉一郎訳、紀伊国屋書店(1962年)
- ジョルジュ・ドゥヴルー(George Devereux)『女性と神話 ギリシア神話にみる両性具有』加藤康子訳、新評論(1994年)
関連項目
- カムルセパ:ヒッタイト神話の女神。雲に関連するか。
- 巫山神女:男性(生贄)との交わりが天候を左右する女神である点がネペレーと一致する。
- 豊玉毘売::日本神話で天候に関わる女神である。
- ホレのおばさん:ゲルマン神話で天候に関わる女神である。
- イーノー:ネペレーの下位にくる穀物を実らせる女神。
- プシューケー
私的注釈
- ↑ イクシーオンが不死を得そうになりながら失敗する点はメソポタミア神話のアダパ、永遠の罰を受ける点は中国神話の桂男を彷彿とさせる。
- ↑ ヘレーが人身御供となったことを暗喩させる。
- ↑ ネペレーにはディオニューソスの狂気を解く能力があったと考えられているようである。
- ↑ ネペレーが人身御供を求める神であったことが窺える。
- ↑ ヘーラーにも「狂気をもたらす」月の女神としての性質があったことが分かる。
- ↑ 管理人の考えでは、ネペレーもイーノーも「穀物などの豊穣のために生贄を求める女神」であって、「同じ女神」であると考える。下位の女神ほど「生贄となる女神」としての性質が割り振られやすいので、身分の順としてはヘーラー、ネペレー、イーノーとなると考える。
参照
- ↑ アポロドーロス、摘要(E)9・1。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 アポロドーロス、1巻9・1。
- ↑ ヒュギーヌス、1話。
- ↑ ヒュギーヌス、2話。
- ↑ 5.0 5.1 ヒュギーヌス、3話。
- ↑ ルキアーノス『神々の対話』。
- ↑ ピンダロス「ピュティア祝勝歌」第2歌21行-41行。
- ↑ シケリアのディオドロス、4巻69・5。
- ↑ シケリアのディオドロス、4巻69・6。
- ↑ エウリーピデース『フェニキアの女たち』1192行への古註。
- ↑ オウィディウス『変身物語』12巻。
- ↑ おひつじ座, 2019/11/26, http://www.kotenmon.com/era/19_belierl.html, エラトステネスの星座物語
- ↑ ネペレーには天候を左右する天候神としての性質があったことが分かる。男性との関係がうまくいっていると、天候も順調である、とは巫山神女の思想に通じるものがある。
- ↑ アリストパネース『雲』257行への古註a。
- ↑ アポロドーロス、1巻9・2。
- ↑ ジョルジュ・ドゥヴルー、p.71。
- ↑ ロバート・グレーヴス、70話1。