「太陽と木と鳥1」の版間の差分

提供: Bellis Wiki3
ナビゲーションに移動 検索に移動
27行目: 27行目:
 
[[ファイル:Threeleggedbird han dynasty.jpg|thumb|300px|漢代の壁画。右が火烏(三足烏)。]]
 
[[ファイル:Threeleggedbird han dynasty.jpg|thumb|300px|漢代の壁画。右が火烏(三足烏)。]]
 
'''三足烏'''(さんそくう、さんぞくう)は東アジア地域の神話や絵画などに見られる伝説の生き物である。この烏は太陽に棲んでいると信じられ、太陽の象徴であった<ref>The Animal in Far Eastern Art and Especially in the Art of the Japanese, Volker, T., Brill, 1975, page=39</ref>。最も古い考古学的遺品は紀元前5000年の中国揚子江下流域の河姆渡文化にさかのぼる。
 
'''三足烏'''(さんそくう、さんぞくう)は東アジア地域の神話や絵画などに見られる伝説の生き物である。この烏は太陽に棲んでいると信じられ、太陽の象徴であった<ref>The Animal in Far Eastern Art and Especially in the Art of the Japanese, Volker, T., Brill, 1975, page=39</ref>。最も古い考古学的遺品は紀元前5000年の中国揚子江下流域の河姆渡文化にさかのぼる。
 +
 +
太陽信仰そのものは揚子江下流域で紀元前8000年頃には行われていたと思われ、太陽紋の刻まれた彩色土器が上山文化の遺跡より発掘されている。
  
 
古代中国の文化圏で広まっていた陰陽五行説では偶数を陰、奇数を陽とする。このため3足は陽となり太陽と繋がりができるからだと言われている。
 
古代中国の文化圏で広まっていた陰陽五行説では偶数を陰、奇数を陽とする。このため3足は陽となり太陽と繋がりができるからだと言われている。
33行目: 35行目:
 
'''三足烏'''(さんそくう、さんぞくう、サンズゥウー)は、中国神話に登場する烏で、太陽に棲むとされ<ref>『淮南]』精神訓「日中有踆烏」</ref>(ただし他の神話もある)、太陽を象徴する。黒い烏は太陽の黒点を表しているという説もある。'''日烏'''(にちう、リーウー)や火烏とも言い、月の兎の月兎と対比される。しばしば3本の足をもつとされるが2本の場合もある。また、金色という説もあり、'''金烏'''(きんう、ジンウー)とも呼ばれる。
 
'''三足烏'''(さんそくう、さんぞくう、サンズゥウー)は、中国神話に登場する烏で、太陽に棲むとされ<ref>『淮南]』精神訓「日中有踆烏」</ref>(ただし他の神話もある)、太陽を象徴する。黒い烏は太陽の黒点を表しているという説もある。'''日烏'''(にちう、リーウー)や火烏とも言い、月の兎の月兎と対比される。しばしば3本の足をもつとされるが2本の場合もある。また、金色という説もあり、'''金烏'''(きんう、ジンウー)とも呼ばれる。
  
太陽にいるのは烏ではなく金[[ニワトリ|鶏]](きんけい)であるとの神話もある。別の神話では、太陽は火烏の背に乗って[[日周運動|天空を移動]]する。ただしこれに対し、[[竜]]が駆る車に乗っているという神話もある。
+
太陽にいるのは烏ではなく金鶏(きんけい)であるとの神話もある。別の神話では、太陽は火烏の背に乗って天空を移動する。ただしこれに対し、竜が駆る車に乗っているという神話もある。
  
なお三足烏の「金烏」の絵は、日本の1712年(正徳2年)刊の「[[和漢三才図会]]」の天の部の「日」の項にも認められる<ref>寺島良安『倭漢三才圖會』(復刻版)吉川弘文館、1906年(明治39年),3頁</ref>。
+
なお三足烏の「金烏」の絵は、日本の1712年(正徳2年)刊の「和漢三才図会」の天の部の「日」の項にも認められる<ref>寺島良安『倭漢三才圖會』(復刻版)吉川弘文館、1906年(明治39年),3頁</ref>。
  
『[[淮南子]]』に「昔、広々とした東海のほとりに[[扶桑]]の神樹があり、10羽の三足烏が住んでいた……」と見える。この10羽の3本足の烏が順番に空に上がり、口から火を吐き出すと太陽になるという。『[[淮南子]]』の巻七(精神訓)では、月日[[説話]]に「日中有踆烏 而月中有蟾蜍」の記述もあり、太陽と鳥の関連を示している。後の『春秋元命苞』に「陽数起於一、成於三、日中有踆烏」がみえ、太陽の中に鳥がいるという話は古いが三本足を有することについては後のことではないかとされる。
+
『淮南子<ref>前漢の武帝の頃、淮南王劉安(紀元前179年 - 紀元前122年)が学者を集めて編纂させた思想書</ref>』に「昔、広々とした東海のほとりに扶桑の神樹があり、10羽の三足烏が住んでいた……」と見える。この10羽の3本足の烏が順番に空に上がり、口から火を吐き出すと太陽になるという。『淮南子』の巻七(精神訓)では、月日説話に「日中有踆烏 而月中有蟾蜍」の記述もあり、太陽と鳥の関連を示している。後の『春秋元命苞』に「陽数起於一、成於三、日中有踆烏」がみえ、太陽の中に鳥がいるという話は古いが三本足を有することについては後のことではないかとされる。
  
このような物語もある。大昔には10の太陽が存在し、入れ替わり昇っていた。しかし[[尭|尭帝]]の御世に、10の太陽が全て同時に現れるという珍事が起こり、地上が灼熱となり草木が枯れ始めたため、尭帝は[[弓 (武器)|弓]]の名手[[羿]]に命じて、9つの太陽に住む9羽の烏を射落とさせた。これ以降、太陽は現在のように1つになった(『[[楚辞]]』天問[[王逸]]注など)。
+
このような物語もある。大昔には10の太陽が存在し、入れ替わり昇っていた。しかし尭帝の御世に、10の太陽が全て同時に現れるという珍事が起こり、地上が灼熱となり草木が枯れ始めたため、尭帝は弓の名手羿に命じて、9つの太陽に住む9羽の烏を射落とさせた。これ以降、太陽は現在のように1つになった(『楚辞』天問王逸注など)。
  
 
=== 朝鮮 ====
 
=== 朝鮮 ====

2022年2月23日 (水) 18:54時点における版

 太陽とは混沌と戦うものである。

扶桑と太陽鳥

扶桑(ふそう)は、中国伝説で東方のはてにある巨木(扶木扶桑木扶桑樹とも)である。またその巨木の生えている土地を扶桑国という。

古くは『山海経』に見られるように、はるか東海上に立つ伝説上の巨木であり、そこから太陽が昇るとされていた。太陽や天地にまつわる巨木としては若木や建木などが共に記述として残されている。

古代、東洋の人々は、不老不死の仙人が棲むというユートピア「仙境=蓬萊山・崑崙山」にあこがれ、同時に、太陽が毎朝若々しく再生してくるという生命の樹「扶桑樹」にあやかろうとした。「蓬莱山」と「扶桑樹」は、古代の神仙思想が育んできた幻想である。海東のかなたには、亀の背に乗った「壺型の蓬莱山」が浮ぶ。海東の谷間には、太陽が昇る「巨大な扶桑樹」がそびえる。古代の人々は「蓬莱山に棲む仙人のように長生きし、扶桑樹に昇る太陽のように若返りたい」と強く願い、蓬莱山と扶桑樹への憧憬をつのらせてきたという。[1]

のち、『梁書』が出て以降は、東海上に実在する島国と考えられるようになった。実在の島国とされる場合、扶桑の木は特に巨木というわけではなく「その国では扶桑の木が多い」という話に代替されている。

山海経

『山海経[2]』によると、東方の海中に黒歯国があり、その北に扶桑という木が立っており、そこから太陽が昇るという。

下有湯谷 湯谷上有扶桑 十日所浴 在黑齒北 居水中 有大木 九日居下枝 一日居上枝


(下に湯谷があり、湯谷の上に扶桑があり、10の太陽が水浴びをする。黒歯国の北であり、大木は水中にあり、9の太陽は下の枝に、1の太陽が上の枝にある)

『山海経』海経第4巻 第9 海外東經[3]

大荒之中 有山名曰孽搖頵羝 上有扶木 柱三百里 其葉如芥 有谷曰温源谷 湯谷上有扶木 一日方至 一日方出 皆載於烏


(大荒(辺境)の中に孽搖頵羝(げつよういんてい)という山があり、山の上に扶木がある。高さは300里(130m)、その葉はカラシナに似る。温源谷という谷があり、湯谷の上に扶木がある。1つの太陽が来ると1つの太陽が出て行き、太陽はみな烏]を載せている)

|『山海経』海経巻9 第14 大荒東經[4]

烏が乗る10の太陽という話は、三足烏の神話と共通である。

三足烏

太陽に向かう2羽の鳥が描かれた象牙の容器。(浙江省博物館)
漢代の壁画。右が火烏(三足烏)。

三足烏(さんそくう、さんぞくう)は東アジア地域の神話や絵画などに見られる伝説の生き物である。この烏は太陽に棲んでいると信じられ、太陽の象徴であった[5]。最も古い考古学的遺品は紀元前5000年の中国揚子江下流域の河姆渡文化にさかのぼる。

太陽信仰そのものは揚子江下流域で紀元前8000年頃には行われていたと思われ、太陽紋の刻まれた彩色土器が上山文化の遺跡より発掘されている。

古代中国の文化圏で広まっていた陰陽五行説では偶数を陰、奇数を陽とする。このため3足は陽となり太陽と繋がりができるからだと言われている。

中国

三足烏(さんそくう、さんぞくう、サンズゥウー)は、中国神話に登場する烏で、太陽に棲むとされ[6](ただし他の神話もある)、太陽を象徴する。黒い烏は太陽の黒点を表しているという説もある。日烏(にちう、リーウー)や火烏とも言い、月の兎の月兎と対比される。しばしば3本の足をもつとされるが2本の場合もある。また、金色という説もあり、金烏(きんう、ジンウー)とも呼ばれる。

太陽にいるのは烏ではなく金鶏(きんけい)であるとの神話もある。別の神話では、太陽は火烏の背に乗って天空を移動する。ただしこれに対し、竜が駆る車に乗っているという神話もある。

なお三足烏の「金烏」の絵は、日本の1712年(正徳2年)刊の「和漢三才図会」の天の部の「日」の項にも認められる[7]

『淮南子[8]』に「昔、広々とした東海のほとりに扶桑の神樹があり、10羽の三足烏が住んでいた……」と見える。この10羽の3本足の烏が順番に空に上がり、口から火を吐き出すと太陽になるという。『淮南子』の巻七(精神訓)では、月日説話に「日中有踆烏 而月中有蟾蜍」の記述もあり、太陽と鳥の関連を示している。後の『春秋元命苞』に「陽数起於一、成於三、日中有踆烏」がみえ、太陽の中に鳥がいるという話は古いが三本足を有することについては後のことではないかとされる。

このような物語もある。大昔には10の太陽が存在し、入れ替わり昇っていた。しかし尭帝の御世に、10の太陽が全て同時に現れるという珍事が起こり、地上が灼熱となり草木が枯れ始めたため、尭帝は弓の名手羿に命じて、9つの太陽に住む9羽の烏を射落とさせた。これ以降、太陽は現在のように1つになった(『楚辞』天問王逸注など)。

朝鮮 =

三足烏(삼족오 Samjogo サムジョゴ)は、高句麗(紀元前5世紀~7世紀)では火烏とも言われた。古墳壁画にも3本足の烏三足烏が描かれている。月に棲むとされた亀と対比された。

日本

日本では八咫烏(ヤタガラス)と呼ばれ、古事記神武東征において神武天皇を導く役割をしている。

アペプ

夜の象徴たる大蛇アペプ(右)とアトゥム=ラーの象徴たる未去勢の雄猫(左)。両者は毎晩戦っているとされた。(インヘルカウの墓壁画、紀元前12世紀)

アペプApep)は、エジプト神話における悪の化身。古代エジプト語での名は他に、アーペプアアペプAapep)、アペピApepi)、アピペApipe)、アポペApope)などが挙げられる。古代エジプト語のヒエログリフは、母音を明確に記述しないため本来の発音は、はっきりしない。古典ギリシア語転記であるアポピスΑποφις, Apophis)でもよく知られる。

概要

闇と混沌を象徴し、その姿は、主に大蛇として描かれる。蛇は、古代エジプト人にとって身近で畏怖される存在であった。太陽の運行を邪魔するのでラーの最大の敵とされる。

アポピスは、世界が誕生する前のヌンに象徴される原始の水の中から生まれた。世界の秩序が定まる前に生まれたので秩序を破壊しようとすると考えられた。あるいは、もとは、太陽神としての役割を担っていたが、それをラーに奪われたため彼を非常に憎み、敵対するようになった。ここからラーの乗る太陽の船の運航を邪魔し、日食を起こすと考えられた。

冥界に捕えられており、ここを死者の魂が通ると襲う。死者の書 (古代エジプト)は、アポピスから身を守る方法が描かれているとされた。またラーの乗る太陽の船が通過する時、セトが船を守りアポピスを打ち倒すため天敵といわれている。しかし時代が下ると、その邪悪さのためにセトと同一視された。

エスナではラーとアポピスはネイト[9]から生まれ、ラーは正常な形で生まれたが、アポピスは口から吐き出された、とされる。アポピスは道をふさいで朝、日が昇るのを邪魔する[10]

関連項目

参照

  1. 岡本健一, 『蓬莱山と扶桑樹』思文閣出版、2008年。
  2. 前4世紀 - 3世紀頃
  3. 海外東經, 郭璞序
  4. 大荒東經, 郭璞序
  5. The Animal in Far Eastern Art and Especially in the Art of the Japanese, Volker, T., Brill, 1975, page=39
  6. 『淮南]』精神訓「日中有踆烏」
  7. 寺島良安『倭漢三才圖會』(復刻版)吉川弘文館、1906年(明治39年),3頁
  8. 前漢の武帝の頃、淮南王劉安(紀元前179年 - 紀元前122年)が学者を集めて編纂させた思想書
  9. エスナの守護神。クヌムの妻とされていたと思われる。ネイトそのものは紀元前3100年頃より信仰された。プロクロス(412年-485年)は、サイスの現存しないネイトの神殿の至聖所に次の碑文が刻まれていたと記している。「私はかつてあり、今もあり、これからもある全てである。そして私のヴェールを人間が引き上げたことはない。私がもたらした果実は太陽である。(trans. Thomas Taylor, Proclus , The Commentaries of Proclus on the Timaeus of Plato, in Five Books, A.J. Valpy, year;1820, page = 82, url = http://books.google.com/books?&pg=PA82&id=Qh9dAAAAMAAJ&ots=0h_azc_OV5#PPA82  )」。ヘロドトスによれば「ランプ祭」(Feast of Lamps)と呼ばれる大きな祭りが毎年開催され、戸外に一晩中多数の明かりを灯したという。
  10. 世界神話大辞典、イヴ・ボンヌフォア著、金光仁三郎訳、大修館書店、110p