[[File:Gundestrupkedlen- 00054 (cropped).jpeg|thumb|right|370px|コペンハーゲンのデンマーク国立博物館に展示されているグンデストラップ大釜(Gundestrup Cauldron)のケルヌンノス型角神像。]]
[[File:Boatp.png|thumb|right|370px|パリの「船乗りの柱」のケルヌンノス (国立中世美術館所蔵)。]]
<sup>''(参照方法、2021年8月)''</sup>
'''ケルヌンノス'''(Cernunnos または Kernunnos)は、ケルト神話の狩猟の神にして冥府神。獣王・動物王であったと推定されている。また、多産と豊作に関係があったと考えられている。古代ケルトやガロ・ローマの宗教では、ケルヌンノス(Cernunnos)またはカルノノス(Carnonos)は角を持ち、あぐらをかいて座る姿で描かれた神で、鹿、角のある大蛇、犬、雄牛と関連している。ケルヌンノスは通常、トルクを持つか身につけており、時にはコイン(または穀物)の入った袋とコルヌコピアを持つ姿も見られる<ref>Green, Miranda, ''Celtic Art, Reading the Messages'', p. 147, 1996, The Everyman Art Library, ISBN:0-297-83365-0</ref>。ケルヌンノスは、元々はケルトの神であったと考えられており、ガリア北東部を中心に50以上の描写や碑文が残されている。
== 概要 ==
ケルヌンノスという名称はパリで出土した「船乗りの柱」に見られる(ただし不完全で、冒頭の1文字が欠けている)。彼の姿は、デンマークで発見され、紀元前1世紀まで遡るとされる銀製の[[グンデストルップの大釜]](Gundestrup Cauldron)にも描かれている。ここでは、彼は胡坐をかいており、頭に二本の角、手には[[ヤギ|山羊]](もしくは[[ヒツジ|雄羊]])頭の[[ヘビ|蛇]]を持っている。これは角のある神としての一般的な描写である。<sup>''要出典範囲、地母神を妻としたが、この女神は後に破壊神エススについた、2015年10月</sup>。
== 起源 ==
碑文や絵画、像といった考古学的資料によると、ケルヌンノスはガリア、北イタリア(Gallia Cisalpina)、ブリテンの南の沿岸地方で崇拝されていた。イタリアのヴァル・カモニカ(Val Camonica)で発見されたものが最古の描写と思われ、これは紀元前4世紀のものである。もっとも有名なものはデンマークで見つかったグンデストルップの大釜(Gundestrup Cauldron)で、これは紀元前1世紀のものである。この神の名前はパリの「船乗りの柱」から知られる。この奉献碑は現在パリの国立中世美術館に展示されている。ガリア人の水夫達が1世紀の初めに作ったもので、碑文(CIL XIII number 03026)からみておそらく紀元14年、ティベリウス皇帝の即位の際のものであろう。これが発見されたのは1710年のことで、ノートルダム寺院の基礎からであった。この場所はルテティア(パリの古代ローマ時代の名前)、ケルトのパリシイ族の「市民的な」(civitas)首都であった。そこにはケルヌンノス初め各種ケルトの神々が[[ユーピテル]]、[[ウゥルカーヌス]]、[[カストール|カストル]]、[[ポリュデウケース|ポルックス]]といったローマ神話の神々と並んで描かれている。
<sup>''(参照方法、2021年8月)''</sup>'''ケルヌンノス'''(Cernunnos または Kernunnos)は、ケルト神話の狩猟の神にして冥府神。獣王・動物王であったと推定されている。また、多産と豊作に関係があったと考えられている。古代ケルトやガロ・ローマの宗教では、ケルヌンノス(Cernunnos)またはカルノノス(Carnonos)は角を持ち、あぐらをかいて座る姿で描かれた神で、鹿、角のある大蛇、犬、雄牛と関連している。ケルヌンノスは通常、トルクを持つか身につけており、時にはコイン(または穀物)の入った袋とコルヌコピアを持つ姿も見られる<ref>Green, Miranda, ''Celtic Art, Reading the Messages'', p. 147, 1996この神の名前を書いた出土品としては「船乗りの柱」が最も古いものだが、他にも二つの同様な碑文が見つかっている。一つは Treveri の勢力圏であった Seinsel-Rëlent (ルクセンブルク)で発見された金属の飾り板である。この碑文からは "Deo Ceruninco" (神ケルニンコスに)という文字が読み取れる(AE 1987, The Everyman Art Library, ISBN:0-297-83365-0</ref>。ケルヌンノスは、元々はケルトの神であったと考えられており、ガリア北東部を中心に50以上の描写や碑文が残されている。0772)。もう一つは フランスのラングドック=ルシヨン地域圏エロー県にあるモンタニャック(Montagnac)で発見されたゴール(Gaul)の碑文で、ギリシア語で "αλλετ[ει]υος καρνονου αλ[ι]σο[ντ]εας" とカルノノスの名が記されている。
== 名前と語源 ==
{{Celtic mythology topics}}
== 概要 ==
ケルヌンノスという名称はパリで出土した「船乗りの柱」に見られる(ただし不完全で、冒頭の1文字が欠けている)。彼の姿は、デンマークで発見され、紀元前1世紀まで遡るとされる銀製の[[グンデストルップの大釜]](Gundestrup Cauldron)にも描かれている。ここでは、彼は胡坐をかいており、頭に二本の角、手には[[ヤギ|山羊]](もしくは[[ヒツジ|雄羊]])頭の[[ヘビ|蛇]]を持っている。これは角のある神としての一般的な描写である。<sup>''要出典範囲、地母神を妻としたが、この女神は後に破壊神エススについた、2015年10月</sup>。
== 起源 ==
碑文や絵画、像といった考古学的資料によると、ケルヌンノスはガリア、北イタリア(Gallia Cisalpina)、ブリテンの南の沿岸地方で崇拝されていた。イタリアのヴァル・カモニカ(Val Camonica)で発見されたものが最古の描写と思われ、これは紀元前4世紀のものである。もっとも有名なものはデンマークで見つかったグンデストルップの大釜(Gundestrup Cauldron)で、これは紀元前1世紀のものである。この神の名前はパリの「船乗りの柱」から知られる。この奉献碑は現在パリの国立中世美術館に展示されている。ガリア人の水夫達が1世紀の初めに作ったもので、碑文(CIL XIII number 03026)からみておそらく紀元14年、ティベリウス皇帝の即位の際のものであろう。これが発見されたのは1710年のことで、ノートルダム寺院の基礎からであった。この場所はルテティア(パリの古代ローマ時代の名前)、ケルトのパリシイ族の「市民的な」(civitas)首都であった。そこにはケルヌンノス初め各種ケルトの神々が[[ユーピテル]]、[[ウゥルカーヌス]]、[[カストール|カストル]]、[[ポリュデウケース|ポルックス]]といったローマ神話の神々と並んで描かれている。
この神の名前を書いた出土品としては「船乗りの柱」が最も古いものだが、他にも二つの同様な碑文が見つかっている。一つは Treveri の勢力圏であった Seinsel-Rëlent (ルクセンブルク)で発見された金属の飾り板である。この碑文からは "Deo Ceruninco" (神ケルニンコスに)という文字が読み取れる(AE 1987, 0772)。もう一つは フランスのラングドック=ルシヨン地域圏エロー県にあるモンタニャック(Montagnac)で発見されたゴール(Gaul)の碑文で、ギリシア語で "αλλετ[ει]υος καρνονου αλ[ι]σο[ντ]εας" とカルノノスの名が記されている。
== 語源 ==
== 図像 ==