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8 バイト追加 、 2022年10月18日 (火) 18:14
人間をつくった存在であるとされており、女媧が泥をこねてつくったものが人類のはじまりだと語られている(搏土造人、抟土作人)。後漢時代に編された『風俗通義』によると、つくりはじめの頃に黄土をこねてていねいにつくった人間がのちの時代の貴人であり、やがて数を増やすため縄で泥を跳ね上げた飛沫から産まれた人間が凡庸な人であるとされている<ref>太平御覽/0078</ref><ref name="松村">松村武雄 『中国神話伝説集』 社会思想社 1976年 54-57頁 ISBN 4-390-10875-1</ref><ref group="私注">女媧を「母神」とする集団は、非常に早い段階から「階級」という意識が生じていたことが窺える。</ref>。『楚辞』「天問」にも「女媧以前に人間は無かったが女媧は誰がつくったのか」という意味のことが記されており、人間を創造した存在であるとされていた<ref name="中国">袁珂 著、鈴木博 訳『中国の神話伝説』上、青土社、1993年 130-136頁</ref>。また『淮南子』「説林訓」には70回生き返るともあり、'''農業神'''としての性格をも持つ。
伏羲と共に現在の人類を生みだした存在であると語る神話伝説も中国大陸には口承などのかたちで残されている。大昔に天下に大洪水が起きるが、[[ヒョウタン]]などで造られた舟によって兄妹が生き残り、人類のはじめになったというもので、この兄妹として伏羲・女媧があてられる。このような伝説は[[ミャオ族|苗族]]やチワン族などにも残されている<ref name="開闢"/>。聞一多は、伏羲・女媧という名は葫蘆(ヒョウタン)を意味する言葉から出来たものであり、ヒョウタンがその素材として使われていたことから「笙簧」の発明者であるという要素も導き出されたのではないかと推論仮説している。聞一多は、伏羲・女媧という名は葫蘆([[ヒョウタン]])を意味する言葉から出来たものであり、[[ヒョウタン]]がその素材として使われていたことから「笙簧」の発明者であるという要素も導き出されたのではないかと推論仮説している<ref name="聞">聞一多 、〈訳註〉中島みどり 『中国神話』 平凡社 〈東洋文庫〉1989年 87-97頁</ref>。
== 天地修復・土木技術神としての女媧 ==

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