* 羽太の玉(はふとのたま) 1箇
* 足高の玉(あしたかのたま) 1箇
* '''鵜鹿鹿の赤石の玉(うかかのあかしのたま) 1箇'''<ref>鵜鹿鹿とは「室町時代までは「カカヤク」と呼んでいた」とのことである。([https://nihonsinwa.com/page/1068.html 垂仁天皇(五)羽太玉・足高玉・鵜鹿々赤石玉・出石小刀・出石桙・日鏡・熊神籬]、日本神話・神社まとめ、上田恣 (擅恣企画(センシキカク) )(最終閲覧日:22-09-22))</ref><ref group="私注">「ウカカ」とは「ウカの」ということで、食物を指す言葉としてはいけないのだろうか?(参照:[[豊受大神]])</ref>
* 出石の小刀(いづしのかたな) 1口
* 出石の桙(いづしのほこ) 1枝
* 日鏡 1面
* 熊神籬 1具
であった。ただしこれらとは別に「出石(いづし)」という名の小刀1口があったが、清彦は献上を望まなかったので袍の中に隠して身に帯びていた。しかし天皇が清彦を遇しようと御所で酒を与えたとき、その小刀が袍の中から出た。清彦は隠し通すことを断念し、これが神宝の1つであることを言上すると、天皇はこれと他の神宝とを一緒にして神府(みくら:奈良県天理市の石上神宮の神府か<efref>天日槍(古代氏族), 2010年</ref>)に納めた。そのしばらくのち、天皇が神府を開くと小刀が自然になくなっており、清彦に人を遣わして問いただすと、清彦は小刀が自然と清彦の家に来たがその日の朝にはなくなったと言った。天皇は畏れそれ以上は小刀を求めることをやめたが、一方の小刀はのちに自然と'''淡路島'''に至り発見されたので島人により祠に祀られたとする<ref group="注">淡路島には、この伝承に関連して出石神社が鎮座する。</ref><ref name="日本書紀pp.332-335">『新編日本古典文学全集 2 日本書紀 (1)』小学館、2002年(ジャパンナレッジ版)、pp. 332-335。</ref><ref>神道・神社史料集成</ref>。
また、同条では続けて昔話として、新羅王子の天日槍が小舟に乗って但馬国に停泊し、そのまま但馬に留まったと伝える。そして天日槍は但馬国の前津耳(一云に前津見または太耳)の娘の麻拕能烏(またのお)を娶り、麻拕能烏との間に但馬諸助を儲けたとし、これが清彦の祖父であるという<ref name="日本書紀pp.332-335"/><ref>神道・神社史料集成</ref>。
=== 古語拾遺 ===
大同]]2年([[807年)編纂の『古語拾遺』では垂仁天皇条において、新羅王子の海檜槍(あまのひぼこ)が渡来し、但馬国出石郡に大社(出石神社)をなしたとする大同2年(807年)編纂の『古語拾遺』では垂仁天皇条において、新羅王子の海檜槍(あまのひぼこ)が渡来し、但馬国出石郡に大社(出石神社)をなしたとする<ref>天日槍(古代氏族), 2010年</ref><efref>神道・神社史料集成</ref>。 == 神宝について ==「玉津宝(たまつたから)」と称される神宝8種を将来し、それらは「'''伊豆志之八前大神(いづしのやまえのおおかみ)'''」と称され、その神霊が出石神社の祭神とされている。
== 霊廟 ==
!計8種!!計7種!!計8種!!計6種
|}</div>
アメノヒボコ伝説は『日本書紀』『古事記』のうちで代表的な渡来伝承になるが、一般には1人の歴史上の人物の説話ではなく、渡来人集団をアメノヒボコという始祖神に象徴した説話ではないかという考えもある<ref name="谷川1999"/><ref>松前健, 2007年, pp218-227</ref><ref>上田正昭, 2013年, pp227-240</ref>。「アメノヒボコ(天日槍/天之日矛)」の名称自体も日本名(もしくは新羅名)であり<ref name="谷川1999"/>、出石地域を中心とする渡来系一族(出石族)が奉斎した「日矛/日槍」を人格化したことに由来する意見もある<ref>天日槍(古代氏族), 2010年</ref>。この氏族の渡来の時期は定かでなく、出石神社が弥生遺跡の中心地に位置することや蹴裂による開拓伝承の存在から農耕伝来の時期とする説がある一方<ref>角川日本地名大辞典, 1988年, pp1961-1962</ref>、『日本書紀』の「陶人」という記述から須恵器生産の始まる5世紀以降と推測する説がある<ref>上田正昭, 2013年, pp227-240</ref>。また、アメノヒボコの伝承地では鉄文化との関わりが見られることから、須恵器・製鉄技術伝来の伝承を背景に見る説もある<efref>上田正昭, 2013年, pp227-240</ref>。『播磨国風土記』において播磨の地方神たる葦原志挙乎(葦原志許乎)または伊和大神との争いが記されることも、その渡来の様子の一面を表す伝承として注目されている<ref>上田正昭, 2013年, pp227-240</ref>。
この天日槍の一族に関して、'''日光感精による懐妊説話が朝鮮・満州・モンゴルなどにみられる'''神話であることから、元々は日矛を祭祀具に持つ半島系の日神信仰を持つ集団であったと想定する見方も存在する<ref>天日槍(古代氏族), 2010年</ref><ref group="私注">管理人が思うに、この場合の「'''日光'''」とは「'''男性原理'''」を指すものと思う。賀茂氏神話の「'''丹塗りの矢'''」と意味することは同じであろう。」と意味することは同じであろう。要は[[ハプログループO1b2 (Y染色体)]]起源の神話ではないだろうか。</ref>。また赤玉についても、高句麗の朱蒙の卵生説話など遊牧民族系伝承と類似しているが、この赤玉はその日神祭祀における太陽の象徴品と見られる<ref>松前健, 2007年, pp218-227</ref><refgroup="私注">そもそも古事記によれば天之日矛の妻の[[阿加流比売神]]が赤玉の化身なのではないだろうか。また、この「玉」に関しては[[山幸彦と海幸彦|山幸・海幸神話]]で日本独自の使い方をされているように思う。</ref>。加えて『日本書紀』に記される播磨→近江→若狭→但馬という遍歴は、この集団の移動または分布を反映するといわれる<ref>天日槍(古代氏族), 2010年</ref>。この出石族の氏については「出石君(いずしのきみ/いづしのきみ)」と称したとする説もあるが、古代但馬の人物としては見えないため明らかでなく、一族自体が比較的早期(記紀編纂の頃まで)に衰退したともいわれる<ref>但馬国(平凡社), 1999年</ref><ref>角川日本地名大辞典, 1988年, pp1961-1962</ref>。出石君とは別に三宅氏と見る説もあり、その説ではヤマト王権が屯倉経営を行う6世紀以後に、出石神社奉斎氏族が三宅氏を称し始めたとする<ref>兵庫県の歴史, 2004年, pp54-58</ref>。
『古事記』中に見える[[阿加流比売神|アカルヒメ]]を祀る「比売碁曾社」に関しては、『[[延喜式を祀る「比売碁曾社」に関しては、『延喜式』神名帳]]』[[延喜式神名帳|神名帳]]での摂津国[[東成郡|東生郡]]の「比売許曾神社」、現在の[[比売許曽神社|比売許曾神社]]([[大阪府]][[大阪市]]、{{Coord|34|40|1.28|N|135|32|3.01|E|region:JP-27_type:landmark|name=比売許曾神社}})に比定される。大阪市付近では式内社として赤留比売命神社([[杭全神社]]飛地境内社、{{Coord|34|37|21.22|N|135|33|30.99|E|region:JP-27_type:landmark|name=赤留比売命神社}})の分布も知られるがの摂津国東生郡の「比売許曾神社」、現在の比売許曾神社(大阪府大阪市)に比定される。大阪市付近では式内社として赤留比売命神社(杭全神社飛地境内社)の分布も知られるが<ref name="谷川1999"/>、この伝承に関わるアカルヒメは元々は日矛を祀った巫女を表すといわれる<ref name="谷川1999"/><ref group="私注">管理人はそうは思わない。</ref>。このようなヒメコソの神の伝承は『日本書紀』垂仁天皇紀にも記され、そちらでは[[都怒我阿羅斯等]](つぬがあらしと)の伝承として記述されるが、その伝承はアメノヒボコ伝説と同工異曲のため{{Sfn|<ref>都怒我阿羅斯等(古代氏族)|, 2010年}}</ref>同一の神に関する伝承と見られている{{Sfn|<ref>松前健|, 2007年|pp=218, pp218-227}}</ref>。「天日槍」の名称自体についても、「ツヌガ(角干:新羅の最高官位)アラシト(日の御子の名)」の日本名になるという説もある{{Sfn|<ref>松前健|, 2007年|pp=218, pp218-227}}</ref>。
なお、『筑前国風土記』逸文ではアメノヒボコ後裔として怡土県主一族が見えるが、この[[怡土郡]]周辺(現・[[福岡県]][[糸島市]]付近)を渡来系集団の最初の上陸地と推測する説もあるなお、『筑前国風土記』逸文ではアメノヒボコ後裔として怡土県主一族が見えるが、この怡土郡周辺(現・福岡県糸島市付近)を渡来系集団の最初の上陸地と推測する説もある<ref name="谷川1999"/>。また、この怡土地域を始めとしてアメノヒボコ・都怒我阿羅斯等伝承地と神功皇后伝説地がほぼ重なり合うこと、また系譜も繋げて記述されることや、神功皇后伝説にも呪術的な玉が頻出することなどから、出石族の伝承が神功皇后伝説に取り込まれた様子が指摘される{{Sfn|<ref>松前健|, 2007年|pp=218, pp218-227}}</ref><ref group="私注">取り込まれるも何も、天之日矛は神宮皇后の先祖だと言っているのだから、出石族と神宮皇后は同族とみるべきだと考える。出石の「イズシ」は「ヅチ」に通じ「雷」のことと思う。雷神信仰が顕著なのは賀茂氏族ではないだろうか。</ref>。
== 信仰 ==
{{Location map+|Japan Hyogo|width=220|float=right|caption={{center|主要関係地の分布}}|places={{Location map~|Japan Hyogo|lat_deg=35|lat_min=28|lat_sec=55.01|lon_deg=134|lon_min=52|lon_sec=13.03|position=top|mark=Red pog.svg|marksize=10|label_size =90|label='''[[出石神社]]'''}}{{Location map~|Japan Hyogo|lat_deg=35|lat_min=26|lat_sec=55.92|lon_deg=134|lon_min=53|lon_sec=50.04|position=right|mark=Red pog.svg|marksize=8|label_size =90|label=御出石神社}}{{Location map~|Japan Hyogo|lat_deg=35|lat_min=5|lat_sec=15.10|lon_deg=134|lon_min=35|lon_sec=11.09|position=right|mark=Green pog.svg|marksize=8|label_size =90|label=[[伊和神社]]}}{{Location map~|Japan Hyogo|lat_deg=34|lat_min=16|lat_sec=3.39|lon_deg=134|lon_min=57|lon_sec=0.91|position=right|mark=Red pog.svg|marksize=8|label_size =90|label=出石神社}}}}但馬地方では、上述の出石神社をはじめアメノヒボコに関連する式内社数社の分布が知られる{{Sfn|<ref>伊豆志坐神社(式内社)|, 1984年}}{{Sfn|</ref><ref>中世諸国一宮制|, 2000年|, pp=406-408}}</ref>。主なものは次の通り{{Sfn|<ref>出石町史 第1巻|, 1984年|pp=136, pp136-156}}</ref>。
{| class="wikitable" style="margin:0 auto;background:#ffffff; white-space:nowrap; font-size:85%"
|+アメノヒボコ関係社の一覧
!座標
|-
|rowspan=8|[[出石郡]]|'''伊豆志坐神社八座'''||名神大|| ||[[出石神社]]||[[兵庫県]][[豊岡市]]出石町宮内兵庫県豊岡市出石町宮内||{{Coord|35|28|55.01|N|134|52|13.03|E|region:JP-28_type:landmark|name=出石神社}}
|-
|'''御出石神社'''||名神大|| ||御出石神社||兵庫県豊岡市出石町桐野||{{Coord|35|26|55.84|N|134|53|49.93|E|region:JP-28_type:landmark|name=御出石神社}}
|-
|'''諸杉神社'''||小||但馬諸助<br />(多遅摩母呂須玖)||[[諸杉神社]]||兵庫県豊岡市出石町内町||{{Coord|35|27|38.31|N|134|52|30.38|E|region:JP-28_type:landmark|name=諸杉神社}}
|-
|rowspan=2|'''日出神社'''||rowspan=2|小||rowspan=2|[[多遅摩比多訶]]||(論)日出神社||兵庫県豊岡市但東町畑山||{{Coord|35|29|17.69|N|134|59|35.45|E|region:JP-28_type:landmark|name=日出神社}}
|-
|(論)日出神社||兵庫県豊岡市但東町南尾||{{Coord|35|27|59.85|N|134|56|41.05|E|region:JP-28_type:landmark|name=日出神社}}
|-
|'''須義神社'''||小||[[菅竈由良度美]]||須義神社||兵庫県豊岡市出石町荒木||{{Coord|35|27|54.55|N|134|50|27.48|E|region:JP-28_type:landmark|name=須義神社}}
|-
|'''中島神社'''||小|| ||[[中嶋神社]]||兵庫県豊岡市三宅||{{Coord|35|31|32.51|N|134|51|44.98|E|region:JP-28_type:landmark|name=中嶋神社}}
|-
|'''比遅神社'''||小||多遅摩斐泥||比遅神社||兵庫県豊岡市但東町口藤||{{Coord|35|31|16.03|N|135|0|33.41|E|region:JP-28_type:landmark|name=比遅神社}}
|-
|rowspan=3|[[気多郡 (兵庫県)|気多郡]]|'''多麻良伎神社'''||小||但馬日楢杵<br />(多遅摩比那良岐)||多摩良木神社||兵庫県豊岡市日高町猪爪||{{Coord|35|29|50.70|N|134|45|14.95|E|region:JP-28_type:landmark|name=多麻良伎神社}}
|-
|'''葦田神社'''||小||(アメノヒボコ従者)||葦田神社||兵庫県豊岡市中郷森下||{{Coord|35|29|5.53|N|134|49|28.21|E|region:JP-28_type:landmark|name=葦田神社}}
|-
|'''鷹貫神社'''||小||[[葛城高額比売]]||鷹貫神社||兵庫県豊岡市日高町竹貫||{{Coord|35|29|45.62|N|134|47|22.72|E|region:JP-28_type:landmark|name=鷹貫神社}}
|-
|[[城崎郡]]|'''耳井神社'''||小||前津耳<br />(太耳/前津見)||耳井神社||兵庫県豊岡市宮井||{{Coord|35|32|57.55|N|134|46|46.34|E|region:JP-28_type:landmark|name=耳井神社}}
|}
『出石町史』では、以上のほか城崎郡の海神社も関連社として挙げる{{Sfn|<ref>出石町史 第1巻|, 1984年|pp=136, pp136-156}}</ref>。<!--関連性が詳らかでないため表に含めず-->また[[大永]]4年([[1524年]])の「沙門某出石神社修造勧進帳」を始めとする文献には出石神による[[豊岡盆地]]・出石盆地の蹴裂伝説が記されており、アメノヒボコないしその奉斎氏族による出石開拓との関連が指摘されるまた大永4年(1524年)の「沙門某出石神社修造勧進帳」を始めとする文献には出石神による豊岡盆地・出石盆地の蹴裂伝説が記されており、アメノヒボコないしその奉斎氏族による出石開拓との関連が指摘される<ref>上田篤・田中充子 「アメノヒボコが津居山を切った」『蹴裂伝説と国づくり』 鹿島出版会、2011年、pp. 184-203。</ref>。 == 脚注 =={{脚注ヘルプ}}'''注釈'''{{reflist|group="注"}} '''出典'''{{reflist|2}}
== 参考文献・サイト ==
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%8E%E3%83%92%E3%83%9C%E3%82%B3 アメノヒボコ](最終閲覧日:22-09-22)'''書籍'''(Wikipedia記載のもの)
* 原典
** 武田祐吉編 [[武田祐吉]]編 [{{NDLDC|:1173165}} 『風土記』] 岩波書店、1937年(国立国会図書館デジタルコレクション)。
* 事典類
** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=|chapter=|title=[[国史大辞典 (昭和時代)|国史大辞典]]|publisher=[[, 吉川弘文館]]|isbn=|ref=}}*** {{Wikicite|reference=[[三品彰英]]「天日槍」|ref={{Harvid|三品彰英「天日槍」, 天日槍(国史)}}}}、{{Wikicite|reference=[[大場磐雄]]「出石神社」|ref={{Harvid|出石神社(国史)}}}}。, 大場磐雄「出石神社」** {{Cite book|和書|author=上田正昭|authorlink=上田正昭|year=, 2006|chapter=, 天日槍|title=, 日本古代史大辞典|publisher=[[, 大和書房]]|, isbn=:978-4479840657|ref={{Harvid|天日槍(古代史)|2006年}}}}** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=2010|chapter=|title=, 日本古代氏族人名辞典 普及版|publisher=[[, 吉川弘文館]]|isbn=, isb:978-4642014588|ref=}}*** {{Wikicite|reference=「天日槍」|ref={{Harvid|, 天日槍(古代氏族)|2010年}}}}、{{Wikicite|reference=「清彦」|ref={{Harvid|清彦(古代氏族)|2010年}}}}、{{Wikicite|reference=「都怒我阿羅斯等」|ref={{Harvid|, 2010年、清彦(古代氏族), 2010年、「都怒我阿羅斯等」, 都怒我阿羅斯等(古代氏族)|2010年}}}}。, 2010年。** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=1988|chapter=|title=[[, 角川日本地名大辞典]] 28 兵庫県|publisher=[[, 角川書店]]|, isbn=:4040012801|ref={{Harvid|角川日本地名大辞典|1988年}}}}** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=1999|chapter=|title=[[, 日本歴史地名大系]] 29-1 兵庫県の地名 1|publisher=[[, 平凡社]]|, isbn=:4582490603|ref=}}*** {{Wikicite|reference=「但馬国」|ref={{Harvid|, 但馬国(平凡社)|1999年}}}}、{{Wikicite|reference=「出石神社」|ref={{Harvid|, 1999年、「出石神社」, 出石神社(平凡社)|1999年}}}}。, 1999年。
* その他書籍
** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=1984|chapter=|title=, 出石町史 第1巻 通史編 上|publisher=, 出石町|isbn=|ref={{Harvid|出石町史 第1巻|1984年}}}}** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=2004|chapter=|title=, 兵庫県の歴史(県史)|publisher=[[, 山川出版社]]|, isbn=:4634322803|ref={{Harvid|兵庫県の歴史|2004年}}}}** {{Cite book|和書|author=松前健|authorlink=松前健|year=, 2007|chapter=, 朝鮮渡来人の謎|title=, 日本神話の謎がよくわかる本|publisher=[[, 大和書房]]|, isbn=:978-4479391661|ref={{Harvid|松前健|2007年}}}}** {{Cite book|和書|author=上田正昭|authorlink=上田正昭|year=, 2013|chapter=, アメノヒボコの伝承|title=, 渡来の古代史 -国のかたちをつくったのは誰か-(角川選書526)|publisher=[[, 角川学芸出版]]|, isbn=:978-4047035263|ref={{Harvid|上田正昭|2013年}}}}
'''サイト'''
* {{Cite web|url=http://21coe.kokugakuin.ac.jp/db/jinja/380101.html|author=|title=, 伊豆志坐神社八座(但馬国出石郡)|work=|publisher=, 國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」|date=|accessdate=, 2015-4-25|ref * [https://nihonsinwa.com/page/1068.html 垂仁天皇(五)羽太玉・足高玉・鵜鹿々赤石玉・出石小刀・出石桙・日鏡・熊神籬]、日本神話・神社まとめ、上田恣 (擅恣企画(センシキカク) )(最終閲覧日:22-09-22)* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E7%9F%B3%E7%A5%9E%E7%A4%BE 出石神社](最終閲覧日:22-09-22) == 私的考察 =={{Harvid|神道・神社史料集成}}}}長野県の方言で「ボコ」というのは「赤ん坊」の「坊」を指す意味がある。田舎の方言には古語がままみられるので、「アメノヒボコ」の「ボコ」とは、「天の日の子」という意味にならないだろうか。「赤い玉」の化身の[[阿加流比売神]]が太陽女神の暗喩であるなら、天之日矛は古くは[[阿加流比売神]]の子神としての立場であったかもしれないと思う。父系の思想が浸透するにつれて、その地位が上昇し「夫」とされたのではないだろうか。 また、「出石(イズシ)」という言葉は「ヅチ」に通じ、天之日矛には雷神としての性質があると思われる。日本神話では軍神に雷神の性質を持たせることが多く、天之日矛は葦原志許乎命や伊和大神と戦ったとされている。 よって、天之日矛とは、* この家系から、葛城賀茂氏と神宮皇后が'''母系'''で繋がってる点* 葛城賀茂氏の渡来性の説明を行うという点* 葛城賀茂氏の軍事相を受け持つ神という点* 但馬国に拠点を置いた家系は「但馬」や「田島」を名乗ることを示した点* 妻に逃げられた神である点 などを満たすための神であると考える。
== 関連項目 ==
* [[阿加流比売神]]
* [[都怒我阿羅斯等]]
* [[豊受大神]]
* [[伊邪那岐命]]:類似した男根創造説話を持つ。
== 注釈 ==
[[category:新羅]]
[[Category:渡来神]]
[[Category:伏羲型神]]
[[Category:創造神]]
[[Category:男根型創造]]
[[Category:ウケ]]