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2022年9月25日 (日) 01:38時点における版
啓(けい)は、夏朝の第2代帝。禹と塗山氏女の息子。子に帝太康および帝中康がいるほかに、少なくとも5人の男子がいる。『墨子刊誤』によると、元々は開という名であったが、漢代に諱を避けて啓と呼ばれるようになったという。
『竹書紀年』によれば、39年間帝であり、78歳で没したという。
禹はもともと帝位を益に譲ろうとしていた。禹の死後、益は帝位を受けずに、啓を帝にしようとした。諸侯も、益のもとを去り、啓のもとに行ったため、啓は帝位に就いた。しかし、益が実際に帝位に就いたが、啓が益を殺して、帝位に就いたという説も有る。
啓の在位中、諸侯であり異母兄の有扈氏が従わなかったため、甘において、有扈氏と戦って勝利した。この戦いの前に、啓は六卿の前で、「甘誓」を披露した。この「甘誓」は『書経』に残されているが、本当に啓が作ったものなのかは非常に疑わしい。有扈氏は実は益の支持者であったという説もある。
関連項目
- 火之迦具土神
- 応神天皇