'''檀君'''(だんくん、단군 タングン)は、13世紀末に書かれた『三国遺事』に初めて登場する、一般に紀元前2333年に即位したとされる伝説上の古朝鮮の王。『三国遺事』によると、天神桓因の子桓雄と熊女との間に生まれたと伝えられる。『三国遺事』の原注によると、檀君とは「檀国の君主」の意味であって個人名ではなく、個人名は'''王倹'''(おうけん、왕검・ワンゴム)という。
== 概要 ==[[高麗|高麗時代]]の[[一然]]著『[[三国遺事]]』([[1280年代]]成立)に『[[魏書]]』からの[[引用]]と見られるのが、檀君の文献上の初出である。『[[東国通鑑]]』([[1485年]])にも類似の[[説話]]が載っている。しかし引用元とされる『魏書』([[陳寿]]の『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』や[[魏収]]の『[[魏書|北魏書]]』)などの中国の[[正史|史書]]には檀君に該当する記述がまったくない。高麗時代の一然著『三国遺事』(1280年代成立)に『魏書』からの引用と見られるのが、檀君の文献上の初出である。『東国通鑑』(1485年)にも類似の説話が載っている。しかし引用元とされる『魏書』(陳寿の『三国志』や魏収の『北魏書』)などの中国の史書には檀君に該当する記述がまったくない。
なお、[[偽書]]とされる『[[桓檀古記]]』、『[[揆園史話]]』には『三国遺事』とは異なる記述がなされている。なお、偽書とされる『桓檀古記』、『揆園史話』には『三国遺事』とは異なる記述がなされている。
=== 檀君の名の由来 ===
檀君王倹という言葉は、もともとは由来の異なる二人の神、檀君と王倹を結び付けたものである。{{要出典範囲|檀君という名については、「〜[[君]]」というのは[[道教]]の比較的階級の低い神の称であり「[[檀]]の神」であることを表す。|date=2022年5月}}[[12世紀]]に成立した[[高麗]]の正史『[[三国史記]]』や『三国遺事』が書かれた{{要出典範囲|高麗時代に[[解熱薬|熱冷ましの薬]]として檀が大いに持て囃され[[流行]]した|date=2022年5月}}が、この檀は[[仏教]]説話に結び付いており、当時仏教の盛んだった[[妙香山]]がその信仰の中心地だった。檀は本来[[インド]]や[[東南アジア]]など熱帯系の植物で朝鮮には自生しないが、妙香山は今でも[[香木]]で覆われた山として有名であり、{{要出典範囲|高麗時代に檀と称して解熱薬とされた|date=2022年5月}}<sup>''(要出典範囲、檀君という名については、「〜君」というのは道教の比較的階級の低い神の称であり「檀の神」であることを表す。(2022年5月))''</sup>12世紀に成立した高麗の正史『三国史記』や『三国遺事』が書かれた<sup>''要出典範囲、高麗時代に熱冷ましの薬として檀が大いに持て囃され流行した(2022年5月))''</sup>が、この檀は仏教説話に結び付いており、当時仏教の盛んだった妙香山がその信仰の中心地だった。檀は本来インドや東南アジアなど熱帯系の植物で朝鮮には自生しないが、妙香山は今でも香木で覆われた山として有名であり、<sup>''要出典範囲、高麗時代に檀と称して解熱薬とされた(2022年5月))''</sup>のはこちらであった。{{要出典範囲|王倹という名についても、[[平壌]]の古名として「王険」「王険城」が『[[史記]]』朝鮮列伝に出てくるのが初出で、元々は[[地名]]であったことが分かる。|date=2022年5月}}『三国史記』高句麗本紀第五東川王の条には平壌にかつて住んでいた[[仙人]]の名前として王倹という人名が出てくる。ただし『三国史記』『三国遺事』が書かれた高麗時代にいわれていた仙人とは、日本でいうようないわゆる山に篭って修行し神通力や長寿を得た人間のことではなく、[[妖精]]や[[妖怪]]に近いもので{{要出典範囲|「王倹仙人」とは平壌の地霊をいった|date=2022年5月}}<sup>''(要出典範囲、王倹という名についても、平壌の古名として「王険」「王険城」が『史記』朝鮮列伝に出てくるのが初出で、元々は地名であったことが分かる。(2022年5月))''</sup>『三国史記』高句麗本紀第五東川王の条には平壌にかつて住んでいた仙人の名前として王倹という人名が出てくる。ただし『三国史記』『三国遺事』が書かれた高麗時代にいわれていた仙人とは、日本でいうようないわゆる山に篭って修行し神通力や長寿を得た人間のことではなく、妖精や妖怪に近いもので<sup>''(要出典範囲、「王倹仙人」とは平壌の地霊をいった(2022年5月))''</sup>。『三国史記』には檀君という王がいたことは全く書かれていない。
檀君神話には並行する伝承が存在し、[[夫余]]の[[建国神話]]{{efn2|夫余の建国神話に登場する[[天神]]「解慕漱(ヘモス)」と檀君神話の「桓雄(ハムス)」は漢字の[[当て字]]の違いで元々は同じ音を表しており、同名同一の神であった。雄の字を「ス」と読むのは[[韓訓]]。}}、及び[[ツングース]]系の諸民族に伝わる[[獣祖神話]]{{efn2|ツングース系の獣祖神話においては人間の[[性別|男女]]、熊の牡牝、虎の牡牝の組み合わせがすべて存在するが、民族の祖先となるのは人間の[[女性]]から生まれた場合だけで、父系の祖先が獣(虎か熊かはその民族または部族によって異なる)である。人間の男と牝虎の間には子供はできず、牝熊との間に生まれた子供は男が逃亡しようとしたため怒った母熊によって殺されてしまう。つまり本来の獣祖神話においては母系が獣の民族は存在できないことになっている。}}などがある。檀君神話は朝鮮の古来からの独立を示すための創作説話だろうと推測されている{{誰によって|date=2022年4月}}。
== 三国遺事における檀君 ==
13世紀頃に成立した『三国遺事』は、『[[魏書]]』と『[[朝鮮古記]]』から引用したとあるが、現存する『魏書』に檀君に関する記述はない。また『[[朝鮮古記]]』は現在伝わっていない。『三国遺事』は、檀君王倹は1500年にわたって朝鮮を支配し、[[箕子朝鮮]]に朝鮮を譲ったあと、1908歳の余生を終え、阿斯達の山神になったと伝えている。
== 他の書の檀君 ==
== 檀君紀元 ==
檀君の即位年は、紀元前2333年とすることが現代韓国では一般的になっており、かつてこれを元年とする[[檀君紀元]]が[[1961年]]まで公式に用いられていた。即位年に関する記述は、文献によって一定しないが、いずれも中国の伝説上の聖人[[堯]]の在位中とされている。紀元前2333年説は、『[[東国通鑑]]』([[1485年]])の檀君即位の記述(堯の即位から50年目」)によったものである。『三国遺事』では堯の即位から50年目としつつ、割注で干支が合わず疑わしいとされている。他には、『[[世宗実録地理志]]』(1432年)には「[[堯|唐堯]]的即位二十五年・戊辰」、つまり堯の即位から25年目とあり、李朝の建国が[[明]]の[[朱元璋|洪武]]25年であることに合わせてある。
== 内容 ==
=== 『三国遺事』 ===
13世紀頃に成立した『三国遺事』は、『魏書』と『朝鮮古記』から引用したとあるが、現存する『魏書』に檀君に関する記述はない。また『朝鮮古記』は現在伝わっていない。『三国遺事』は、檀君王倹は1500年にわたって朝鮮を支配し、箕子朝鮮に朝鮮を譲ったあと、1908歳の余生を終え、阿斯達の山神になったと伝えている。
『三国遺事』が引用するが現存していない「朝鮮古記」によれば、桓因(かんいん、桓因は帝釈天の別名である)の庶子である桓雄(かんゆう)が人間界に興味を持ったため、桓因は桓雄に天符印を3つ与え、桓雄は太伯山(現在の妙香山)の頂きの神檀樹の下に'''風伯、雨師、雲師ら3000人の部下とともに降り'''<ref group="私注">この部分がニニギやニギハヤヒの降臨の模倣とされたのだろうか?</ref>、そこに'''神市'''という国をおこすと、人間の地を360年余り治めた。