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ナナイの内名(自ら使用する民族名)は「キルン(kilən、ナニオ、ナブイ)」または「ホジェン(χədʑən、ナナイ)」<ref>安俊 (An Jun)『赫哲語簡志』 (''Introduction to the Hezhen language''; 北京, 民族出版社 1986). Page 1.</ref>である。「ナ」は「土地、地面、国、地元」を表し、「ニオ、ブイ、ナイ」は様々な方言で「人」と意味する<ref name="ogihara72" />。「'''ナナイ'''」はロシアにおける民族名であり、中国東北部(松花江・ウスリー川がアムール川に注ぐ地域)の住人は「'''赫哲'''」と表記され、みずからを「'''ホジェン'''」と称する<ref name="ogihara72" />。 | ナナイの内名(自ら使用する民族名)は「キルン(kilən、ナニオ、ナブイ)」または「ホジェン(χədʑən、ナナイ)」<ref>安俊 (An Jun)『赫哲語簡志』 (''Introduction to the Hezhen language''; 北京, 民族出版社 1986). Page 1.</ref>である。「ナ」は「土地、地面、国、地元」を表し、「ニオ、ブイ、ナイ」は様々な方言で「人」と意味する<ref name="ogihara72" />。「'''ナナイ'''」はロシアにおける民族名であり、中国東北部(松花江・ウスリー川がアムール川に注ぐ地域)の住人は「'''赫哲'''」と表記され、みずからを「'''ホジェン'''」と称する<ref name="ogihara72" />。 | ||
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以下は、ロシア国内におけるナナイ人口の推移である。[[加藤九祚]]([[1977年]])によれば、ナナイは[[ハバロフスク|ハバロフスク市]]で最も多く見かけるアジア人であるという<ref name="77katoh275">[[#加藤1|加藤(1977)pp.275-280]]</ref>。また、上述の各地に住んでいるほか、それぞれ異なる少なくとも10のグループがアムール川の北に散らばって住んでいる<ref name="redbook">{{Cite web|url=http://www.eki.ee/books/redbook/nanais.shtml|title=The red book of the Russian Empire. "THE NANAIS"|author=Ants Viires|date=1993-08|accessdate=2022-8-25|website=The Peoples of the Red Book|publisher=The Redbook}}</ref>。かつて、ツングース系民族としてサマギル族という独立した民族が存在したが、ナナイに同化された<ref name="redbook" /><ref name="94katoh159">[[#加藤2|加藤(1994)pp.159-160]]</ref>{{refnest|group="注釈"|サマギルはウスリー川とギリン川一帯に住んでいる<ref name="redbook" />。}}。 | 以下は、ロシア国内におけるナナイ人口の推移である。[[加藤九祚]]([[1977年]])によれば、ナナイは[[ハバロフスク|ハバロフスク市]]で最も多く見かけるアジア人であるという<ref name="77katoh275">[[#加藤1|加藤(1977)pp.275-280]]</ref>。また、上述の各地に住んでいるほか、それぞれ異なる少なくとも10のグループがアムール川の北に散らばって住んでいる<ref name="redbook">{{Cite web|url=http://www.eki.ee/books/redbook/nanais.shtml|title=The red book of the Russian Empire. "THE NANAIS"|author=Ants Viires|date=1993-08|accessdate=2022-8-25|website=The Peoples of the Red Book|publisher=The Redbook}}</ref>。かつて、ツングース系民族としてサマギル族という独立した民族が存在したが、ナナイに同化された<ref name="redbook" /><ref name="94katoh159">[[#加藤2|加藤(1994)pp.159-160]]</ref>{{refnest|group="注釈"|サマギルはウスリー川とギリン川一帯に住んでいる<ref name="redbook" />。}}。 |
2022年8月29日 (月) 12:30時点における版
ナナイ(Nanai)は、ツングース系の民族[1]。分布は主にアムール川(黒竜江)流域で、ロシア国内に約1万2,000人弱(1989年)おり[2]、中国(中華人民共和国)国内にも居住している。2004年人口調査時の中国における国内人口は4,640人であった。中国内のナナイはホジェン族(Hezhen;赫哲族、Hèzhézú、ホーチョーズー)という呼称が公称となっており[2][3]、55の少数民族の一つとして認定されている。
ロシアではかつて、ゴルディ(Goldi)[4]、ゴルドないしゴリド(Gol'dy)[2][3]とも呼ばれた。ロシア連邦に住んでいるナナイの一部ではロシア人との混血が進んでいる。
目次
名称・居住域
ナナイの内名(自ら使用する民族名)は「キルン(kilən、ナニオ、ナブイ)」または「ホジェン(χədʑən、ナナイ)」[5]である。「ナ」は「土地、地面、国、地元」を表し、「ニオ、ブイ、ナイ」は様々な方言で「人」と意味する[6]。「ナナイ」はロシアにおける民族名であり、中国東北部(松花江・ウスリー川がアムール川に注ぐ地域)の住人は「赫哲」と表記され、みずからを「ホジェン」と称する[6]。
ロシアの言語学者L.I.セム(Сем Л. И.、L. I. Sem)がキリル文字で「ホジェン(テンプレート:IPA-xx)」をхэǯэ най (Hezhe nai) or хэǯэны (Hezheni)と表し、アムール川流域のナナイの内名であり「川の下流に住む人々」という意味だと説明した[7]。これが中国名でナナイを “黑斤” (Heijin)、 “赫哲哈喇” (Hezhehala)、現代中国語で“赫哲” (Hezhe) と呼称する端緒となっている[8]。「赫哲」は、中国においては隋や唐の史書にみえる「靺鞨」と関連づけられることが多い[6]。なお、ウスリー川流域の住人に対しては、アカニ(Akani)、アチャン(Achan)という名も知られている[6]テンプレート:Refnest。
以下は、ロシア国内におけるナナイ人口の推移である。加藤九祚(1977年)によれば、ナナイはハバロフスク市で最も多く見かけるアジア人であるという[9]。また、上述の各地に住んでいるほか、それぞれ異なる少なくとも10のグループがアムール川の北に散らばって住んでいる[10]。かつて、ツングース系民族としてサマギル族という独立した民族が存在したが、ナナイに同化された[10][11]テンプレート:Refnest。
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中国では、ナナイ(ホジェン族)は黒竜江省東部の黒竜江(アムール川)・ウスリー川・松花江に囲まれた三江平原に多く居住している[2][4]。中国の2000年国勢調査におけるホジェン族の人口は次の表の通りである[12]。表では20人未満は割愛しているが、少人口ながら中国全土に分布している[12]。黒竜江省・吉林省・遼寧省など中国東北部に9割近くが住んでおり、特に黒竜江省に集中している[12]。
地区 |
総人口(人) |
ホジェン族 人口(人) |
ホジェン族に占める 地域別人口割合(%) |
各地区の少数民族に占める ホジェンの人口割合(%) |
各地区全体に占める ホジェンの人口割合(%) |
合計 | 1,245,110,826 | 4,664 | 100 | 0.00443 | 0.00037 |
黒竜江省 | 36,237,576 | 4,250 | 83.83 | 0.22059 | 0.01079 |
吉林省 | 26,802,191 | 190 | 4.07 | 0.00774 | 0.00071 |
北京市 | 13,569,194 | 84 | 1.80 | 0.01435 | 0.00062 |
遼寧省 | 41,824,412 | 82 | 1.76 | 0.00122 | 0.00020 |
内モンゴル自治区 | 23,323,347 | 54 | 1.16 | 0.00111 | 0.00023 |
河北省 | 66,684,419 | 46 | 0.99 | 0.00158 | 0.00007 |
山東省 | 89,971,789 | 33 | 0.71 | 0.00522 | 0.00004 |
新疆ウイグル自治区 | 18,459,511 | 22 | 0.47 | 0.00020 | 0.00012 |
甘粛省 | 25,124,282 | 21 | 0.45 | 0.00095 | 0.00008 |
ナナイ族に対し、近接するウリチ族はゴルディ(Goldy)、オロチ族はゴジィ(Gogdy)、エヴェンキ族はゴルディフ(Goldykh)、ウデヘ族はマングトゥ(Mangtu)と呼称する[6]。古アジア系のニヴフ族はナナイをヤンティ(Yanty)と呼ぶが、アムール川下流のナナイについてはコルドッキ(Choldoky)の名で呼ぶ[6]。日本でナナイを「コルドッケ」と称することがあるのは、間宮林蔵がニヴフから聞き取った呼称がもとになっている[6]。「ゴリド」「ゴルジ」「ゴルディ」といった名称は、ナナイ族のなかでも自分たちの川上に住む同胞を指して称することがあり、かつてはこの名称がナナイ族を示すものとして広汎に、また、記録用としても用いられた[6]。
言語
テンプレート:Main アムール川流域およびその南方に居住するツングース・満洲語系民族には、ナナイ族のほかウリチ族、オロチ族、エヴェンキ(ネギダール)族、ウィルタ族がおり[1][13]、ナナイ語はウィルタ語、ウリチ語とともに南ツングース語派に属している。なお、主としてサハリン島(樺太)に住む狩猟漁撈民であったウィルタ人には、自分たちの先祖がロシア極東のアムグン川一帯からトナカイをともなってサハリンに移住したという伝承がのこる。
ナナイ語には上アムールと下アムールの二大方言があり、互いに明瞭に異なっている[10]。文字は1930年代初め、ナイヒン地方の言葉を基本につくられた[10]。
ナナイ族と言語・文化の点で最も近いのはウリチ(オルチャ)の人びとで、居住地はナナイ族よりも下流の一帯である[14]。ウリチの内称は「ナニ」(この土地の人)であり[14]、17世紀から19世紀にかけて北方で展開された、かつての山丹交易にたずさわった「山丹人」に比定されている[15]。ナナイ語はまた、語彙や文法の面でエヴェンキの影響を受けている[10]。
生業と生活文化
生業と移動手段
旧ソビエト連邦の民族学者、M・G・レヴィンとN・N・チェボクサロフは革命前の極東・シベリアの諸民族を、
の5つに分類したが[16]、ナナイは3.の漁撈民に含まれるテンプレート:Refnest。
ナナイの主な生業は、河川でのサケ・マス漁などの漁撈であり、中国ではキャビア採取のためなどのチョウザメ漁も行う[2][4]。居住地は魚の豊富な大河や湖の沿岸、ないし河川の河口部である[17]。また、河川の凍結する冬季には森林での狩猟も生業としてきた[4]。植物の採集も生業の重要な一半を占めており、春から夏にかけてセリの類を採集して食用とし、イラクサやヤナギなど繊維を採取するための草木も採集した[18]。白樺樹皮の工芸でも知られる[4]。夏季と冬季では集落と住居が異なり、そのどちらも定住的な生活の場である[19]テンプレート:Refnest。
移動・運搬の手段はスキーや犬ぞりであった[4][17]。シベリア・極東地方の犬ぞりは、その構造や形状により、東シベリア型、アムール=サハリン型、チュクチ=カムチャツカ型、西シベリア型、北西シベリア型の5つに分類される[17]。ナナイ族の犬ぞりはアムール=サハリン型に属し、木組みで骨格を造り、長さ2.5メートル、高さ40センチメートル、幅50センチメートルほどの船形にし、上部にはヤナギの木を組み合わせて作った座席・荷台を設けたものである[20]。そりを引くイヌは5匹である場合が多く、そのうちの1匹がリーダーとなって先頭になり、残りはそれに付いていくかたちで進む[20]。
ナナイはかつて、中国、ロシア、日本など広範囲での交易にもたずさわったこともあったが[4]、今日では、その生活の一部が観光化されている。
衣食住と生活文化
ナナイは、かつてサケ・マスなどの皮から春から秋にかけての普段着や靴をつくったため、漢民族から魚皮韃子(ユイピーダーズ)・魚皮套子(ユイピータオズ)と称された[9][18]。また、婚礼の衣装として華麗な刺繍を施した魚皮衣もつくられてきた[18]。今日では魚皮衣は嫁入り道具として、あるいは博物館等への出品のためにつくられるだけで、日常的に着用する衣服ではなくなってきているテンプレート:Refnest。
漁撈が代表的な生業であるため、食生活は魚食が中心である。男たちが漁撈で得たサケ・マスは女たちによって干し魚にされ、これはユコラと呼ばれた[18]。ユコラは米飯やパンに相当するナナイの主食で、頭や骨の部位を干したものはイヌの餌となった[18]。また、アイヌ料理のルイベやヤクート料理のストロガニナに似た凍魚も好んで食べられた。凍魚は、かつては調味料や香辛料を用いずにそのまま食べていたが、現在では生の魚肉を酢・醤油・唐辛子などの調味料・香辛料で味付けして食べることが増えたという。
伝統的な住居は、河川の近くに穴を掘り、木材を用いて半地下式住居(竪穴住居)をつくるか、地上式の木造家屋をつくって夏季の住まいとし、冬季には狩猟に適する場所に住地を移していた[19]。現在、そうした住居は漁撈の際の臨時の寝泊りのために用いるだけで、ロシア人や漢民族のものと変わらない住居に住むことが多くなっている。
ハバロフスクの北75キロメートルにあるテンプレート:仮リンクにはナナイ族の民族博物館があり、伝統的な衣装や漁の道具が展示されている。
宗教・精神生活
ナナイ族は、クマやトラに対し、これを人びとの保護者として尊敬を捧げてきた[3][4][21]。彼らは太陽、月、山、水、木の精霊(セオン)を崇拝し、また、火などの無生物にも精霊が宿るという宗教観をもっていた。その信仰はシャーマニズム(巫俗)で、シャーマンは神に祈りを捧げることで、悪霊(ブセウ)を追い出す力を持っていると考えていた[22]テンプレート:Refnest。
シャーマン
シャーマンは、透視力はじめ超自然的な能力の数々を有しており、善霊や悪霊を操る驚異的な力を具備した人格として、ナナイの人びとから恐れられ、特別な尊崇を受けていた[22]。ナナイでは、宇宙はさまざまな精霊や悪霊に満ちていて、シャーマンはこれら神霊と直接交渉して、不妊の婦人に子どもを授けたり、災厄や疾病の原因となる悪霊と対決してこれに打ち勝ち、原因を除去するという特別に強靭な霊魂をもつ存在と信じられた[22][21]。シャーマンは踊り、手太鼓を打ち、シャーマン服に取り付けた金属板を鳴らしながら叫び歌うことで自身や信者を忘我の状態に導き、それによってシャーマンの霊が神霊の世界へと飛んで神霊と交渉し、神霊が彼に憑依して神がかり状態のなかで、シャーマンの口から神の意思が告げられるのである[21]。
ナナイでは、シャーマンでなくても病気の原因をつきとめ、その悪霊を木製の人形(木偶)のなかに封じ込めることのできる者がいることを認めてはいた[22]。しかし、死者の霊魂を死後の世界「ブニ(Buni)」に送り届ける役割(後述)は、小シャーマンではなく、特別な装束をゆるされた大シャーマンでなければならないと考えられていた[22]。
死生観と葬送
ナナイでは、身体は魂の外殻に過ぎないので、人が死んでも魂は生き残ると観念されていた。そして、ひとりひとりが魂と精神の両方を持っているとされ、死ぬとそれらが分かたれると考えられた。人の精神は、その死後、悪意を持って生きている親戚に害をなすものとされた。時間が経つにつれ、悪い精神は飼いならされて礼拝が可能になるが、そうでなければ悪霊を追い出す特別な儀式が必要となる[23]。
死後、故人の魂は「ラチャコ」と呼ばれる布製の一時的な避難所に7日間入れられ、その後「パヨ」と呼ばれる木偶に移され、最終的な葬送の儀式までそのまま保管される。「パヨ」はその間、あたかも生きている人のように世話される。死者の最終的な儀式(葬儀)はカサ・トヴァリ(kasa tavori)と呼ばれ、3日間続く。その間多くの宴席が設けられ、故人の魂を他界(ブニ)へ送る旅の準備が行われる。葬儀の最終日、ムグデフ(mugdeh)と呼ばれる故人とほぼ等身大の人形に魂が移される。人形は、死後の世界に向かうための犬のそりに乗せられるが、出発前にシャーマンにより家族に遺言が伝えられる。「ブニ」は、この地上世界と変わらないが、より豊穣で極楽のような場所と考えられている[22]。しかし、そこへ至る道程は困難さをともない、死者の霊魂はシャーマンの助けを得なければ到着することはかなわないものとされた[22]。儀式の後、シャーマンは犬ぞりで危険な「ブニ」への旅に出るが、この旅はその日没までに終わらせなければ、シャーマンの命も失うことになると信じられていた。
なお、故人が1歳未満の乳児の場合は、その魂は人でなく鳥と考えて埋葬は行われず、樺の樹皮にくるまれて森のなかに置かれた。
神話・伝承
ナナイの神話によれば、原初、太陽は3個あり、世界は混沌としていた[24]。ハダウ(ハドー)という創造神が太陽征伐にあたり、混沌世界に秩序をもたらし、人間や生き物を創造した[24]テンプレート:Refnest。また、原初世界は水ばかりで大地はなかったが、水鳥がもぐり、水底から土をすくい上げ、それがもとになって大地が形成された[24]テンプレート:Refnest。つくられた大地は平坦だったが、大蛇が川の谷間を掘り起こして起伏が生じた。
生き残った最初の人間は兄妹だが夫婦となって[24]、人びとの死体の処理について相談するが、2人とも年寄りなので、死体を全部葬れるか心配して床についたテンプレート:Refnest。夫は百人の人がかかっても抱えきれないほどの大木の夢を見た。その樹皮は蛆虫で、根は巨大な蛇、葉は丸い金属製の鏡で、花は鈴だった。そのこずえには無数の金属製の角があった。目を覚ました老人は妻に内緒で、この大樹を探しだし、弓矢で角と鏡と鈴を撃ち落として家に持ち帰って寝台の下に隠して寝た。そうすると夢枕に白っぽい老人が現れ、煙突の穴を空けるよう命じた。そうすれば、角と鏡と鈴は1組老人の手元に残り、それ以外のものは穴から飛び出して大シャーマンにふさわしい者を見つけるだろうと宣した。こうして複数の大シャーマンが立ち現れ、死者を弔った。これらの道具は実際のシャーマンの道具として伝承されており、神話学者には、これらを着用して大樹(世界樹)に扮することでシャーマンは自然界との仲介者になったのではないかと考える学者もいる[25]。
英雄叙事詩の分野では、英雄メルゲン(マルゴ)、女英雄プヂを主人公とする口承が伝わっており、チュクチ・モンゴル的な特徴が認められる[24]。ウリチ族やオロチ族にも同様の影響関係がみとめられるが、ニヴフやアイヌの英雄叙事詩はこられとは性格を異にしている[24]。一方、上述の創世神話にはチュクチ・モンゴル的要素は認められない[24]。
デルスウ・ウザーラ
ロシア帝国の軍人であったウラジーミル・アルセーニエフは極東・シベリア地域を探検し、彼を助けた一人暮らしのナナイ(ゴリド人)の猟師デルスウ・ウザーラはアルセーニエフの信頼を得て何度か探検に同行した[26]。1923年に出版されたアルセーニエフの探検記『デルスウ・ウザーラ』は彼を題材にしたものである[26]。
この作品を読んで感銘を受けた映画監督の黒澤明は、1974年にソ連映画『デルス・ウザーラ』(日本公開:1975年、ソ連公開:1976年)を監督した。この作品は、第9回モスクワ国際映画祭では金賞および国際映画批評家連盟賞を受賞し[27]、第48回アカデミー賞ではソ連代表作品として外国語映画賞を受賞した[28]。
ナナイ関連画像
- Goldi family group, north of Khabarovsk LCCN2004707513.jpg
ナナイの家族(1895、ハバロフスク地方北部)
- Goldi chiefs in best clothes north of Khabarovsk LCCN2004707510.jpg
ナナイの首長一家(1895、ハバロフスク地方)
- Goldes shaman priest in his regalia LCCN2004707515.jpg
ナナイのシャーマン(1895)
- Goldi village chieftan LCCN2004708035.jpg
ナナイの村の首長(1895)
- Goldes hunter on skis on ice floe, with spear and rifle LCCN2004707514.jpg
スキーをはいたナナイのハンター(1895)
- Goldes woman pulling firewood sledge LCCN2004707518.jpg
焚き木をそりで運ぶナナイ人(1895)
- Six Goldi women and children on dog sledge LCCN2004708039.jpg
女性と子ども6人を乗せた犬ぞり(1895)
- Goldi tribesmen acting out folk drama, "The repulse of the kidnapper" LCCN2004707521.jpg
民族劇を演じるナナイの人びと(1895)
- Goldi village on the Amur, north of Khabarovsk LCCN2004707512.jpg
アムール川流域のナナイ集落(1895)
- Goldi village along the Amur River, north of Khabarovsk LCCN2004708126.jpg
アムール川流域のナナイ集落(1895)
- Goldi villagers posed in front of building with fishing catch - on the Amur river LCCN2004708042.jpg
漁撈の獲物と一緒に建物の前でポーズをとったナナイの人びと(1895)
- 1962-04 1962年 赫哲族青年.jpg
ホジェンの青年(1962、中国)
- Вокальный ансамбль, Нанайский район.JPG
歌唱発表会でのナナイ族(2013、ハバロフスク)
脚注
注釈
出典
参考文献
- テンプレート:Cite book
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関連項目
外部リンク
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