「阪泉の戦い」の版間の差分

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牛頭の神といえば、日本では須佐之男がそのような神と同一視された。西欧ではギリシア神話のミーノータウロスのような怪物神が存在する。須佐之男は倒されることはないが、天界から地上に追放される。ミーノータウロスはテーセウスに倒される。おそらく、「'''[[炎帝神農|炎帝]][[蚩尤]]'''」とも言うべき、おおよそ紀元前5000年頃に倒されたであろう実在の人物は、弁髪であり、かつ、その後の伝承で
 
牛頭の神といえば、日本では須佐之男がそのような神と同一視された。西欧ではギリシア神話のミーノータウロスのような怪物神が存在する。須佐之男は倒されることはないが、天界から地上に追放される。ミーノータウロスはテーセウスに倒される。おそらく、「'''[[炎帝神農|炎帝]][[蚩尤]]'''」とも言うべき、おおよそ紀元前5000年頃に倒されたであろう実在の人物は、弁髪であり、かつ、その後の伝承で
  
+ 倒される神、あるいは非業の死を遂げる神
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# 倒される神、あるいは非業の死を遂げる神
+ 天界あるいは類天界から追放される神
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# 天界あるいは類天界から追放される神
  
 
と2種類の伝承に分かれ、各地に分布していったものと思われる。そのトーテムは、おそらくミーノータウロスのように、やはり「牛」が主だったのではないだろうか。
 
と2種類の伝承に分かれ、各地に分布していったものと思われる。そのトーテムは、おそらくミーノータウロスのように、やはり「牛」が主だったのではないだろうか。

2022年8月26日 (金) 16:53時点における版

阪泉の戦い(はんせんのたたかい)は、古代中国の伝説上の戦いで、軒轅(後の黄帝)が炎帝を破った会戦である。

『史記』五帝本紀によれば、神農氏の世が衰えたとき、諸侯が互いに侵略しあって百姓を虐げた[1]。神農氏はこれを納めることができなかった。このとき軒轅は干戈を習い、帝に貢ぎ物を献上しない諸侯を征した。そこで蚩尤らを除く諸侯は神農氏に従うようになった。その後、炎帝が諸侯を侵略しようとしたので、諸侯は軒轅のもとに集まり、炎帝に対抗した。軒轅は徳を修め、兵を振るわし、五気を治め、五種を植え、万民を撫で、四方を度り、熊・羆・貔(伝説上の猛獣。貅・貙も同じ)・貅・貙・虎を調教した。それから起きたのが、阪泉の戦いである。軒轅と炎帝の両軍は阪泉の野で3回戦い、最終的に軒轅が勝利した。軒轅はこのあと蚩尤との涿鹿の戦いに勝って天子に推戴された。

黄帝を含めた五帝等の話は、もともと各地の様々な神話・伝説であったものを、戦国時代の人が時代順に並べる形式に整えて歴史にしたと考えられている[2]。学問的に実在したことが知られるのは殷(商)以降であるから、それよりはるか以前の阪泉の戦いは史実であるかは不明である。

私的解説

「阪泉の戦い」と「涿鹿の戦い」は同一の事象を2つに分けたもの、という説がある[3]。管理人もそのように思う。炎帝と蚩尤は共に「牛頭」で現される。おそらく、日本神話の概念になるが、炎帝を神の和魂(おだやかな相)とすると、蚩尤は荒魂(荒ぶる相)ということになるのではないだろうか。

牛頭の神といえば、日本では須佐之男がそのような神と同一視された。西欧ではギリシア神話のミーノータウロスのような怪物神が存在する。須佐之男は倒されることはないが、天界から地上に追放される。ミーノータウロスはテーセウスに倒される。おそらく、「炎帝蚩尤」とも言うべき、おおよそ紀元前5000年頃に倒されたであろう実在の人物は、弁髪であり、かつ、その後の伝承で

  1. 倒される神、あるいは非業の死を遂げる神
  2. 天界あるいは類天界から追放される神

と2種類の伝承に分かれ、各地に分布していったものと思われる。そのトーテムは、おそらくミーノータウロスのように、やはり「牛」が主だったのではないだろうか。

参考文献

  • Wikipedia:阪泉の戦い(最終閲覧日:22-08-25)
    • 堀敏一『古代の中国』(「世界の歴史」第4巻)、講談社、1977年。
    • 吉田賢抗『史記』一(本紀)(新釈漢文大系)、明治書院、1973年。
  • 史記Ⅰ、司馬遷著、小竹文夫・小竹武夫訳、筑摩世界文學大系6、筑摩書房、1971
  • 軍神の変容、湯浅邦弘著、島根大学教育学部紀要(人文・杜会科学一第二十六巻 一一五頁~二一二頁 平成四年十二月)

関連項目

参照

  1. 以下この段落の説明は『史記』「五帝本紀第一」による。吉田賢抗注『史記』一の29-31頁。管理人が加筆したものは、「史記Ⅰ、司馬遷著、小竹文夫・小竹武夫訳、筑摩世界文學大系6、筑摩書房、1971、p5」による。
  2. 堀敏一『古代の中国』29-33頁。加上説も参照。
  3. 軍神の変容、湯浅邦弘著、島根大学教育学部紀要(人文・杜会科学一第二十六巻 一一五頁~二一二頁 平成四年十二月)、p116