== 有熊国 ==
'''有熊国'''(ゆうゆうこく)は、古国時代の無懐氏以降における'''伝説上'''の有熊氏の治めた国である。史記·五帝本紀に「黄帝“号有熊,以其本是有熊国君之子故也”。」とあるとのこと。の有熊氏の治めた国である。
歴代君主として、次の人物が立ったとされる。
**顓頊 :紀元前2300年頃
**堯舜 :紀元前2000年頃
== 私的解説・炎帝と黄帝についての覚書 ==
黄帝、炎帝とは古代中国の伝説上の皇帝達で、その実像、実在性は曖昧で、様々な伝承はあるけれども、客観的な歴史的資料はほとんどない、と言って良い存在である。ただし、彼らについて非常に多くの伝承が存在しているので、古代中国の歴史上に、彼らのモデルとなった実在の人物や、彼らの事績に相当する歴史上の事件や出来事があった可能性は非常に高いと考える。皇帝と炎帝は対立する立場として描かれることが多いので、管理人はこれを「'''炎黄闘争'''」と呼ぶ。これが春秋戦国時代の戦いように「国家間の争い」と言えるレベルのものであったのか、それとも「部族間の争い」と述べる方が適したものであったのか、その実態も定かではないと思う。ただ、この「'''炎黄闘争'''」から複数の伝承が生まれて、中国のみならず諸外国でも語り継がれ、分岐していったと考える。おそらく登場人物も複数の人物に分けられたり、時には複数の人物が一つ纏められたり、登場人物の一部が削除されたり、登場人物感の役割が入れ替えられたり。伝承が拡散し、分岐していく過程で様々な改変が加えられていったことと思う。願わくば、その改変の流れから、実際の歴史の流れを考察してみたいことと思う。
'''有熊氏'''というのは、黄帝の出身氏族として複数の伝承で語られているようである。「黄帝と炎帝は兄弟であった」という伝承も存在するので、とすれば'''黄帝と炎帝は共に「有熊氏」の出身とする'''こともできるかもしれない。「古国時代」の概念は、'''黄帝・炎帝が有熊氏である'''、ということと、「史記」などにあるように、'''炎帝の子孫から王権が黄帝一族に移った'''という伝承を歴史的事実として組み合わせ、伝説上の古代中国の王朝の再現を試みたもの、といえようか。その正確性については、厳密には考古学の範疇であるので、管理人の知るところ、証明するところではないように思う。むしろ専門とされている、中国の考古学者達が、誰もが納得できる客観的な明確な資料を発見されることを願う。
でも、本音を言えば、「'''有熊というのは炎帝とその一族のことであって、すでにそこから黄帝と炎帝の設定が入れ替わっている'''」と思う。あくまでも、民俗学的な見地からでは、である。伝承から管理人が述べられることは、黄帝は「阪泉の戦い」で熊や虎を調教した、との伝承があるので、その点から'''黄帝が遊牧民系の出自ではないのか'''、と考える。民間伝承的には、西欧のいわゆる「'''動物番'''」系の民話や神話と関連するかもしれないと思う。因幡の白兎を助けた日本の大国主命にもその片鱗が窺えるように思う。
== 私的解説 ==
朝鮮神話では儒教の影響を強く受けているので、息子神が父親の男根を切り落として追放するようなとんでもない親不孝な展開は削除されたものと思われる。日本の神話では須佐之男は姉である天照大神から地上へと追放されており、天照大神の性質に黄帝的要素が含まれている。また'''秩序を乱し、織女を殺した'''と、須佐之男の行為は一応非難されている。
== 参考文献 ==
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E7%86%8A%E6%B0%8F 有熊氏](最終閲覧日:22-08-26)
* 百度百科:[https://baike.baidu.com/item/%E6%9C%89%E7%86%8A%E6%B0%8F/4483963 有熊氏](最終閲覧日:22-08-26)
== 関連項目 ==
* [[城背渓文化]]
* [[大渓文化]]
* [[阪泉の戦い]]
== 脚注 ==
[[Category:炎帝]]
[[Category:熊]]
[[Category:炎黄闘争]]