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2,423 バイト追加 、 2022年8月22日 (月) 19:54
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== 私的解説 ==
中国では「古国時代」というものが最近提唱されたそうで。何と申し上げたら良いのやら、と思いますが、管理人はあくまでも一個人の私見として、「伝説上の人物の伝説的事績は伝承のみから事実とは判断しない」という主義ですので、民俗学的な見地からしか物は言いません。ただ、管理人の大雑把な計算では、黄帝は紀元前5000年くらいの人物(存在したとすれば)なので、割と中華文明探源プロジェクト関係者様の見立ては新しめなのかなあ、と思いました。もっとも、管理人は民間伝承の「伝播」という見地からしか物を考えませんので、広開土王の碑のように「俺が紀元前2500年に神農と蚩尤を倒したんだ。 by 黄帝」というような明確な碑文とかがどこかから出土していて、本物に間違いなければ当然私の推測よりも明確な資料の方を優先すべき、と考えます。
 
 
[[ミャオ族]]の伝承によると、彼らの先祖祭(日本でいうとお盆のようなものか)であるノン・ニュウには起源譚がいくつかあり、その中には「男性形の太陽神」を祀るもの、とされているものがある。[[オーストロネシア語族]]の[[ハイヌウェレ型神話]]にも「男性形の太陽神」である「'''トゥワレ'''」とその下位にあるシャーマン的存在である「'''アメタ'''」という男が登場する。ということは、オースロトネシア語族が中国大陸を離れた紀元前4000年よりも前、また大渓文化の存在した紀元前5000年よりも前に揚子江流域に「男性の太陽神」を奉じる文化があり、それが中流域から下流に存在していた可能性がある。単独の部族(民族)が奉じていたのか、ある程度複数の部族集団が奉じていたのかは不明である。そして中原の伝承で「男性の太陽神」といえば「炎帝神農」ではないだろうか。とすると、「炎帝神農」の原型にあたる神的存在は紀元前5000年頃には既に「神的存在として奉じられる存在」となっており、人間として実在していたのであれば、それよりも前に存在していた、といえると考える。
== 関連項目 ==
* [[大渓文化]]
== 脚注 ==

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