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=== 三足烏 ===
[[ファイル:jyou_sun.jpeg|thumb|300px|太陽が描かれた世界最古の彩色土器<ref>[https://www.excite.co.jp/news/article/Recordchina_888064/ 浙江省で発見の「世界最古の米粒」の意義とは?―専門家が「何が起こったか」を解く], exciteニュース, Record China, 最終閲覧日:2022年3月7日 より引用</ref>。紀元前8000年頃]][[ファイル:Butterfly-shaped ivory vessel with the pattern of two birds facing the sun(Neolithic) in Zhejiang Museum.JPG|thumb|300px500px|太陽に向かう2羽の鳥が描かれた象牙の容器。(浙江省博物館)太陽に向かう2羽の鳥が描かれた象牙の容器。紀元前5000年頃-紀元前4500年頃(浙江省博物館)]][[ファイル:Threeleggedbird han dynasty.jpg|thumb|300px|漢代の壁画。右が火烏(三足烏)。漢代の壁画。右が火烏(三足烏)。紀元前206年 - 8年]]
'''三足烏'''(さんそくう、さんぞくう)は東アジア地域の神話や絵画などに見られる伝説の生き物である。この烏は太陽に棲んでいると信じられ、太陽の象徴であった<ref>The Animal in Far Eastern Art and Especially in the Art of the Japanese, Volker, T., Brill, 1975, page=39</ref>。最も古い考古学的遺品は紀元前5000年の中国揚子江下流域の河姆渡文化にさかのぼる。
'''太陽信仰そのものは揚子江下流域で紀元前8000年頃には行われていた'''と思われ、太陽紋の刻まれた彩色土器が上山遺跡群より発掘されている。上山文化は、人が平地に定住あるいは半定住生活を行い、稲を「作物」として利用した文化である。橋頭遺跡では、人工の環濠(かんごう)が発見された。酒の醸造が行われ、浙江省で最も古い墓と遺体2体も見つかっている。大規模な水稲耕作の開始により、人々の生活に余裕ができ、文化的、精神的な発展もみられたのではないだろうか。と思われ、太陽紋の刻まれた彩色土器が上山遺跡群より発掘されている。[[上山文化]]は、人が平地に定住あるいは半定住生活を行い、稲を「作物」として利用した文化である。橋頭遺跡では、人工の環濠(かんごう)が発見された。酒の醸造が行われ、浙江省で最も古い墓と遺体2体も見つかっている。大規模な水稲耕作の開始により、人々の生活に余裕ができ、文化的、精神的な発展もみられたのではないだろうか。
河姆渡文化までは母系社会であるので、農耕の最古層の文化は母系社会集団だったといえる。
* 大風(たいふう):青丘の沢:大鳳。大きな孔雀。性格が凶暴かつ慓悍で、人畜を傷つけた。その羽根を羽ばたかせるとかならず強風が生じたので、風の象徴とされた。
* 修蛇:洞庭湖<ref>湖南省北東部にある淡水湖。中国の淡水湖としては鄱陽湖に次いで2番目に大きい。</ref>:巴蛇、体が黒く、頭が青く、大きな象をまるごと呑み込み、三年かかって消化してからその骨を吐き出す。人がその骨を食べると心痛や腹痛が治るとされた。
* 封豨(ほうき):桑林:大きな猪。長い鋭い爪を持ち、牛より力のある怪獣。家畜や人をも食べた。'''封豨(ほうき)''':'''桑林''':'''大きな猪'''。長い鋭い爪を持ち、牛より力のある怪獣。家畜や人をも食べた。
=== 不老不死の薬 ===
=== その他の夷羿の妻 ===
 羿は放浪中、非常に美しい洛水<ref>河南省西部を流れる黄河の支流</ref>の女神である雒嬪(らくひん)と出会う。雒嬪は水神の河伯の妻であった。河伯は怒りを抑えることができず、白龍に化して川面を巡遊した。そのため、大きな洪水が起き、川は氾濫して多くの人々が亡くなった。羿は白龍に変身した河伯に矢を射て、左目に命中させた。河伯は天帝に訴え出たが、羿に咎めはなかった。の女神である雒嬪(らくひん)と出会って通じる。雒嬪は水神の河伯の妻であった。河伯は怒りを抑えることができず、白龍に化して川面を巡遊した。そのため、大きな洪水が起き、川は氾濫して多くの人々が亡くなった。羿は白龍に変身した河伯に矢を射て、左目に命中させた。河伯は天帝に訴え出たが、羿に咎めはなかった。
『楚辞』「天問」には「帝、夷羿を降して、孽(わざわい)を夏の民に革(あらた)め、胡(なん)ぞ夫(か)の河伯を射て、彼(か)の雒嬪を妻とせる(天帝は、夷羿を地上に下して、夏の民に災いをもたらしたのに、何故河伯を射させて、その妻の雒嬪を夷羿に与えたのだろうか。)」とある。
 しかし、その考察に入る前に、河姆渡文化は母系の文化でもあったので、羿の妻・嫦娥の神話的役割について纏めてみたい。
== 嫦娥信仰の歴史的変遷 嫦娥信仰の歴史的変遷と乞巧奠(七夕) ==
道教では、嫦娥を月神とみなし、「'''太陰星君'''」さらに「'''月宮黄華素曜元精聖后太陰元君'''」「'''月宮太陰皇君孝道明王'''」と呼び、中秋節に祀っている。
海南島などでは、8月15日(中秋節)の晩に少女たちが'''水をはった器の中に針を入れて'''嫦娥(月娘)に自分の運命の吉凶を示してもらう、という習俗があった。針がすっかり沈んでしまって少しも浮かばないと運命は凶であるという<ref>香坂順一、『南支那民俗誌 海南島篇』 台湾総督府外事部 1944年 74頁</ref>。
「針」とは裁縫や織物に関するアイテムであり、仙女であった嫦娥がいわゆる「織り姫」のような存在であったことを伺わせる。古代中国の世界樹とも言える扶桑、すなわち桑は絹とも関連する樹木である。「針」とは裁縫や織物に関するアイテムであり、仙女であった嫦娥がいわゆる「織女」のような存在であったことを伺わせる。古代中国の世界樹とも言える扶桑、すなわち桑は絹とも関連する樹木である。
== 扶桑と養蚕 ==桑といえば、蚕の餌であって、養蚕とは切っても切れない。『西京雑記』には、前漢の采女が七月七日に七針に糸を通すという'''乞巧奠'''の風習が記されているが、織女については記されていない<ref>『西京雑記』巻1「漢彩女常以七月七日穿七孔針於開襟楼、俱以習之。」</ref>。
絹織物は、中国で創出されたもので、絹を生産している形跡が新石器時代遺跡(西陰村遺跡、河姆渡遺跡など)から幾度も発見されているその後、南北朝時代の『荊楚歳時記』には7月7日、牽牛と織姫が会合する夜であると明記され、さらに夜に婦人たちが7本の針の穴に美しい彩りの糸を通し、捧げ物を庭に並べて針仕事の上達を祈った。捧げ物の瓜の上に蜘蛛が糸をかければ望みがかなう印とされた、と書かれており、7月7日に行われた乞巧奠(きこうでん)と織女・牽牛伝説が関連づけられていることがはっきりと分かる。また六朝・梁代の殷芸(いんうん)が著した『小説』には、「天の河の東に織女有り、'''天帝の女'''なり。年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。嫁してのち機織りを廃すれば、天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、一年一度会うことを許す」(「天河之東有織女 天帝之女也 年年机杼勞役 織成云錦天衣 天帝怜其獨處 許嫁河西牽牛郎 嫁後遂廢織紉 天帝怒 責令歸河東 許一年一度相會」『月令広義』七月令にある逸文)という一節があり、これが現在知られている七夕のストーリーとほぼ同じ型となった最も古い時期を考証できる史料のひとつとなっている<ref>学術月報, 第 407~411 巻 文部省大学学術局, 1979 367ページ『小説』の原典は失われているが、明代の馮應京(ひょう おうきょう)が万暦年間に著した『月令広義』にこれが引用されている(「七月令」・「牛郎織女」項 [http://japanese.china.org.cn/archive2006/txt/2002-04/18/content_2029605.htm])。</ref><ref name=kou/>。そのため、太陽信仰の文化と養蚕は深いつながりがあるのではないだろうか。刺繍が施されるようになった最も早期の事例は、中国にある戦国時代(紀元前3世紀~5世紀)の墓から発見されたものである。
養蚕の起源は中国大陸にあり、浙江省の遺跡からは紀元前2750年頃(推定)の平絹片、絹帯、絹縄などが出土している<ref>亀山勝『安曇族と徐福 弥生時代を創りあげた人たち』龍鳳書房、2009年、84頁。</ref>。殷時代や周時代の遺跡からも絹製品は発見されていることから継続的に養蚕が行われていたものと考えられている。系統学的な解析では、カイコは約5000年前までにクワコ(''Bombyx mandarina'')から家畜化されたと考えられている<ref>=Sun, Wei, Yu, HongSong, Shen, YiHong, Banno, Yutaka, Xiang, ZhongHuai, Zhang, Ze, 2012-06, Phylogeny and evolutionary history of the silkworm、url=http://link.springer.com/10.1007/s11427-012-4334-7、Science China Life Sciences, volume=55, 6, pages=483–496, en, 10.1007/s11427-012-4334-7, 1674-7305</ref>。針を使って、持ち主である女性を占うところが、海南島の中秋節の祭祀と、乞巧奠(七夕)では共通している。針は織女の象徴ともいえる。海南島の祭りでは、針は水に沈められ、水(河伯)に対する人身御供を連想させる。とすると嫦娥にも「河伯に対する人身御供であった」ことを示唆する伝承がかつてはあったのかもしれない、と思う。とすれば、羿を中心とした神話を見るときに、嫦娥と雒嬪は「同じ女性」であった、という見方もできる。彼女は河伯に対する人身御供の織女で、そのために天から下ろされたのだが、羿はそれを助けて妻とした、あるいは、そのような祭祀を武力でもって禁止した先駆者であった、と言えなくはないだろうか。
== 西王母と桑 ==東周時代に書かれたとされる『山海経』の大荒西経によると、西王母は「西王母の山」または「玉山」と呼ばれる山を擁する崑崙の丘に住んでおり、西山経には:「人のすがたで豹の尾、虎の玉姿(下半身が虎体)、よく唸る。蓬髻長髪に玉勝(宝玉の頭飾)を戴く。彼女は天の厲と五残(疫病と五種類の刑罰)を司る。」という半[半神の姿で描写されている<ref>徐, 1998, pp=164-222</ref>。また、海内北経には:「西王母は几(机)によりかかり、勝を戴き、[[杖]]をつく」とあり、基本的には人間に近い存在として描写されている<ref>|徐, 1998, pp=164-178</ref>。しかし、神話の羿に相当する人物が実在していたのだとすれば、彼の生きた時代には、河伯に人身御供を捧げることが当たり前過ぎる時代であったので、羿の行為は天帝に対する不遜と考えられ、逆に高慢である、と非難されることになったのかもしれないと思う。
また、三羽の鳥が西王母のために食事を運んでくるともいい(『海内北経』)、これらの鳥の名は'''大鶩、小鶩、青鳥'''であるという(『大荒西経』)。== 嫦娥の怒りと罰 ==「羿(英雄)の妻」として見た場合、本来、嫦娥は最初から羿の妻として存在していたのではなかったのではないか、と述べた。その理由の一つは、ギリシア神話のペルセウスとアンドロメダーに代表されるように、多くの「怪物退治」の民間伝承では結婚は怪物を退治した後、その結果起きるイベントだからである。また、もう一つの理由としては、「怪物退治」の神話的起源は、エジプト神話の太陽神ラーと混沌の蛇アペプとの戦いが少なくともその一形と思われるが、そこには「怪物退治の結果としての太陽神の結婚」というエピソードは出てこないということがある。ラーは日々の営みとして怪物退治を繰り返すに過ぎない。つまり、「怪物退治」の物語と「英雄や英雄神の結婚」という物語は本来別々の神話であり、時代が下るにつれて、一つに纏められ、世界中に伝播したのではないか、と思われるということである。本来の神話の上では、羿と嫦娥は何のつながりもない存在だったのではないか、とすら思える。
敦煌写本(11世紀)には「王母が養蚕の方をお授け下さり」とあり、西王母が養蚕の方法を教えた、とされている。小説的な作品ではあるが、「漢武別国洞冥記(2世紀)」に「濛鴻の沢にて、王母が白海の岸辺で桑を摘んでいた」とある。'''桑'''を摘むのは紡織の作業の開始を示す儀礼でもあった。漢代には皇室の女性達が、桑摘みなど儀礼的な養蚕を行う際には、髪に「華勝」という西王母の髪飾りをつけたという。ともかく、羿神話では、嫦娥は夫と共に地上に降り立った。彼女が西王母に仕える女仙であり、織女であったとすれば、その姿は西王母に仕える「鳥」だったかもしれないと思う。多くの「天人女房」の民間伝承でも女性は鳥の姿で地上に降り立つ。時にその姿が植物と重ねられて、天女が世界樹の一部のようにみえることもある。
「山海経」には:また東へ五十五里ゆくと、宣山と呼ばれる山がある。その山からは、淪水が流れ出す。その川は東南に流れて視水に注ぐ。その中には'''蛟がたくさんいる'''。その川のほとりには桑の木が生えている。その幹の太さは五十尺、枝が重なりあって四方にのび、葉の大きさは一尺あまりもある。赤い木目があり、黄色い花がつき、青い萼がある。これを帝女の桑と呼ぶ。とある。帝女は西王母とされ、織女は天帝の孫と言われている。西王母は女仙を支配する女神でもある。西王母は、女仙の先頭に立って、自ら桑摘み、養蚕、紡織を行う女神でもあった。桑は西王母とは切っても切れない関係にあたのである。その後、嫦娥は何らかの不満を覚えて失踪する。
== アペプ ==[[画像:Ra slays Apep (tomb scene in Deir el-Medina).jpg|thumb|夜の象徴たる大蛇アペプ(右)とアトゥム=ラーの象徴たる未去勢の雄猫(左)。両者は毎晩戦っているとされた。(インヘルカウの墓壁画、紀元前12世紀)]]また、何らかの原因で罰を受ける。嫦娥の月への昇天は、「罰」とすれば死を暗喩しているようにも見えるが、彼女が鳥女神であったとすれば、空を飛ぶことは当たり前の姿であるともいえる。よって、「昇天」の意味は神話からははっきりしないが、何らかの「罰」を受けていることは明確とされている。
'''アペプ'''('''Apep''')は、エジプト神話における悪の化身。古代エジプト語での名は他に、'''アーペプ'''('''アアペプ'''、'''Aapep''')、'''アペピ'''('''Apepi''')、'''アピペ'''('''Apipe''')、'''アポペ'''('''Apope''')などが挙げられる。古代エジプト語のヒエログリフは、母音を明確に記述しないため本来の発音は、はっきりしない。古典ギリシア語転記である'''アポピス'''('''Αποφις''', ''Apophis'')でもよく知られる。よって、神話的な嫦娥とは
== 概要 ==* 地上に降り立つ女神闇と混沌を象徴し、その姿は、主に大蛇として描かれる。蛇は、古代エジプト人にとって身近で畏怖される存在であった。太陽の運行を邪魔するのでラーの最大の敵とされる。* (潜在的には、英雄に救われる女神)* 怒りや不満で失踪する女神* 罰を受ける女神
アポピスは、世界が誕生する前のヌンに象徴される原始の水の中から生まれた。世界の秩序が定まる前に生まれたので秩序を破壊しようとすると考えられた。あるいは、もとは、太陽神としての役割を担っていたが、それをラーに奪われたため彼を非常に憎み、敵対するようになった。ここからラーの乗る太陽の船の運航を邪魔し、日食を起こすと考えられた。の3つあるいは4つから成り立っている複合的な女神といえる。それぞれについて、本来の姿を探っていくことが、本来の西王母信仰の姿を探ることにもつながるのではないだろうか。
冥界に捕えられており、ここを死者の魂が通ると襲う。死者の書 (古代エジプト)は、アポピスから身を守る方法が描かれているとされた。またラーの乗る太陽の船が通過する時、セトが船を守りアポピスを打ち倒すため天敵といわれている。しかし時代が下ると、その邪悪さのためにセトと同一視された。== 女神の不満と出奔(竹取説話と奈具神社由来譚) ==嫦娥の物語と、日本の伝承との比較を行ってみたい。日本は稲作の国であり、稲作の起源は当然長江下流域にあるので、稲作に関する神話も、そのまま伝播している可能性があるからである。
エスナではラーとアポピスはネイト1.'''竹取説話'''について。今昔物語集 巻第31、第33「竹取の翁女児を見付けて養ふ語」 「竹取物語」の類話である。「竹取物語」が本話の直接の出典ではない、というのが現在の通説とのこと。 粗筋は、 <refblockquote>エスナの守護神。クヌムの妻とされていたと思われる。ネイトそのものは紀元前3100年頃より信仰された。プロクロス(412年-485年)は、サイスの現存しないネイトの神殿の至聖所に次の碑文が刻まれていたと記している。「私はかつてあり、今もあり、これからもある全てである。そして私のヴェールを人間が引き上げたことはない。私がもたらした果実は太陽である。(trans. Thomas Taylor, Proclus , The Commentaries of Proclus on the Timaeus of Plato, in Five Books, A.J. Valpy, year;1820, page = 82, url = http:竹取の翁が竹藪で女児を見付けて、育てたところ、三ヶ月で成長し、成人となった。翁が竹を取りに行くと、今度は竹の中に黄金を見付けた。そこで翁は大金持ちになった。女児は成長すると非常に美しくなり求婚者が殺到した。娘は「空に鳴る雷」「優曇華の花」「打たぬのに鳴る鼓」を求婚者達に求めたが、誰も持ってくることはできなかった。そのうち、評判を聞きつけた天皇が直接求婚に来て、女の美しさを素晴らしいと思った。天皇は女に求婚したが、女は「私は人ではありません。空から迎えが来ます。」と述べて、迎えと一緒に天に帰ってしまった。<//books.google.com/books?&pg=PA82&id=Qh9dAAAAMAAJ&ots=0h_azc_OV5#PPA82blockquote> というものである。 創作物である「竹取物語」では女主人公は竹から現れて、成長した後、「罪が許されて」、「月の都」に帰ることになっており、別れの手向けに、天皇に「不死の薬」を贈っている。すなわち、「罰を受ける女神」である点と、「不死の霊薬」の地上における持ち主である点について、「竹取物語」の方が、民間伝承よりも嫦娥の神話と類似点が多い。竹取説話の方は、「罰を受ける女神」である点は明確でない。求婚されることが不満だったのか、女主人公は唐突に天に帰ってしまう。結婚するのが嫌なくらいだから、当然女主人公は英雄とも誰とも結婚しない。 本来の「竹取説話」は、天から降りてきた「小さ子」的な女神に親切にしてくれる翁夫妻に対する報恩譚に、女主人公が直接求婚者達に難題を出す「難題婿」の要素と、不満な女神の失踪譚の要素を組み込んだ物語だろうと思われる。求婚は不満の原因だったかもしれないが、失踪(天への帰還)の原因とまでいえるかどうかは定かではない。   )」。ヘロドトスによれば「ランプ祭」(Feast of Lamps)と呼ばれる大きな祭りが毎年開催され、戸外に一晩中多数の明かりを灯したという。ネイトは2.'''「見るな」の禁忌を有していた女神奈具神社由来譚'''といえる。について。丹後国風土記によると「ここに来りてわが心奈具志久(なぐしく)なれり」とあり、奈具神社の由来はこの奈具志久(おだやかに)という言葉による。 <blockquote>昔、丹波の郡比治の真奈井に天下った天女が、和奈佐の老夫婦に懇願されて比治の里にとどまり、万病に効くという酒を醸して、老夫婦は莫大な富を得ました。しかし、悪念を抱いた老夫婦はやがて天女に、汝は吾が子ではないと追い出してしまいました。天女は 天の原ふりさけみれば霞立ち 家路まどいて行方しらずも と詠い、比治の里を退き村々を遍歴の果てに、舟木の里の奈具の村にやってきました。 そして「此処にして我が心なぐしく成りぬ」(わたしの心は安らかになりました)と云って、この村を安住の地としました。 此処で終焉を迎えた天女は村人たちによって、豊宇賀能売命(とようかのめのみこと)として祀られました。 これが竹野郡の奈具の社です。(境内案内板「|延喜式内奈具神社の祭神について」より)</refblockquote>から生まれ、ラーは正常な形で生まれたが、アポピスは口から吐き出された、とされる。アポピスは道をふさいで朝、日が昇るのを邪魔する こちらは、女主人公の不満というよりも、豊穣をもたらしたにも関わらず、女主人公の方が不満を持たれて、追い出されてしまう、という物語である。「罰を受ける女神」という要素が入り込んでしまってこのように変形していまったのかもしれないと思う。ここでの酒は「不死の霊薬」とほぼ同様の扱いを受けている。 === まとめ ===酒というのは、日本では米が姿を変えたものであるので、稲作とは関連がある。米酒の醸造の起源も揚子江下流域の初期の稲作文化まで遡る。稲作文化と関連がある物語であり、かつては養蚕と同様、酒の醸造も天から伝わったもの、という神話があったのかもしれないと思う。「酒=不死の霊薬」とすれば、古代中国では <refblockquote>世界神話大辞典、イヴ・ボンヌフォア著、金光仁三郎訳、大修館書店、110p西王母のものであった「不死の霊薬(酒)」を、西王母の使いである鳥仙女が地上に降り立って、人々に作り方を教えた。</refblockquote> という神話がそもそもあったのかもしれないと思う。インド神話では神々の元から不死の霊薬を盗み出すのは、鳥神ガルダである。神々の霊薬とされるアムリタは結局神々の元に返されるが、経緯は不明だが地上には地上で、人間用の霊薬であるソーマがもたらされることになっている。とすれば、この「不死の霊薬(酒)の作り方を人類に教えた鳥仙女」こそが、嫦娥の原型だったのではないか、と思われる。それは、元々彼女の持ち物だったのである。そして、酒作りの由来譚が日本に伝播する前に、すでに「罰を受ける女神」の要素が彼女の物語の中に入り込むことになったのだと思われる。
== 参考文献 ==
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BF 羿]
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AB%A6%E5%A8%A5 嫦娥]
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%A4%95 七夕]* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5AB%B9%E7E5%B98F%9496%E7%89%A9 絹織物%E8%AA%9E 竹取物語]* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E5%85%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE 奈具神社]
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%8A%E8%9A%95%E6%A5%AD 養蚕業]
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9A%E3%83%97 アペプ]
* 『中国の神話伝説』上、袁珂 著、鈴木博 訳、青土社、1993年、295-313p
 == 関連項目 ==* [[サタン]]『西王母と七夕伝承』、小南一郎 著、平凡社、1991年、133-136p* [[アンラ・マンユ]]「日本古典文学全集 今昔物語集(4)」、馬淵和夫他校注・訳、小学館、631-635p
== 関連リンク ==
* [[上山文化]]* [https://www.excite.co.jp/news/article/Recordchina_888064/ 上山文化上山文化「浙江省で発見の「世界最古の米粒」の意義とは?―専門家が「何が起こったか」を解く」]
* [https://www.afpbb.com/articles/-/3365757 中国南部で9千年前に酒を醸造 考古学者らが論文発表]
 
* [[太陽と木と鳥2]]
== 参照 ==
{{デフォルトソート:たいようときととり}}
[[Category:エジプト神話]]
[[Category:中国神話]]
[[Category:朝鮮神話]]
[[Category:日本神話]]
[[Category:蛇]]
[[Category:混沌の蛇]]
[[Category:混沌の神]]

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