ヴェマーレ族はそもそも「バナナの子孫」であって、彼らのリーダーは「ムルア・サテネ」と呼ばれる若いバナナの化身の女神である。バナナは木の地上部に実をつけるが、芋類は地面の中で成熟する。リーダーが「若い女性(バナナ)」である点は、ネパールの現人神であるクマリが若い女性であることを彷彿とさせる。それはともかく、ヴェマーレ族は「バナナの子孫」なのだから、彼らは一人一人が「'''バナナである'''」ともいえる。おそらく、リーダーが女性とされるのは、母系の文化だった頃の名残と考える。
ヴェマーレ族の神話には「アメタ」という独身の狩人がいる。彼は猪を仕留める。猪は、野生動物である時は「猪」だが、家畜では「豚」に相当する。豚は中国でもそうだし、ヴェマーレ族でも、祭祀での生贄(捧げ物)として重要な動物だし、重要な食物である。アメタの姿は猪がまだ家畜化される以前、家畜を屠るのではなく、狩りをして狩って来なければ、食料も神への捧げ物も手に入らなかった時代があったことを彷彿とさせないだろうか。猪からは「ココヤシの実」がみつかった。すなわち「'''イノシシとココヤシは同じ物'''」といえる。アメタはサロン・パトラ(蛇模様の布)で実を覆って持ち帰った。蛇とは多くの各地の神話で、何らかの'''神性'''を伴う動物である。特に「脱皮すること」を「生まれ変わり」や「再生」とみなす向きが多い。この場合、ココヤシの実は、蛇の皮にくるまれた蛇そのもの、といえるので、いずれ脱皮して何か別のものに再生することが暗喩されているように思う。とすれば「'''イノシシとココヤシと蛇は同じ物'''」といえる。アメタはそれぞれの「'''化生(再生)'''」に関わっており、彼が狩人でもあるし、一種の霊的な媒介で'''シャーマン'''ともいえる。彼が狩った獲物(豚)を神に捧げて、ある種の儀式(この場合は蛇の皮にくるむこと)を行えば、それをココヤシの実に変える力を持っている、といえる。それは神とアメタの共同で派生する能力といえよう。アメタはココヤシの実を脱皮させて別のものにするために蛇の皮でくるむ。ともいえる。彼が狩った獲物(豚)を神に捧げて、ある種の儀式(この場合は蛇の皮にくるむこと)を行えば、それをココヤシの実を介して、更に別のものに変える力を持っている、といえる。それは神とアメタの共同で派生する能力といえよう。あるいはアメタが神から特別に授かった能力かもしれない。アメタはココヤシの実を脱皮させて別のものにするために蛇の皮でくるむ。 ちなみに、日本の民間伝承では、なにがしかの食用植物が人間に化生した例としては、瓜から生まれた'''瓜子姫'''や桃から生まれた'''桃太郎'''がある。彼らは'''川'''から流れてきた食用植物から生まれる。川や湖の神は蛇で現されることがままある。日本の物語に「狩人」であり「シャーマン」である者の存在は希薄だが、アメタがハイヌウェレを育てたことを考えれば、育ての親である「おばあさん」と「おじいさん」が瓜子姫や桃太郎の化生に関する'''シャーマン'''といえる。瓜子姫や桃太郎は蛇(川)から生まれた食用植物が変化したもので、彼らもまた蛇そのものといえ、その出生はハイヌウェレと'''非常に近似して'''いる。
== その他の神話 ==