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'''ダイダラボッチ'''は、日本の各地で伝承される巨人。類似の名称が数多く存在するが、以下<!-- 本記事 -->では便宜的にダイダラボッチと呼称する。山や湖沼を作ったという伝承が多く、元々は国づくりの神に対する巨人信仰がダイダラボッチ伝承を生んだと考えられている(鬼や大男などの妖怪伝承が巨人伝承になったという説もある。)<ref name="Y">『妖怪の本』学習研究社、1999年、92,98頁。92頁の挿絵(加賀国河北郡木越の光林寺跡で大太法師の足跡を見物する人々)は『北越奇談』のものと書かれているが、正確には『古今角偉談』巻之二の「大足跡と大足跡との角偉」である。</ref><ref>[[宇迦之御魂神]]・'''太多羅持男'''と関連はあるのか?</ref>。
== 概要 ==
* 浅間山が、自分より背の高い妹の富士山に嫉妬し、土を自分にわけろといった。富士山は了解し、だいだらぼっちが自分の前掛けで土を運んだ。しかし浅間山は土の量が足りないと怒り、彼を叩いた。その際にこぼれた土が前掛山となった。怒りだした浅間山はついに噴火してしまった。
* 西の富士、東の筑波と呼ばれる関東の名山の重さを量ろうとし天秤棒に2つの山を結わえつけ持ち上げると、筑波山のほうは持ち上がったが富士山は持ち上がらない。そのうちに結わえていたつるが切れ、筑波山が地上に落ちてしまった。その衝撃でもともと1つの峰だった筑波山は、2峰になってしまったという。
* 信州佐久郡で土を運んでいた時、もっこの綱が切れ、平尾山と糠塚山ができた<ref name="saku">『佐久口碑伝説集北佐久編限定復刻版』発行者長野県佐久市教育委員会、全434頁中、219頁、昭和53年11月15日発行『佐久口碑伝説集北佐久編限定復刻版』発行者長野県佐久市教育委員会、全434頁中、216-219頁、昭和53年11月15日発行</ref>。
* 富士山と八ヶ岳が背比べをして、八ヶ岳が勝ったが、それを妬ましく思った富士山に蹴られ、山が八つに割れた。それを治そうとデエダラボッチが茅で出来たもっこで土を運び、線香を杖にしたら折れてしまい、暫く置いておいたら大泉山と小泉山が出来た(諏訪地方、茅野市)。
* 信州安曇郡西側の飛騨山脈から削り取った土を東側の山地に運んでいた時、もっこの綱が切れ、室山ができた。
* 長野県塩尻市の高ボッチ高原はダイダラボッチが腰を下ろして一休みした場所であるという(諸説あり)。
* 「常陸国風土記」によると、茨城県水戸市東部にある大串貝塚は、ダイダラボッチが貝を食べて、その貝殻を捨てた場所だと言われている。その言い伝えから、近くにダイダラボッチの巨大な石像が創られている。<ref>大串貝塚ふれあい公園(埋蔵文化財センター) , 水戸市 , 2013-4-2 , http://www.city.mito.lg.jp/000271/000273/000294/001005/maizoubunka/p001478.html , 2017-4-17 </ref>
* 碓氷峠で休んでいる時に、足が妙義山まで届き、その足の指を猪が芋と間違えかじったので、猪を握り潰して浅間山で猪鍋を煮た。なお、鍋をこぼした場所から塩気のある温泉が湧いたという<ref>『佐久口碑伝説集北佐久編限定復刻版』発行者長野県佐久市教育委員会、全434頁中、216頁、昭和53年11月15日発行。<name="saku"/ref>。
=== 人間を助ける ===
== ダイダラボッチが登場する民話・伝説 ==
* [http://bellis.sakura.ne.jp/k/tegalog.cgi?postid=199 デーランボー]<ref name="saku"/>
== 参考文献 ==
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%A9%E3%83%9C%E3%83%83%E3%83%81 ダイダラボッチ](最終閲覧日:22-03-20)
* 柳田国男 , 1977 , 妖怪談義 , 講談社 , ncid=BN04293132, oclc=33519725 , isbn=406158135X
== 関連項目 ==
* [[巨人 (伝説の生物)]]
== 注釈 ==

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