「御稲御倉」の版間の差分

提供: Bellis Wiki3
ナビゲーションに移動 検索に移動
(ページの作成:「'''御稲御倉'''(みしねのみくら、ごとうのみくら<ref name="ss8">福山ほか(1975):228ページ</ref>)は、伊勢神宮皇大神宮(…」)
 
 
(同じ利用者による、間の10版が非表示)
1行目: 1行目:
'''御稲御倉'''(みしねのみくら、ごとうのみくら<ref name="ss8">福山ほか(1975):228ページ</ref>)は、[[伊勢神宮]][[皇大神宮]](内宮)の所管社。'''御稲御倉神'''(みしねのみくらのかみ)とも称する<ref name="ic">伊勢文化舎 編(2008):114ページ</ref><ref>宇治山田市役所 編(1929):16ページ</ref><ref name="gs2">櫻井(1970):156ページ</ref>。内宮の宮域内、[[荒祭宮]]に向かう道の途中に鎮座する<ref name="ic"/>。
+
'''御稲御倉'''(みしねのみくら、ごとうのみくら<ref name="ss8">福山ほか(1975):228ページ</ref>)は、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の所管社。'''御稲御倉神'''(みしねのみくらのかみ)とも称する<ref name="ic">伊勢文化舎 編(2008):114ページ</ref><ref>宇治山田市役所 編(1929):16ページ</ref><ref name="gs2">櫻井(1970):156ページ</ref>。内宮の宮域内、荒祭宮に向かう道の途中に鎮座する<ref name="ic"/>。
  
小さいながら、内宮と同じ[[唯一神明造]]の[[神社]]である<ref name="ic"/><ref name="gk">学研パブリッシング(2013):56ページ</ref>。
+
小さいながら、内宮と同じ唯一神明造の神社である<ref name="ic"/><ref name="gk">学研パブリッシング(2013):56ページ</ref>。
  
 
== 概要 ==
 
== 概要 ==
[[三重県]][[伊勢市]]宇治館町、内宮の宮域、正宮の北西に鎮座する<ref name="gk"/>。内宮の所管社30社のうち第6位である。内宮の正宮で[[祭]]が行われるたびに御稲御倉でも[[祭祀]]が行われる<ref name="ic"/>。御稲御倉の北には外幣殿(げへいでん)がある<ref name="ss8"/>
+
三重県伊勢市]治館町、内宮の宮域、正宮の北西に鎮座する<ref name="gk"/>。内宮の所管社30社のうち第6位である。内宮の正宮で祭が行われるたびに御稲御倉でも祭祀が行われる<ref name="ic"/>。御稲御倉の北には外幣殿(げへいでん)がある<ref name="ss8"/>
  
神宮神田で収穫された[[イネ]]は抜穂(ぬいぼ)にして、御稲御倉へ納められる<ref name="ic"/>。御倉のイネは内宮の祭祀に合わせて取り出され、[[神饌|大御饌]]として[[アマテラス|天照大神]]に捧げられる<ref name="ic"/><ref name="gk"/>。すなわち内宮[[穀倉]]として利用されている<ref name="gk"/>。古式に則り、[[装束]]をまとった[[神職]]が御倉へ納める<ref name="gs">櫻井(1970):155ページ</ref>。御倉からイネを取り出すことを御稲奉下(ごとうほうげ<ref name="gs"/>、みしねほうげ<ref name="sy">矢野(2006):111ページ</ref>)と称し、前日から参籠潔斎(さんろうけっさい)した神職が行う<ref name="gs"/>。奉下されたイネは稲扱(いねこき)、籾摺(もみすり)、七分搗きにした後、忌火屋殿で[[神酒]]・[[餅|御餅]]・御飯(おんいい)に調理され、神前に供される<ref name="sy"/>。
+
神宮神田で収穫されたイネは抜穂(ぬいぼ)にして、御稲御倉へ納められる<ref name="ic"/>。御倉のイネは内宮の祭祀に合わせて取り出され、大御饌として天照大神に捧げられる<ref name="ic"/><ref name="gk"/>。すなわち内宮穀倉として利用されている<ref name="gk"/>。古式に則り、装束をまとった神職が御倉へ納める<ref name="gs">櫻井(1970):155ページ</ref>。御倉からイネを取り出すことを御稲奉下(ごとうほうげ<ref name="gs"/>、みしねほうげ<ref name="sy">矢野(2006):111ページ</ref>)と称し、前日から参籠潔斎(さんろうけっさい)した神職が行う<ref name="gs"/>。奉下されたイネは稲扱(いねこき)、籾摺(もみすり)、七分搗きにした後、忌火屋殿で神酒・御餅・御飯(おんいい)に調理され、神前に供される<ref name="sy"/>。
  
なお、[[神宮式年遷宮]]の祭事の1つで、正殿の床下に柱を立てる「心御柱奉建」(しんのみはしらほうけん)で用いる心御柱も御稲御倉に納められる<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/life/news/130925/trd13092522350017-n1.htm|title=内宮で心御柱奉建 伊勢神宮式年遷宮|publisher=[[産経新聞]]|work=MSN産経ニュース|date=2013年9月25日|accessdate=2013年10月13日|archiveurl=https://megalodon.jp/2013-1013-0152-17/sankei.jp.msn.com/life/news/130925/trd13092522350017-n1.htm|archivedate=2013年10月13日}}</ref>。
+
なお、神宮式年遷宮の祭事の1つで、正殿の床下に柱を立てる「心御柱奉建」(しんのみはしらほうけん)で用いる心御柱も御稲御倉に納められる<ref>http://sankei.jp.msn.com/life/news/130925/trd13092522350017-n1.htm , 内宮で心御柱奉建 伊勢神宮式年遷宮 , 産経新聞 , MSN産経ニュース , 2013年9月25日 , 2013年10月13日 , https://megalodon.jp/2013-1013-0152-17/sankei.jp.msn.com/life/news/130925/trd13092522350017-n1.htm , archivedate:2013年10月13日</ref>。
  
[[社殿]]は唯一神明造である<ref name="ic"/>。内宮の方角([[東]])を向いて建っている<ref name="ic"/>。[[高床]]の[[切妻]]屋根で、[[千木・鰹木]]を備えるなど、内宮の東西宝殿や外幣殿に酷似した構造である<ref name="ss8"/>。高床であるため、御稲奉下の際には取り外し可能な階段を取り付け、[[権禰宜]]が御鑰(みかぎ)を開錠して御扉を開き、イネを取り出す<ref>矢野(2006):111 - 112ページ</ref>。[[玉垣]]や[[賽銭]]箱はない。
+
社殿は唯一神明造である<ref name="ic"/>。内宮の方角(東)を向いて建っている<ref name="ic"/>。高床の切妻屋根で、千木・鰹木を備えるなど、内宮の東西宝殿や外幣殿に酷似した構造である<ref name="ss8"/>。高床であるため、御稲奉下の際には取り外し可能な階段を取り付け、権禰宜が御鑰(みかぎ)を開錠して御扉を開き、イネを取り出す<ref>矢野(2006):111 - 112ページ</ref>。玉垣や賽銭箱はない。
  
 
== 祭神 ==
 
== 祭神 ==
[[祭神]]は御稲御倉神(みしねのみくらのかみ)<ref name="ic"/>。御稲御倉の[[守護神]]である<ref name="ic"/><ref name="gk"/>。[[神宮式年遷宮]]に伴って社殿が建て替えられる際には、御稲御倉神は一時的に外幣殿に遷座する<ref>伊勢文化舎 編(2013):6ページ</ref>。
+
祭神は'''御稲御倉神'''(みしねのみくらのかみ)<ref name="ic"/>。御稲御倉の守護神である<ref name="ic"/><ref name="gk"/>。神宮式年遷宮に伴って社殿が建て替えられる際には、御稲御倉神は一時的に外幣殿に遷座する<ref>伊勢文化舎 編(2013):6ページ</ref>。
  
[[平安時代]]の『大治御形記』には[[保食神]](うけもちのかみ)とあり、[[鎌倉時代]]の『神名秘書』では[[ウカノミタマ]]とする<ref name="gs P155-156">櫻井(1970):155 - 156ページ</ref>。
+
平安時代の『大治御形記』には[['''保食神''']](うけもちのかみ)とあり、鎌倉時代の『神名秘書』では[[宇迦之御魂神|'''ウカノミタマ''']]とする<ref name="gs P155-156">櫻井(1970):155 - 156ページ</ref>。
  
 
== 歴史 ==
 
== 歴史 ==
[[古代]]より存在したと考えられる<ref name="gs"/>。調御倉(つきのみくら)・御塩御倉・鋪設御倉・御稲御倉・御稲御倉の4棟で1組として板垣外の西方に建っていたが、[[平安時代]]中頃より、外幣殿と4棟1組は外玉垣の内側に入った<ref>福山ほか(1975):228 - 229ページ</ref>。当時は神明造ではなく[[校倉造]]で、千木・鰹木はなかったようである<ref name="ss9">福山ほか(1975):229ページ</ref>。正宮の敷地内にあったので式年遷宮のたびに移動していたが、中世の末に4棟とも廃絶した<ref name="ss9"/>。
+
古代より存在したと考えられる<ref name="gs"/>。調御倉(つきのみくら)・御塩御倉・鋪設御倉・御稲御倉・御稲御倉の4棟で1組として板垣外の西方に建っていたが、平安時代中頃より、外幣殿と4棟1組は外玉垣の内側に入った<ref>福山ほか(1975):228 - 229ページ</ref>。当時は神明造ではなく校倉造で、千木・鰹木はなかったようである<ref name="ss9">福山ほか(1975):229ページ</ref>。正宮の敷地内にあったので式年遷宮のたびに移動していたが、中世の末に4棟とも廃絶した<ref name="ss9"/>。
  
御稲奉下は[[禰宜]]・大内人ら4名が大物忌(おおものいみ)と大物忌父を伴って執行していた<ref name="gs"/>。この時の[[服装]]は、内宮で祭儀を行うのと同じ官給の明衣(きよぎぬ)であり、如何に重要な神社であったかが分かる<ref name="gs"/>。奉下されたイネは大物忌の子らは[[臼]]で撞き、[[竈]](かまど)で蒸し、炊き上がった[[ご飯]]を[[笥]](け)に盛って神前に供された<ref name="gs2"/>。御飯は内宮・荒祭宮・[[滝祭神]]に捧げられた<ref name="gs2"/>。
+
御稲奉下は禰宜・大内人ら4名が大物忌(おおものいみ)と大物忌父を伴って執行していた<ref name="gs"/>。この時の服装は、内宮で祭儀を行うのと同じ官給の明衣(きよぎぬ)であり、如何に重要な神社であったかが分かる<ref name="gs"/>。奉下されたイネは大物忌の子らは臼で撞き、竈(かまど)で蒸し、炊き上がったご飯を笥(け)に盛って神前に供された<ref name="gs2"/>。御飯は内宮・荒祭宮・滝祭神に捧げられた<ref name="gs2"/>。
  
[[天正]]年間([[1573年]] - [[1592年]])に4棟のうち、正宮の北西に御稲御倉のみ神明造で復興され、以後式年遷宮ごとに建て替えられた<ref name="ss9"/>。室町時代以降は御稲御倉で[[神嘗祭]]の織御衣(おりのみそ)がここで織られたので、御機殿の異名を持っていた<ref name="ss9"/>。
+
天正年間(1573年 - 1592年)に4棟のうち、正宮の北西に御稲御倉のみ神明造で復興され、以後式年遷宮ごとに建て替えられた<ref name="ss9"/>。室町時代以降は御稲御倉で神嘗祭の織御衣(おりのみそ)がここで織られたので、御機殿の異名を持っていた<ref name="ss9"/>。
  
[[明治]]以降、御稲御倉神が祀られるようになり、[[1889年]](明治22年)には荒祭宮へ向かう道の途中に鎮座位置が固定された<ref name="ss9"/>。
+
明治以降、御稲御倉神が祀られるようになり、1889年(明治22年)には荒祭宮へ向かう道の途中に鎮座位置が固定された<ref name="ss9"/>。
  
 
== 交通 ==
 
== 交通 ==
; [[宇治橋 (伊勢市)|宇治橋]]前まで
+
; 宇治橋前まで
* [[東海旅客鉄道|JR]][[参宮線]]・[[近畿日本鉄道|近鉄]][[近鉄山田線|山田線]][[伊勢市駅]]南口(JR側)または近鉄山田線・[[近鉄鳥羽線|鳥羽線]][[宇治山田駅]]より三重交通バスに15分ほど乗車、終点「内宮前」下車<ref name="mkr">三重県観光連盟"[http://www.kankomie.or.jp/spot/detail_2937.html 伊勢神宮(内宮)の観光施設・周辺情報 - 観光三重]"(2013年10月12日閲覧。)</ref>。近鉄鳥羽線[[五十鈴川駅]]からも三重交通バスで内宮前へ行くことが可能である。
+
* JR参宮線・近鉄山田線伊勢市駅南口(JR側)または近鉄山田線・鳥羽線宇治山田駅より三重交通バスに15分ほど乗車、終点「内宮前」下車<ref name="mkr">三重県観光連盟"[http://www.kankomie.or.jp/spot/detail_2937.html 伊勢神宮(内宮)の観光施設・周辺情報 - 観光三重]"(2013年10月12日閲覧。)</ref>。近鉄鳥羽線五十鈴川駅からも三重交通バスで内宮前へ行くことが可能である。
* [[伊勢自動車道]][[伊勢西インターチェンジ|伊勢西IC]]より[[三重県道32号伊勢磯部線]](御木本道路)を南へ約5分または[[伊勢インターチェンジ|伊勢IC]]より[[国道23号]]を南へ約5分、付近に[[駐車場]]あり<ref name="mkr"/>。
+
* 伊勢自動車道伊勢西ICより三重県道32号伊勢磯部線(御木本道路)を南へ約5分または伊勢ICより国道23号を南へ約5分、付近に駐車場あり<ref name="mkr"/>。
 
; 宇治橋前から
 
; 宇治橋前から
 
* 宇治橋から内宮(正宮)まで参道を進み、内宮の西側から荒祭宮へ向かう参道を進むと御稲御倉が鎮座する<ref name="ic"/>。付近には外幣殿(げへいでん)もある<ref name="ic"/>。
 
* 宇治橋から内宮(正宮)まで参道を進み、内宮の西側から荒祭宮へ向かう参道を進むと御稲御倉が鎮座する<ref name="ic"/>。付近には外幣殿(げへいでん)もある<ref name="ic"/>。
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist|2}}
 
  
 
== 参考文献 ==
 
== 参考文献 ==
* [[伊勢文化舎]] 編『お伊勢さん125社めぐり』別冊『伊勢人』、伊勢文化舎、平成20年12月23日、151p. ISBN 978-4-900759-37-4
+
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E7%A8%B2%E5%BE%A1%E5%80%89 御稲御倉](最終閲覧日:22-05-27)
* 伊勢文化舎 編『いせびとニュース第12号』残暑号、伊勢文化舎・伊勢市観光協会・おかげ参り推進委員会、平成25年8月17日、8p.
+
** 伊勢文化舎 編『お伊勢さん125社めぐり』別冊『伊勢人』、伊勢文化舎、平成20年12月23日、151p. ISBN 978-4-900759-37-4
* 宇治山田市役所 編『宇治山田市史 上巻』宇治山田市役所、昭和4年1月20日、862p.
+
** 伊勢文化舎 編『いせびとニュース第12号』残暑号、伊勢文化舎・伊勢市観光協会・おかげ参り推進委員会、平成25年8月17日、8p.
* [[学研パブリッシング]]『伊勢神宮に行こう』Gakken Mook神社紀行セレクションvol.1、[[薗田稔]]監修、学研マーケティング、2013年7月4日、82p. ISBN 978-4-05-610047-1
+
** 宇治山田市役所 編『宇治山田市史 上巻』宇治山田市役所、昭和4年1月20日、862p.
* [[櫻井勝之進]]『伊勢神宮』[[学生社]]、昭和45年10月20日重版、251p.
+
** 学研パブリッシング『伊勢神宮に行こう』Gakken Mook神社紀行セレクションvol.1、薗田稔監修、学研マーケティング、2013年7月4日、82p. ISBN 978-4-05-610047-1
* [[福山敏男]]・[[稲垣栄三|稲垣榮三]]・村瀬美樹・胡麻鶴醇之『神宮―第六十回神宮式年遷宮―』[[小学館]]、昭和50年4月20日、246p.
+
** 櫻井勝之進『伊勢神宮』学生社、昭和45年10月20日重版、251p.
* 矢野憲一『伊勢神宮―知られざる杜のうち』角川選書402、[[角川学芸出版]]、平成18年11月10日、270p. ISBN 4-04-703402-9
+
** 福山敏男・稲垣榮三・村瀬美樹・胡麻鶴醇之『神宮―第六十回神宮式年遷宮―』小学館、昭和50年4月20日、246p.
 +
** 矢野憲一『伊勢神宮―知られざる杜のうち』角川選書402、角川学芸出版、平成18年11月10日、270p. ISBN 4-04-703402-9
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Mishinenomikura}}
+
* [[宇迦之御魂神]]
* [[神宮125社の一覧]]
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
54行目: 50行目:
 
* [http://www.jingukaikan.jp/125mairi/m01/0113.html 御稲御倉(みしねのみくら)] - 財団法人伊勢神宮崇敬会
 
* [http://www.jingukaikan.jp/125mairi/m01/0113.html 御稲御倉(みしねのみくら)] - 財団法人伊勢神宮崇敬会
  
 +
== 参照 ==
  
 
{{デフォルトソート:みしねのみくら}}
 
{{デフォルトソート:みしねのみくら}}
 
[[Category:日本神話]]
 
[[Category:日本神話]]
 +
[[Category:穀物神]]
 
[[Category:女神]]
 
[[Category:女神]]

2022年6月7日 (火) 23:47時点における最新版

御稲御倉(みしねのみくら、ごとうのみくら[1])は、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の所管社。御稲御倉神(みしねのみくらのかみ)とも称する[2][3][4]。内宮の宮域内、荒祭宮に向かう道の途中に鎮座する[2]

小さいながら、内宮と同じ唯一神明造の神社である[2][5]

概要[編集]

三重県伊勢市]治館町、内宮の宮域、正宮の北西に鎮座する[5]。内宮の所管社30社のうち第6位である。内宮の正宮で祭が行われるたびに御稲御倉でも祭祀が行われる[2]。御稲御倉の北には外幣殿(げへいでん)がある[1]

神宮神田で収穫されたイネは抜穂(ぬいぼ)にして、御稲御倉へ納められる[2]。御倉のイネは内宮の祭祀に合わせて取り出され、大御饌として天照大神に捧げられる[2][5]。すなわち内宮穀倉として利用されている[5]。古式に則り、装束をまとった神職が御倉へ納める[6]。御倉からイネを取り出すことを御稲奉下(ごとうほうげ[6]、みしねほうげ[7])と称し、前日から参籠潔斎(さんろうけっさい)した神職が行う[6]。奉下されたイネは稲扱(いねこき)、籾摺(もみすり)、七分搗きにした後、忌火屋殿で神酒・御餅・御飯(おんいい)に調理され、神前に供される[7]

なお、神宮式年遷宮の祭事の1つで、正殿の床下に柱を立てる「心御柱奉建」(しんのみはしらほうけん)で用いる心御柱も御稲御倉に納められる[8]

社殿は唯一神明造である[2]。内宮の方角(東)を向いて建っている[2]。高床の切妻屋根で、千木・鰹木を備えるなど、内宮の東西宝殿や外幣殿に酷似した構造である[1]。高床であるため、御稲奉下の際には取り外し可能な階段を取り付け、権禰宜が御鑰(みかぎ)を開錠して御扉を開き、イネを取り出す[9]。玉垣や賽銭箱はない。

祭神[編集]

祭神は御稲御倉神(みしねのみくらのかみ)[2]。御稲御倉の守護神である[2][5]。神宮式年遷宮に伴って社殿が建て替えられる際には、御稲御倉神は一時的に外幣殿に遷座する[10]

平安時代の『大治御形記』には'''保食神'''(うけもちのかみ)とあり、鎌倉時代の『神名秘書』ではウカノミタマとする[11]

歴史[編集]

古代より存在したと考えられる[6]。調御倉(つきのみくら)・御塩御倉・鋪設御倉・御稲御倉・御稲御倉の4棟で1組として板垣外の西方に建っていたが、平安時代中頃より、外幣殿と4棟1組は外玉垣の内側に入った[12]。当時は神明造ではなく校倉造で、千木・鰹木はなかったようである[13]。正宮の敷地内にあったので式年遷宮のたびに移動していたが、中世の末に4棟とも廃絶した[13]

御稲奉下は禰宜・大内人ら4名が大物忌(おおものいみ)と大物忌父を伴って執行していた[6]。この時の服装は、内宮で祭儀を行うのと同じ官給の明衣(きよぎぬ)であり、如何に重要な神社であったかが分かる[6]。奉下されたイネは大物忌の子らは臼で撞き、竈(かまど)で蒸し、炊き上がったご飯を笥(け)に盛って神前に供された[4]。御飯は内宮・荒祭宮・滝祭神に捧げられた[4]

天正年間(1573年 - 1592年)に4棟のうち、正宮の北西に御稲御倉のみ神明造で復興され、以後式年遷宮ごとに建て替えられた[13]。室町時代以降は御稲御倉で神嘗祭の織御衣(おりのみそ)がここで織られたので、御機殿の異名を持っていた[13]

明治以降、御稲御倉神が祀られるようになり、1889年(明治22年)には荒祭宮へ向かう道の途中に鎮座位置が固定された[13]

交通[編集]

宇治橋前まで
  • JR参宮線・近鉄山田線伊勢市駅南口(JR側)または近鉄山田線・鳥羽線宇治山田駅より三重交通バスに15分ほど乗車、終点「内宮前」下車[14]。近鉄鳥羽線五十鈴川駅からも三重交通バスで内宮前へ行くことが可能である。
  • 伊勢自動車道伊勢西ICより三重県道32号伊勢磯部線(御木本道路)を南へ約5分または伊勢ICより国道23号を南へ約5分、付近に駐車場あり[14]
宇治橋前から
  • 宇治橋から内宮(正宮)まで参道を進み、内宮の西側から荒祭宮へ向かう参道を進むと御稲御倉が鎮座する[2]。付近には外幣殿(げへいでん)もある[2]

参考文献[編集]

  • Wikipedia:御稲御倉(最終閲覧日:22-05-27)
    • 伊勢文化舎 編『お伊勢さん125社めぐり』別冊『伊勢人』、伊勢文化舎、平成20年12月23日、151p. ISBN 978-4-900759-37-4
    • 伊勢文化舎 編『いせびとニュース第12号』残暑号、伊勢文化舎・伊勢市観光協会・おかげ参り推進委員会、平成25年8月17日、8p.
    • 宇治山田市役所 編『宇治山田市史 上巻』宇治山田市役所、昭和4年1月20日、862p.
    • 学研パブリッシング『伊勢神宮に行こう』Gakken Mook神社紀行セレクションvol.1、薗田稔監修、学研マーケティング、2013年7月4日、82p. ISBN 978-4-05-610047-1
    • 櫻井勝之進『伊勢神宮』学生社、昭和45年10月20日重版、251p.
    • 福山敏男・稲垣榮三・村瀬美樹・胡麻鶴醇之『神宮―第六十回神宮式年遷宮―』小学館、昭和50年4月20日、246p.
    • 矢野憲一『伊勢神宮―知られざる杜のうち』角川選書402、角川学芸出版、平成18年11月10日、270p. ISBN 4-04-703402-9

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

参照[編集]

  1. 1.0 1.1 1.2 福山ほか(1975):228ページ
  2. 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 伊勢文化舎 編(2008):114ページ
  3. 宇治山田市役所 編(1929):16ページ
  4. 4.0 4.1 4.2 櫻井(1970):156ページ
  5. 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 学研パブリッシング(2013):56ページ
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 6.5 櫻井(1970):155ページ
  7. 7.0 7.1 矢野(2006):111ページ
  8. http://sankei.jp.msn.com/life/news/130925/trd13092522350017-n1.htm , 内宮で心御柱奉建 伊勢神宮式年遷宮 , 産経新聞 , MSN産経ニュース , 2013年9月25日 , 2013年10月13日 , https://megalodon.jp/2013-1013-0152-17/sankei.jp.msn.com/life/news/130925/trd13092522350017-n1.htm , archivedate:2013年10月13日
  9. 矢野(2006):111 - 112ページ
  10. 伊勢文化舎 編(2013):6ページ
  11. 櫻井(1970):155 - 156ページ
  12. 福山ほか(1975):228 - 229ページ
  13. 13.0 13.1 13.2 13.3 13.4 福山ほか(1975):229ページ
  14. 14.0 14.1 三重県観光連盟"伊勢神宮(内宮)の観光施設・周辺情報 - 観光三重"(2013年10月12日閲覧。)