ヒッタイト古王国の時代から、アリンナの太陽女神は天候神タルフンナと共に王権を正統化する存在だった。国土は二主神に属するものとされ、太陽女神を「母」とする王が立てられた。<ref>Maciej Popko: ''Arinna. Eine heilige Stadt der Hethiter''; Studien zu den Boğazköy-Texten Bd. 50, Wiesbaden 2009. {{ISBN|978-3-447-05867-4}}. p. 28</ref> ハットゥシリ1世は膝の上に太陽女神の像を抱いていた。<ref>[[Volkert Haas]]: ''Geschichte der hethitischen Religion''; Handbuch der Orientalistik, Abt. 1, Bd. 15; Brill 1994. {{ISBN|90-04-09799-6}}. S. 585</ref>妃の何人かは、都市タルフルパで太陽女神に太陽円盤を奉納した。ヒッタイト新王国時代には、太陽女神は、女神の神官としての王と妃と共に、王国を見守っていると言われていた。ヒッタイト王は、毎日日没時に太陽女神に祈りを捧げていた。ヒッタイトの文書には、アリンナの太陽女神への多くの祈りが記されてる。最も古いものはアヌルワンダ1世から始まり、最も良く知られているのは前述のプドゥヘパ妃の祈りである。
== 祭祀 信仰 ==
太陽女神の最も重要な神殿はアリンナにあった。ハットゥシャの城にも別の神殿が存在した。女神は太陽円盤として描かれた。都市タルフルパでは、ヒッタイトの妃達から寄贈されたいくつかの太陽円盤が礼拝されていた。タルフンタッサのウルミ・テシュプ王は、太陽女神に一頭の牡牛と三匹の羊と共に、金、銀、銅の太陽円盤を毎年寄進した。太陽女神はしばしば女性の姿でも描かれた。光輪のある座った女神の小像も女神の姿とされたのだろう。<ref>Maciej Popko: ''Arinna. Eine heilige Stadt der Hethiter''; Studien zu den Boğazköy-Texten Bd. 50, Wiesbaden 2009. {{ISBN|978-3-447-05867-4}}. pp. 30</ref>