「陶荒田神社」の版間の差分

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== 由緒 ==
 
== 由緒 ==
崇神8年(紀元前90年)、崇神天皇により陶邑の大田の森(現在地)に住む太田田根子が神主として選ばれた。彼の祖霊を祀る目的で創建された神社が、当神社である。創建年は崇神8年前後であろうとされている。
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崇神8年(紀元前90年)、崇神天皇により陶邑の大田の森(現在地)に住む[[大田田根子|太田田根子]]が神主として選ばれた。彼の祖霊を祀る目的で創建された神社が、当神社である。創建年は崇神8年前後であろうとされている。
  
当時大規模な疫病がはやり、国土が荒廃した。ある夜、大物主の神が崇神天皇の夢枕に立ち、太田田根子を神主に立てて自分を祀るなら、病を治めようと告げた。天皇は、茅渟県陶邑(ちぬのあがたすえむら)に太田田根子を探しあて、奈良の三輪山の神主として選び、大物主神を祀らせた。
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当時大規模な疫病がはやり、国土が荒廃した。ある夜、大物主の神が崇神天皇の夢枕に立ち、[[大田田根子|太田田根子]]を神主に立てて自分を祀るなら、病を治めようと告げた。天皇は、茅渟県陶邑(ちぬのあがたすえむら)に[[大田田根子|太田田根子]]を探しあて、奈良の三輪山の神主として選び、大物主神を祀らせた。
  
名前の由来は、同じ陶邑の大田の森に住む「'''荒田直'''」(あれたのあたひ)にあやかってつけられた。荒田直は祭神である高魂命の直系の子孫だったとされている。
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名前の由来は、同じ陶邑の大田の森に住む「'''荒田直'''」(あれたのあたひ)にあやかってつけられた。'''荒田直は祭神である高魂命の直系の子孫だったとされている'''。
  
 
上之の北端部に鎮座する。祭神は[[高御産巣日神|高魂命]]・[[葛城国造|剣根命]]。旧郷社。「陶器大宮さん」「陶器戎さん」と通称される。「延喜式」神名帳大鳥郡の「陶 荒田神社二座」に比定される。祭神は「新撰姓氏録」(和泉国神別)にみえる荒田直の祖神で、同直の氏神社であったと解されている。また鎮座地一帯は古くから須恵器生産の行われていた陶邑で、その生産者たちの崇敬を集めてきたと思われる<ref>[https://kotobank.jp/word/%E9%99%B6%E8%8D%92%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE-3077253 陶荒田神社]、コトバンク・出典 平凡社「日本歴史地名大系」(最終閲覧日:25-01-18)</ref>。
 
上之の北端部に鎮座する。祭神は[[高御産巣日神|高魂命]]・[[葛城国造|剣根命]]。旧郷社。「陶器大宮さん」「陶器戎さん」と通称される。「延喜式」神名帳大鳥郡の「陶 荒田神社二座」に比定される。祭神は「新撰姓氏録」(和泉国神別)にみえる荒田直の祖神で、同直の氏神社であったと解されている。また鎮座地一帯は古くから須恵器生産の行われていた陶邑で、その生産者たちの崇敬を集めてきたと思われる<ref>[https://kotobank.jp/word/%E9%99%B6%E8%8D%92%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE-3077253 陶荒田神社]、コトバンク・出典 平凡社「日本歴史地名大系」(最終閲覧日:25-01-18)</ref>。
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== 私的考察 ==
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「荒田直は祭神である高魂命の直系の子孫だったとされている」というのは、系図から見て葛木氏を経由しているものといえよう。
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[[高御産巣日神]] →→ 陶津耳命 →→ 剣根命(葛木氏祖) →→ '''荒田直''' かつ・及び 大田氏
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== 参考文献 ==
 
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2025年2月22日 (土) 01:17時点における最新版

陶荒田神社(すえあらたじんじゃ)は、大阪府堺市中区上之に所在する神社で、和泉国大鳥郡の式内社。

須恵器(日本の陶器の祖)の発祥地に鎮座しており、別名、陶器大宮と呼ばれている。陶器のえびす様として有名で、1月の初戎祭には、技術・製造業・商売にかかわる業者達でにぎわう神社である。

祭神[編集]

  • 高魂命劔根命(つるぎねのみこと)、八重事代主命、菅原道真公
  • 摂社
    • 戎殿 「八重事代主命」
    • 弁天社 「市杵嶋姫命」
    • 山田神社 「活玉依姫命」(太田田根子の母)
    • 太田神社 「太田々弥古命」(太田田根子命)
    • 玉の緒神社 「天御中主命」

由緒[編集]

崇神8年(紀元前90年)、崇神天皇により陶邑の大田の森(現在地)に住む太田田根子が神主として選ばれた。彼の祖霊を祀る目的で創建された神社が、当神社である。創建年は崇神8年前後であろうとされている。

当時大規模な疫病がはやり、国土が荒廃した。ある夜、大物主の神が崇神天皇の夢枕に立ち、太田田根子を神主に立てて自分を祀るなら、病を治めようと告げた。天皇は、茅渟県陶邑(ちぬのあがたすえむら)に太田田根子を探しあて、奈良の三輪山の神主として選び、大物主神を祀らせた。

名前の由来は、同じ陶邑の大田の森に住む「荒田直」(あれたのあたひ)にあやかってつけられた。荒田直は祭神である高魂命の直系の子孫だったとされている

上之の北端部に鎮座する。祭神は高魂命剣根命。旧郷社。「陶器大宮さん」「陶器戎さん」と通称される。「延喜式」神名帳大鳥郡の「陶 荒田神社二座」に比定される。祭神は「新撰姓氏録」(和泉国神別)にみえる荒田直の祖神で、同直の氏神社であったと解されている。また鎮座地一帯は古くから須恵器生産の行われていた陶邑で、その生産者たちの崇敬を集めてきたと思われる[1]

私的考察[編集]

「荒田直は祭神である高魂命の直系の子孫だったとされている」というのは、系図から見て葛木氏を経由しているものといえよう。

高御産巣日神 →→ 陶津耳命 →→ 剣根命(葛木氏祖) →→ 荒田直 かつ・及び 大田氏

となるように思う。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. 陶荒田神社、コトバンク・出典 平凡社「日本歴史地名大系」(最終閲覧日:25-01-18)