差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
1,112 バイト追加 、 2025年2月2日 (日)
編集の要約なし
斎森神社から武水別神社まで(約1キロ程度)大行列をつくって、米や野菜類といったお供え物(御供・神饌物)を神社に歩き運ぶ。沿道では、豆がらを燃やして行列を迎える。途中、宝船からミカンや日用品(たわし・軍手・靴下・ティッシュペーパー)などが撒かれる。これを御供まき(ごくまき)という<ref>[https://chikuma-kanko.com/2017-12-08/post-2743/ 国選択無形民俗文化財「大頭祭」【武水別神社】]、信州千曲観光局(最終閲覧日:25-02-02)</ref>。
 
== 私的考察 ==
会津比売神は初代の信濃国造の妻とされており、諏訪よりは更科郡に存在感のある女神と感じる。長野県では金刺氏の活動が盛んであった地域に「臼」を女神になぞらえる習慣があったようで、おそらく会津比売神に関連すると考えるが、更科郡に「臼」のつく女神の神社がいくつか見られる。
 
千曲市八幡にある斎森神社、臼道祖神(臼道祖神社)、武水別神社は一体となって「大頭祭」という新嘗祭を行っている。武水別神社は本来は、多氏系の縣神社に関連して多くみられる「水分(みまくり)」の神社と考える。「北縣主」が金刺氏だったと思われる。ただ、祭神の武水別大神は長野県らしく、[[建御名方神の]]子神とされている。
 
「大頭祭」は現在では氏子が持ち回りで務めるそうだが、言葉的には諏訪大社の「御頭祭」に通じるもののように思う。これも氏子が当番制で神使を務める祭りである。
== 関連項目 ==

案内メニュー