「会津比売神」の版間の差分
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<blockquote>道祖神は村の入口、部落の境などの路傍に立っている。自然石のまま、あるいは台石の上の棹に道祖神と刻まれたものが多い。そして賽の神といわれるように、悪霊や邪悪の村への侵入を防ぎ、道行く人を守る神である。また、近在では正月、道祖神の前でドンド焼が執り行われるのが普通である。<br> | <blockquote>道祖神は村の入口、部落の境などの路傍に立っている。自然石のまま、あるいは台石の上の棹に道祖神と刻まれたものが多い。そして賽の神といわれるように、悪霊や邪悪の村への侵入を防ぎ、道行く人を守る神である。また、近在では正月、道祖神の前でドンド焼が執り行われるのが普通である。<br> | ||
峰・姨捨・郡方面から下る道筋のこの辻の道祖神は、自然石で臼を台座としているが、臼は女性の代名詞で、その上に道祖神が乗り陰陽をあらわしている、との見方もある。流造りの社殿に安置され、鳥居まである特異な道祖神である。したがって臼道祖神と呼ばれ、臼道祖神社として崇敬される理由であろう。<br> | 峰・姨捨・郡方面から下る道筋のこの辻の道祖神は、自然石で臼を台座としているが、臼は女性の代名詞で、その上に道祖神が乗り陰陽をあらわしている、との見方もある。流造りの社殿に安置され、鳥居まである特異な道祖神である。したがって臼道祖神と呼ばれ、臼道祖神社として崇敬される理由であろう。<br> | ||
| − | 祭日は九月二十四日で、子供相撲が公民館の庭でひき続き実施されている。なお、大頭祭の際には武水別神社へ向う頭人は拝礼し、干魃の夏には雨乞の人びとによって、御本尊の道祖神は'''川底へ沈座''' | + | 祭日は九月二十四日で、子供相撲が公民館の庭でひき続き実施されている。なお、大頭祭の際には武水別神社へ向う頭人は拝礼し、干魃の夏には雨乞の人びとによって、御本尊の道祖神は'''川底へ沈座'''された。かつては八月一日に、虫送りの行事もあったという。(略) |
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2025年2月2日 (日) 09:50時点における版
会津比売命(かいづひめのみこと/あいづひめのみこと[1])は、長野県諏訪地方の民間伝承(諏訪信仰)の人物(女神)。
概要
会津比売神社では会津比売命と表記する
「かいづ」の名称の由来は不明であるが、神社周辺の松代一帯は古来海津(かいづ)と呼ばれており、松代城も海津城と呼ばれていた。
『日本三代実録』にも見える式外社「會津比賣神」に比定される会津比売神社の祭神で、『松代町史』では建御名方神の子・出速雄命の御子で、初代科野国造の武五百建命の妻とされる。また伊津速比売神と同人とする説もある。しかし、「阿蘇」系図では武五百建命の妻を建御名方神の五世孫・会知早雄命の娘としており[2]、会知早雄命は伊豆早雄命の四世孫となる。
一説に神陵は妻女山の古墳とされ、山の名前の由来とされる。
貞観八年六月一日従四位下を賜る[3]。
系譜
会津比売神社では建御名方神の子出早雄命の娘とされ、初代科野国造の妻と伝えるが、建御名方神の孫・六老彦神の娘で、兄妹に鴨羽神と草奈井比売神がいるとする系図もある[4]。
一方可毛羽神や草奈井比売神は建御名方神の子・伊豆速雄命の子とされ、箭津安賀多神(六老彦神)は兄とする説もある[5]。
祀る神社
- 会津比売神社(長野県長野市松代町)
関連するかもしれない神社
臼道祖神(臼道祖神社)
長野県千曲市八幡辻にある神社。境内由緒は以下の通り。
道祖神は村の入口、部落の境などの路傍に立っている。自然石のまま、あるいは台石の上の棹に道祖神と刻まれたものが多い。そして賽の神といわれるように、悪霊や邪悪の村への侵入を防ぎ、道行く人を守る神である。また、近在では正月、道祖神の前でドンド焼が執り行われるのが普通である。
峰・姨捨・郡方面から下る道筋のこの辻の道祖神は、自然石で臼を台座としているが、臼は女性の代名詞で、その上に道祖神が乗り陰陽をあらわしている、との見方もある。流造りの社殿に安置され、鳥居まである特異な道祖神である。したがって臼道祖神と呼ばれ、臼道祖神社として崇敬される理由であろう。
祭日は九月二十四日で、子供相撲が公民館の庭でひき続き実施されている。なお、大頭祭の際には武水別神社へ向う頭人は拝礼し、干魃の夏には雨乞の人びとによって、御本尊の道祖神は川底へ沈座された。かつては八月一日に、虫送りの行事もあったという。(略)