「陶荒田神社」の版間の差分
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当時大規模な疫病がはやり、国土が荒廃した。ある夜、大物主の神が崇神天皇の夢枕に立ち、太田田根子を神主に立てて自分を祀るなら、病を治めようと告げた。天皇は、茅渟県陶邑(ちぬのあがたすえむら)に太田田根子を探しあて、奈良の三輪山の神主として選び、大物主神を祀らせた。 | 当時大規模な疫病がはやり、国土が荒廃した。ある夜、大物主の神が崇神天皇の夢枕に立ち、太田田根子を神主に立てて自分を祀るなら、病を治めようと告げた。天皇は、茅渟県陶邑(ちぬのあがたすえむら)に太田田根子を探しあて、奈良の三輪山の神主として選び、大物主神を祀らせた。 | ||
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上之の北端部に鎮座する。祭神は[[高御産巣日神|高魂命]]・[[葛城国造|剣根命]]。旧郷社。「陶器大宮さん」「陶器戎さん」と通称される。「延喜式」神名帳大鳥郡の「陶 荒田神社二座」に比定される。祭神は「新撰姓氏録」(和泉国神別)にみえる荒田直の祖神で、同直の氏神社であったと解されている。また鎮座地一帯は古くから須恵器生産の行われていた陶邑で、その生産者たちの崇敬を集めてきたと思われる<ref>[https://kotobank.jp/word/%E9%99%B6%E8%8D%92%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE-3077253 陶荒田神社]、コトバンク・出典 平凡社「日本歴史地名大系」(最終閲覧日:25-01-18)</ref>。 | 上之の北端部に鎮座する。祭神は[[高御産巣日神|高魂命]]・[[葛城国造|剣根命]]。旧郷社。「陶器大宮さん」「陶器戎さん」と通称される。「延喜式」神名帳大鳥郡の「陶 荒田神社二座」に比定される。祭神は「新撰姓氏録」(和泉国神別)にみえる荒田直の祖神で、同直の氏神社であったと解されている。また鎮座地一帯は古くから須恵器生産の行われていた陶邑で、その生産者たちの崇敬を集めてきたと思われる<ref>[https://kotobank.jp/word/%E9%99%B6%E8%8D%92%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE-3077253 陶荒田神社]、コトバンク・出典 平凡社「日本歴史地名大系」(最終閲覧日:25-01-18)</ref>。 |
2025年2月1日 (土) 15:49時点における版
陶荒田神社(すえあらたじんじゃ)は、大阪府堺市中区上之に所在する神社で、和泉国大鳥郡の式内社。
須恵器(日本の陶器の祖)の発祥地に鎮座しており、別名、陶器大宮と呼ばれている。陶器のえびす様として有名で、1月の初戎祭には、技術・製造業・商売にかかわる業者達でにぎわう神社である。
祭神
- 高魂命、劔根命(つるぎねのみこと)、八重事代主命、菅原道真公
- 摂社
- 戎殿 「八重事代主命」
- 弁天社 「市杵嶋姫命」
- 山田神社 「活玉依姫命」(太田田根子の母)
- 太田神社 「太田々弥古命」(太田田根子命)
- 玉の緒神社 「天御中主命」
由緒
崇神8年(紀元前90年)、崇神天皇により陶邑の大田の森(現在地)に住む太田田根子が神主として選ばれた。彼の祖霊を祀る目的で創建された神社が、当神社である。創建年は崇神8年前後であろうとされている。
当時大規模な疫病がはやり、国土が荒廃した。ある夜、大物主の神が崇神天皇の夢枕に立ち、太田田根子を神主に立てて自分を祀るなら、病を治めようと告げた。天皇は、茅渟県陶邑(ちぬのあがたすえむら)に太田田根子を探しあて、奈良の三輪山の神主として選び、大物主神を祀らせた。
名前の由来は、同じ陶邑の大田の森に住む「荒田直」(あれたのあたひ)にあやかってつけられた。荒田直は祭神である高魂命の直系の子孫だったとされている。
上之の北端部に鎮座する。祭神は高魂命・剣根命。旧郷社。「陶器大宮さん」「陶器戎さん」と通称される。「延喜式」神名帳大鳥郡の「陶 荒田神社二座」に比定される。祭神は「新撰姓氏録」(和泉国神別)にみえる荒田直の祖神で、同直の氏神社であったと解されている。また鎮座地一帯は古くから須恵器生産の行われていた陶邑で、その生産者たちの崇敬を集めてきたと思われる[1]。
参考文献
- Wikipedia:陶荒田神社(最終閲覧日:25-01-18)