'''手子后神社'''(てごさきじんじゃ)は、茨城県神栖市波崎にある神社。神遊社の古名があり、鹿島神宮末社に属した時期は天宮社と呼ばれていた。古い地誌は手子崎神社の表記を使っている。常陸原明神という俗称を記した観光地誌もある(てごさきじんじゃ)は、茨城県神栖市(かみすし)波崎にある神社。神遊社の古名があり、鹿島神宮末社に属した時期は天宮社と呼ばれていた。古い地誌は手子崎神社の表記を使っている。常陸原明神という俗称を記した観光地誌もある<ref name="常陸原">常山総水。常陸原は、旧波崎町あたりの近世の地名である(大日本地名辞書)。</ref>。港町の鎮守であり、漁師の崇敬が厚い。旧社格は村社。
== 祭神 ==
* 浅間神社([[木花咲耶姫命]])
* 稲荷神社([[宇迦御魂之命|宇賀御魂命]])
* 天満宮(天神様)([[菅原道真]])天満宮(天神様)(菅原道真)
* 金刀比羅宮(琴平宮)([[大物主命]])
* 高尾神社([[伊邪那岐命|伊弉諾命]])
* 猿田神社([[猿田彦命]])
== 歴史 ==
[[神護景雲]]年間([[767年]]~[[770年]])創建。神護景雲年間(767年~770年)創建。
社伝では、古くより[[息栖神社]]・[[大洗磯前神社]]とともに「[[鹿島神宮]]の三摂社」と称されてきたとしている。元は鹿島神領に鎮座していたことから、その境外末社に属し、近世には大宮司以下が毎年鹿島神宮で祭典を行なっていた<ref>茨城県神社写真帳。</ref>。
鹿島志、新編常陸国誌、大日本地名辞書等の地誌は、「手子崎神社」の表記を使っている。
[[明治維新]]後、近代社格制度で村社に列した。明治維新後、近代社格制度で村社に列した。
== 主な祭事 ==
[[File:Mikoshiden (The Mikoshi Hall) of Tegosaki-jinja shrine (Kamisu city, Ibaraki prefecture).jpg|thumb|250px|神輿殿]]
; 大潮祭
: [[旧暦]][[6月15日]]付近の土日に行われる。[[江戸時代]]中期から行われてきたとされる旧暦6月15日付近の土日に行われる。江戸時代中期から行われてきたとされる<ref>茨城県観光物産協会「[http://www.ibarakiguide.jp/db_kanko/?detail&id=0800000002580 大潮祭(観光いばらき)]」。2017年3月6日閲覧。</ref>、大漁祈願の祭りである。鳴物は神栖市の無形民俗文化財指定。旧暦6月15日付近では対岸の銚子市の側でも、川口神社・渡海神社の大潮祭が行われ、その日は休漁となる。
== 現地情報 ==
[['''利根川]]'''河口近くの茨城県側に鎮座する。
== 参考文献 ==
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%AD%90%E5%90%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E7%A5%9E%E6%A0%96%E5%B8%82) 手子后神社 (神栖市)](最終閲覧日:25-01-27)
** 神社案内板。** 中山信名、栗田寛編「新編常陸国誌」。積善館。明治32-34年(1899-1901年)。** 吉田東伍「大日本地名辞書 二版」。冨山房。明治40年10月17日(1907年)。** 柳沢鶴吉編「常山総水名勝古蹟」。柳旦堂東京出張所。明治41年10月(1908年)。** 栗田寛、藤蔵四郎補註「標註古風土記 : 常陸」。大岡山書店。昭和5年(1930年)。** いはらき新聞「茨城県神社写真帳」。いはらき新聞社。昭和16年(1942年)。
:上記の文献は、[[国立国会図書館デジタルコレクション]]で閲覧可能。2017年3月6日閲覧。
* [https://tegosaki.github.io/ 手子后神社] - 公式サイト
* [https://www.ibarakiken-jinjacho.or.jp/ibaraki/kenou/jinja/01054.html 手子后神社] - 茨城県神社庁
== 関連項目 ==
* [[手子后神社 (城里町)]]
== 脚注 ==