「奈具神社」の版間の差分

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[[丹後国風土記]]によると「ここに来りてわが心奈具志久(なぐしく)なれり」とあり、奈具神社の由来はこの奈具志久(おだやかに)という言葉による。
 
[[丹後国風土記]]によると「ここに来りてわが心奈具志久(なぐしく)なれり」とあり、奈具神社の由来はこの奈具志久(おだやかに)という言葉による。
  
<bockquote>昔、丹波の郡比治の真奈井に天下った天女が、和奈佐の老夫婦に懇願されて比治の里にとどまり、万病に効くという酒を醸して、老夫婦は莫大な富を得ました。しかし、悪念を抱いた老夫婦はやがて天女に、 汝は吾が子ではないと追い出してしまいました。
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<blockquote>昔、丹波の郡比治の真奈井に天下った天女が、和奈佐の老夫婦に懇願されて比治の里にとどまり、万病に効くという酒を醸して、老夫婦は莫大な富を得ました。しかし、悪念を抱いた老夫婦はやがて天女に、 汝は吾が子ではないと追い出してしまいました。
 
天の原ふりさけみれば霞立ち 家路まどいて行方しらずも
 
天の原ふりさけみれば霞立ち 家路まどいて行方しらずも
と詠い、比治の里を退き村々を遍歴の果てに、舟木の里の奈具の村にやってきました。 そして「此処にして我が心なぐしく成りぬ」(わたしの心は安らかになりました)と云って、この村を安住の地としました。 此処で終焉を迎えた[[天女]]は村人たちによって、[[トヨウケビメ|豊宇賀能売命]](とようかのめのみこと)として祀られました。 これが[[竹野郡 (京都府)|竹野郡]]の奈具の社です。</poem>|境内案内板「[[延喜式神名帳|延喜式内]] 奈具神社の[[祭神]]について」より}}</blockquote>
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と詠い、比治の里を退き村々を遍歴の果てに、舟木の里の奈具の村にやってきました。 そして「此処にして我が心なぐしく成りぬ」(わたしの心は安らかになりました)と云って、この村を安住の地としました。 此処で終焉を迎えた[[天女]]は村人たちによって、[[トヨウケビメ|豊宇賀能売命]](とようかのめのみこと)として祀られました。 これが[[竹野郡 (京都府)|竹野郡]]の奈具の社です。|境内案内板「[[延喜式神名帳|延喜式内]] 奈具神社の[[祭神]]について」より}}</blockquote>
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==

2022年3月26日 (土) 20:41時点における版

テンプレート:神社 奈具神社(なぐじんじゃ)は、京都府宮津市由良にある神社である。式内社。丹後加佐郡十一座の一社でもある。

祭神

伊勢神宮外宮の祭神である豊受大神と同一で、羽衣伝承の天女でもある豊宇賀能賣命が祭神である。

  • 豊宇賀能賣命

祭礼日

  • 祈年祭 - 4月10日
  • 例祭 - 10月10日
  • 新嘗祭 - 11月23日

由緒

丹後国風土記によると「ここに来りてわが心奈具志久(なぐしく)なれり」とあり、奈具神社の由来はこの奈具志久(おだやかに)という言葉による。

昔、丹波の郡比治の真奈井に天下った天女が、和奈佐の老夫婦に懇願されて比治の里にとどまり、万病に効くという酒を醸して、老夫婦は莫大な富を得ました。しかし、悪念を抱いた老夫婦はやがて天女に、 汝は吾が子ではないと追い出してしまいました。

天の原ふりさけみれば霞立ち 家路まどいて行方しらずも

と詠い、比治の里を退き村々を遍歴の果てに、舟木の里の奈具の村にやってきました。 そして「此処にして我が心なぐしく成りぬ」(わたしの心は安らかになりました)と云って、この村を安住の地としました。 此処で終焉を迎えた天女は村人たちによって、豊宇賀能売命(とようかのめのみこと)として祀られました。 これが竹野郡の奈具の社です。|境内案内板「延喜式内 奈具神社の祭神について」より}}

関連項目

アクセス

  • 京都丹後鉄道京都丹後鉄道宮舞線丹後由良駅から北西約900m

参考文献

  • 境内案内板「延喜式内 奈具神社の祭神について」
  • 坂本勝(監修)『図説 日本人の源流を探る 風土記』青春出版社、2008年