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93 バイト除去 、 2025年1月22日 (水)
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==祭神==
豊布都霊(とよふつのみたま)神と[[国魂大国魂神|大国魂(おおくにたま)神]]を祀る。豊布都霊神がを祀る。豊布都霊神が石上神宮に、[[石上神宮大国魂神]]に、大国魂神が[[大和神社]]に勧請されたという伝承がある。豊布都霊神についてはが大和神社に勧請されたという伝承がある。豊布都霊神については[[布都御魂]]の名が有名だが、何故「豊」が名前に付くのかは不明。また、[[タケミカヅチ|武雷神]]と同神とされる。大国魂神はと同神とされる。[[国津神大国魂神]]の大将軍とされる。は国津神の大将軍とされる。
『神社要録』には「武甕槌命、大国主命」、『神祇志』には「紀豊布都霊神、大国神」と記載されている。元々は二上山の2つの山頂・雄山と雌山にそれぞれ男神・女神が祀られていたものとみられる。
==歴史==
創建の年代等は不詳である。二上山には[[石器]]の素材となる[[讃岐岩]](サヌカイト)の層があり、古くから周辺に人が住んでいたものとみられる。文献の初出は、『[[日本三代実録]]』の[[貞観 (日本)|貞観]]元年([[859年]])正月27日条、当社に[[従五位|従五位上]]の[[神階]]を授けるという記述である。[[延喜式神名帳]]では「[[大和国]][[葛下郡]] 創建の年代等は不詳である。二上山には石器の素材となる讃岐岩(サヌカイト)の層があり、古くから周辺に人が住んでいたものとみられる。文献の初出は、『日本三代実録』の貞観元年(859年)正月27日条、当社に従五位上の神階を授けるという記述である。延喜式神名帳では「大和国葛下郡 葛木二上神社二座」と記載され、大社に列している。
[[當麻寺]][[中之坊]]所蔵の「当麻寺付近絵図」には二上山の雌岳に當麻寺中之坊所蔵の「当麻寺付近絵図」には二上山の雌岳に[[神蛇大王]]([[竜王]])を祭る社もあったことが記されており、現在は中之坊鎮守として遷座され、境内[[稲荷神社]]末社に竜王社の小祠となったとの伝承がある。当社との関係は不明。(竜王)を祭る社もあったことが記されており、現在は中之坊鎮守として遷座され、境内稲荷神社末社に竜王社の小祠となったとの伝承がある。当社との関係は不明。
近世には当社は「岳の[[権現]]」と呼ばれ、二上山からの水流を利用する数十か村の岳郷の氏神であった。明治6年(1873年)4月に郷社に列格した。近世には当社は「岳の権現」と呼ばれ、二上山からの水流を利用する数十か村の岳郷の氏神であった。明治6年(1873年)4月に郷社に列格した。
==境内==
現在の社殿は、[[1974年]]([[昭和]]49年)の二上山大火で焼失し、翌1975年に再建されたもので、内部には小さな榊の御神体がある。本社の東側に[[大津皇子]]の墓がある。現在の社殿は、1974年(昭和49年)の二上山大火で焼失し、翌1975年に再建されたもので、内部には小さな榊の御神体がある。本社の東側に大津皇子の墓がある。
山麓の[[葛木倭文坐天羽雷命神社]](倭文神社)に、相殿神として当社の大国魂神が祀られている。
==祭事==
旱魃の年には岳郷によって「嶽の神様 [[幟]]がお好き、幟持てこい、雨降らせ」と唱和して雨乞いの登山が行われた。現在は毎年4月23日に有志による「岳登り」が行われている。'''幟がお好き'''、幟持てこい、雨降らせ」と唱和して雨乞いの登山が行われた。現在は毎年4月23日に有志による「岳登り」が行われている。 
==その他==
境内(雄岳山頂)に立ち入るには美化保存協力金200円を神社に支払う必要がある。
==関連項目==
*[[二上神社口駅当麻山口神社]](にじょうじんじゃぐち)
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