「針綱神社」の版間の差分
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*: '''武田折命'''とも表記される<ref name="#1">「左京 神別天孫 湯母竹田連」『新撰姓氏録』青垣出版、弘仁六年。</ref>。 | *: '''武田折命'''とも表記される<ref name="#1">「左京 神別天孫 湯母竹田連」『新撰姓氏録』青垣出版、弘仁六年。</ref>。 |
2025年1月16日 (木) 15:12時点における最新版
針綱神社(はりつなじんじゃ)は、愛知県犬山市大字犬山字北古券にある神社である。式内社(小社)で、旧社格は県社。
東海鎮護、水産拓殖、五穀豊穣、厄除、安産、長命の神として、濃尾の総鎮守とされている。
安産、子授けにご利益があるという。これは、1537年(天文6年)、織田信康が自ら手彫りの狛犬一対を奉納して安産祈願したことからである。以来、戌の日に安産祈願すると良いとされている。
犬山城の守護神でもあり、三光稲荷神社と同じく犬山城の南の登城入り口近くにある。また犬山祭は、針綱神社の祭礼である。
祭神[編集]
- 尾治針名根連命
- 天火明命の子孫。尻綱根命の子。
- 天火明命 → 天香山命 → 天村雲命 → 天忍人命 →天登目命 → 養子・建斗米命(天穂日命の後裔か) → 建多乎利命 → 乎止与命(おとよのみこと)(初代国造) → 建稲種命 → 尻調根命 → 尾治針名根連命・尾治弟彦連・意乎巳連
- 建多乎利命(たけおりのみこと)
- 建稲種命(たけいなだのみこと)
- 尻調根命(しりつなねのみこと)
- 尾綱根命
- 大荒田命
- 玉姫命
- 建筒草命(たけつつくさのみこと)
- 菊理姫命
- 伊邪那岐命
- 大己貴命
備考[編集]
- 天登目命
関連するもの[編集]
建額赤命[編集]
建額赤命(たけぬかあかのみこと)。後裔は右京若倭部(新撰姓氏録抄)とされる。また、津守氏(住吉大社社家)の始祖だとか。天忍男命の子。建筒草命の親(先代旧事本紀 巻第五 天孫本紀)[5][6]。建額赤の母は葛木賀奈良知媛(葛木剣根の娘)とされる。
境内社[編集]
- 神明社
- 市神社
- 琴平社
- 秋葉社
- 山神社
- 杉木霊社
- 造酒社
- 大國社
- 稻荷社
- 小栗社
- 御饌社
- 染甫社
- 鍛冶社
- 熱田社
- 天神社
- 猿田彦社
- 愛宕社
- 八幡社
- 御建宮社
沿革[編集]
- 創立年は不明。式内社であり、927年(延長]年)の延喜式神名帳には尾張国丹羽郡「従一位針綱明神」または「正一位針綱明神」とされている。また、1186年(文治2年)の尾張国内神名帳には「針綱名神」されている。
- 元々の鎮座地は犬山城天守閣付近であったが、1537年(天文6年)、織田信康により、白山平(現在の日本モンキーパーク、成田山名古屋別院大聖寺などがある山)に移転する。
- 1606年(慶長11年)、犬山城城主小笠原吉次により、犬山城城下町の名栗町に移転する。「白山妙理権現」「白山針綱大神宮」
- 1635年(寛永12年)、針綱神社の祭礼に対し、城下町の下本町、魚屋町からの練り物が出される。1641年(寛永18年)には下本町が馬の塔を車山に変えて人形からくりを奉納し、これが犬山祭の原型となる。1649年(慶安2年)、犬山城城主成瀬正虎により車山や練り物を奨励したため、さらに盛んになったという。江戸時代は「白山妙理権現」「白山針綱大神宮」と呼ばれ、歴代犬山城城主の祈願所、庶民の信仰を集めたという。
- 明治時代の旧社格は村社、1876年(明治8年)には郷社となる。1882年(明治15年)現在地に移転し県社となる。
その他[編集]
- 織田信康が安産を祈願し、自ら彫り上げた狛犬は、織田広近を模して彫ったともいわれる。織田広近は1469年(文明元年)に犬山に木ノ下城を居城として築いたほか、現在の犬山城付近に砦を築き、犬山城の原型を築いた人物である。