「ローマ教」の版間の差分

提供: Bellis Wiki3
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
(同じ利用者による、間の10版が非表示)
15行目: 15行目:
 
<blockquote>主は、地上のご自分の教会がどのように組織され管理されて欲しいと願っておられるか、聖書に非常にはっきりと示している。第一に、キリストが教会のかしらであり、最上の権威であられること(エペソ1:22、4:15、コロサイ1:18)。第二に、'''地域教会は独立しており、外からのどんな権威も支配も受けず、自治の権利と、いかなる個人や組織の階級制の妨害からも自由であるという権利とを持つべきである'''こと(テトス1:5)。第三に、教会はふたつの主要な職務からなる霊的リーダーシップ、長老と執事によって治められるべきであること<ref>[https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-church-government.html 聖書は、教会の政治形態について何と言っていますか?]、GotQuestions(最終閲覧日:25-01-13)</ref>。 </blockquote>
 
<blockquote>主は、地上のご自分の教会がどのように組織され管理されて欲しいと願っておられるか、聖書に非常にはっきりと示している。第一に、キリストが教会のかしらであり、最上の権威であられること(エペソ1:22、4:15、コロサイ1:18)。第二に、'''地域教会は独立しており、外からのどんな権威も支配も受けず、自治の権利と、いかなる個人や組織の階級制の妨害からも自由であるという権利とを持つべきである'''こと(テトス1:5)。第三に、教会はふたつの主要な職務からなる霊的リーダーシップ、長老と執事によって治められるべきであること<ref>[https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-church-government.html 聖書は、教会の政治形態について何と言っていますか?]、GotQuestions(最終閲覧日:25-01-13)</ref>。 </blockquote>
  
2世紀以降、西洋のキリスト教は歴史を見るに「何が正統なのか、何が異端なのか。」で血道を上げてきたように思える。
+
2世紀以降、西洋のキリスト教は歴史を見るに「何が正統なのか、何が異端なのか。」で血道を上げてきたように思える。しかし、地域教会の特性と独立を尊重するのであれば、寛容さこそが必要であって「何が異端なのか。」を論じ、決めつけることこそが、最大の「'''異端'''」なのではないだろうか。ニカイア公会議を開こうなどと画策することそのものが、イエスの教えに逆らう「'''異端中の異端'''」である、と管理人は独断で考える。そのため、個人的にどう見ても「キリスト者」らしからぬふるまいを行っていたと感じられる'''古代の'''ローマ・カトリックをキリスト教と呼びたくないと考えている。(現代のものには興味も関心もない。)そのため、まずこれを「ローマ教」と呼ぶことにする、とこれが第1の理由である。
  
== 系譜 ==
+
== 日本国内の事情 ==
『古事記』では[[天照大御神]](あまてらすおおみかみ)の御子神の天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)が、高御産巣日神の娘である万幡豊秋津師比売命(よろづばたとよあきつしひめのみこと)と結婚して生まれたのが天孫邇邇芸命(ににぎのみこと)である。このことから高御産巣日神は天孫邇邇芸命の外祖父に相当する<ref name="Y" />。
+
古代におけるローマ・カトリックの布教方法は、ヨーロッパの場合、まず宣教師が出先に出向き「'''我々の神とあなたがたの神は同じである。'''」と説き、相手方の神々の内、都合の良いものは「同じもの」として残し、都合の悪いものは排除する。そうして、都合良く残された神は、キリスト教の聖人などに変えて再利用する。一方、支配者階級の者たちには、ローマの進んだ行政、司法、統治の制度、優れた先進的な物品を与えて、改宗することのメリットを説く、というものだったと感じる。
  
また、天津国玉神(あまつくにたま)の子である[[天若日子]](あめのわかひこ)が、天孫降臨に先立って降ったが復命せず、問責の使者の雉(きぎし)の[[鳴女]](なきめ)が参るとこれを矢で射殺する<ref name="N">戸部民夫 『日本神話 神々の壮麗なるドラマ』 新紀元社</ref>。その矢は高天原まで届き、高御産巣日神が「もし高天原に叛く意志があるならこの矢に当たるであろう」と述べて投げ返すと、矢は天若日子を討ったという<ref name="N" />。
+
「'''我々の神とあなたがたの神は同じである。'''」と述べるのが容易なのは、古代のヨーロッパはどこでも印欧語族的な多神教を信じていたからで、神々の機能、構成がみな似通っていたからこそできることである。しかし、ヨーロッパから遠く離れた東洋では、この理論がまず通用しにくくなる。中国でも日本でもそうだが、遠い先祖は神として祀る、近い先祖は神ではないけれども供養して祀る、何かの災害の犠牲者も慰撫するために祀る、地域の偉人は死後もその偉大さにあやかったり称えたりするために神とされたりする等々の傾向があり、そもそも「祀られる対象の幅が広く際限なく増える」、かつ「祀られる対象が神とされていることもあるし、神とされていなくても祀られることがある。彼らの境界の定義も曖昧である。」ということになる。時代が下って、宗教というものがはっきりしてくると、精神的・教義的な概念も神として扱われるようになってくる。そのため、東アジアの「多神教」ほど混沌として収集がつかなくなってくるもののように感じられる。とても西洋的な「多神教」の概念では網羅しきれない要素があったのではないだろうか。
  
他に即位前の神武天皇が熊野から大和に侵攻する場面で神武天皇を助けた高倉下の夢に高御産巣日神が登場する。高御産巣日神は'''[[天照大御神]](あまてらすおおみかみ)より優位に立って'''天孫降臨を司令する。また、のちの皇室は高御産巣日神の血を引いている(前述)が、高御産巣日神が本来の皇祖神だとする説がある<ref>『神道の本 八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界』 学研</ref>。
+
=== 影響について ===
 +
日本国内における「ローマ教」の影響について、当初期はやはりヨーロッパと同じく「'''女神信仰の弾圧'''」と考える。福岡県久留米市にある高良大社には境内外に「朝妻社」と呼ばれた'''味水御井神社'''(うましみずみいじんじゃ)という水女神を祀る神社がある。ここには、古くは水神女神が北斗女神としても祀られていた形跡があり、管理人であれば、この女神が本来の高良山の女神であり、高良大社の祭神でもあった、と考えるところである。紀州の高野山の[[丹生都比売神]]に類する物部氏系の女神で、'''田布都姫'''と言ったかもしれない、とすら思う。ともかく格式の高い北斗女神が固有名詞を失って、単なる末社の女神に格下げされてしまった背景には、大きな思想的変動があると考える。それは西欧社会でローマ・カトリックが行ってきた女神信仰弾圧と同じものなのではないだろうか。
  
奴奈川神社には高御産巣日神は意支都久振為命を産み、命が卑都久振為命を産み、同神が[[沼河比売]]を産んだとされる伝承がある。また'''葛城国造'''・'''宇佐国造'''・'''賀茂県主'''の遠祖である天活玉命の父であるとされる。
+
=== 何をローマ・カトリックと呼んだのだろう ===
 +
これが最大の問題である、と管理人は考える。
  
== 諸説 ==
+
なぜなら、もっと後の時代になって、仏教というものが日本に入ってきたが、日本人は閉鎖的な社会の中で、数百年かけて、これを「'''修行して死んだら天狗になる'''」というような、修験道的仏教に変貌させてしまった例があるからである。例えば、ローマからでも、どこからでも良いが
女神的要素を持つ神皇産霊神と対になり、男女の「むすび」を象徴する神とする説がある<ref name="Y" />。
 
  
== 祀る神社 ==
+
「キリストというありがたい神様がいます。」
* 宇奈多理坐高御魂神社(うなたりにいますたかみむすびじんじゃ)(奈良県奈良市法華寺町)、祭神:高御魂尊(中座)、天太玉命(東座)、思兼命(西座)<ref>[https://genbu.net/data/yamato/unatari_title.htm 宇奈多理坐高御魂神社]、玄松子(最終閲覧日:25-01-10)</ref>
 
* 天神社 (奈良県大和高田市)、祭神:高皇産霊神、神皇産霊神、津速産霊神、備考:高皇産霊神は大和高田市の名前の由来ともなっている <ref>Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%A4%A7%E5%92%8C%E9%AB%98%E7%94%B0%E5%B8%82) 天神社 (大和高田市)]、(最終閲覧日:25-01-10)</ref>。
 
* 天神神社 (岐阜県瑞穂市居倉)、祭神:高皇産霊神、神皇産霊神、元伊勢の一つ。瑞穂市居倉(いくら)の伊久良河宮に4年間鎮座したとされる。近隣に矢田神社あり。根尾川流域にある <ref>Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E7%91%9E%E7%A9%82%E5%B8%82) 天神神社 (瑞穂市)]、(最終閲覧日:25-01-10)</ref>。
 
* 東京大神宮(東京都千代田区富士見)、主祭神:[[天照皇大神]]・[[豊受大神]]<ref name="三浦、上314祭神">[[#三浦1977上|全国神社名鑑上]]、314-315頁「◇東京大神宮(飯田橋大神宮)/祭神」</ref>。相殿:[[天之御中主神]]・高御産巣日神・[[神御産巣日神]]・倭比売命<ref name="国学院事典658">[[#国学院1994事典|神道事典(1994)]]、658頁「東京大神宮(東京都千代田区富士見町2-4-1)〈旧称〉大神宮祠(日比谷大神宮)飯田橋大神宮」</ref><ref>[http://www.tokyodaijingu.or.jp/syoukai/index.html#02 御祭神] 公式サイト</ref>。「東京のお伊勢さま」と呼ばれる<ref>Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E5%AE%AE 東京大神宮]、(最終閲覧日:25-01-10)</ref>。
 
* '''高城神社'''(埼玉県熊谷市)、祭神:高皇産霊神。鎮座地とその周辺は荒川の扇状地内にあり、ここの湧水は諸病に効があるという記述が1670年(寛文10年)の『高城神社縁起』にある<ref>Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%9F%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE 高城神社]、(最終閲覧日:25-01-10)</ref>。
 
* 安達太良神社(福島県本宮市)、式内小社飯豊和氣神社の論社。祭神:高皇産霊神、神皇産霊神、飯豊和気神、飯津比売神、陽日温泉神、禰宜大刀自神<ref>Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%81%94%E5%A4%AA%E8%89%AF%E7%A5%9E%E7%A4%BE 安達太良神社]、(最終閲覧日:25-01-10)</ref>。
 
* ''高天彦神社''(奈良県御所市)、高天彦神社(たかまひこじんじゃ)は、奈良県御所市北窪にある神社。式内社(名神大社)。祭神:高皇産霊神、市杵嶋姫命、菅原道真公。高鴨神社の近く。創建は不詳。金剛山東麓に鎮座し、元々は社殿後背の白雲岳(白雲峰、標高985メートル)を神体山に祀った神社とされる<ref name="説明板">境内説明板。</ref><ref>高天彦神社(平凡社), 1981年</ref><ref>Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%A4%A9%E5%BD%A6%E7%A5%9E%E7%A4%BE 高天彦神社](最終閲覧日:25-01-10)</ref>。
 
* 高木神社(東京都墨田区)、主祭神:高皇産霊神。かつては第六天魔王(他化自在天)を祀る「第六天社」と呼ばれていた<ref>Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9C%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%A2%A8%E7%94%B0%E5%8C%BA) 高木神社 (墨田区)](最終閲覧日:25-01-10)</ref>。
 
* 高木神社(東京都葛飾区)、主祭神:高皇産霊尊、倉稲魂命。里見氏の家臣武内氏の氏神の第六天神社を六木から移し祀ったものが起源であると考えられる<ref name="神社">葛飾区教育委員会社会教育課 編『葛飾区神社調査報告』葛飾区教育委員会、1981年、47-48p</ref><ref>Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9C%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E8%91%9B%E9%A3%BE%E5%8C%BA) 高木神社 (葛飾区)](最終閲覧日:25-01-11)</ref>
 
* ''高樹神社(福岡県御井町字神籠石)''、高良大社の境内外摂社。主祭神:高皇産霊神。古くは「高牟礼権現」<ref name="末社記">玉垂宮賓殿及境内末社記</ref>「高牟礼神社」<ref name="絵図">国幣中社高良神社絵図</ref>と称した<ref>Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E8%89%AF%E5%A4%A7%E7%A4%BE 高良大社](最終閲覧日:25-01-12)</ref>。高良山の麓にある。高良大社の古縁起によると、元々地主神として山上に鎮座していたが、高良の神に一夜の宿を貸したところ、高良の神に神籬石を築いて結界を張られ、地主神は山上に戻れなくなった、とのこと<ref>物部の源住地|筑後川流域の物部神社と高良神社【富家+宇佐家伝承】、馬の駆ける速度で地球旅|神話を歴史へ(最終閲覧日:25-01-12)</ref>。
 
* [[七夕神社]](福岡県小郡市):主祭神である栲幡千千姫命の父神として祀られている。
 
  
== 高天彦神社関連 ==
+
という思想が入ってきたときに、
=== 北山村の龍伝説 ===
 
(金剛山に)昔、大龍が住んでいて村を荒らしまわった。ある日、一人の修験者が、龍を退治するために祈りを始めた。現れた龍は、今にも修験者に飛びかかろうとしたが、修験者は手に持った数珠を振り上げてハッシと投げつけた。龍は3つに切れて地上に落ちた。村人は喜んだが、龍の祟りを恐れて、頭、胸、尾それぞれ落ちたところに寺を建立し龍を厚く弔った。今は、それらの寺の跡形もないが、3つの寺の仏像は、北山村草谷寺に残っている。(高田十郎『大和の傳説』昭和8年1.15)
 
  
現在、頭、胴、尾の落ちたとされる場所には、それぞれに石碑(塚)が存在している。麓にある現在の草谷寺から北山(中葛城山)に至る道にそれらはあるという<ref>[https://yamap.com/activities/22018736 金剛山・中葛城山・龍伝説の道]、YAMAP(最終閲覧日:25-01-11)</ref>。
+
「はい、そうですか。」
  
=== 岸野山草谷寺 ===
+
と、それを'''素直'''に、受け取ったり、あるいは拒否したりしただろうか。とりあえず受け取っておいて、'''変なものに勝手に作り替えていないだろうか'''、後の仏教のように、と思うのである。なぜなら、日本ではローマ・カトリックの影響と思われる「女神信仰の弾圧」はあったと思われるが、結局全体的には女神信仰は残ったし、一神教への神々の統一もなかったからである。そして、そのように作り替えてしまったものがあるのだとすれば、それはもうローマ・カトリックともキリスト教とも呼ぶべきではないと考える。だったらそれは、ローマの思想や文化の影響を受けた日本独自の「'''ローマ教'''」と呼ぶしかないのではないだろうか。
'''役行者'''の創建と伝えられ、桟瓦葺・宝形造の本堂を有する寺院で、薬師如来を本尊としている。高天岸野神社は当寺の奥の院とされたとも言われている。高天岸野神社(たかまきしのじんじゃ)、祭神は高天岸野神。「岸野弁才天」等と呼ばれていた。金剛山に関する神社と考えられている<ref>[https://jun-yu-roku.com/yamato-uchi-kitayama-takamakishino/ 高天岸野神社 (奈良県五條市北山町)]、神社巡遊録(最終閲覧日:25-01-11)</ref>。
 
  
== 私的解説 ==
+
=== 丹波・丹後の例 ===
この神の当初期の姿は高良大社の祭神で、物部氏などの氏族の祖神だったと考える。現在の祭神の'''高良玉垂命'''(こうらたまたれのみこと)は、政治的状況の変化により、高御産巣日神を移し替えたものと思われる。境外末社の味水御井神社に北斗女神を祀っていた痕跡がみられるが、祭神の名が失われている。また、[[七夕神社]]の姫社神は人に危害を加える疫神としての水神なので、おそらく女神は「'''悪神'''」とされて信仰を禁止されてしまったのだと思われる。
+
古代日本における「女神信仰の変貌」は、大きく3系統に分かれるように思う。九州の[[七夕神社]]では、神の座所を定めるのに幡を投げて占った、という故事がある。これが丹後では「女神が授けた矢」に変貌しているし、一般的に「白羽の矢」とは人身御供を定める矢のこととされることが多い。竹野神社では、災害を起こす大蛇に天照大御神が斎宮をめあわせようとする話、要は生け贄としようとする話も伝わる。このように一つには女神は
  
高良玉垂命の子神の中に興味深い名が見える。
+
「矢の女神」であり「人身御供を定める女神」
  
* 渕志命(ふちしのみこと):おそらく布津主(物部氏の祖神)のこと
+
とされたように思う。それに加えて、木花之佐久夜毘売のような
* 谿上命(たにがみのみこと):おそらく丹羽・丹波・庭に関連する名
 
* 安楽応宝秘命(あらおほびのみこと):多氏関連
 
* 神使が烏:賀茂関連
 
  
この4氏族に小祝の阿曇氏を加えた5氏族は、同族で高御産巣日神を祖神とした人々であると考える。しかし、高御産巣日神を高良玉垂命に書き換えた後、祖神の書き換えは更に進み、
+
「火山(月)の女神」
  
* 物部氏の祖神:天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
+
の信仰が台頭してくるように思う。桜島の例のように、火山の神は伝統的に月の神としても扱われている。また、[[蛇頭松姫大神]]のように
* 丹羽氏・多氏の祖神:[[神八井耳命]]
 
* 賀茂氏:[[阿遅鉏高日子根神]]、賀茂建角身命など
 
* 阿曇氏:綿津見命
 
  
のように変更されてしまったと考える。奈良県御所市北窪(葛城、賀茂氏の本拠地)にある高天彦神社の高天彦も高良玉垂命と同様、高御産巣日神を変化させたものと考える。
+
「水神女神が[[人身御供]]にされた上に、悪神化して倒される女神になる」
  
=== 布洛陀との比較考察 ===
+
という伝承が目立つようになる。これらの3つを組み合わせて「'''[[人身御供]]'''」の祭祀がよくよく増えたのではないかと感じる。なぜなら、'''悪神に見立てた者を殺して悪神を鎮めなければならないし、誰を殺すのかを定める専属の女神まで確立されたからである'''
高御産巣日神は、樹木との関連が強く、自ら行動する、というよりは命令をしたり、アドバイスをしたりする立場といえる。チワン族の神話は、ミャオ族の神々などを「天の神」として[[布洛陀]]はそれに対抗する神としていると思われるが、高御産巣日神は「'''天の神'''」とされる。そして実在している氏族の直接の祖神とされる。
 
  
[[布洛陀]]は蛙神と縁が深く、チワン族にとっても蛙は神話的に重要な存在である。一方、『先代旧事本紀』には饒速日尊が亡くなった際に、高御産巣日神が[[速飄神]](犬神)を遣わした、とあり犬神と関連する神であると考える。
+
西洋では、「'''矢の女神'''」で「'''人身御供を定める女神'''」で「'''月の女神'''」と言ったら、「'''タウリケーの[[アルテミス]]'''」である。ローマからキリスト教の宣教師がやってきたとして、一体彼からどういう思想を引きずり出したのか。最終的に
  
=== 女神信仰の抑圧について ===
+
'''タウリケーの[[アルテミス]]'''
高良大社末社の味水御井神社について。かつては北斗女神と水神女神を兼ねた女神を祀っていたことが示唆される。おそらく出雲の[[天甕津日女命]]に類する女神と思われる。[[天甕津日女命]]の夫神の一柱に[[赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命]]という'''犬神'''がいる。筑後平野で犬神が祀られていた可能性については、[[七夕神社]]と対になる[[稲吉老松神社]]に'''犬飼神'''という神がいて、織姫の夫神とされている。
 
  
古代において、女神信仰を非難し、強く抑制する宗教といえば、'''ローマン・カトリック'''としか言いようがないのではないだろうか。北九州は大陸からの文化の入り口なので、この新興勢力が行った「'''女神信仰弾圧'''」の影響を一番強く受けた地域でもあるといえるのではないだろうか。まずは、北九州で信仰されていた物部氏系の母神ともいえる[[天甕津日女命]]的な女神が強力な標的とされたのであろう。
+
を採用して、日本の女神達を[[アルテミス]]化しよう、ともくろむことだけ採用したら、どこの誰がそれをキリスト教だと呼んでくれるのか? と考える管理人である。そこだけを採用するセンスも嘆かわしいが、宣教師からどうやって「'''タウリケーの[[アルテミス]]'''」の情報を引き出したのだろう。拷問でもしたのか、と心配になる管理人である。ローマ・カトリックも異端の弾圧、異端審問に魔女狩と嘆かわしい歴史を持つ組織ではある気がするが、さすがに直接的な
 +
 
 +
'''タウリケーの[[アルテミス]]'''」
 +
 
 +
の伝導の責任を追求することは無理がありすぎるように思う。しかし、日本ではこの情報を宣教師から得た、と考えるのが一番妥当なのではないだろうか。かくして、
 +
 
 +
「月の女神の意向を受けて、男性の祭祀者が人身御供を選ぶ」
 +
 
 +
という制度が確立されたように思う。丹後も丹波も月信仰が強い土地のように感じる。そして、狼信仰も見られる。これらの思想はやがて東国にまで波及するようになるのである。
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
92行目: 79行目:
  
 
{{DEFAULTSORT:ろまきよう}}
 
{{DEFAULTSORT:ろまきよう}}
[[Category:ローマ教|*]
+
[[Category:ローマ教|*]]

2025年1月13日 (月) 18:29時点における最新版

ローマ教とは、日本の神話に対して、古代に影響を与えたと思われる古代のローマ・カトリックとその周辺の思想を指す。管理人の造語である。本項では管理人がこのように定義した根拠を述べる。

前提[編集]

まず、信仰や宗教とは個人的な事柄なので、管理人自身について必要な範囲で述べる。

比較伝承学は子供の頃からの憧れの学問である。ただし、民族学者の柳田国男ではないが、このような分野を志す人には何か心霊的な原体験があって、それを自らも不可解に感じるからこそ追求したい、と考える人がいても不思議ではないと思う。管理人もその例に漏れないところがある。よって、神霊的なもの、あるいは「魂」と呼べるようなものを、信じているのか、と問われれば信じている、と答える。

でも、管理人が考える「神」というのは、宗教というものが人類の歴史に登場する前から存在していたし、この先、宗教というものが廃れてしまったとしても存在するであろうものなのだ。これを定義するならば、フレイザーの述べる「共感呪術」という言葉が一番合うようにも思える。日本人が祖神や土地の神を敬い、神社を参拝したり、供養したりするのは、それが代々続けられてきた神霊達に対する作法であるからではないだろうか。そのようにして神霊達の存在を肯定しているともいえる。これを先祖から子孫に至るまでの共同での「共感呪術」と言わずしてなんと言うのだろうか、と管理人は考える。

よって、霊的なものの存在は信じるけれども、宗教は信じていない。神を感じるのに、宗教は必要ない。管理人はまずそう考える人物である。

教会というもの[編集]

聖書における教会の定義を挙げる。

主は、地上のご自分の教会がどのように組織され管理されて欲しいと願っておられるか、聖書に非常にはっきりと示している。第一に、キリストが教会のかしらであり、最上の権威であられること(エペソ1:22、4:15、コロサイ1:18)。第二に、地域教会は独立しており、外からのどんな権威も支配も受けず、自治の権利と、いかなる個人や組織の階級制の妨害からも自由であるという権利とを持つべきであること(テトス1:5)。第三に、教会はふたつの主要な職務からなる霊的リーダーシップ、長老と執事によって治められるべきであること[1]

2世紀以降、西洋のキリスト教は歴史を見るに「何が正統なのか、何が異端なのか。」で血道を上げてきたように思える。しかし、地域教会の特性と独立を尊重するのであれば、寛容さこそが必要であって「何が異端なのか。」を論じ、決めつけることこそが、最大の「異端」なのではないだろうか。ニカイア公会議を開こうなどと画策することそのものが、イエスの教えに逆らう「異端中の異端」である、と管理人は独断で考える。そのため、個人的にどう見ても「キリスト者」らしからぬふるまいを行っていたと感じられる古代のローマ・カトリックをキリスト教と呼びたくないと考えている。(現代のものには興味も関心もない。)そのため、まずこれを「ローマ教」と呼ぶことにする、とこれが第1の理由である。

日本国内の事情[編集]

古代におけるローマ・カトリックの布教方法は、ヨーロッパの場合、まず宣教師が出先に出向き「我々の神とあなたがたの神は同じである。」と説き、相手方の神々の内、都合の良いものは「同じもの」として残し、都合の悪いものは排除する。そうして、都合良く残された神は、キリスト教の聖人などに変えて再利用する。一方、支配者階級の者たちには、ローマの進んだ行政、司法、統治の制度、優れた先進的な物品を与えて、改宗することのメリットを説く、というものだったと感じる。

我々の神とあなたがたの神は同じである。」と述べるのが容易なのは、古代のヨーロッパはどこでも印欧語族的な多神教を信じていたからで、神々の機能、構成がみな似通っていたからこそできることである。しかし、ヨーロッパから遠く離れた東洋では、この理論がまず通用しにくくなる。中国でも日本でもそうだが、遠い先祖は神として祀る、近い先祖は神ではないけれども供養して祀る、何かの災害の犠牲者も慰撫するために祀る、地域の偉人は死後もその偉大さにあやかったり称えたりするために神とされたりする等々の傾向があり、そもそも「祀られる対象の幅が広く際限なく増える」、かつ「祀られる対象が神とされていることもあるし、神とされていなくても祀られることがある。彼らの境界の定義も曖昧である。」ということになる。時代が下って、宗教というものがはっきりしてくると、精神的・教義的な概念も神として扱われるようになってくる。そのため、東アジアの「多神教」ほど混沌として収集がつかなくなってくるもののように感じられる。とても西洋的な「多神教」の概念では網羅しきれない要素があったのではないだろうか。

影響について[編集]

日本国内における「ローマ教」の影響について、当初期はやはりヨーロッパと同じく「女神信仰の弾圧」と考える。福岡県久留米市にある高良大社には境内外に「朝妻社」と呼ばれた味水御井神社(うましみずみいじんじゃ)という水女神を祀る神社がある。ここには、古くは水神女神が北斗女神としても祀られていた形跡があり、管理人であれば、この女神が本来の高良山の女神であり、高良大社の祭神でもあった、と考えるところである。紀州の高野山の丹生都比売神に類する物部氏系の女神で、田布都姫と言ったかもしれない、とすら思う。ともかく格式の高い北斗女神が固有名詞を失って、単なる末社の女神に格下げされてしまった背景には、大きな思想的変動があると考える。それは西欧社会でローマ・カトリックが行ってきた女神信仰弾圧と同じものなのではないだろうか。

何をローマ・カトリックと呼んだのだろう[編集]

これが最大の問題である、と管理人は考える。

なぜなら、もっと後の時代になって、仏教というものが日本に入ってきたが、日本人は閉鎖的な社会の中で、数百年かけて、これを「修行して死んだら天狗になる」というような、修験道的仏教に変貌させてしまった例があるからである。例えば、ローマからでも、どこからでも良いが

「キリストというありがたい神様がいます。」

という思想が入ってきたときに、

「はい、そうですか。」

と、それを素直に、受け取ったり、あるいは拒否したりしただろうか。とりあえず受け取っておいて、変なものに勝手に作り替えていないだろうか、後の仏教のように、と思うのである。なぜなら、日本ではローマ・カトリックの影響と思われる「女神信仰の弾圧」はあったと思われるが、結局全体的には女神信仰は残ったし、一神教への神々の統一もなかったからである。そして、そのように作り替えてしまったものがあるのだとすれば、それはもうローマ・カトリックともキリスト教とも呼ぶべきではないと考える。だったらそれは、ローマの思想や文化の影響を受けた日本独自の「ローマ教」と呼ぶしかないのではないだろうか。

丹波・丹後の例[編集]

古代日本における「女神信仰の変貌」は、大きく3系統に分かれるように思う。九州の七夕神社では、神の座所を定めるのに幡を投げて占った、という故事がある。これが丹後では「女神が授けた矢」に変貌しているし、一般的に「白羽の矢」とは人身御供を定める矢のこととされることが多い。竹野神社では、災害を起こす大蛇に天照大御神が斎宮をめあわせようとする話、要は生け贄としようとする話も伝わる。このように一つには女神は

「矢の女神」であり「人身御供を定める女神」

とされたように思う。それに加えて、木花之佐久夜毘売のような

「火山(月)の女神」

の信仰が台頭してくるように思う。桜島の例のように、火山の神は伝統的に月の神としても扱われている。また、蛇頭松姫大神のように

「水神女神が人身御供にされた上に、悪神化して倒される女神になる」

という伝承が目立つようになる。これらの3つを組み合わせて「人身御供」の祭祀がよくよく増えたのではないかと感じる。なぜなら、悪神に見立てた者を殺して悪神を鎮めなければならないし、誰を殺すのかを定める専属の女神まで確立されたからである

西洋では、「矢の女神」で「人身御供を定める女神」で「月の女神」と言ったら、「タウリケーのアルテミス」である。ローマからキリスト教の宣教師がやってきたとして、一体彼からどういう思想を引きずり出したのか。最終的に

タウリケーのアルテミス

を採用して、日本の女神達をアルテミス化しよう、ともくろむことだけ採用したら、どこの誰がそれをキリスト教だと呼んでくれるのか? と考える管理人である。そこだけを採用するセンスも嘆かわしいが、宣教師からどうやって「タウリケーのアルテミス」の情報を引き出したのだろう。拷問でもしたのか、と心配になる管理人である。ローマ・カトリックも異端の弾圧、異端審問に魔女狩と嘆かわしい歴史を持つ組織ではある気がするが、さすがに直接的な

タウリケーのアルテミス

の伝導の責任を追求することは無理がありすぎるように思う。しかし、日本ではこの情報を宣教師から得た、と考えるのが一番妥当なのではないだろうか。かくして、

「月の女神の意向を受けて、男性の祭祀者が人身御供を選ぶ」

という制度が確立されたように思う。丹後も丹波も月信仰が強い土地のように感じる。そして、狼信仰も見られる。これらの思想はやがて東国にまで波及するようになるのである。

関連項目[編集]

私的注釈[編集]


参照[編集]