『出雲国風土記』所載だが、神祇官不在社で、『風土記』の最後に記されている。秋鹿郡名の由来である神社だが、風土記の頃には、すでに小社となっていたと思われる。
== 祭神 概要 ==
'''秋鹿日女命'''(あひかひめのみこと)。
『出雲国風土記』神門郡条の朝山郷の項に「神魂命御子 眞玉著玉之邑日女命坐之 爾時 所造天下大神 大穴持命 娶給而 毎朝通坐」とある。すなわち眞玉著玉之邑日女命は大穴持命(=大国主)の妻問いの相手である。 市森神社(島根県出雲市稗原町)では、祭神の母神を[[朝山神社]](出雲市朝山町)の祭神である玉邑比売命とする<ref>島根県神社庁, 2024</ref> == 歴史 ==『出雲国風土記』には「浅山社」と記され、神祇官に所属しているとある。延喜式神名帳には「朝山神社」と記されている。 天和3年(1683年)の『出雲風土記鈔』には「神朝山宇比多伎大明神」、享保2年(1717年)の『雲陽誌』には「'''雲井瀧明神'''」と記されている。 『出雲国風土記』に記載の神門郡朝山郷の山々、すなわち宇比多伎山・稲積山・陰山・稲山・桙山・冠山(俗に「朝山六神山」と呼ばれる)は、同書において大神の衣装、食、住、武器に見立てられており、先述した宇比多伎山は「大神の御屋なり」とされ、その周辺に大神の衣食武器などが配置されている。瀧音能之(『風土記から見る日本列島の古代史』平凡社〈平凡社新書 883〉、2018年、38-42頁)は、朝山郷を大神の生活空間、すなわち天の下造らしし大神の神殿が造られた鎮座地といってもよいように思われると述べ、オオクニヌシが現社地(出雲大社)に祀られる以前、まだ出雲の西部の神に限定されていた時代の信仰圏の中心は、実は朝山郷にあったのではないか、と説いている。創祀年代は不詳。御井神社(罔象女命)、八幡宮(誉田別命)を合祀している。
== 境内社 ==