チワン族はまた古来より歌舞を好み、歌姫として劉三姐が著名で、映画の題材にもなっている。チワン族は民謡を歌うことで有名なのである。歌詞は美しく、押韻するように作られる。民謡の中には歴史を語る古い歌もあれば、生産技術を教える生産の歌や、および酒の歌、恋の歌もある。主に苦しい歌で、たとえば作男の歌婦人の苦しい歌などである。チワン族は踊りも得意で、悠久の歴史を持つ銅鼓の踊りは、リズムが明るく、ステップも力強い。農閑期や祝日、冠婚葬祭の時、各地で一問一答形式で歌う歌垣を行う。彼らはこの日を「歌の市」と呼んでいる。歌垣の風習やチワン語による歌劇の壮劇が伝わる。
靖西市と徳保県にはシン・ヤーハイと呼ばれる伝統的な[[操り人形]]劇がある靖西市と徳保県にはシン・ヤーハイと呼ばれる伝統的な操り人形劇がある<ref name="sinou">国立民族学博物館編、『深奥的中国―少数民族の暮らしと工芸』、pp60-61、2008年、東方出版、大阪、ISBN 978-4-86249-108-4</ref>。
=== 工芸 ===
工芸品としては五色の糸で美しく刺繍を施した壮錦が有名で、図案が精巧で美しく現在も生産されている。工芸品としては'''五色'''の糸で美しく刺繍を施した壮錦が有名で、図案が精巧で美しく現在も生産されている。
チワン族は手織布の生地を使って多種多様なデザインの服を作る。藍染めなどの染色技術も伝統的に持っている。女性は普段は青みがかった黒のズボンをはく、ズボンのすそは少し広げ、頭を綾織のタオルのようなもので包み、腰には精緻なデザインのエプロンを結んでいる。多くの若者は前ボタン式の上着を着て、腰に紐を結んでいる。服飾は男女とも'''黒色'''を正式の礼装とする。
=== 習俗 ===
[[結婚]]の[[婚礼|儀礼]]は漢族のものに似るが、嫁入りの際にも親族による歌の掛け合いが行われる習慣がある。また、1980年代ごろまで、結婚しても子どもが授かるまで嫁と夫が数年間別居を続ける「不落夫家」結婚の儀礼は漢族のものに似るが、嫁入りの際にも親族による歌の掛け合いが行われる習慣がある。また、1980年代ごろまで、結婚しても子どもが授かるまで嫁と夫が数年間別居を続ける「不落夫家」(ふらくふか)の習慣があった<ref name="sinou-P20">国立民族学博物館編、『深奥的中国―少数民族の暮らしと工芸』、p20、2008年、東方出版、大阪、ISBN 978-4-86249-108-4</ref>。
== 民族性 ==
伝統的に来客を好み、見知らぬ客でも厚くもてなす。同じ民族間ではよく団結し、時に山塞を構える。農業には勤勉だが、商業を嫌う傾向がある。タイ系民族一般に見られる特徴だが、[[女性]]がよく働き、農作業も行う。男性は勇猛でよく戦う。伝統的に来客を好み、見知らぬ客でも厚くもてなす。同じ民族間ではよく団結し、時に山塞を構える。農業には勤勉だが、商業を嫌う傾向がある。タイ系民族一般に見られる特徴だが、女性がよく働き、農作業も行う。男性は勇猛でよく戦う。
== 祭日 ==
② ハムハダッ、「除夕」(除夜)
③ 家内の清掃や春聯(紅紙などに吉語を一句ずつ墨書して門・戸の左右に貼るもの)の交換、家族での年越しの食事、元旦の料理の用意、守歳(家人が囲炉裏を囲み眠らないで新年を迎える)、深夜に祭壇で祖先を祭ること<ref name="#1">{{Cite book|和書|author=塚田誠之|title=[[, 壮族文化史研究-明代以降を中心として-]]|origdate=, 2000-09-30|edition=, 初版|publisher=[[, 第一書房]]|pages=55, p55-127}}</ref>。
[[春節]]
① 1月1日~15日
③ 婦女が、生育の女神・子供の守護神である「花王」を祭る<ref name="#1"/>。
[[上巳|三月三]]
① 3月3日
③ 掃墓(墓参)の日。15日まで続く。各家で五色の糯米飯を作り、鶏肉などの料理とともに墓地へ持参する。墓前に料理を並べて焼香し、雑草を刈り紙幡を挿す。墓に向かって三回礼拝した後、供物を下げて皆でその場で食べる。各家では門の上方の横木と家屋の周囲に楓の枝を挿す。青年男女は対歌を行う<ref name="#1"/>。
[[端午節]]
① 5月5日