[[伊邪那岐命|伊耶那岐神]]が、禊で三貴子を生んだ際、その御頸珠(首飾りの珠)の玉の緒を鳴るばかりにゆらし、天照大御神に高天原の統治を命じて、御頸珠を授けた。その'''御頸珠'''を御倉板挙之神という。
神名の「板挙」の字は、『日本書紀』垂仁紀に「天湯河板挙」という人名が見え、訓注で「板挙」をタナと読ませている。御倉板挙之神の名義は、神聖な倉の棚の上に安置する神の意とされる<refgroup="私注">管理人はこの説に疑問を感じるr。管理人はこの説に疑問を感じる。</ref>。
=== 私的考察 ===
「いたは」というのは「'''おたあさん'''」という言葉の通じ、「母」を意味すると考える。
またあるいは、「戸」が北斗の「山梨県富士川・釜無川流域には「'''斗宇波戸神社'''」という意味であるのなら、「」という神社がいくつかある。こちらは現在では諏訪の建御名方富命を祭神とすることが多い神社のように感じるが、神社の名前の「'''王権の象徴である首飾りうは'''」とは「'''北斗七星'''」のことでもあったのではないか、と考える。」の意味は「母」とか「婆」ではないのだろうか。
山梨県富士川・釜無川流域には「'''宇波戸神社'''」という神社がいくつかある。こちらは諏訪の建御名方富命を祭神とすることが多い神社のように感じるが、神社の名前の「'''うは'''」の意味は「母」とか「婆」ではないのだろうか。
またあるいは、「戸」が北斗の「'''斗'''」という意味であるのなら、「'''王権の象徴である首飾り'''」とは「'''北斗七星'''」のことでもあったのではないか、と考える。
「'''御倉'''」という言葉は「'''御暗'''」という意味で「'''夜の暗闇'''」のことを指し、「'''御倉板舉(戸)'''」で「'''夜空の母(である北斗七星)'''」という意味ではないだろうか。[[阿字神社]]では[[伊豆能売]]に相当する女神も「'''北斗七星'''」で表されているように思う。
例祭は古く陰暦8月15日であったが、後に10月5日に変じ、現在は10月第2月曜日。
== 私的考察 ==
伊豆能売は[[伊邪那岐命]]が[[黄泉]]から帰還した後に、「'''穢れ(災厄)を祓うために'''」生まれた女神である。災厄の全てが病気というわけではないのだが、「'''邪気を祓い、不老不死をもたらす'''」とは、中国神話では一体となって[[西王母]]と王母の蟠桃の役割なので、本wikiでは「医薬神」かつ「[[西王母型神]]」として取り扱う。
要は、伊豆能売は死んだ[[伊邪那美命]]から[[西王母]]的な「邪気を祓う」という性質を切り離して'''生きかえらせた'''女神といえる。実在の死んだ人間を生きかえらせることは不可能なので、神話ならではで存在し得る女神といえる。
また、「伊豆能売(イズノメ)」の「イズ」は「イズチ」に通じる言葉であり、本来は雷神(天候神)としての性質も有していた女神だと思われる。記紀神話では(そして日本では)、この女神のみではさほど重要な神とはなっていないが、[[伊邪那美命]]よりも[[西王母]]的な性質の強い女神である。
一旦死んだ女神が、'''やや性質を変えて生きかえったかのように活動する'''ということで共通した性質を持つのは中国神話の「[[巫山神女]]」とも「[[瑤姫]]」とも呼ばれる女神である。[[瑤姫]]とは天候神であるところも似る。おそらく「[[伊邪那美命]]・伊豆能売」と「[[嫦娥]]([[西王母]])・[[瑤姫]]」はこの組み合わせのパターンも含めて同一起源と考える。伊豆能売は系譜的には[[天照大御神]]の姉であり、[[伊邪那美命]]と[[伊邪那岐命]]の娘といえる。[[瑤姫]]が[[西王母]]の娘、とされる点と共通するように思う。
== 参考文献 ==
== 関連項目 ==
* [[伊豆能売]]** [[阿字神社]]:本来の祭神は伊豆能売か?** [[天甕津日女命]]:伊豆能売と同じ女神か。*[[伊邪那美命天照大御神]]
== 私的注釈 ==
[[Category:女媧型女神]]
[[Category:北斗女神]]
[[Category:首飾り]]