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'''佐保姫'''(さほひめ)は、春をつかさどる女神である。秋の女神である[[竜田姫|龍田姫]](立田姫、たつた姫)と対置される<ref name="okumura" />。
春は佐保姫(さほひめ)、夏は筒姫(つつひめ)、秋は竜田姫(たつたひめ)、冬は宇津田姫(うつたひめ)と四季に女神を例えた概念があったと思われる<ref>[http://osoto.jp/moon/moon_2012_07.html 文月 「空」]、OSOTO web(最終閲覧日:24-12-12)</ref>。
推古天皇元年(593年)2月3日、大三輪君白堤が勅命により神武天皇の[皇后である媛蹈韛五十鈴姫命を祭神として奉斎したとされ<ref name="shishi1" />、奈良市最古の神社という<ref name="web" />。後に元正天皇によって本殿の右側には媛蹈韛五十鈴姫命の父神である狭井大神を、左側には母神である玉櫛姫命が祀られるようになった。
 
== 私的考察 ==
大和における佐保姫の本来の機能は、三輪山(おそらく本来の名は'''佐比売山'''あるいは'''三比売山''')の女神かつ佐保川(大和川)の女神であり、かつ田の虫除けなどの厄除けの女神だったと考える。そして「母と二人の娘」という三女神の習合体でもあったと考えられる。大和を初期に開拓したのが物部氏系の氏族だったとすれば、広瀬大社の饒速日命が彼女の夫であり、父であったと考える。現在の祭神である'''若宇加能売命'''は娘神としての性質を強調している、といえる。現在の神名から、「母神」としての性質が強調されている女神を挙げるとすれば、村屋坐弥冨都比売神社の'''弥富都比売神'''なのではないだろうか。
 
ただし、三輪山の主神が大物主命に変更されると、それまで山の女神とされていた'''物部氏系'''の'''佐保姫'''に代わって、大物主命の「妻神」として'''賀茂氏系'''の'''[[玉依姫|活玉依毘売]]'''が「山の女神」的な地位に入り込んできたように思える。夫婦そろって「'''疫神'''」である。三輪山伝説に登場する'''[[玉依姫|活玉依毘売]]'''、勢夜陀多良比売、倭迹迹日百襲姫はいずれも「同じ女神」として扱われており、倭迹迹日百襲姫が悲劇的な最後を遂げたことから、「'''怨霊扱い'''」で鎮めなければならない女神、とされていると考える。
 
それに併せて、本来の祭神だった佐保姫も、[[狭穂姫命]]のように悲劇的な死を遂げた女神と習合させ組み合わせることで、「'''怨霊扱い'''」で鎮めなければならない女神、という姿が強調されているように思う。要するに、物部氏系氏族は佐保姫を「'''厄払いの女神'''」として扱っていたが、賀茂系氏族は逆に「'''疫神'''」として扱って鎮花祭で鎮めなければならない女神として扱ったのだ。佐保川(大和川)は地理的要因により、長雨などで大和盆地に洪水を起こす川だったので、容易に「'''祟り神'''」に変換しやすかったし、そのために奈良盆地は選ばれたのではないか、とすら思える。
 
また佐保姫は藤原氏の手によって、'''若沙那賣神'''という[[須佐之男命]]系の女神にも変換されているように思う。奈良盆地で重要な女神だったので、有力な各氏族が取り込んで女神の利用を試みたものと考える。
 
飛鳥には治水に関して、「[[亀石|亀岩]]」という岩があり、これは干ばつと関連しており、佐保姫のトーテムと考える。
== 参考文献 ==
== 関連項目 ==
* [[三穂津姫]]:同じ女神と考える。
* [[竜田姫]]
* [[亀岩]]
* [[伊豆能売]]:大和佐保川に関する女神とした場合、佐保姫の別名で、天目一箇神を夫とする場合、この名前の女神になると考える。
[[Category:織女]]
[[Category:龍蛇神]]
[[Category:水神]]

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