江戸時代に園部藩藩主小出氏の崇敬を受けて復興し、元禄年中(17世紀末)には本殿の修理を始め覆屋や拝殿・楼門・石鳥居等の再建、造営といった社頭整備が藩費によって行われた。また、小出氏歴代の祈願所とされて藩主の直参や代参が行われ、胎金寺が別当寺と定められた(本寺は九品寺)。
宝暦11年(1762年)12月18日夕刻、近接していた胎金寺の庫裏からの失火が延焼し、社殿を含む境内一円がほぼ全焼、この時に古記録・宝物類も失われたという。社殿の再建は宝暦14年(1764年)から行われ、藩主小出英持の援助や氏子]の寄進により[[明和]]4年([[1767年]])7月に完成した(現本殿ほか)。4年(1767年)7月に完成した(現本殿ほか)。
[[明治]]の[[神仏分離]]で別当胎金寺を廃し明治の神仏分離で別当胎金寺を廃し<ref>同寺の什物等は神社へ継承された。</ref>、同6年([[1873年]])に[[近代社格制度]]において[[郷社]]に列した。その後、同43年([[1910年]])には神饌幣帛料供進社の指定を受け、[[大正]]5年([[1916年]])3月6日に[[府社]、同6年(1873年)に近代社格制度において郷社]に昇格した。に列した。その後、同43年(1910年)には神饌幣帛料供進社の指定を受け、大正5年(1916年)3月6日に府社に昇格した。
=== 神階 ===
* [[貞観 (日本)|貞観]]元年([[859年]])正月27日、従五位下から従五位上 (『[[日本三代実録]]』) 貞観元年(859年)正月27日、従五位下から従五位上 (『日本三代実録』) - 表記は「麻気神」
== 境内 ==
=== 本殿 ===
[[File:Make-jinja honden.JPG|thumb|200px|right|本殿<br /><small>左に東摂社、右に西摂社。いずれも京都府指定文化財。</small>]][[流造|一間社流造]][[杮葺]]。園部藩主小出英持による明和4年の再建時の建物で、一間社の社殿としては丹波地方のみならず京都府下においても最大規模のもの。虹梁や木鼻(きばな)等の絵様は同時代のものと比べると質素で、それ以前の伝統的な手法を受け継いだものとなっている。妻飾りは二重虹梁を構え、大瓶束(たいへいづか)に水流形の笈形(おいがた)をあしらって見所をつくっている。虹梁を持ち出さない形式には[[両丹地方]]に共通する様式も認められる。[[大工]]は[[播州]][[加東郡]]嶋村の者一間社流造杮葺。園部藩主小出英持による明和4年の再建時の建物で、一間社の社殿としては丹波地方のみならず京都府下においても最大規模のもの。虹梁や木鼻(きばな)等の絵様は同時代のものと比べると質素で、それ以前の伝統的な手法を受け継いだものとなっている。妻飾りは二重虹梁を構え、大瓶束(たいへいづか)に水流形の笈形(おいがた)をあしらって見所をつくっている。虹梁を持ち出さない形式には両丹地方に共通する様式も認められる。大工は播州加東郡嶋村の者<ref name="京都の文化財">『京都の文化財』第2集、京都府教育委員会、昭和59年。</ref>。切妻造平入[[茅葺]]の[[覆屋]]が懸かり、覆屋を含めて京都府指定文化財。。切妻造平入茅葺の覆屋が懸かり、覆屋を含めて京都府指定文化財。
=== その他 ===