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'''盤瓠'''(ばんこ、'''槃瓠'''とも書く)は、中国の伝説上の犬。
 
'''盤瓠'''(ばんこ、'''槃瓠'''とも書く)は、中国の伝説上の犬。
  
『捜神記』によると、昔、'''高辛氏'''が犬戎に攻められたとき、帝は犬戎の将、呉将軍を打ち破ったものに賞金と娘をめあわせるというお触れを出した。すると、五彩の毛をもつ槃瓠という犬が、呉将軍の首を噛み切って戻ってきた。帝は犬に人をめあわすわけにはいかないと考えたが、娘自身は、帝の言葉に嘘があってはいけないと、自ら槃瓠に嫁ぐことにした。両者は南山にはいり、娘は3年間に6男6女を生んだ。帝は子供たちを呼びよせたが、かれらは人間生活になじまず、山の中で暮らしていた。かれらの子孫が蛮夷の祖となったという<ref name="槃瓠">槃瓠, 日本大百科全書</ref><ref>薩孟武, 薩孟武, 2018-07-13, 西遊記與中國古代政治, 三民書局, isbn:9789571464183, page47, 武帝說:「昔齊襄公復九世之謎,《春秋》大之。」(《漢書》卷九十四上〈匈奴傳〉)壯哉斯言。及至宣帝,匈奴款塞來朝,而東胡,西戎,北狄,南蠻罔不臣朝。從而華夷之別又一變而為天下一家的思想。說匈奴,則曰夏后氏之苗裔(同上);說西南夷,則曰高辛氏之女與其畜狗槃瓠配合而生的子孫(《後漢書》卷八十六〈南蠻,西南夷傳〉);說朝鮮,則曰武王封箕子於朝鮮,其後燕人衛滿又入朝鮮稱王(《漢書》卷九十五〈朝鮮王滿傳〉); 說西羌,則曰出於三苗(《後漢書》卷八十七〈西羌傳〉)。這樣,全亞洲的人民幾乎無一不與華人有血統關係了。</ref>。同じ伝承は『後漢書』南蛮伝にもあり、それによれば、槃瓠の子孫は現在の長河(湖南省)の武陵蛮(現在の湖南省・湖北省を中心に居住していた中国古代の非漢民族<ref>武陵蛮, 世界大百科事典</ref>)であるという<ref name="槃瓠"/>。
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『捜神記』によると、昔、'''高辛氏'''が犬戎に攻められたとき、帝は犬戎の将、呉将軍を打ち破ったものに賞金と娘をめあわせるというお触れを出した。すると、五彩の毛をもつ槃瓠という犬が、呉将軍の首を噛み切って戻ってきた。帝は犬に人をめあわすわけにはいかないと考えたが、娘自身は、帝の言葉に嘘があってはいけないと、自ら槃瓠に嫁ぐことにした。両者は南山にはいり、娘は3年間に6男6女を生んだ。帝は子供たちを呼びよせたが、かれらは人間生活になじまず、山の中で暮らしていた。かれらの子孫が蛮夷の祖となったという<ref name="槃瓠">槃瓠, 日本大百科全書</ref><ref>薩孟武, 2018-07-13, 西遊記與中國古代政治, 三民書局, isbn:9789571464183, p47, 武帝說:「昔齊襄公復九世之謎,《春秋》大之。」(《漢書》卷九十四上〈匈奴傳〉)壯哉斯言。及至宣帝,匈奴款塞來朝,而東胡,西戎,北狄,南蠻罔不臣朝。從而華夷之別又一變而為天下一家的思想。說匈奴,則曰夏后氏之苗裔(同上);說西南夷,則曰高辛氏之女與其畜狗槃瓠配合而生的子孫(《後漢書》卷八十六〈南蠻,西南夷傳〉);說朝鮮,則曰武王封箕子於朝鮮,其後燕人衛滿又入朝鮮稱王(《漢書》卷九十五〈朝鮮王滿傳〉); 說西羌,則曰出於三苗(《後漢書》卷八十七〈西羌傳〉)。這樣,全亞洲的人民幾乎無一不與華人有血統關係了。</ref>。同じ伝承は『後漢書』南蛮伝にもあり、それによれば、槃瓠の子孫は現在の長河(湖南省)の武陵蛮(現在の湖南省・湖北省を中心に居住していた中国古代の非漢民族<ref>武陵蛮, 世界大百科事典</ref>)であるという<ref name="槃瓠"/>。
  
19世紀、曲亭馬琴は『南総里見八犬伝』で、敵に攻められた里見義実が、〈敵の大将を討ち取ったものには娘の伏姫をめあわせる〉といったために、飼い犬の八房に姫を嫁がせざるを得なくなるという設定を設けた。そのときに、刊本の挿絵(岩波文庫旧版第1巻136-137ページの見開き)には、上段に八房を討とうとする義実とそれをとめる伏姫が描かれ、下段には『後漢書』の槃瓠説話が引用されている。
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19世紀、曲亭馬琴は『南総里見八犬伝』で、敵に攻められた里見義実が、〈敵の大将を討ち取ったものには娘の'''伏姫'''をめあわせる〉といったために、飼い犬の'''八房'''に姫を嫁がせざるを得なくなるという設定を設けた。そのときに、刊本の挿絵(岩波文庫旧版第1巻136-137ページの見開き)には、上段に八房を討とうとする義実とそれをとめる伏姫が描かれ、下段には『後漢書』の槃瓠説話が引用されている。
  
== 参考文献 ==
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== 盤王祭 ==
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盤王祭は、ヤオ族にとって先祖である盤王(盤瓠、盤古、盤庚)を崇拝する重要な祭りであり、国内外のヤオ族はこの民族祭を非常に重視している。盤王節は毎年旧暦10月16日に永州市江華県と江永県で開催されます。祭りの間、距離に関係なくすべてのヤオ族が民族衣装を着て祖先である盤王を崇拝し、集まって歌ったり踊ったりして盤王祭を祝う。彼らが歌う曲は「盤王の歌」に基づいたミュージカル曲で、彼らが演じるダンスは通常2人または4人で踊る長い太鼓のグループダンスだ。
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ヤオ族の盤王祭りは、还盤王の願いとも呼ばれる。古代、ヤオ族は船で海を渡ったと言われているが、船は7749日間海に漂い、海岸にたどり着くことができず、全員が命を落とした。この時、船の舳先にある人が祖先の盤王に子孫の無事を祈り、大願をかけた。願い事をした後、海は穏やかになり、船はすぐに着岸し、ヤオ族の人々は救われた。この日は旧暦10月16日で、偶然にも盤王の誕生日だった。そこで、上陸したヤオ族は、木を伐採して木桶を作り、もち米を蒸して餅にし、盤王に犠牲を捧げた。そして、ヤオ族の新生活と盤王の誕生日をみんなで歌ったり踊ったりして祝い、この日を「盤王祭」と呼んだ。盤王の死後、役人がヤオ族を弾圧し、ヤオ山脈の土地を略奪したという伝説もあるが、その訴え(書類)はその後、金廬宮(皇帝)に届かなかった。賢いヤオ族はある方法を考え出し、長太鼓の中に告発状を隠し、州中を旅して太鼓を演奏し、民族芸を披露した。ついに首都に到着し、金廬堂に行き、長太鼓を開けた。告発状を取り出し、最終的に告訴を行った。その後、盤王祭りの期間中、ヤオ族は長太鼓を踊り、代々受け継がれてきた「盤王歌」を歌った<ref>[https://www-jh-gov-cn.translate.goog/jh/yzwh/202302/21bd39fb4e404c90832c6063e41a7289.shtml?_x_tr_sch=http&_x_tr_sl=auto&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=wapp 瑶文化]、江華ヤオ族自治県人民政府HP(最終閲覧日:24-11-28)</ref>。
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== 飄遙過海 ==
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南京にいた12姓の祖先が'''干魃'''を逃れて海に乗り出したところ難破しそうになるが、盤皇という神に救助された。(タイのヤオ族)
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タイのヤオ族には「太古、ミエン族と日本族(kyan yipun)はともに中国におり、ミエンは南へ、日本族は東へ移動した。」という伝承があるとのこと。
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== 渡海 ==
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「昔、板ヤオ族が漢人と一緒に船に乗って《渡海》したとき、途中で暴風に遭い、大いに危険であった。彼らは、神に祈り、その加護を求めた結果、《盤王》の霊威によって、難を避け無事に彼岸に到達するを得た。その後、漢人は充分に蓄財があったので、七日間にわたる盤王の加護の恩に酬いるための〈斎戒仏事〉を催すことができたが、板ヤオ人は無産のため盤王を奉じて家神とした。今日彼らは、屋内に祭壇を設けて盤王を崇拝している。・・・・・・。また板ヤオ人は、漢人と渡海を共にした間柄ということで、漢人の訪問を受けると、どのヤオ人の家でも飲食・宿泊を提供して歓待する。これは、時を同じくして両者が渡海し、神護天佑を求めた誼によるものである。」(広西省東部の板ヤオ族)
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== 槃瓠と山膏 ==
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[[黄帝]]の曾孫である五帝の一人・帝嚳(俊)は山中で真っ赤な子豚のような'''人を罵る獣'''に出会った。不敬なその獣は、すぐさま連れられていた犬・盤瓠にかみ殺されたが、それこそが[[山膏]]であると考えられている。
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== 槃瓠の最期 ==
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=== 木の股に挟まる ===
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槃瓠は山に狩に行き、山羊を見つけて追いかけた。この山羊は狡猾で、ふいに跳んで樹洞に隠れた。獲物を追っていた槃瓠はそのまま樹木に当たり、樹股に挟まって死んでしまった<ref>百田弥栄子『中国神話の深層』三弥井書店、2020年、660頁</ref>。
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=== 息子たちに殺される ===
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息子たちは槃瓠犬を連れて狩に出かけた。途中、水牛に「その犬はお前たちの父親だ」とからかわれ、怒った息子たちは犬を殺した<ref>百田弥栄子『中国神話の深層』三弥井書店、2020年、660頁</ref>。
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=== 石に変じる ===
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槃瓠は死後、石に変じた、という話がある<ref>百田弥栄子『中国神話の深層』三弥井書店、2020年、667頁</ref>。
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== 私的考察 ==
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甘基王(ガンジ王)は、槃瓠のトーテムがなぜカエルになったかという縁起譚? というか、[[黄帝]]([[羿]])と[[祝融]]の事績が入り交じって大混乱しているけれども、「'''[[黄帝]]([[羿]])と[[祝融]](火を取り扱う神)が父子だった'''」ということはきちんと書かれている話と考える。前半はロスタムとソフラーブ的だし、ガンジが生まれ変わる点はディオニューソス的だし、ガンジの故事は父親の[[槃瓠]]([[黄帝]]・[[羿]])のものだし、色々な神話の起源としても重要だと考えるが、「'''神話をどう作り替えていくか'''」という作業の起源としても重要かもしれないと思う。興味深い話である。ともかく、「'''皮を被る神'''」は要注意と考える。この話の場合、タン・ファダンと皇帝は同じものといえる。
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ガンジが龍衣を着て、天の神・火雷神になり、槃瓠父が逆に「息子のカエル」とされてしまったのが、壮族の「雷神とカエル」といえようか。こちらのカエルは皮を被っていない、本物のカエルといえるのではないだろうか。カエル息子の父親の[[羿]]のトーテムも'''蛙'''であり、敵を倒して王女と結婚する英雄も本当は犬でもあり'''蛙'''でもある、とすれば、'''槃瓠'''のトーテムも'''蛙'''になって、かつ槃瓠は[[羿]]であり、水雷神の[[黄帝]]である、ということになりはしないだろうか。タン・ファダンが息子を殺すのは、[[黄帝]]と[[蚩尤]]([[祝融]])の争いを表しているものといえる。
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ガンジは自分を殺そうとする父親に「'''阿爸'''」と呼びかける。「阿爸,你不要杀害我!」である。阿爸(ābà.)とは中国語で「お父さん」という意味なのだが、かつて楚では男子の尊称を「阿父」と呼んだとのことだ<ref>苗族民話集、村松一弥編、1974、平凡社、p15</ref>。(現代では “爸”は話し言葉で、“父”は書き言葉だとのこと。)「'''阿爸'''」という言葉がそもそも「'''蛙黽'''」という言葉に通じるのではないだろうか。少なくともこの言葉は印欧語族では「水神」「風神」に関わる言葉なのだ。
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== 私的考察・八犬伝について ==
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八犬伝では、お犬様の'''八房'''の8人の息子たちは最後には里見義成の8人の姫と結婚しているので、その点はガンジに似ている。管理人が思うに、馬琴は八犬伝を書くにあたり、中国・日本の犬祖伝説をものすごく詳細に調べており、物語の基本的な設定によくまとめてある。長野市信州新町・竹房地区に八布施神社という神社がある。ここは今では保食神を祀る小さな神社なのだが、かつては当地が馬の産地だったこともあり、八布施大明神として近隣の武士たちからの篤い信仰を受けたとのことである。この近くにある武冨佐神社(たけぶさじんじゃ)には数柱の祭神の中に「'''速瓢(はやち)神'''」という名の神がいる。出雲国風土記に「'''伊農波夜(犬は早(速))'''」という言葉があり、おそらくこの「'''速瓢(はやち)神'''」とは犬神のことだし、八布施神社もそれに関連した神社だと馬琴は知っていたのだと思う。おそらく、'''八房'''と'''伏姫'''の名前は'''八布施大明神'''から採ったものだと考える。八犬伝の最初は'''八布施大明神'''、最後は'''甘基王(ガンジ王)'''であると、この年になってやっと気がついて、伝承学においても少しは馬琴のレベルに近づけただろうか、と思う管理人である(24-11-21)<ref>信州新町史 下巻、1979、p1405</ref>。
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== 参考文献 ==  
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* 中国の伝承曼荼羅、百田弥栄子、三弥井書店、1999、p137
 
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%A4%E7%93%A0 槃瓠](最終閲覧日:22-10-31)
 
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%A4%E7%93%A0 槃瓠](最終閲覧日:22-10-31)
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* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%AA%E6%97%8F ヤオ族](最終閲覧日:24-11-28)
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* [https://dic.pixiv.net/a/%E5%B1%B1%E8%86%8F 山膏]、ピクシブ百科事典(最終閲覧日:22-10-28)
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* 山海経、中山経、高馬三良訳、1994、平凡社ライブラリー、平凡社、p94
  
 
== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
* [[羿]]
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* [[ヤオ族]]
* [[山膏]]:盤古がかみ殺した、という豚の化け物。
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* [[シェ族]]:犬祖伝承を持つ。
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* [[チワン族]]
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* [[速飄神]]
  
== 参照 ==
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== 脚注 ==
  
 
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[[Category:中国神話]]
 
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[[Category:ヤオ族神話]]
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[[Category:蛙]]
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[[Category:陽]]

2024年12月25日 (水) 14:31時点における最新版

盤瓠(ばんこ、槃瓠とも書く)は、中国の伝説上の犬。

『捜神記』によると、昔、高辛氏が犬戎に攻められたとき、帝は犬戎の将、呉将軍を打ち破ったものに賞金と娘をめあわせるというお触れを出した。すると、五彩の毛をもつ槃瓠という犬が、呉将軍の首を噛み切って戻ってきた。帝は犬に人をめあわすわけにはいかないと考えたが、娘自身は、帝の言葉に嘘があってはいけないと、自ら槃瓠に嫁ぐことにした。両者は南山にはいり、娘は3年間に6男6女を生んだ。帝は子供たちを呼びよせたが、かれらは人間生活になじまず、山の中で暮らしていた。かれらの子孫が蛮夷の祖となったという[1][2]。同じ伝承は『後漢書』南蛮伝にもあり、それによれば、槃瓠の子孫は現在の長河(湖南省)の武陵蛮(現在の湖南省・湖北省を中心に居住していた中国古代の非漢民族[3])であるという[1]

19世紀、曲亭馬琴は『南総里見八犬伝』で、敵に攻められた里見義実が、〈敵の大将を討ち取ったものには娘の伏姫をめあわせる〉といったために、飼い犬の八房に姫を嫁がせざるを得なくなるという設定を設けた。そのときに、刊本の挿絵(岩波文庫旧版第1巻136-137ページの見開き)には、上段に八房を討とうとする義実とそれをとめる伏姫が描かれ、下段には『後漢書』の槃瓠説話が引用されている。

盤王祭[編集]

盤王祭は、ヤオ族にとって先祖である盤王(盤瓠、盤古、盤庚)を崇拝する重要な祭りであり、国内外のヤオ族はこの民族祭を非常に重視している。盤王節は毎年旧暦10月16日に永州市江華県と江永県で開催されます。祭りの間、距離に関係なくすべてのヤオ族が民族衣装を着て祖先である盤王を崇拝し、集まって歌ったり踊ったりして盤王祭を祝う。彼らが歌う曲は「盤王の歌」に基づいたミュージカル曲で、彼らが演じるダンスは通常2人または4人で踊る長い太鼓のグループダンスだ。

ヤオ族の盤王祭りは、还盤王の願いとも呼ばれる。古代、ヤオ族は船で海を渡ったと言われているが、船は7749日間海に漂い、海岸にたどり着くことができず、全員が命を落とした。この時、船の舳先にある人が祖先の盤王に子孫の無事を祈り、大願をかけた。願い事をした後、海は穏やかになり、船はすぐに着岸し、ヤオ族の人々は救われた。この日は旧暦10月16日で、偶然にも盤王の誕生日だった。そこで、上陸したヤオ族は、木を伐採して木桶を作り、もち米を蒸して餅にし、盤王に犠牲を捧げた。そして、ヤオ族の新生活と盤王の誕生日をみんなで歌ったり踊ったりして祝い、この日を「盤王祭」と呼んだ。盤王の死後、役人がヤオ族を弾圧し、ヤオ山脈の土地を略奪したという伝説もあるが、その訴え(書類)はその後、金廬宮(皇帝)に届かなかった。賢いヤオ族はある方法を考え出し、長太鼓の中に告発状を隠し、州中を旅して太鼓を演奏し、民族芸を披露した。ついに首都に到着し、金廬堂に行き、長太鼓を開けた。告発状を取り出し、最終的に告訴を行った。その後、盤王祭りの期間中、ヤオ族は長太鼓を踊り、代々受け継がれてきた「盤王歌」を歌った[4]

飄遙過海[編集]

南京にいた12姓の祖先が干魃を逃れて海に乗り出したところ難破しそうになるが、盤皇という神に救助された。(タイのヤオ族)

タイのヤオ族には「太古、ミエン族と日本族(kyan yipun)はともに中国におり、ミエンは南へ、日本族は東へ移動した。」という伝承があるとのこと。

渡海[編集]

「昔、板ヤオ族が漢人と一緒に船に乗って《渡海》したとき、途中で暴風に遭い、大いに危険であった。彼らは、神に祈り、その加護を求めた結果、《盤王》の霊威によって、難を避け無事に彼岸に到達するを得た。その後、漢人は充分に蓄財があったので、七日間にわたる盤王の加護の恩に酬いるための〈斎戒仏事〉を催すことができたが、板ヤオ人は無産のため盤王を奉じて家神とした。今日彼らは、屋内に祭壇を設けて盤王を崇拝している。・・・・・・。また板ヤオ人は、漢人と渡海を共にした間柄ということで、漢人の訪問を受けると、どのヤオ人の家でも飲食・宿泊を提供して歓待する。これは、時を同じくして両者が渡海し、神護天佑を求めた誼によるものである。」(広西省東部の板ヤオ族)

槃瓠と山膏[編集]

黄帝の曾孫である五帝の一人・帝嚳(俊)は山中で真っ赤な子豚のような人を罵る獣に出会った。不敬なその獣は、すぐさま連れられていた犬・盤瓠にかみ殺されたが、それこそが山膏であると考えられている。

槃瓠の最期[編集]

木の股に挟まる[編集]

槃瓠は山に狩に行き、山羊を見つけて追いかけた。この山羊は狡猾で、ふいに跳んで樹洞に隠れた。獲物を追っていた槃瓠はそのまま樹木に当たり、樹股に挟まって死んでしまった[5]

息子たちに殺される[編集]

息子たちは槃瓠犬を連れて狩に出かけた。途中、水牛に「その犬はお前たちの父親だ」とからかわれ、怒った息子たちは犬を殺した[6]

石に変じる[編集]

槃瓠は死後、石に変じた、という話がある[7]

私的考察[編集]

甘基王(ガンジ王)は、槃瓠のトーテムがなぜカエルになったかという縁起譚? というか、黄帝羿)と祝融の事績が入り交じって大混乱しているけれども、「黄帝羿)と祝融(火を取り扱う神)が父子だった」ということはきちんと書かれている話と考える。前半はロスタムとソフラーブ的だし、ガンジが生まれ変わる点はディオニューソス的だし、ガンジの故事は父親の槃瓠黄帝羿)のものだし、色々な神話の起源としても重要だと考えるが、「神話をどう作り替えていくか」という作業の起源としても重要かもしれないと思う。興味深い話である。ともかく、「皮を被る神」は要注意と考える。この話の場合、タン・ファダンと皇帝は同じものといえる。

ガンジが龍衣を着て、天の神・火雷神になり、槃瓠父が逆に「息子のカエル」とされてしまったのが、壮族の「雷神とカエル」といえようか。こちらのカエルは皮を被っていない、本物のカエルといえるのではないだろうか。カエル息子の父親の羿のトーテムもであり、敵を倒して王女と結婚する英雄も本当は犬でもありでもある、とすれば、槃瓠のトーテムもになって、かつ槃瓠は羿であり、水雷神の黄帝である、ということになりはしないだろうか。タン・ファダンが息子を殺すのは、黄帝蚩尤祝融)の争いを表しているものといえる。

ガンジは自分を殺そうとする父親に「阿爸」と呼びかける。「阿爸,你不要杀害我!」である。阿爸(ābà.)とは中国語で「お父さん」という意味なのだが、かつて楚では男子の尊称を「阿父」と呼んだとのことだ[8]。(現代では “爸”は話し言葉で、“父”は書き言葉だとのこと。)「阿爸」という言葉がそもそも「蛙黽」という言葉に通じるのではないだろうか。少なくともこの言葉は印欧語族では「水神」「風神」に関わる言葉なのだ。

私的考察・八犬伝について[編集]

八犬伝では、お犬様の八房の8人の息子たちは最後には里見義成の8人の姫と結婚しているので、その点はガンジに似ている。管理人が思うに、馬琴は八犬伝を書くにあたり、中国・日本の犬祖伝説をものすごく詳細に調べており、物語の基本的な設定によくまとめてある。長野市信州新町・竹房地区に八布施神社という神社がある。ここは今では保食神を祀る小さな神社なのだが、かつては当地が馬の産地だったこともあり、八布施大明神として近隣の武士たちからの篤い信仰を受けたとのことである。この近くにある武冨佐神社(たけぶさじんじゃ)には数柱の祭神の中に「速瓢(はやち)神」という名の神がいる。出雲国風土記に「伊農波夜(犬は早(速))」という言葉があり、おそらくこの「速瓢(はやち)神」とは犬神のことだし、八布施神社もそれに関連した神社だと馬琴は知っていたのだと思う。おそらく、八房伏姫の名前は八布施大明神から採ったものだと考える。八犬伝の最初は八布施大明神、最後は甘基王(ガンジ王)であると、この年になってやっと気がついて、伝承学においても少しは馬琴のレベルに近づけただろうか、と思う管理人である(24-11-21)[9]

参考文献[編集]

  • 中国の伝承曼荼羅、百田弥栄子、三弥井書店、1999、p137
  • Wikipedia:槃瓠(最終閲覧日:22-10-31)
  • Wikipedia:ヤオ族(最終閲覧日:24-11-28)
  • 山膏、ピクシブ百科事典(最終閲覧日:22-10-28)
  • 山海経、中山経、高馬三良訳、1994、平凡社ライブラリー、平凡社、p94

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. 1.0 1.1 槃瓠, 日本大百科全書
  2. 薩孟武, 2018-07-13, 西遊記與中國古代政治, 三民書局, isbn:9789571464183, p47, 武帝說:「昔齊襄公復九世之謎,《春秋》大之。」(《漢書》卷九十四上〈匈奴傳〉)壯哉斯言。及至宣帝,匈奴款塞來朝,而東胡,西戎,北狄,南蠻罔不臣朝。從而華夷之別又一變而為天下一家的思想。說匈奴,則曰夏后氏之苗裔(同上);說西南夷,則曰高辛氏之女與其畜狗槃瓠配合而生的子孫(《後漢書》卷八十六〈南蠻,西南夷傳〉);說朝鮮,則曰武王封箕子於朝鮮,其後燕人衛滿又入朝鮮稱王(《漢書》卷九十五〈朝鮮王滿傳〉); 說西羌,則曰出於三苗(《後漢書》卷八十七〈西羌傳〉)。這樣,全亞洲的人民幾乎無一不與華人有血統關係了。
  3. 武陵蛮, 世界大百科事典
  4. 瑶文化、江華ヤオ族自治県人民政府HP(最終閲覧日:24-11-28)
  5. 百田弥栄子『中国神話の深層』三弥井書店、2020年、660頁
  6. 百田弥栄子『中国神話の深層』三弥井書店、2020年、660頁
  7. 百田弥栄子『中国神話の深層』三弥井書店、2020年、667頁
  8. 苗族民話集、村松一弥編、1974、平凡社、p15
  9. 信州新町史 下巻、1979、p1405